和深駅
(紀勢本線・わぶか) 2010年2月
列車はすでに午前の時間を宿していた。学生はもはやいない。軽々と富田坂の山々をトンネルで越えると、喩え普通列車でも紀伊半島において鉄道は偉大だなと思う。
早朝訪れた紀伊日置を過ぎると、険しい山間を抜けたようで空気感が変わった。周参見だ。海も見える。特急も止まるということで、そんな明るい色合いが駅にも過分に表れていた。
車内はとても暖房が効いて、ロングのモケットは熱いくらいだった。晴れていて、硝子越しにやわい光が回ってきている。
それからというものは、トンネルを出ては海、そういう繰り返しだった。
海が見えてはっとする、しかしその感動を、トンネルは地勢学的に召し上げ、黒い嵐と騒音で亡き者にする。列車は感情によらず等速で走っているようだった。
海のひらめきや心の動揺は、怜悧なトンネルによって圧殺される。そういう理論に苦しめられる感情、それは真綿が詰まるような、えもいわれぬ哀しさを私に催させた。
その繰り返しであまりに苦しくなり、ついには窓枠にひれ伏した。
淡々と走る理性の列車は、感情風景の中でこそ美しいと思った。逆に、理論が感情を創出したともいえた。
胸郭や頬の中でRavelのコンチェルトの緩楽章が延々と鳴り響いていた。曲としてはもっと透明な理性的な水色で、常緑樹や黄色な太陽、明瞭な海色とは少し違うものだろう。けれど一流の理論の中での「歌」は、喩えようのない美しさなのだった。
トンネルの中の電車の響き、そしてトンネルの巻き立てのコンクリートは、私の感情惑溺から救ってくれる。だから私はあえてトンネルの中の巻き立ての様子を見続けた。そうしなければ自分の足で立つことさえ危うくなった。
協奏曲の不安な中間部のトンネルから抜けて、爽やかな回想部に入ると、明るい海の見える構内へと列車が速度を落とした。水色のホ長調の弦部が美しかった。列車から降りると、風に身を包まれる。ベテランの初老の運転士は見守るように表情を硬くしている。
硬いプラットホームには外灯が立ち、海を見下ろしている。トンネルに挟まれた静かで、そして明るいところだった。骨の跨線橋すら、観望をかなえるためにあるかのようだった。陽は穏やかで、風も優しい。耳を澄ますとただその風音と、下方の海のどめきだけが聞こえる。本当に来たんだ、と思った。
白亜の小舎が、山側に鎮座している。波音を受けても、風を撫でられつづけても、ただそこに陽をあびて朗らかに立っている。真っ白な柱さして、死んだ貝の笑う歯のように、海見つ人に屋根を差し出す。ちょっと悲しかった。中はいたって質素で、ただ健康をかこつ病人のように真っ白に調度されていた。据え付け長椅子なのに短く思え、あたりはペンキに塗りこめられている。風はまっすぐに通り過ぎ、波音は少し落ち着く。
外に出ると、明るいのに冬の日陰の寒さに襲われた。ふと脇を見ると、日和見によさそうな石段があるが、不気味にくねる南方の灌木に覆われ破壊されている。知らない謎の道が、この界隈には眠っている。
駅を出ても何もなかった。ただ日当たりはよく、紀伊の山の端からの青空に吸い込まれそうで、ごくたまに冬鳥の鳴き音響く、静かなところだった。
私はただ直感に従い、細道を下っていった。駅は堰堤にあるのがわかってゆく。
まもなく聖堂のようなトンネルに出遭い眼を見開く。尖ったアーチは中に入ると思いがけず天井が高く、海潮音が響いてきていたのだった。海を見んとする自分が灰色の喉に呑み込まれるのは、私の心を一途な青年にする。特別な旅には、特別なものが待ち受けている。誰も知らない海が、そこにあるのだ。
しかしそこを出ても禁止区域の漁港かもしれない。そんな不安がかすめる。
出口に差し掛かると、眩しい陽だまり、朽ち果て、錆びた蔦に絡められた木造を見ると、とある初夏を思い出した。実際、暑くなってきていた。三井連絡船? そんな昔の鉄板がポールから提げられ、「連絡船があるのか? この小さな隠れた浜からか? どこへいくんだろ。」と思う。不思議な低い石積みの隠し道もあり、岩代の葦に隠された秘密の通路を思い出して、
「まったく海辺ってやつは、おもしろすぎるんだな。」
磯回りも考えたら、わずかなエリアでもどれだけ時間がいるか。
さびれた堤のある浜に出る。人受けしそうなきらきらするものではなかった。けれど、海食崖と磯の組み合わさった摩訶不思議な城は脇に控え、岩礁が平らに海の先まで突き出しているのを見るや、
「よし、あそこに行こう。突端まで行ってやろう!」
と誓う。
そこまで行かないと日陰なのだった。
川が海まで行きつかず青緑に淀んでいる。背後には砂地ののっぽな海食崖がところどころに植物を備えおどろおどろしくそそり立って湿度を感じる。まるで海賊の砦のようだ。いかにも後退した昔の海食崖という趣で、山に還らんとしていた。足場の悪い礫浜を歩く。ちょっとしたことで足が礫に埋もれかなり痛い思いをする。足裏を湾曲させ大粒の礫を掴むのは、猿になった気分だ。靴もいかにもスニーカーという感じがする。だがどんな慣れても大礫は崩れ、ため息つきほんとうんざりした。
砂崖に洞穴の成り損ねがあり、キャンプした痕が遠巻きに見える。日陰で植生も回復しつつあり、かなり不気味なところだったので、こんなところまで人が来てんだなと思った。花火や菓子の残骸あるも、健康な若人にとっては、こんな陰湿の城も格好の遊び場となるようなのは頼もしく、その残骸を私はいちいち仔細ありげに眺めた。賞味期限がだいぶ前のだと、少し安心する。日当たりに出ると黄土色の岩に海蝕洞がいくつか口を開けて、それはもう冒険へのいざないだった。
やがて現役の海食崖が現れ、見事な地層を見せているな、と思ったら、もう磯に足はとりついていた。真っ黒なでっかい岩盤のようで、刃をミルフィーユのように十重二十重に薄く重ねていて、繊細に等高線を築いている。人間がこんな彫刻をしたらさぞかし立派で、賞賛されるだろうなあ、そういうものが、ずっとずっと向うまで広がっていた、決して一様でない。よく考えついたなと思うほどだ。しかもそれにとどまらず微妙な潮溜り、厳しいクレバスの淵を備え、それは見渡すと、見事な造形芸術の、岩礁地帯なのだった。遠くには太陽が海を果てなくきらめかせている。これが太平洋、黒潮かと思った瞬間だ。「ほんとにあったんだな。冬の黒潮は夏じゃないか。ここは常夏なんじゃないか? 冬がいやなら、ここに来ればいい! 決まりきった称揚と評判があるだけでなく、本当にあったのだ!」
その存在の現れは凄い迫力だった。なぜ今の今、人々がなぜ称賛しないのかと思うほどだ。しかし語ってしまえば、映像を流してしまえば、やはりそれは予定調和な評判と見方となってしまうのだろう。旅するにしても、存在するという動静がなければ、何もおもしろくないだろう。それは冬の黒潮海岸を直截知るということではなくて、人々の意識の中にあるもろもろの存在を超えたそこに、この黒潮の風景があるということだと思う。だからこそ、評判から切り離されているのだろう。そしてそれがその光景を自分のものにしたと思う瞬間なのだった。誰一人として自分と同じ風景を見てはいない。絶対的な唯一の自分の存在を感じられる。それは却って、それを造形した唯一的な存在者に触れ合わせんとする。そういう恐ろしく孤高の存在と一身になるような感じなのだった。
液体のトパーズに乳化剤を暴力的に混ぜられた色あいの中、泡沫が突き上げられ、裂壁の海溝の中で暴れている。そこを渡れば本土と切り離された岩礁だ。私は渡ろうと思った。しかし狭いところでも一間分と少しあった。荷物を置き、呼吸を整える。幅跳びをしようと、するのだが、どうしても身がすくんだ。落ちたらただでは済まないというより、体は水力でバラバラになること請け合いだった。気づく人もいなかろう。もっといいくびれがあるかもしれないが、いまは太公望をうらやみつつ、私はその海峡を和深海峡と名付けた。和深海峡は深く、真黒な巌と寝覚めの海色で美しい海峡だ。
私はそれを眺め下ろしながら先端まで歩くが、こうも刃が幾層にも重なっていると、磯の上で滑って転ぶだけでも体中傷まるけになりそうだった。波浪にこんなものへ叩きつけられたらと思うともはや諦めしか感じない。 何度か尖った小峰に危うげに立ち、地層のミルフィーユを観察しながら、行きつける限界に達した。もう先は隠顕岩で、波に見え隠れするばかりだ。私はそこで叫んだ。
「われ突端に到達したり、ここが我が進みうる最端の地なり!」
もし本土のどこかの一点にいるなら、それは経緯度で特定せねばならぬだろう。しかしここでは自分の存在は、平面の一点ではなく、とある決まった線上にあるのだ。私を空から爆撃せんとするなら、海岸線に沿って探せば必ず見つかるのである。自分の存在が峻厳になり、緊張を催し、不安定で、寂しくなった。よく沖の隠顕岩に想いを馳せていたが、それはこんなよりずっと寂しいものなのだろう。拝んだりで済むようにさえ捉えられなかった。
帰り、何気ない山ふうの和深の集落を歩き、高台の国道に出たが、車は通らず、しんとして、これまで見て来た四十二号とは思えない。バイパスがあるでもない。私は丘に穿たれた道路の真ん中を歩いてみる。しばし佇み、登ってきた運動で浮き出た襟巻あたりの汗が、陽光で光っているようだった。
路肩からは駅とはるか下方に海が見下ろせるも、そこにはさっき見た南紀の海の輝きはなく、冬のやわい太陽とぼんやりした崖があるばかりで、鋭い寒気が鼻孔に刺さり、嗅覚を利かなくするばかりだった。まだ春ではないんだな。もちん望むところだ。
駅舎に戻って体を休めると余計そうで、改めて冬であることを思い知らされる。温度のない陽の光がありがたくて、すぐそばの棕櫚を風が揺らす。私が見た感動と夏は、海辺のどこか任意の一点、探し出さなければ見つからないとこに行ってしまったようだった。それは地勢的な捉え方のみならず、裏返しの季節のみならず、私の想念としてすら、探し出しにくいものとなっていしまったかのようで、ありえなかったことのように思われはじめていた。めいめいの自分というものも変わっていくものだろうけど、過去の自分と出会えないのは、こういう感触ではないか。
プラットホームに立ち、風に出会い、ここを海が好きだという誰かに紹介し、連れてきたいという思いに駆られる。必ず満足してもらえるだろうと。しかし実際そうしても、きっと何にもならず、つまらないことになり、私はこんなはずではなかったと狼狽するのだろう。私のいま胸に宿した感動は、もう決して共有できないのだ。自分自身とさえそうなのだから。魂揺さぶられる一心になる感動でないなら、共有集合の狭い、譲歩した理解なのだと。だからどう伝えたとしても、和深駅に来て面白いということはないのだろう。沖に立つ巌は、青くもこんなにも澪したたらせて淋しいものなのかと、陸の私は乾いた冷たい風に腿を撫でられながら思わされる。
白い病室の駅舎内に静かに座る私がいる。私は病んでいる。ついさっきの自分の思い出を思い出せないほどに。ただ物憂げに、耽美的に、新たな別の海岸を見せる列車を待っている。「いくら景勝な海岸を見ても、貴方の病は治らない。」 治らないなら治らないで、横溢する海辺の風光に溺れ死のう。そう思った。