大和二見駅

(和歌山線・やまとふたみ)

  列車の扉が閉じられ、五条駅の賑わいが聞こえにくくなった。 まだ改札口を人が通っている。まるでトーキーのようだ。 しだいに改札口の賑わいが車窓に流れていった。 車内を見回すと、乗客は少し減って静かになっている。 これからいよいよ和歌山線らしさが始まる、という雰囲気だ。 しかし流れてゆく風景に目を向け続けていると、まだまだ住宅が多い。 次ぎの次の駅ぐらいからだろうか。
  やがて、干からびた女声の自動アナウンスとともに、大和二見駅に到着した。 とりあえず、ここで下車してみよう。改札は五条から乗り込んできた例の車掌が行った。 ホームに降り立つと、吉野口駅のような寒さはなく、 そこにはすっかり落ち着いた冬の空気があった。この駅に降りてすぐに気づくことといえば、 相対式ホームのうち片方はまったく使われておらず、 そちら側の線路も引きはがされているということだ。 しかし、その遺構はこの駅の変遷を示す最も重要なものではない。 降りてもすぐには気づかない深い歴史が、この駅には隠されていたのだった。

緩やかにカーブする相対式ホーム。 ホーム端から隅田・和歌山方面を望む。

2線分の門型架線柱の中を悠々と1線が延びる。 ホーム端から五条方面を望む。

  ホーム端から五条方面の風景を眺めていると、 買い物袋を持ったおばさんが踏み切りのないところを横断しているのを見かけた。 結局、この駅にいる間に、合計3人の人が、踏み切りのない二箇所で、 線路を横断しているのを見たのだが、 これらは本来踏み切りの必要な所にそれが設けられなかったことが原因らしく、 おばさんが渡ったところを見ると「線路内立入禁止」の立て札があるものの、 前後には道がついているのだった。このような状況の箇所は少なくないようだ。 第4種踏切を見たかったな、と思ったが、 列車の本数の関係でその設置は無理なのかもしれない。

枕木だけが残る軌道敷とレンガ積みのホーム。 旧上り線ホームに見られるレンガ積み。

そっぽを向けられた黒い信号機。 現在使われているホームに立つ、使用不可状態にされた信号機。

ホームに立つ背の低いJR西日本様式の駅名標。 国鉄時代の形の駅名標。

  この駅が「大和二見」を名乗っているように、ここ五條市二見は、奈良県内である。 ところで、王寺・五條方面から来れば、この駅が奈良県内最後の駅ということになる。 隣の隅田駅はすでに和歌山県橋本市で、 隅田に着くころには沿線の風景も一変しているのだ。

駅舎の妻面と斜めにせりあがる上屋の断面。 ホームから見た駅舎と上屋の終わり。

木造の引き戸と湯沸し装置。 駅舎の裏手に当たるこのあたりには、かつて有人駅だったことによる生活感が漂う。

木柱の並ぶ上屋下。 上屋下にて。ホームの幅狭く、かさ上げのため急な勾配がついている。

波板の屋根を用いた開放式の待合所。 使われなくなったホーム。

  使われなくなったホームを見ていると、 驚くべきことに、なんと、座布団が置いたままであった。 いったい何十年置きっぱなしにしてあるのだろう…。 ぜひ触って近くで確認したいと思ったが、 線路内に入らないとホームに立てなかったのでやめた。

角の丸い小さな柵のある改札口。 ガラスケースのある駅舎入口前。 生け花が置かれていたのだろうか。

駅舎の妻面に掛かる駅名表示とホームの駅名標。 ホームから見た駅舎入口側。

レンガ積みのホームと古い2つの民家。 ホームの隅田寄りから見た古い民家。

真新しく小さなカーポートのような屋根。 五条方面の列車を待つ人のために作られた小さな屋根。

改札口を通して駅舎内の自販機が見えている。 駅舎入口前。

駅舎内を縦長に見て。中央に背中合わせの椅子が置かれている。右手の壁沿いにも椅子、そして自販機。 駅舎内その1。
改札口から入って左を見て。

自販機、椅子、ゴミ箱のある駅舎内。 駅舎内その2
旧駅務室から見た駅舎内。

  駅舎内は意外と広かった。しかし床面をよく見ると、 まるでみどりの窓口があったかのような、斜めのラインがはっきり見えた。 この駅舎内の奥半分は、駅務室が撤去されたもののようだ。 椅子には編んだ敷物がしかれ、 カップの自動販売機も置かれてくつろげるよう配慮されていたが 壁には、蹴り跡や飲み物をかけた跡などが残り、荒れていた。

駅舎内から改札口を見て。改札口の両脇には窓がついている。 駅舎の外への出口と改札口。

縦長の券売機。 みどりのラインの入ったこの券売機は、南海電鉄との連絡切符を発売している。 紙幣は千円札のみ対応。

大きな棒グラフの入ったポスター。 和歌山線の利用者逓減を訴える掲示。

駅舎ポーチから広々とした駅前スペースを垣間見て。 ガラスの入った木製の引き戸のある出入口。

妻面に入口のある木造瓦葺の白い駅舎。 大和二見駅駅舎。

アスファルトと未舗装の広い駅前広場。 駅前広場のようす。

  駅舎の外壁は塗り変えられたらしく当時の様子とは違うのだという。 屋根は手前半分だけが葺き直されたため、残りの屋根には、当時からのものらしい、 かなり古びて赤茶けた瓦屋根を見ることができた。
  ところで、この駅前の広場、駅の規模の割りには妙に広い。 駅舎を前にして広場の右側は、 取って付けたような不自然な未舗装で有料駐車場として利用されていた。 フェンスに掲げられた看板によると、駐車場はジェイアール西日本メンテックのものらしい。 ということは鉄道関係の敷地だったのだろうか。 そして不思議なことに、駅舎の右脇は一線分ぐらいのスペースがある。 この駐車場は何かの跡地だったに違いない思いながら、 駅舎を背にして駐車場の先を眺めると、細い道路を横断したのち、 きれいに整備されたコミュニティーロードのようなものが民家を縫っているのが見えた。 やはりこの大和二見駅からは貨物線が延びていたらしい。 しかし、これはただの貨物線ではなかったのだ。

一段の低いコンクリートブロックで囲われた、土の入った庭のスペース。松とつつじの植え込みが一つずつある。庭の前には数台の自転車が停まっている。 駅舎脇の駐輪所と庭。この庭の右側が線路跡。

中央に細い通路が白線で取られている屋根のない駐輪所。 駐輪所となった線路跡から、駅前広場を見て。

  駐輪所は入り組んでいるためか、路面には丁寧に誘導の白い矢印が書かれていた。 ここに自転車を停めに来る人たちの中には この矢印の書かれた細道が線路跡であることを知っている人がいるだろう。 駅舎の脇には、ベコニアの鉢植えが買いたての、袋に入った状態で置かれてあった。 清掃用具もたくさん置かれていることから、 誰かがこの駅の手入れを熱心にしているのだろう。

袋に入った新しい鉢植え。 駅舎脇。「和歌山方面ワンマンカー乗車口」の看板が忘れられた傘立てに利用されている。 新しいベコニアの鉢植えとともに。

備え台のある石碑。 駅舎脇の庭のスペースにある謎の碑。 どこかから移されたらしい。

駅前から出て

  駅前広場から出ると、T字路で、左折すると国道、右折すると集落へと入り込んでいく。 とりあえず、右折して、それから元に戻って国道の方に出ることにした。

1.5車線ほどの細い道路の先に踏切、そして4階建ての高さの白い建物一件。 駅前のスペースを出て右手の風景。 白い建物は「酒・ギフトの店こにし」。

踏切から見た駅構内のようす。右半分だけ、線路が敷かれている。 上の写真の踏切から。枕木だけが残っているのがよくわかる。

二階建てのモルタル作りの古い民家。 踏切を渡って。森木肥料店。

  駅のすぐ近くには、これら以外にも商店がいくらかあり、 住宅地のただ中にある駅というわけではなさそうだ。 少し歩くだけで、かなり交通量の多い国道24号にも出られるが、 このあたりは2車線しかなくて歩道の幅もなく、かなり歩きにくかった。 このときはバイパスとなる五條道路・橋本道路が既に開通していたが、 ここの交通量は減ったのだろうか。

交わる道路が互い違いになった、小さな交差点。信号があるが、中央線はない。 国道24号「二見駅前」交差点。

平屋の古い民家、その他新しい建物の混在する沿道。 少し五條側に歩いて。「二見2丁目」のT字路。

  ホームセンターや飲食店、昔からの商店が並び、割と賑やかなところだった。 大和二見駅で降りてすぐのときは、少し寂しい感じがしたが、 こういうちょっとした街に出会えて、なんとなくほっとした。 「二見2丁目」の表示のある手前辺りで左側を見ると、線路が見えたので行ってみた。 土手を削ってできた道が軌道敷までつながっていた。

左手に線路内、右手に土の道。 五條方面を望む。

前後に通路のついた線路内のある地点。 「鉄道用地内に入らないでください」

  ここがさきほどおばさんが線路を跨いで行った箇所だった。 向こう側の土手には滑らかな石段までついているし、 今降りてきた小さな土手にも、木で作った階段があることからして、 利用価値のあるルートなのだろう。

左手に廃線跡の通路、右手に大和二見駅構内。 左側を見て。右手に大和二見駅のホーム。

  そして上の写真にある左手の光景を見れば、 さきほどの書いた貨物線のルートが鮮やかに浮かび上がってくる。 そこには廃線跡がはっきりと出ていた。 しかしこの廃線跡は、貨物線ではなく、元は旅客線だったという。 (といっても1902年以前のことだから、もうかれこれ100年以上も前のことだが)。
  これは南和鉄道という、和歌山線の元になった鉄道会社の一つの廃線跡で、 かつてこの先、吉野川のすぐ近くまで線路が延び、 その終点に二見駅(ⅰ)という駅が設けられていたという。 しかし後になって、紀和鉄道が五條駅から橋本駅までを新たに開通させたとき、 南和鉄道との接点に、新たに二見駅(ⅱ)が設けられ、それが現在の大和二見駅になったという。 もう一つの二見駅(ⅰ)は川端駅と改称され、二見駅(ⅱ)から川端駅は貨物線とされたそうだ。
  まさかこの駅にそんな深い歴史があったとは、降りたときには思いもしなかった。 和歌山線の歴史の生き証人、というところだろうか。

  休憩をしようと、駅舎へ戻った。 駅に着いたときには駅前にタクシーが停まっていて運転手が休憩していたが、 今は自分しかいない。日曜日の、昼前の静かな時間である。 ふと駅前でやけにゴロゴロゴロゴロ音が響き、子どもの声が聞こえ始めた。 遊びに来たんだな、と思い見てみると、 一人のおじさんが、キャスターのついたプラスティックの大きなケースに 2歳ぐらいの子どもを入れて、紐で引いてこちらにやって来るのだった。 ベビーカーにはもう入らないのだろうか。 この2人は、どうも駅に遊びに来たらしかった。 おじさんは駅舎内の椅子に座り、子どもをあやしている。 こういう駅の利用のされ方もあったとは。列車の近づく知らせを聞くと、
  「あ、電車来るでぇ〜」
と、その子を抱いてホームへと出て行った。 私は自分の乗る列車が来たのだ、自分が時間を勘違いしていたのだと思い、 かなり慌てていると、 オーシャンアローの配色の117系が通過していった。
  「でんしゃいっちゃった。」
  「行っちゃった〜。」
おじさんは、少しこちらの方を見ている。 自分にそう言われているのかと思った。 2人はやはり電車を見たかったらしく、しばらく待っていたが、
  「電車こないね、帰ろうか。」 と言って、2人はまたゴロゴロ音を立てて帰って行った。

  列車の発着時間が近づいたころ、ばらばらに4人のおばさんたちが駅舎内に入ってきた。 互いにしゃべりあいながら、運休日を話題にしてメモしたり、きっぷを買ったりしていた。 あるおばさんが新たな話題を切り出した。
  「私はきょうはちょっと長旅なんですよ。」
  「へぇ、どちらまでいかはるんですか。」
  「高野山まで。」
  「それは長旅だわ。」
ほかのおばさんたちも口々にそう言った。 南海高野線といえば山岳路線。私も一度は乗ってみたいと思っている路線で、 地図を見ているだけでも、おもしろそうな路線だ。きょうは日曜日。 あのおばさんも、この駅から始まる小さな旅を、これから楽しむようだ。
  しばらくすると、いつもの105系が到着。 車内のロングシートにはところどころ隙間が開いていて、座ることができた。 列車は出発、さて次はどの駅で降りようか。車窓を見て決めることにした。

次に訪れた駅: 妙寺駅

Home | 隅田駅←大和二見駅→五条駅