梁瀬駅
(山陰本線・やなせ) 2012年7月
4時20分に起床。とうぜんまだ暗い。はつかに天が蒼黒い。しかし怖いも何もいってる暇はなく、片付け。ここまで来るのに少し疲れたからか、まま寝られた。手洗い場が見つかりにくかった。
ほどなくして灯りが点った。5時前だ。中国地方ならどこにでもあるような木造舎で、駅庭もりっぱだ。旧街道に寄り添っているが、こうしてうっすら明るくなっても家人たちの蠢きはついぞ感じられず、ゴミを出す以外は真夏の白昼を迎えてもずっとこの静かなままのところのように思われた。
ホームに立つと、こんなところだったのかとはじめてわかる。水路と田野で、たえず水の音がしている。蛙の鳴き声はだいぶんに落ちついた。高い里山に雲がかかっていた。裏手の変電所は昨晩からみょうに印象に残っている。
少し雲が多いが、天気はどうでもよいと思えたから、なんとなく晴れる気がしていたのだろう。
明け方の静かな肌寒さを身に沁ませながら、街道を一歩いっぽ歩く。何かを壊してはいけないこの感じ。ひそかになんか悪い遊びをしているような愉しみ。自分の鼓動がきこえてくる。時速30kmの標識が古民家の脇からにらむ。オート三輪や軽トラが行き交っていたような光景がフラッシュバックする。こんな充足した時間が、今日から何回も、何日もつづくとなると、もう自分の心ははちきれそうだ!
不思議の小径を見つける。進むと煉瓦アーチの水路だが、暗渠にして中を通れるようにしてあった。この手の手法はあちこちにあるので珍しくないが、要するに鉄道の築堤が水路を遮らぬようにしたのであろう。入ってみるとまあ蚊の多いこと!
水場でボウフラが育っているようだ。何度も顔から払いのけて戻る。界隈は人んちの里道という感じだった。洪水になったらこの道は通れぬかもしれぬ。
しかしこのトンネルというのは、この山陰の旅で一つのテーマになるものだった。
トンネルというと、近代夜明けの古い隧道に旅心湧くイメージがあるが、私はどちらかというと、人だけが通れるような、こんなトンネルにだ。コンクリのコの字型のやつでもいい。きっと大説的な歴史よりも個人的なものが好きなのだろう。何かそんな体験をひとりで大事にしたい気持ちだ。
ここはたしかに集落街村型の駅だが、じつは裏手側には遠く旧山東町の盆地が広がっており、大手企業の工場もある。この町の代表駅としての見込みで、設置されたんだろうか。よく見るとホームからはジャスコやロードサイド店がかすかに見える。けれど…ここは落ちついている。あの界隈に比せばここは外れていて、忘れられているかもしれない。しかしなぜかそれでもいいと思える。それは私が生きてこうして、また多くの鉄旅人もとおっているにちがいないから。そして今も列車は走っているではないか。非現実を追っているわけではない。鉄道を信じているわけでもない。自由を求めるも、ある程度は様々な関係性において不自由でないと、一般性がないと思えたからだった。