暘谷駅
(日豊本線・ようこく) 2008年3月
宇佐・小倉方。
日出から暘谷に向かうがすぐに着いた。同じ日出町の駅で、ほんの郷内の移動だ。下車すると、夕方とお昼の間ぐらいの太陽が、列車の向こうになって、ホームに冷たい影ができていた。そこに十数人が外套の音を立てて一斉に降り、その人々の向かう先のホームの出入口には、駅員が列車到着を見計らってしっかり待ち構えている。私のフリー切符を見ると「はい」と片付けて、開き戸を引いてガタンと閉じ、ぷいっと小屋に引きこもった。とりあえず確認できればいいという感触で、こういう人が確認し逃すと舌打ちしそうだった。
ここは下がすかすかのホームが2つあるだけで、ホームは満州国旗さながら黄黒赤青を使い、ただのホームだけの駅ながらも、ちゃんと九州にしかありえない駅となっていた。
ホームの端にはああして合板の駅務舎ができていて、窓ガラスは見にくくしてあった。ともすると冷たい感じの駅になりそうだが、駅務舎も小物の原色の使い方が巧みで、不思議に賑やかさや温かさを感じる駅となっていた。けれども、窓口の横にバス停の形をしたものに駅名と時刻表を掲出していて、「なんか妙に軽い駅だな。もうバス停ぐらいのものか」と、この駅が駅だけに思わざるを得ない。
こんな駅には珍しい国鉄風の大きな時計が付いてあった。
上りホームの様子。
名所案内。徒歩5分と10分だけだった。これだけ近いのならありがたい。
一ばんの名所は日出城址徒歩10分。石垣の下が海。
これからどんな風景に変わるのだろうか。
別府・大分方。
下りホーム階段下り口。
ここが改札窓口。
駅舎前の様子。狭隘だ。
日出駅の駅員小屋。こまごまとした色の氾濫が建物のそっけなさを救っている。
みどりの窓口を右手にして。
下りホーム沿いの駐輪場。
日出町の紹介板。大分麦焼酎二階堂、城下かれい(マコガレイ)という全国区のもののほか、白いボキュウリ、ハウスみかん、紅八朔(べにはっさく)が描かれていた。
周辺はすぐ広い踏切があるから車の行き来が多いが、話によるとこの駅が日出町の中心に最も近いのだそうだ。というより中心部に後からこうして駅を設けたという。遠くに国道だろう、飲食店のポールサインなどが捉えられた。
しかしこの駅の周囲はこれから開発らしく、整地がかなり広かった。そんなところを詰襟の男子学生がホームに入らず、手持ちぶさたに薄く盛り土を上ったりして、列車を待っている。駅員小屋のない街側の上りホームは、駅員の前を介せず出入りできるので、列車到着時のみ駅員が馳せ参ずる方法をとっているらしく、業務のなかなかめんどうそうな駅だった。
駅を右手にした駅前の道路の風景。
海方。
暘谷駅駅舎。
至国道10号。
踏切から見た駅構内。
裏から見た駅舎はこんなの。
上りホーム出入口。車道の踏切を構内踏切代わりにしていた。
日出の中心部へと向かう駅前の道。
上りホームにて。国道沿いの店の背面が望めた。
下りホームの様子。
ビニールの屋根。
大分方に見た駅構内。
日出駅へと向かう線路。
九州特有らしい原色趣味のホームで待っていると、母に連れられた子が駅名標を指さして、「あ、ようこくやようこく」と言って歩き過ぎていった。駅名標はかな書きのものだったが、私はその子が「暘谷」という表記を、どこにでもある空気のように、当たり前のように読んだように思えた。
広い空地にじっとり橙に明るき日照り、夕映えの谷に聳え立つを想わせるような名を付けられし今はなき海辺の暘谷城、いずれも空漠とした中に ぽっかり虚しい眩しさがあり、こんな中、これからどんな駅周囲になるのだろうと思う。その油じみた遠い太陽の印象が、今も残っている。
さて、立ち去るとするか、と一区切りを感じる。というのはこの先進む日出より先は列車本数が減るため、次降りるのは、50分ほど後になるのだった。九州3日目たる最終日、いよいよ終わりが近づいている。
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