山陰海岸小旅行

2008年10月

  北陸フェーンの炎暑は恐ろしかった。もうこの夏は外に出たくない。とはいったものの、炎天下で眩暈と足の痛みを患ったために途中帰還したから、その後は悶々としてきらびやかな日差しをやり過ごすことになった。

  ようやっと人の気分をいたずらに昂揚させない、野分の季節が到来してくれて、どんな人をも感じやすくさせるだろう、大陸の空気塊の冷たさが急速に深く差し込んだ。今夏北陸に出る前に潮絞らされたことをふと思い返す。すると力が抜け、もうどうなってもいいように思えて、十月ごろ、はじめてシュラフを用いて泊がけでどこかへ行ってみることにした。場所は、餘部のあたりでどうだろう。ちょうど解体の聞こえ騒がしいし。それにそのあたりなら、1泊2日で惹きつけられるところはなんとか終わるから、後ろ髪も引かれない。
  2日分の予定だからすぐに立て終わった。日中よりむしろ朝夕の行き帰りの列車を選ぶのに知恵を絞った。

  出発の前の日も、いつものように入眠した。しかし3時40分、目覚ましに起床を告げられる。部屋も外もリーンと冷え込んで頭も重い。しかし決行。電気点けてガスコンロを使っていると目も覚めてきた。白熱灯も点けていろいろ準備した後、5時の予報を待つ。この期間は大陸から高気圧がやや蛇行しつつ流れてきていたが、それぞれが小さいので、その高気圧の隙間が来るとき、どれくらい崩れるかが留意点だった。崩れなくても隙間になると、たとえ良予報が出ていても なんやかやと空模様はそれらしくなる。5時の発表は隙間は来るものの、やはり崩れなしで楽観予報をしていた。代わりに前日と違って、丹波地方に霧ゆえ視程不良と出る。丹波なんて行かないしいいや、と思い出立。このときはまさかこれに苦しめられるとはつゆほども知らない。

  同刻でも夏とは違い真っ暗の中 自転車飛ばす。季節は変わったが、出かけようとする自分だけは変わっていないのを意識する。不安になるくらい寒い。だがこの時間が最も低いはずだから、今我慢できるくらいの格好ならなんとかなるばずだ。冷え込んだ気体に吸い込まれるような感触に運命を感じ、足はひたすら漕がされていた。葉はまだしっかりで落ちぬがいつもの水銀灯がそれを透き通らせなくなっていることに気付き、息が詰まる。「それにしてもやはり日が短いな」 独り言でごまかす。やはり秋はなにもかもこじんまり纏まってしまうのだろうか。いっちょうまえの大人のように。しかし目は見開いたまま、もう漕ぐ足はもう止まらない。

  寝静まったままの街の駅のばかみたいな階段に疲れつつ始発に乗るが、今回は京都で降りてしまう。いつもの旅と違うなと思う。やけに暗い山陰乗り場まで歩くが、京都はすでに起きていて、この寒い中なにやらこれからせわしくなりそうで、できるだけ早くここを去りたく思った。

山陰ホームへ。この構造は駅ビル建設前から変わっていない。

 

 

32番線に停車中の始発園部行き。これに乗る。

  旧式の電車が扉を引いても、しばらくは高架で近郊を走るゆえ、どうも落ち着かない。下り山陰の旅の欠点はいつも想像していたがこの背を低く抑え込まれた京都市街と暗い嵯峨の緑から始まる丹波路が、海岸美の但馬地方と似合わないことだった。そんな人を不安にする風景に、突如じんわりと暁光が滲む。ようやく煤けた旧都を明るく照らすかと思ったころ、列車はいよいよ嵯峨の保津峡に向けて山をくぐりはじめた。

  トンネルを抜けると霧が立ち込めた。保津峡で開いたドアからは冷たい水を含有した空気が遠慮なく這入り込んできた。誰も 乗りも降りもしない。「これが予報で云っていた霧というやつか。こんなにひどいとは。」
  山を抜けるとやはり屋根瓦や畑、杉林を濛々と霞ませていて、そこは無理やり都市郊外を押し着せられた山がちな町だった。京都市街が嘘みたいだ。やや大きな駅、亀岡では、上りを待っている人々が、下りなぞに用事はないと視線を突き差すように列車を見る。列車はすべるように亀岡を発った。

  千代川の案内を聞いてそろそろだと思う。園部ではわずか2分の乗り換えで、走らないといけない。ここで遅れたら何もかもおしまいだ。園部まで行けば晴れるのではないか、と期待するも、まったく変わらない。このへんで、ちょっとまずいな、と苦悩しはじめる。女車掌は終点園部を案内するも、こんな下りなんかどうでもいいというような投げやりな放送で、この時間主役の折り返し上りのために声帯を温存しているかのようだった。

  ドアーが開くと同時に霧のホームを突っ走る。爽快な山陰海岸に行くために。待ち人たちは都市で仕事をするために私の降りた折り返し列車に呑まれていく。身を切る冷たさ。独り潮流を外れて無事福知山行きの車内に入った。しかし意外にもほぼ満席で補助席に座る。こんな時間に福知山に行く人々の表情や車内の雰囲気はなんだか暗いが、丹波内で一つのまとまりを形成しているのだろう。

  そこからがもうたいへんだった。沿線はひと気がなく山家点在する壮絶な田舎で、そこに濃霧が立ち込めているのだ。とにかく寒いしひたすら足をさすっている。車両は入って数年の新車なだけに、いったい自分をどこへ連れていくのか、乗ってはいけない路線に乗っているのではないか、などと本気で思わされた。
  霧は幻想的だといわれる。私の住んでいるところも ごく稀に 軽く霧がかかることがあり、そう思っていたきらいはあった。しかしこの惨状を目の当たりにして、なんと人を苦しめ狂気に陥れる陰湿な現象なのだろうとつくづく思わされた。イギリス人の気候に対する不平が手に取るようにわかる。だが霧はこうして遊びたい気持ちを殺ぐわけだから、何だか生活に真面目になってしまいそうだ。
  この精神的圧迫を和らげようとそんな分析をしつつ、なおも窓を見つづけていると、だんだん、自分の頭の中も真っ白になって来て、息が苦しくなり、ついに、こんなところはとてもでないが住めたものではない、と首を振って、目を固く瞑りうつむいてしまった。

  車内はいつしか学生を満載していて、ワンマンの出口になる一両目前方にぎっしり詰まっていた。彼らはどうせ福知山で降りるんだから二両目に後塵を拝してもよいと思うが、一般客もこんな朝はワンマン改札を受けて途中の小駅などでは降りぬ、という共通認識がありそうだった。

  もうすぐ降りるつもりをしている高津に着く。このまま福知山まで行くと接続がないため、福知山の手前で一つ降りることにしていたのだった。霧は晴れないどころか、ひどくなっている。こんな天気である上に、学生の多い時分に遠出していることに苦しめられて、とにかく霧でもいったん予定通りに降りることで、気持ちを立て直したくて仕方なくなった。
  もう高津のホームが見えて、止まりかける。正式に降りられる可能性は絶たれた。いたしかたなく別のドアーから出る。人を掻き分け目立つのもいやだというのもあったかもしれなかった。

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