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山陰海岸紀行

2012年7月

4・5番線乗り場にて。
よく考えたら立ち食いがあるっていいことかも。
上屋は昔のまま。
橋上コンコースにて1・2番線。駅舎ホームは特急銀座。
この駅も完成当初からだいぶ拡張された。
山陰線ホームへ。「嵯峨野山陰線」と呼ばれる。愛称は嵯峨野線。
何とも言えない通路。
こんな端にも店があって穴場。
売店。
駅弁屋。関空や城崎などに行く特急も来るので。
 
旧式だが人気がある。この大阪―京都で221のこの快速に乗るのが 私の趣味だった。新快速より少し遅いくらいなのに、 新快速と違ってすいているし、乗り心地いいし。
櫛型ホーム。
 
なんとなし関空と同時期にできた駅であることがデザインから察せられる。
車内にて。
園部。
福知山着。
丹後にもちょこちょこ大学はあるようです。
 
うそのように人がおらん。
 
 
1階コンコース。
 
ただ単にきれい。
ラッチが木目調。おもしろい列車がまもなく来そうなので改札は出ないことに。
 
中2階。
北近畿タンゴ(KTR)鉄道改札。いまは名前が変わってる。
23:10分まで営業。
なんかアトラクションの経路みたい。
 
外を覗いて。旧構内は例のごとく駐車場に転用。
 
ホームに戻って。
KTRのりば。
こうのとり、きのさき、はしだてなどの特急が表示されている。
木目調。
 
恐竜列車。恐竜といえば福井やろ、と思ったのだが、丹波でも大型の化石が見つかったそうで、 丹波竜と呼ばれているようだ。これは丹波地方が自治体などが走らせてるイベント列車で、京都方面まで行くが、その列車の愛称としてこう名付けられたらしい。
幕ではなくシール説がある。でもこれが大事なのよ。
 
普通ワンマン豊岡行き。西の節減方針でこんな原色淡色塗りにしよって。
広島支社のイエローはサマになってる気がするけど、 そうこういってるうちに新車に置き換わりつつある。
 

京都より

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「さて、お天気の方ですが…近畿地方では全般的に今は、雨が、降っている状況です…。寒気が流れ込んで強い雨が降っている地域もあります。お洗濯の取り込みなど大丈夫でしょうか? 雷注意報も出ていますので、お帰りの際はお気を付けください」
「週間近畿予報では明日以降晴マークが、ほら、続いてますが、もしかして…」
「もしかすると…そうなんですね! 明日にも梅雨明けの発表があるんじゃないか、と私は思ってるんですけど…」
「ついに梅雨明けですか。」
「明日には、この雨もやみ、厳しい暑さが当面は続くことが予想されます。お出かけの際には帽子をかぶる、水分補給をしっかりとるなど、十分暑さ対策をして、お出かけください」
「明日発表があるといいですね。以上、天気予報でした。」
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 冷静にインターネットで地上天気図と高層天気図、そして週間アンサンブルを凝視する。確かに雨は一過性のものだった。しかしやはり、これから向かう丹波地方にのアメダスは真っ赤である。念のため一日遅らすか?と考えるが、いや、今行け、行って大丈夫だ。
「よし、行くか。」
(今は雨も降ってる上に、これから暑い日が続くってわざわざ言ってるのに?)
「いいんだ、なにもかもわかってるから! それに暑い日が続くならだからこそだ。」
 山陰は暑ければ暑いほどいいと思っていた。そして実際に、何も考えずに、風光に溶かされ、内臓が腐敗して肚の底に堕ちるような頽廃的デカダンが私を待ち受けていた。

 山陰をやる、というのは、鉄旅人にとってかなりの覚悟を要する。だいたい路線が長すぎるうえ、風光勝れたるところ幾多で、どうやって計画立てるか、そうとう頭を悩ますことになる。駅から離れた名勝に行きたくなることもある。けれど汽車には乗りたいし、山陰道の諸都市にも出会いたい、それから小駅にも降りてみたい…いったいどうすればいいんだろうか。
 現実的なプランとしては大駅で路線を区切って、何回かに分けて赴くことだった。とりあえず京都―園部―福知山なんかは捨てて、あ、そういえば、豊岡―鳥取は4年前に行ったんだっけか、それは助かった、そこはカットすればいい、ともかく鳥取―倉吉―米子―宍道―大田市―江津―浜田―益田―東萩―長門市―幡生みたいに区切る…しかし帰りのことを考えると、これでは2泊3日を3回ぐらいやらないと終わる感じがしない!
 「めんどうくさいぞ。1回でズバッと終わらせないか?」
 降りたい駅すべてに印をつけ、計画を立てると、八橋、荒島、静間、西浜田、戸田小浜、川棚温泉で寝ればよいことが分かった。予定による制限のある中、できるだけ寝やすそうな駅を選んだつもりだ。旅程はすべて駅寝とする。始発で去り、最終で降りるのだ。ホテルなんか泊まってる暇はない。しかし…真夏のさなかだ、これでは斃れるかもしれないと思い、そうなったら益田あたりでホテルに泊まるか、一日休むかできるようにしておいた。調子がよければ続行である。
 ところで地元からいきなり鳥取に向かうと、日中の時間がだいぶ無駄になる。それにいきなり鳥取からはじまると気分が盛り上がらない。そこで梁瀬という奥丹波の小駅に夜に着いて泊まり、その翌日からはじめることにした。予報が外れ悪天であればそこから別の旅程にも変更できる。
 「で、どうやって帰るよ。下関から高速バスか?」
 「どうせだったら、門司港駅行かない? 一度は行けと我々の間では昔からしつこく云われてるではないか。よーし、予定の最後の日に組んじゃおっと」
 こうしてのべ10日間の旅程となった。何かわからぬが、敢行せよと私の脳がいうので、それに従うしかない
 そうして手帳に予定を書きつけ、いい日が来ないか待っていたのであった。
 すでにほとんど準備を終えていた鞄に、今充電器から引っこ抜いた電池などを足して、パッキングをする。寝袋は夏用の封筒型を選択だ。もはや羞恥は何もなかった。ただ何もかも心がありのままだった。

 夕刻の旧街道を駅に向かってとぼとぼ歩く。
 「今回ほどすんなり行く気になった旅行も珍しいな」。
 商店街に入ると、夕催いを背景にライト点したカブが走り回り、今晩の買い物だろうか、その袋が宵の暗さに浮かび、夏季講習であろう私服の小中学生がきょうだいか友達か、歩いているのを見かける。
 「まさか自分が今から山陰に向かうとはねぇ。こここにいる人の中でも自分だけじゃない?」
 大都市の駅に行けば、そういう人はいるだろう、しかし自分は10日間もかけて、山陰を移動しながらも滞在しようとしている。そんな人いないだろうなと思うと、少し寂しく感じる。暇人という感じはなかった。心が想像と期待で余りに忙しかった。けれど一方、その先にはあまりに待ち受けているものが多すぎて、却って肚が坐ってしまっている一面もあった。
 「あれこれ考えても仕方ないやん。何か起こっても、その10日間かそこらのあいだに何とかすればいいんやから。」
 物が足らなかったら現地調達すればいい、具合が悪くなったら泊まればいい、というか、そうするしかない。

 最寄りの駅から新快速に乗り込む。割合すいている。リュックやスーツケースのこれから旅行てな感じの人もいる。被るまい。宵のホームからこうして密な空間の車内に入ると、あとは時間の連続性の定義と、それを利用した乗り継ぎの連続によってのみ、目的が達せられるのが実感される。だってこの時点での趨勢としては、人は大阪に収斂されたり、新幹線に乗って簡単に遠方の地とのコネクションが確約されるものであるが、自分ときたら、ただ膏肓を行くような乗り継ぎによってのみ、目的が達せられるので、時間の地膚を手で触っているような、彫刻作成的な営みを感じざるを得ない。何かこう、数理にヒューマンな強烈な意志が入り込んでいるような、そんな体感だった。
 ふだんと同じように通る山科やトンネルも、何か違った未来までつづく時間の流れの中に位置づけられているように見える。本当は何も違わなくはない。何一つとして! 時刻表のただの数字の実現化だ。けれど意志がなければ…目的も亦無い。私の頭の中では山陰線の数々の乗り継ぎのイメージがとめどなく流れてる。ほかの人はどんなことを考えているだろうか? そう!
 こんな湿度の高い想像をもたらたす旅行は、現代人の心に負担をかける、よって現代においては―。

山陰本線の始点、京都

 京都駅の木の丸い庇の並ぶホーム着くと、なんとも蒸し暑くって、どこかでいつも花火大会か祭りをやってるような何か猥雑な空気すら漂っている。きっとこの湿度と暑さが人をそうせるのだろう。夏というのは異次元な時間のように思える。その一連の時間の意識内における始まりにキューを出すのが、梅雨明けであった。
 そもそも夏はもっと南東にあるはずのサブトロピカル・ハイがリッジを張り伸ばしてきてできるものだ。だから普段は近くにいないのである。けれど、進駐軍が日本のいかにもこのアジヤ的な夏の暑さに驚き、それより前では例えば横浜の異国人がやはりこの暑さを嘆いたというように、心理的にかなり強い影響を及ぼすようである。このことは南海道の…いや、もうやめよう、このことはもっと研究されてしかるべきだろう。
 
 だらけた帰宅の人や祭りに来た人かわからない人混みがすべて階段を登っていく。階段がドシドシ響き、特殊な設計でない倒壊するのではないかといつも考えるほどだ。

 陸橋上の西口・コンコースではその広さをいいことに人々が無秩序に行き交い、発車案内版を眺めたり、改札内なのにどんつきで待ち合わせしたりしている。人とぶつからずに進むのはまず困難だ。日曜で普段着の人が多く、毎日そんな感じでゆるくつづいていると錯覚させるところがある。南紀や北陸にも特急が出ている。発車案内版を見ると寝台特急日本海に乗ったことを思い出さずにはいられない。けれどそうしたやりたいことも終えられ、今は新たなことに情念を燃やしている。そんな燃焼も普段利用する京都駅に来てみれば、少しその焔は弱まってしまったように感じた。足早に山陰線ホームに向かう。

 山陰線ホームとはいえ基本的に京都のベッド・タウンに向かう乗り場の雰囲気となっている。要するに特にこの時刻は亀岡、園部がメインだ。黒く暗い門柱に囲われたようなところで、これから福知山も越えてさらに足を延ばす、と念じないと気持ちがつづかない。それにしても山陰線の丹波線区はほんとうに暗いものよ。山、また山だ。

 これまでこの黒い大理石の寺院ホームから本来的山陰への長旅をしたことがなかったから、この先のその海の風景をなかなか思い描けなかった。京都という町と山陰海岸は、どうも合致しない。そもそも山陰の人は大阪や岡山や広島に出るとように思われる。原理的には和田山からはじまる感じがする。けれども、70年代は山陰海岸は人気の旅行先だった。やはり鳥取砂丘である。

 白い221系の園部行きが待機していた。国鉄時代は園部なんてそれこそ山と丘しかないなんて聞かされたが、今では変貌を遂げて久しいようだ。すいていてすんなり座れる。私は右側の窓辺に寄って、大きな荷物を座席の間にはめ込むように足下に置く。駅弁でも買ってリラックスしてというところだが、どうせ園部で降ろされるし、何よりも自分なりの大旅行がはじまったことにかなり緊張していた。半袖から突き出した腕が冷気にあたって寒くすらある。
 市内近郊の高架になった丹波口や二条を黙殺する。
 保津峡駅は雨であった。ちょっとした旅気分を味わうにはよいが、今の私はそんなのには飽き足らない。もっとも京都に住まうプレスティージャスな人が近場でリフレッシュするにはよさそうなところだ。しかし私はそんなものは持ってやしない。ただ駆り立てられるような衝動があるだけだ。90年代おしゃれでとおって大人のデートスポットだった嵯峨嵐山も切り捨て、列車は亀岡に着く。ここでだいたいの人が降りた。どの駅も近郊ものに造り代えられ、われわれはもっと遠くに旅せねばならなくなった。

園部

 雨は激しくなっている。雨の激しいところにわざわざ特攻しているようで、不安でしかたなかった。亀岡より先はとくに特徴を見いたせないまま、園部に至り、女性車掌か乗り換えの案内を執り行う。普通福知山行きは乗り継ぎ時間がないため、お乗り遅れのないようにご注意ください、とのことだった。「ご乗車ありがとうございました、まもなく終点、園部、園部です。」
 あのカポッとした221系の車体が転轍機で揺らされる。街に来たのだと思った。
 ドアが開くと同時にホームに出ると、まさしく土砂降りの雨! しぶきがホームの中ほどまで飛んでくるほどだ。部活か補講かの何人かの女子高生もキャーッと叫びながら、階段を昇っていく。このつまんないまちに帰っていくだけか。それとも、塾に寄るのかな。家はニュータウンの一軒家かしら。また明日朝起きて、お母さんが目玉焼き焼いてくれて、そしてこの列車に乗って京都まで通学するのかしら。この辺に家を求めたのは、計画性ある人だろう、きっと着実の人なんだ、そんな妄想が駆け抜けつつも、私は向かいのホームの福知山行きにどさっと殴りこむ。「自分が主役だ。自分が今ここに在る。」半ズボンも半袖のTシャツもかなり濡れてしまった。
 「どうせ暑くなるからすぐ乾くさ」。
 不気味に客は少ない福知山行きは静かだった。みんな亀山か園部で降りちゃったんだ。この園部―福知山はかなり暗いところである。なんだか、どこに向かってるのかわからなくなってくる。そんなふしがある。昔の農村地帯で、今も昔もまったく変わっていないからかもしれない。
 鍼灸大学前や胡麻といったひっそりした駅に列車はひたすら一つずつ停車していく。寒さで体が震え、熱を持った。こないだ降りた高津も真っ暗でなにもわからない。

静まり返った福知山

 1時間経って、福知山に着く。率直にいって京都から来た人がこれより先に緩行で行くのは、そういうのが好きな旅行者ぐらいだ。豊岡となるとだいたい特急を利用する。時刻は21時半で、駅構内はまさに人っ子一人おらず、真新しい高架が空間にあかりでぼんやりうかんでいる。だいぶ経つのにくたびれたり、こなれたところはまったくなかった。環境がいいからいもしれない。私の旅も、まだ足がつかない。
 福知山や綾部の人はたいへんにまじめだと聞いたことがある。たしかにそんな感じはある。

 改札内コンコースや乗りばは新しくきれいで、腰壁の木目を基調としているのもわかったけど、ちょっと息苦しい。何か生け花かオブジェか、そういうものがほしくなった。
 それはさておき、いつもおもうのはここは北近畿タンゴ鉄道に乗り換えられるということか。高架なのに乗り換えホームがかなり目立つ。その先の天橋立や宮津もかつては鳥取砂丘と同じくらい人気の観光地だった。橋立の海で泳いで宿に泊まって帰るというパターン。私も小学生のころ、泳ぎに行って、珍しく楽しい思い出がある。今は…何か光るものがあれば、見に来る人は必ず見に来る、そんな時代だろうか。大々的な宣伝や知名度、大衆性に乗ってどうにかなるといったものではなかろう。

 福知山は雨上がりで、生ぬるい夜風にあたりながら、ホームを彷徨する。外灯がきらめき、空気が澄んでいた。なぜか緊張するな、と。京都から乗って来ていると、これより先のほんとに旅らしい地域の前の、最後の都市になるからかもしれない。
 石の枕木を叩きながら、旧急行の豊岡行きが入ってきた。この辺の列車は旧急行を2両にしてワンマン改造していることがおおい。
 乗るのは私一人と、老齢の男性一人くらい、婆さんを見舞った帰りだろうか。こんなにどんどん客が少なくて不安になるほどだが、これよりさき夜久野を越えると但馬地方になり県境だから、ふつう考えればこんな夜更けに乗り通す客はない。けれどどこも山なので、丹後、丹波、但馬の区別を旅行者はあまりしないかもしれぬ。

 自分が降りるのは上川口、下夜久野、上夜久野のつぎ、梁瀬だ。どんなところかしらない。たぶん山陰線のとある集落の駅だろう! 列車はまず自動で上川口を案内する。私は4年前の秋、余部鉄橋を見に訪れたときのことを思い出していた。
 「たしか…この区間には川のそばを走ってての立派のカーブがあったんだよな。」
 今は真っ暗な闇の中を、一条の光が魂を載せて走り去っていくばかりだ。