山陰海岸紀行

2012年7月

西出雲方。
 
東京駅まで行くのが東海道本線ぽい。
中二階から地平へ。
改札と精算窓口。
コンコース。こじんまりしていた。
外へ。
 
やはり出雲大社。平成の大遷宮を祝している。
軒下の町。
木も大きくなったものだ。
ランプの湯の前にて。
よいですね。720円と高いが、 駅からすぐ風呂に入れるとあっては高くも感じず… ランプの湯
ありがたいことに水や茶が無料で飲めた。
お土産や郷土のお菓子など。
くつろぎたかったが、食事もしたかったので…
駅舎前にて。
やはりなんとなし防府を思い出したり。
大社を意識して。
最近はありがたみを感じず…
ブルーのラインはガラスがあることを知らせるためですな。
出雲市駅。節電のためかこんな感じだった。
ライトが付けば見栄えしそうだ。
ローソンへ。
やや贅沢にベーコンのカルボナーラを購入。
山陰中央テレビなんてあるのか、と思いきや、なんじゃあの画面は。
無聊だし少し散歩しよう。
生温かい空気で、湯上りの気持ちよさはなく。
 
こんなところをちょと風呂上がりに散歩するのもいい。
駅舎内にて。
待合所。山陰の新タイプ椅子?
 
出雲市街の灯り。
ホームは細い。
 
 
 
何ともいえずもの寂しい。
浜田行ワンマンカー。

出雲市駅とランプの湯

 時間のねっとり凝固した江南という駅ののりばをぶらぶら歩きながら、ぼんやりと夏の夕べの空気を胸に満たしていたが、出雲市行きの気動車はそんな私を強烈に現実へと引き戻す。それはほとんど暴力と同等だった。目の前に広がるコンクリート構内、新造車両ばかりの光景…そもそもこうしていろんな時間が一つの地域や線区に同居していたというのは、不思議でしょうがない気持ちだった。

 「本当に自分はさっきあの駅にいたよな?」
 けれどこうした現代の駅は、そうして首をかしげている私をよけい純粋な旅人にしてくれる。すべてはあらかた砂漠になり果て、自分はもはやただ移動することしかできない青年だ…といったような。
 けれどあらかたは、たとえば出雲大社というものがあるし、江南みたいな駅だってあって、いろいろな歴史も習う。いま目の前にそれらが存在しているわけではないけど、あることはほぼ間違いないから、コンクリートもどうにか渡り歩いていける、けれど本当は肉親に会いたいんじゃなかろうか? それが生々しく捉えられるようなその姿に…
 むろん学究的な方法も必要とされよう。いっぽう旅行というのは、ベールを手で思い切り引きちぎって、見せろ! といい、見えなくても見たことにしてしまうというものだ。
 私はまぁ、弾丸旅行みたいなのはできないだろう。サンライズ出雲が停まってるけど、東京から来てここにそのまま降り立ってバスで出雲大社へみたいな優等生的旅行は…

 ステンレスのラッチに詰めていた駅員はしっかりと改札を執り行っていた。旗艦駅としてのプライドである。外へ出ると高架下には店の灯りが並び、なんとなし防府駅を思い出していた。
 まだ別のところへ行けるくらい明るいが、時刻は19時。それで駅すぐ横のランプの湯へと入った。出雲市駅まで戻ったのはこのため。
 最近の温浴施設の例にもれず、屋根高の古民家風でいろんなものも売っている。従来の銭湯がブルートレインなら、こういうのは新幹線だろう。しかし銭湯に新たな価値を見出した人はなかなかのものだ。

 脱衣所からして混んでいた。ものすごいはやっているらしい。しかも歳の離れていない若年者が多い。
 私もさっさと浴場に入ると、そこには告知通り、ランプがたくさん揺らめいているではないか。こんな贅沢な入湯は初めてだなと思いつつ、入湯してから、洗い場に立った。
 隣との距離は近かった。人も多く、空いているうちに洗った方が良さそうだった。
 隣は男子大学生二人組だった。申し合わせたようにおとなしく、きっと気がとても合ったのだろう。卒業旅行かもしれない。こんなふうに彼らが出会えてよかったものだと思う。一人がもう出る? と訊くと、「いや、まだいいよ」。
 脱衣所でもたまたま一緒になった。自分は一人旅なんだなとしみじみした。けれど、生まれつきそういものなのかもしれない。

 1時間居ついて、20時。暗くなったので暑さはほとんど残っていなかった。出歩いていた人も嘘のようにいない。しかし肌にまとわりつく湿度は変わらなかった。21時過ぎの浜田行きに乗りたいから、残りの時間は食事だ。しかし店か見つけられず、コンビニで買ってコンコースで食べた。まぁいろいろと貧しい旅行者だ。人や共感に飢えているわけではない。生きている感覚をこんな形でしか感じられない。君は現代の生活なんか信じてやしないんだきっと。
 売店の灯りも消えとるし、誰もおらんし、休憩するなり、荷物の整理するなり、散歩するなり、好きにし放題にした。

 時刻が迫り、ホームに上がるともはやただコンクリートしか見えなくなっていた。そんな絶望のなか、何気ない文化財に囲まれ、一つのつながりの中に生きていることを実感しに、またさらに西へと歩を進める。