朝来駅

(紀勢本線・あっそ) 2010年2月

 
和歌山を出て、白浜より先、串本方は閑散とする。
Assoと書かれるとシュール。
 
 
 
ただただ寒かった。
 
構内踏切の駅もここから現れはじめる。
白浜方面。街の感じがある。
 
 
駅舎内にて。改装されている。
 
この駅の機能が集中。券売機があるとは思わなかった。
本の置いてある駅は多いけど、こちらは有人図書館にしてしまった例。あの座敷台は旧駅務室のものなんだろうなと。
 
 
 
軒下の風情…はない。けど、据え付け長椅子がある。
駅を出て。
くちくまのってなんだって思った。
ほかの木造駅と違い立派な造りだったのがわかる。
朝来駅駅舎その1.
駐輪所。昔のままかな。
おそらく旧貨物スペース。今は駐車場に。
 
その2.
こちらは増設されたトイレだけど…
まさかこんなことをしていたとは。
通常の駅ではない感じが漂っている。毛染めって何よ。
せっかく寄贈してくれたのに。こんなんでも造ろうと思うと結構たいへんなんだけど。
朝来駅前商店街を歩いて。
 
朝来駅前交差点に出て。
紀伊新庄、紀伊田辺方。
駅方。
白浜方。ご覧のように国道は狭い。
 
 
 
 
 
このドラッグストアで買い物。
 
 
先の方にはローソンも見えて旅の者にはまあ安心。
駅前交差点へ。紀伊田辺方。

 旅立つ前から日長を期待していた。南紀ではもう18時前まで明るいのだ。車内は高校生を含め客が多くて、紀伊田辺からは本数も減っているんだと感じる。こうして、より半島を岬深く巡っていくことになる。
 紀伊新庄は田辺からほど近かったので、降りるのを辞めてしまう。学生も多く賑やかだ。少しでも遠くで降り立ちたかった。
 あっそ、に勇気を出して降りる。ひと駅飛ばしたので、そのまま乗る楽さに捕らわれかけていた。
 二線に囲まれた一つのホームは見る間もないくらいで、すぐ踏切渡って駅舎に入る。高校生の帰る時間だ。十数名は降りた。
 実はこの駅から、ちょっと空気が変わる。はじめは、なんでいきなりこんな寂れるんだ、とびっくりしたが、実は田辺から東は単線で、設備にも貧しくなるのだった。周囲の風土、地勢もやっぱり違う。

 駅舎は大ぶりだが、中はがらーんとして、臙脂の床が印象的だった。いわゆる「誰そ彼時」で、一層暗い。ちょっと荒んだ雰囲気だ。以前破壊活動があったとのお知らせが出ている。
 男子高生が、女子高生にちょっかいを出し、「ちょっとなによー」と、追いかけ回されている。自転車の音は騒がしいが、去るとも去らぬともで、戯れていた。私はどうでもよかった。今日最後はここでゆっくりすることにしていた。
 やんちゃやな、と思いつつも、その時分こんな光景を見たことがないなと静かに回想する。
 やたら広い静かな道路の商店街、人も車もないのは、戦前のハレの休息を喚起した。表回廊の柱が立ち並ぶ駅舎からしても、かつては旧街衝と合わせてかなり活気があったのが容易に偲べる。もうそんな駅は幾度となく見た。
 そのまま窮屈な四十二号に結んで街をしだいに顕すようだが、わりとしっかりした町らしくて、昔の婚礼衣装屋や果物店、国道沿いはコンビニや大型店舗もあった。上富田町なのだという。しかし知っている人はほとんどいまい。海にも面していなかった。
 しかし、熊野古道のファンには口熊野として記憶されていそうだ。駅の幕板にもわざわざ「くちくまの」と記してある。
 しかし、こんなところ誰も…そんな思いにつらまえられながら歩いていった。落日し空は薄あかり、風はますます冷たく、ホームなんかこってり寂しくて、山辺までの間の、風吹き渡る田野が見渡せるだけだ。駅前では相変わらず高校生がじゃれあっている。こんな町で、とも思わないでもない。
 正格な熊野古道はここから富田川を幾度も渡渉し、王子社を巡らせながら、いかにもあの古道らしい、今でいう中辺路に繋がっていく。
 
 かつては道中に寺社があればたいてい参り、大社に詣でないということはなかったのだろう。
 海を回るルートは、鉄道的大辺路で、駅があればたいてい私は訪う。何日もかけて。

 そういえば、あっそという駅名ばかりは小一のときから知っていたな。みんなでたいそう言葉のおもちゃにしたものだ。同じ近畿でも和歌山は遠く、紀南のとある駅ともなるとなおさらだった。それから数十年経ち、こうして今ここにいる。残念なことに、当時の捉え方の面白さはもう心になく、地方文化を象るある地誌的な駅名という意識と、ごく簡単な懐古の念が私を支配している。

 トイレに男子高校生が籠り、何かしているのが遠巻きに窺える。破壊かと思って近づいていくと、四五人出て来た。ばつが悪そうにしてる。そのまま彼らは帰った。トイレを確認すると、吸い殻だ。そして個包装の菓子の袋。ベビーシートはいつからか汚損されたものだった。なんやかわいいことしよるな、そのお菓子絶対家から持って来たやつやろ、と思い、しばらく考えてから、まあ、いいか、と、そこを出た。
 だいたい紀州ってこんな感じなので、私も変に慣れていた。和歌山線の荒れを見ればわかる。
 こうして駅前には私以外誰一人としていなくなった。

 さて今晩食べるものでも、と思い、国道まで出たら、服をひっかけられそうなくらい狭い中ぶんぶん車が飛ばし、すっかり夕冷えに包まれた。なんとか横断歩道を渡り、ドラッグストアで飲み物とパンを買う。最後の駅に街があってよかったものだ。

 駅の中には別室に図書室を併設している。ストーブが焚いてあり、暖かい。それでか、と思う。監視員替わりなんじゃないかなと。
 そこにいると体がなまりそうなので、着く十分前くらいにはホームで待った。すっかり日暮れして、あの学生らも家で荒れるかごはん食べてるんだろう。じーんと寒さが凍みてくる。何をどうしていても寒い、そういう時刻だった。

 

椿へ

 四十二号の喧騒からも、もう店じまいした駅前の短い商店街からも背にするように、たった一人、こっとり日暮れした枯田畑を見せる一つきりのホームで列車を待つ。すでに上屋の明かりは点り、高い薄明の空に雲は厚く荘厳に流れている。そんな時刻に新宮方面とあるのは、この各停だけの停まる駅においては、遥か遠いしんどい旅に思えた。

 風は冷たいが、それがしだいに強くなってきた。すぐ向うに小山の山辺がある。夜になり、山塊からの颪なんだ。ホームの屋根には朝来、あっそという表示がかかり、あんなにおもしろがったのに、まあなんと小さな町、寂しいところだと思う。椅子はコンクリ―トに木板を貼っつけたもので、あまりに冷たく、座るとしても恐る恐るになった。それで荷物置きにする。どうせ設備もぼろかった。人も来やしない。駅舎の方を眺めながら、あの向うには街があるのになあ! しかしもう四十二号沿いも、静かになっているかもしれない。
 さっきまでは暮れなずむ、といったふうで、想う走行車も早めの点燈という趣だったが、もう今となっては夜だ。夜の冬の田畑というのはあっけないもので、ただもう寒いだけである。夏なら虫やら、ロケット花火やら、春はぬくとく、秋はわびしさがあるが、こんな真冬は氷がなくても、凍っている。「何か人間の精神構造をそうせしめるところがあるな!」とカチカチ震えながら円弧を描くようひたすら歩きまわる。
 「昼にあんな幸せを抱かせるかと思えば、夜はこれだ! でも…全部含めて冬の南紀というものさ。ありがたく耐え忍ばせてもらう!」
 それでこそ冬の晴海を見る資格が得られると思っていた。しかし夜こんなに寒いと、明日もまた今日みたいな天気や気温になるのは信じられず、不安になってたまらなくなる。そういうときに科学はあるのだろう。信じられなくても、理論上は晴れて暖かいんだ。もっとも、繊細にも変化を催すことはあるけど…。
 こんな駅でこんな時刻にこの駅から列車に乗る人はいまいと思っていたが、直前になったころ、こごむようにいそいそとした人影が二つ現れる。「それやこんなところで待たないわな。」

 この夜になったばかりのこういう小さな駅に鐘音鳴らし赤灯を点すのは、何か非常事態でもあるのかと思わせるところがあった。しかしこう田畑が広がるのなら緩衝地になるのだろう。踏切といっても人だけが渡る構内の特殊なものだった。「ここも鉄道員がいなくなったか。」
 小さい列車ながらも闇夜を鋭く切り裂く。小さいといってもこれで紀州奥地新宮まで走るのだった。紀伊田辺発だ。関西の都の匂いを運んでいないこの列車はまだ数駅前を出たに過ぎない。まだ南紀の旅も始まったばかりなのだと思わされつつ、光の溢れ出る車内に入った。