新鹿駅

(紀勢本線・あたしか) 2010年2月

 
山辺の風景。
微かに海見える。
少し爽やか。砂利舗装のホーム。
新鹿海水浴場は日本一きれいなそうな。
汽車は少ない。
 
このあたりの駅はいつも熊野山地に襲われる。
 
 
これ棚田だったのかなと。
 
 
 
 
 
 
 
 
こんなに静かだと踏切も動く気がしない。
何というかよくわかせない不思議な駅だ。
 
まぐろ?の絵が描いてある。
相変わらず東海の駅は掲示物だけは賑々しい。
 
詰所。
 
あたしか温泉への送迎案内。こういう立て札立てても何も言われなさそう。
冬ですね。
遊木の狼煙跡が紹介されている。
コンビニはございません。
夏に来てみたい。冬は本当に静かだけど。
 
新鹿駅駅舎。
 
広い鉄道跡地が残っている。
その2.
 
3.
 
 
 
この脇道を下っていこう。
 
 
水みちの上の道。
 
 
 
消火栓はないので。
 
思わず渡りそうになるのだが…。
 
狭いところは流れが速かった。
 
長大な砂浜だ。
 
 
収容人数の大きさも魅力の一つ。
何とも心細い国道。
トイレ、シャワー有。
波千鳥。
 
大海原はずっと先だ。
 
こちらは渡れる。
あの山の間から何かすごいものがやってきそう。
 
綺麗で静かな砂浜がいくらでもつづく。
全域で1000人は収容できるでしょう。
 
 
 
 
 
 
タカらしき鳥が何羽も。
 
国道にて。紀伊半島横断には311が使われるので、 通りはまったくない。
 
 
郵便配達員の休憩所だそう。
散水車。
新鹿郵便局局舎。
いちおう駅が避難場所になっているようだ。たしかにあそこならなんとかなりそう。 この辺からもかなり近い。
民宿などもはほかにいくつかもある。
レンガ積みの塀を持つ立派な木造家屋。
こういう道がほんと多い。島みたい。
4.
 
水道管がうねっている。
築堤も割と新しい時代のもの。1959年に全通しているので。
 
 
 
 
 
駅を去るときにて。

 車内に客は多く、みなしゃべっている。地元の人である。どこに行くのと聞き合い、木本と。はじめ私はなぜ北陸線の木ノ本が出てくるのだろうか、えらい長旅だな、木ノ本出身の人が熊野に入植したのか、なんて数秒思いめぐらせたが、会話を聞くと、何度も木本という言葉が出てくるし、しかもすぐそこみたいなニュアンスだったから、近くにある市街? 熊野市、それでかすかにようやっと思い出し、熊野市駅のあるところは木本と呼ばれていたなと。確か駅がそれを名乗っていたときがあったはずだ。そんな感じで、旅行に出ると、事前に仕入れた知識はほとんど忘れてしまうのだった。
 新鹿では乗ってきた列車が長い編成だったので、中間車に車掌がいて、彼がホームに飛び出して集札にいそしんだ。降りた客も数人いた。
 木本尾鷲は閑散区間の割になぜか結構乗っている印象だったが、そうだったとしたら、それは鉄道が至極便利だからだろう。複雑な地形を最短距離のトンネルで結び、運賃はバスに比して安い上に速い。暖房が効いているし、乗り心地も良い。乗らないわけもなかった。このときは一時間に一本はあった。これはたいしたものの方に入る。
 新鹿というかわいらしい駅名、というより人によっては憎しみの対象にもなっていそうだけど、とにかく降りると、天気は良いが、ほんのり暗いところだった。リアス式だけど、志摩のような丸い沈水海岸ではなく、山が刃のように高いのだ。

 新鹿駅やその周辺は、近隣の駅よりもまだどうにか駅らしいところがあった。といってもこれといって店はないのだけど。そういえば長いことコンビニを見ていない。そんな旅も国内ではほんと珍しそうだが、駅旅となるとそうでもない。つまりはそれだけ厳しい中継をしている路線もあるということだった。しかし何よりも新鮮だ。なんにもなくなっても、個人が持たざる者となっても、そうしてやっていける感触でも得えられなければ、ただ首輪を自らに繋ぐよりほかはないだろう。他者にも奴婢たるを求めるが、制度の問題なのだ。
 新鹿も夏こそは人の多勢来るを想わされど、この冬となっては、だっれひとりとしていやしない。悲しくなってしまうくらい浜は白く、清澄で透明な海水が静かに静かに寄せている。おもしろき砂州なり。波千鳥は休み、太陽は遠く静かに鈍く輝いている。遠大な砂浜でもなく、大波打ち寄せるでもないが、のけぞる杉林の刃に取り囲まれた奇跡的に清らの弓浜にせいいっぱい遊ぶもまた、この地の自然と人間の美しさのように思われた。和歌山という価値観もまた、結局鎖の始まりが楽しかったというだけだともいえる。熊野こそいとおしむべかるめれ。そしてそれが誇りというものだろう。

 犬を連れし媼に往き過ぎにけり。こだわることのない挨拶は、この奥ゆかしく、つつましやかな浜辺に似つかわしかった。
 しかし改めて街道沿いの集落に目を転ずると、また厳しさが私に迫って来た。なんか島のようだ。実際山が険しいので、船でできた町かもしれない。そんなところにも鉄道が通っているのは、旅をはじめた人々にいろいろなことを教えてくれるのものだなと思われた。  若き日は持たざる者。その観念のふるさとを私たちは見に行くのだ。

 柔かい陽射しが静かな入り江の集落に漫々と満ち、人一人分の水みちを登って、駅にたどり着く。ほんとここは駅然としているなと。新鹿はその季節には憧れの地の名となるようだ。今は襟巻する季節。駅の上の方の集落まで登ったが、それでようやく体が温まってきたくらいだが、冷たい空気を吸って、胸が痛くなった。眼下に広がる静かな停車場。信号はきっと灯っているのだろう。とこかで分岐を渡って、発進して、この駅に向かう動きがこの山並みのずっと向うに必ずある。  高い山の端から、白い靄が溢れ出さんばかりになっている。風が冷たくなり、これは一降り来るぞと思った。明らかに雪催いだった。