浜村駅

(山陰本線・はまむら) 2012年9月

 
焼板の鱗張り。漁師町に多い。
日本家屋風の待合室。
 
それほど古いものにも思えなく。80~90前半かな。
 
米子方。
 
 
 
急行が似合いそう。
改札口。
少し覗いてみる。
 
 
 
これはまた違うところのようです。 史跡と温泉の町…はよそにもたくさんありそう。
 
 
 
鳥取方。またああして尾根を抜けてくる。
 
この木の支えがよい。
 
なぜか群馬の広告が。
ないよりはいい。
 
風よけがある。
伝統的な木造建築。
 
 
 
待合室にて。
こちら隣の部屋。右側は壁ないけどかつてはどんな使われ方だったのだろうか。
かつては左の改札口も使われたのだろう。
 
 
 
 
合併だろうか。
 
 
廃された3番線が印象深い。
 
 
 
 
 
 
 
 
ぼんやり待つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現役という感じだ。
 
 
駅舎内にて。
印字入鋏機がある。
右戸口たいていは時刻表が固定されていたりするが、 この駅ではまた使えるようにしてあった。
つやつや仕上げの床面。
 
 
なんか古いホテルにありそう。
 
売店スペースでしょうね。
浜での貝殻節や郷土の風景写真が飾られていたが、 鑑賞する位置ではない…。
 
出札口。
私の好きな山陰の椅子がいくつもある。
 
 
 
ほんとに昔の、転轍機操作もした木造駅舎の有人駅らしい きちっとした雰囲気が息づいていた。
ようこそ、がたくさんある駅。
 
 
来真村駅駅舎1. もっとぼろぼろの方が良かったけど、元の躯体を活用しながら 景観に配慮していて合格!
2.
イタヤ貝が載ってる。
4.
5. 左手に顔出しがある。
6. 新しいわりにちょっと渋い。
鱗張り。
 
 
7.
 
8,
 
 
こちらバス停。
なんか戦後まもなくの流儀を感じる飲み屋がある。
 
 
気高町商工会館。
 
 
9.
メインストリート。
 
 
浜本家、という宿屋。もうやっていないようで廃墟っぽかった。現在は持ち主が変わったのだろうか、外観も内装もすべてやり直され、「魚と屋」という名前の旅館になって元気よく営業している。それはそれですごい。
市営駐車場。手前は無料。
貨物扱いの敷地だろう。
 
 
 
 
観光案内所。
 
おわかりのようにもろ丘陵地帯。たぶん全部砂だと思われる。
 
提灯が吊られてるけど、お祭りでもあるんかな。
駅方。
海まではわりとあるようです。
 
一角に突然現れたモール。
 
 
 
 
 
歩くのは何気にしんどい。
地盤が強くないのでしょう。
 
こういう通りはおもしろそう。
 
 
休憩するにはよさそう。トイレあり。
 
足湯だそうです。
イタヤ貝とそれが生んだ貝殻節でかつて2度も大儲けした町であった。
 
 
 
鳥取方。
米子方。1線スル―なので、退避がないときは上下とも駅舎ホームに止まる。
廃された3番線が哀愁を誘う。
浜村。
これも線路跡だろう。
そうしてまた1線に合流した。
裏手にて。
この地方はこの路側帯好きやね。
報じられただろうか、荒天による或る土砂崩れの姿。
 
 
 
 

 宝木から2つトンネルを越えた先が浜村で、乗ってすぐなので、山陰の長旅としてはなんかへんな感じだった。よく知られているし、気動車からの降り客も多く、主なところに来たなという意識はあるのだけど、やはり木造舎で、そしてすっかり静かで、ほかとさして変わらない空気感だった。
 たぶん昔はすごかったんだろうなと。けれど廃れた駅の雰囲気ではない。構内は古いもので溢れるというより、どちらかというとあっけらかんとしていた。

 駅舎は古いものを擬古様式にして、板の腰壁に漆喰塗りのようになっている。少し抵抗があったが、年月が経てばもっといい具合になじんできそうだ。中は鳥取の隣の湖山と同じくらいの広さだったことからも、客の多い駅であることがわかった。

 なんというか、ひところに駅前は整備が完了したらしく、あまり旅情はなかったが、なんといっても歓迎の門はありがたかった。かつては各地にあったかもしれないが、このセンス色濃く残しているのは山陰地方だろう。貝殻節の踊りの彫刻は足湯にもなっていて、子供らが群がって遊んでいた。子供らはこういう水場に目ざとい。気もかわりやすく、わあっ、といって駆けだしていく。駅前が遊び場なんて楽しそうだった。

 浜村温泉というと団体がどさっときたイメージがあるし、関西では比較的しられていると思っていたが、地の人は今はあまりそう思っていないかもしれない。
 すぐ近くに廃墟の旅館やかつてのおみやげ街がある。それでもそんなに悪い感じはしなかった。どこにでもあるいきさつというものだろう。
 交通の便に伴って戦前の観光地が廃れたことがあったが、戦後にそういう事象があったのは観光の新しい興亡史の一端を華やかすようであった。
 しかし奇妙なことにも、イタヤ貝が大漁だったことは、すでにバブル的気質を生んでいる。貝殻節は共感を誘いつつも、なにか不特定の当地のアイドルの哀愁のうたであったろうか。
 今は妙にこじんまり整備されたこの駅前の風景が、後片付けを物語り、すっかり過去はそこのイタヤ貝を背にした童子像としてかためられてしまったようであった。

 日が色づきはじめた駅舎の中だけは、何の影響も受けてこなかったように思われる。正直、ここにはもう少しおもしろいものを期待していた。中はどことも同じように売店は自販機に変わり、米子鉄道局の水色と白のベンチがある。改札も昔のスタイルだ。改札からホームへ跨いで赤光を拝したとき、素朴な本来の浜村を見たようであった。