(和歌山線・ほしや)
最後の駅はやはりここに─。
というのも、船戸駅から和歌山行きに乗ると、
和歌山線で駅舎のある駅はここが最後になるからだ。
布施屋の2つ先の田井ノ瀬駅にも駅舎はあったが、すでに取り壊されてしまった。
この駅はその駅名の読み方と駅舎の概観の雰囲気から、私の記憶に強く残る駅であった。
妙寺駅と同様、島式ホームの駅舎側は使用できないようにされている一方で、
その反対側が2番線に割り振られて粉河・橋本行きに使用されていた。
この2番線の待合所には数多くの落書き、壁の破壊などで惨憺たる荒れようだった。
船戸駅とは対照的だ。2番線から見える風景の中に、大型スーパーらしい建物が見えたので、
ここにも街があるんだな、と思い、駅を出たらあの近くまで行ってみようと思った。
島式ホーム2番線から見た風景。
大型スーパーがあるように見えるが実は…。
2番線待合所。
駅名標。読みがたい駅名だ。
跨線橋から粉河・船戸方面を望む。
和歌山方面を望む。
階段を降りて。植えられたパンジーが駅荒廃の中での救いだった。
和佐歴史の里案内板には松下幸之助の生家が案内されていた。
案内板辺りから見た駅前の風景。
駅舎前にて。落書きが目立っている。
駅舎内の風景。
かつては多くの人が待ったかもしれない待合所。
椅子が一つ持ち去られていた。
駅舎出入口。この駅名表示板は気に入っている。
布施屋駅駅舎その1。
布施屋駅駅舎その2。
脇にカイヅカイブキが燃え上がる一方、
下は薄水色、上は白色の壁の駅舎が、妻面に上品に出入口を開けていた。
屋根の角は削り落とされ、そこにも丁寧に瓦が葺かれていて、
駅舎に出入りする人をきちんと意識しているようだった。
─なんとも存在感のある、忘れじの駅舎。
かつて、列車が到着した夕暮れには、
この駅前に多くの人の動きが生じただろう。
しかし、今はたそがれの中、駅舎は静かに、鉄道が元気だった時代を物語っているだけだった。
駅周辺は画一的ではない昔からの集落で、
家々は古い木造から新たしいコンクリート造りまで混在していた。
駅前から延びる道は県道158号線だとすぐにわかる。
というのは道路脇に、丁寧に表示が出ていたからだが、
この県道表示の丁寧さは、名手駅前や船戸駅前でも同じだった。
道幅は1.5車線程度で、船戸駅前の道幅よりもかなり余裕があったが、
主要な通りからはかなり分け入った道らしく、
この道を含め、辺りに自動車の気配はほとんどなかった。
駅すぐ近くにある布施屋東の踏み切りは車幅1.3mを超える車両は通れないとのことで、
注意を促す標識や看板があった。
駅前から延びる県道。停車場線。
夕日も沈みかけて、しいんと落ち着いた冬の夕暮れ、
遠くからやって来るような軽トラックのエンジン音を背景に、
地元のおばさん二人が立ち話している会話が聞こえてくる。
あっ、軽トラックがやってきた。
「こっちの踏み切りはやっぱり通れへんのやわ。ほれな。」
「うーん。」
「やっぱりここ、あかんやろ。さっきも引き返して行ったで。
うちの娘もいつもここ通れへんから、あっちから来てるわ。うん。」
なんとも落ち着く風景だった。駅舎だけでなく、駅前もなかなかいい。
とりあえずあの大型スーパーらしい建物の辺りまで出てみようと思い、
大きな通りへの出方探った。まっすぐ歩いて、少し大きて踏切へ出る。
そこを渡ると、急な上り坂。左手にものすごくたくましい、
葉をすっかり落とした木々に見入りながら上りきると、T字路で、盛り土の上の道に出た。
駅前の県道を歩いて。
急な上り坂を登り詰めて。
あの建物にとうとう近づいたが、今たっている道が堤防の上にあるみたいで、
どうも近づけない。しかしその建物の周りを見るに、
どうしてもスーパーなどではないなと思っていると、
その建物の広告塔から食品工場だとわかった。
心の中にできた街の賑わいが、ふっと消えた。
堤防上の道にて。
驚きの木々。夏にはどんなに多くの葉を携えるのだろうか。
この木々を過ぎてすぐ右折すると踏み切りへ、そして布施屋駅へ。
布施屋駅前の風景。
これでこの日の和歌山線の旅は終わり。
融銅の光の中を歩いて駅へ戻ると、
荒廃の気配漂う駅舎の中で、
派手な格好をした女子中学生二人が大きめの音量で音楽をかけながらしゃべっていた。
しかし私が駅舎を通り過ぎ、ホームに出てしばらくすると、
音楽が消され、話し声だけになった。
ホームにはリュックを背負った旅人のような人が立っていた。
もしかしてこの人も布施屋駅を見に来たのかなと思ったが、違うようだ。
いつもの105系の2両編成を向かえ、一路、和歌山駅へ。
和歌山駅のホームはやはり帰宅途中の人たちで賑わっていた。
ホームに立ち食いラーメンがあるのを見つけて、なぜかほっとした。
案内板を見ると、別のホームに和歌山発京橋行きの快速が待っていることがわかった。
早速そのホームに移動し車内に入ってみたが、ほとんど人がおらず、
回送するのではないかと思ったほどだった。乗換えもあまりにスムーズだし…。
しかしこれが京橋行きの快速だった。こんなに空いているとは。
車両は関空快速として使われるもので、左側は一列、右側は二列シートだが、
不思議と車内が広いとは感じなかった。
ホームにはキオスクがあり、椅子に座っていると、お菓子と飲み物でも買って
大阪まで行くのも悪くないなと思った。
出発前になってもたいして乗客は増えず、列車は発車。
夕方に和歌山から大阪までこんなに快適に行けるとは想像していなかった。
車窓を見ながらうつらうつらしていると日根野に着いた。
関空から来た関空快速と併結するという。しばらく時間が滞留したのち、大阪駅へ。
大阪ではすっかり日が落ちていた。
そこから先の新快速の混雑は…もはや苦しみでしかなかった。
和歌山線─冬編 その1 : おわり
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