釜谷駅

(江差線・かまや) 2009年5月

夜の釜谷駅へ

函館にて。出発前の車内から。

車内一景。

  ふだん着の函館駅を2度も見て退屈したので、発車はまだだが最終木古内行きがホームに入りしだいもう改札を通り、そして車内に入った。もうこの線区つまらんななどと思う。この新しい路線を南下すると、すぐそこから帰途が見える気がする。
  列車は0時20分に木古内に着くので救済目的で誰も乗らなさそうだと家で時刻表見ながら思っていたが、出発前にはけっきょく20名弱も乗った。数名、旅行らしき人もいる。その中のある人だが、車内に入る際、乱雑に通路を歩きながら、コンパートメントを覗きこむようにする者がいた。このとき少し変だなと感じた。
  それはさておき20名もいるものの、五稜郭や上磯を出ても、乗ってくる人はおらず、ただ乗客数という持ち駒を減らすのみだった。私は釜谷というところで降りるつもり。ところがどうもひとり気になる人がいる。二十後半くらいでガラスっぽいメガネをかけ、大きな鞄持って先頭のロングシートに座りながら、しょっちょう車内に見渡している。あれ、そういえばあの通路の歩き方の男じゃないか。何か変だな。もしかして寝るのか、駅で。いやまさか、こんな時期にそんな特異な人と出会う確率は低い。自分がそうするからって、そう思えているだけなのだろう。いつもそうで予想は外れる。彼はそわそわしており、停車ごとにいまに降りるか、と見えるのだが、ちっとも降りない。彼の周囲の一人も少し妙だと気づいている。しかし寝るとしたらあんなあからさまな体(てい)ってあるだろうか。その近くのもう一人おばさんはまったく気付かないようで、目を閉じて頭(こうべ)を垂れていた。しかし かぶったらどうしようかな。「なーにかまやしない、駅寝ってそんなものだ。しかもあそこには椅子が複数あったはず。それにどうしても予定は変えられない。」 慌てて行程表を取り出し茂辺地に代替できるかと考えたがやはりできず、釜谷しか無理だった。いよいよ当別に着く。彼は慌てて窓の外を覗きこんだ。それから車内を一瞥し、寝たふりをした。当別の次は釜谷だ。一緒になるのかならぬのか、運命の時が迫る。

渉り合い

 「かまや、かまやです。」 アクセントは かまやだった。私はずっと まやだっただと思っていのただが。女の気軽な感じのその自動放送が流れると、先頭付近に座っている彼は、まだ列車が動いている最中から立ち上がってよろめくも、はっきりと車内を振り返ってひと睨みした後、デッキへ通じる扉を荒っぽく開けた。後方付近に座っていた私は澄まして立ち上がり、通路を歩き平然と先頭のデッキへと向かう。鞄が重なり合う。彼は自分の鞄を自分の前に引っ張り出す。この異様な寄せ付けなさから、もう確信していた。しかし運転士は柔和で、私らの改札を快く終わらせた。しいんと冷えた2人で水銀灯のホームを歩く。こうなったらここでの一夜は決まったも同然、どっちにしろ話しかけんとうまくいかないだろうな。機を一歩ごとに見計らう。彼は速足だ。場所取りだなと思う。貨車の前に着く。彼が焦るようにして扉に手をかける。そこで、あのすみませんが地元の方ですか、と接触した。すると彼は意外にも表情の緊張を解き、えっと声を詰まらせた。いえ、違います…といいつつも扉を開けつつある。そこで彼がここで何するつもりかも訊かずに、私も今日ここで寝るんですよ、と快活に話した。すると、あ、(そうなんですか)、と声を漏らした後、それでというような無の表情に変わり、貨車の中にドサドサ入って、見つけた長椅子にドサンと荷物を置いた。やはり場所取りか。ここは長椅子が三つあるから、何も慌てなくていいのに、彼は知らないようだった。
  彼が車内をしきりに振り返っていたのは、同じ目的の人を見つけ出すため、また先頭付近に座っていたのは、釜谷で一番はじめに下車できるようデッキへ移動しやすくするため、かつ、今晩は自分がそこで寝ることを、後方にいるかもしれない同じつもりをしている者にアピールし、できるだけ遠慮させるか、来るなら覚悟の上でと心積もりをさせるためだったりだろう。万一 重なったとしても、先頭付近に座って最初に降りられれば、場所取りができる、そこまで考えてあったはず。そうまでするのなら駅寝は不向きだが、逆にそんなにアピールしても私のように予定が変えられず降りてくる人はいるわけで。
  深夜0時の貨車内で、互いにがさごそしながら、しばし無言の時間が流れる。いくらなんでもこの狭い空間に一夜居合わせるなら寝る前にちょっとくらいしゃべっておかないとむりだろうと思い、何いわれてもいいや、試薬だと「いや でも、ここは3つもあってよかったですね」とこれはあたかも柔和に懐に手を入れるごとくだ。すると、え、ええ、と発して、何でそんなこと聞くのだというきょとんとした表情が一瞬現れただけだった。すると場所のことなんか考えていなかったというのだろうか。もしや私の被害妄想としばしうろたえる。いや、行動観察からするとそうでもない。ではなぜ…。元々自分の行動を気にしないタイプの人、というのもあるけど、後でわかるが、それより、もうすでに彼はほかのもっと大事なことで頭がいっぱいだったのだ。

誤解

  どっちにしろ今夜のことは決まった。次は明日だ。「今日はここで寝て、明日はどうされるんですか?」 と訊くと、「いや、撮影して、朝一番の列車で去ろうかな、と」 こんなほかと変わらない駅で夜に撮ることに驚いて「へえここでですか」そう言った瞬間、「いや、違いますよ。この近くに有名なポイントがあって、あれ、知りません?!」「いや、全く知りません」思わぬことを訊かれ、思わず自身を笑いながら私はそう断言した。「あれ、じゃあ撮りに来たんじゃないの」「いや夜は寝るだけ」 ここで流れががらりと変わる。そう、同じポイントでかぶることをいちばん彼は懸念していたのだ。それやそうだ、廃止列車があるわけでもない、こんな平(ひら)の日にかち合うことほど無意味なことはない。ところが私にはそのつもりがさらさらなかった、それでもう彼はほっとしたのだった。彼にしてみれば、「奴はわざわざこの何でもない釜谷駅に降りたんだ、目的はぜったいあのポイントに違いない、かぶって運が悪かった」みたいに思ってたかもしれない。思い込みっておもしろい。私も彼はここで遅くまで寝るだけだと思っていたし。「明日はどう (されるんですか)?」と訊き返され、「上り始発に乗って去ります」。これは間違いがない。始発でなければ、予定が通らない。そして始まりはほかでもなくこの釜谷でないと、今回の旅行で当線内のすべての駅に足をという苦労して考えた数式の演算は途中で終了してしまう。だから仕方なかった、こうして重なるのは。
  山小屋でもないこんなところで夜居合わせる以上、少しは会話して置かないと怖いもの。が、目的はもう達成されたし、話は切り上げ、しゃべりに来たわけじゃないなどとと疎まれる誤解を避けた。彼は独りごちながら時刻表を繰ったり電話の画面を輝かすくらいで、文字を打ったりはしなかった。歳はわかりにくかったが、社会人らしい風貌だった。高価な機材を持っているだろうことからもそれは窺い知れる。彼とて相手がどんな人かわからないと大事な機材が不安でしかたないだろうと思った。私はその人をぱっと見て不安はないと思ったが、相手の方がわだかまっている様相だったので、話さないといけないように感じた。ふとその機材の入っているであろう持ち物から布の覆いが取られ、ジュラルミンボックスが顕わになったとき、稲妻のように思い出した、そう、この人ついさっき函館駅前を歩いていた人ではないか。とたん言おうかどうか迷った、間違いかもしれない。「いや。絶対に、間違いない。」 あのときちらっと見かけた顔と、この持ち物。言うべきことかについてもすぐ判断ついた。一度出会ったのにこちらだけが気付いたままこうしてしゃべるのは陰湿ではないか。「あれ、さっき函館駅前を歩いてましたよね 」上がり調子で尋ねると、「え! いや、今回は歩いてない。行ってないけど」 私は一瞬、どきっとする。私の視線は彼に滝のように注がれる。しかしそうすればするほど、あのときの光景を思い出せた。そのとき私は函館駅を遠巻きに撮ったのだが、そのとき彼が私のことをちらっと見た気がしたのだ。そして高価の機材の入ってそうなボックスを持った彼を見て、自分はどう思われたのかな そう思ったのだ。「あ! 歩いてた歩いてた、そうだ、めし食いに行ってたんだ」と少し笑って彼は思い出した。それにしても一度函館駅で会った人に別の場所でまた出逢うということが、こうして何度もあり、旅行者はすっかり函館駅を中心にしているようだ。

  その後、自分の荷物を彼と共に貨車に残したまま外に出て、手洗い、あたりをざっと把握した。小走りに砂利敷きを出て国道に出たが、ほっとするようなコンビニなどはない。ただ相も変わらず冷たい寂しい海が、一列のナトリウムランプの下(もと)に黒く揺動し、波の悲しげな響きがやまなかった。

木古内方。

あれは何の灯りかと思わず考えたがどうも漁港らしい。

函館方。

なんと函館山の灯台の光が見えた。

駅舎。

駅前の様子…。

夜の釜谷駅駅舎。

足下を照らす

  体が冷えて貨車に戻る。邪魔にならなさそうなので、気になる、訊き忘れていたことを訊いた。「私は**から来たんですけど、どちらから来られたんですか?」「関東です、***です。」初め少し驚いたように反応しその後 愛想よく答えるのはこの人の特徴だった。わざわざ***と付け足したことからして、飾らない人だと思った。「じゃあ、北斗星に乗って」 「そうです」ぴったり合っていたからか言い方が元気だ。「何で、来られたんですか?」 私は「日本海です。」「B寝台?」「B寝台」すると おどけたように笑いながら「あれ、金払う気起きないよ、北斗星だったら個室に乗れるし」「そうですね、それと、関東からだと日本海乗りにくいでしょう。私も北斗星には乗りにくい。」と言うと、それはそうでもないという、しれっとした表情になった。料金が見合っているかの話であって、乗りたい列車があればどこが始発でも厭わないのだろう。「トワイライトエクスプレスという選択肢もあったんじゃないんですか。」 「あれは洞爺に朝4時に着くので函館に行くには使えなかった」 「あー。  え、そんな変な時間(おかしいな)」 彼は時刻表をすぐ繰り、しばらくして、「7時18分ですね。」 私は慌てるようにして恥を隠した。「帰りは?」 帰りもトワイライトに乗らないのかと彼は言外に含める。もう素直に偽らず「青森まで行ってバスで帰ります」と明るく返すと、まあそういうときもあるよね、というお顔。おおむね同い年らしいだけにどれだけ金が掛けられるかという感覚になるのだろうか。逆に私が帰りは? と尋ねると、「帰りは…ちょっと奮発して北斗星のデラックスです」と自らを笑うように答えて、気を使わせたのかもしれなかったが、肝胆相照らすといった感じになり、めいめいの予算の限度というのを慰めているようであった。むろんこんな駅寝を互いにしている以上たかが知れている、というわけではなく、彼は駅寝でなければ撮れない列車が目的なのだから、必要に迫られてだろう。しかしそう考えると自分も、必然的に駅寝でならなければならないように仕組んでいることに気付いた。

  棒すら下りない踏切がただ鳴り響き、客車列車が釜谷駅を通りかかった。すると壁に凭れかかっていた彼は飛び起きて、貨車のドアを開け、「はまなすだ!」と叫んだ。たしかに札幌行きはまなすだった。そんなに好きなのかと思った。今度も列車が通りかかって、彼は飛びだしたのだが、「なんだ貨物か。」とつぶやいて、本当にまったく興味なさそうに椅子に座って時刻表を読みはじめた。この人わかりやすいな。中身はまるで少年のままのようだった。

最後の会話

  私は寝袋も敷いて服も脱いでもう半分中に入っているのだが、彼は寝る準備を一向に調えようとしない。「寝袋を持ってるってことは、ほかにもどこかで寝られたんですか」 なぜか寝袋を見た彼は私を認めたような、一目置いたような感じになった。 「そうです、1日目は桂岡駅で」「桂岡って、また、すごいところで…」「ほんとひどいところでした、それで2日目は、鹿部です」「鹿部、ああ山線の」 違う、と思いつつも、詳しそうな彼がそう言うなら正しいように思えて、そうですね、と言ってしまったが、彼自ら気づいて「あ、海側だ逆だ」。 なぜか私は否定したがらない。仮に誤っていても、その人がそう思っているならそれで良いと思う節があるようだ。彼の今思い浮かべた鹿部は山線の雰囲気だったのだろう。だとしたら仮に時刻表を見て勘違いに気づいても、それで何が変わるのだろうか。
  「それから明日はどちらへ?」と訊かれたので、いくつかの予定を飛ばして最も待ち望んでいる「知内に降ります」。「知内ですか、知内降りましたよ、あの、ボタンを押すと演歌が流れるんですけど、音量が大きくとてすごく恥ずかしかった」と彼は思い出し笑いしていた。「そうですかもう降りたんですか」少しがっかりした感じでいってみせる。「駅が好きなんですか? さっきから聞いていると…」 そういわれると困ってしまった。こうして帰ってきて綴っている分には明々白々なのに、駅に降り立つ旅の最中は好きという気持ちはまったくない。ただ機械でしかないように感じるし、むしろそうでないといけないとさえ思っている節があった。どっちにしろ、ほかの人から見れば彼のいうように見えることは間違いなかった。だとしたらそれが正解なのだろう。

取り出したばかりなのであまり膨らんでない。

  さあもう寝ないとだめだ。腕時計を見ると時刻はなんと1時過ぎ、この時刻で同志もいるとなるともうこれは半分諦めないといけないなと思う。私は横になり寝るときに思わず、「しかし寒いですね」 「寒いですねえ」。彼は私の横になったのを見ると、さ、と自らに声掛けるようにし、長椅子の上にそのまま横になりはじめた。何とそのまま寝るつもりらしい。しかしポイントに行くとて、何時に行くんだろう。そうしてまさに互いにそろそろ寝ようとしかけたとき、あの桂岡と同じく、断頭台のような音と共に電灯が落ち、貨車の中は真っ暗になった。彼の口からは、あ! とびっくりした声が飛び出した。つい2日前 経験済みだった私はすべてを知ったような顔を暗闇で作り、寝相を直した。しかし自分も、彼がいなければまた桂岡のときと同じように心臓を飛びあがらせていただろう。あの何かを裁ち斬るような絶望の音に。

深夜の密室

  自分の寝台になった長椅子は貨車の側面に接していて、その側面には窓が嵌め殺しでしつらえてある。目もすぐに慣れて、その窓から空の光としての深縹色とナトリウムランプの照らす路面の瀝青色のぼんやりした光芒が差し込んでくるのが感知できた。ほんの少し上体を起こせば顔を窓辺に持ってこられるため、容易に外の様子を窺える。貨車の中は真っ黒だが、外は少し灰の入った濃藍色に点々とした乏しい橙色で、沿岸のさびしい国道を夜通し走るトラックがときたの裂帛の悲鳴を上げる。実は彼との会話で親睦を深めながらも、こういう位置になるようわざと寝袋をわざと敷いていた。しかしそんなふうに画策したことはもう忘れていて、ただただ、ロマンチックでしかなかった。もっともそれは、貨車の中のこの漆黒に、恐怖がなかったからだった。さっきあれこれ話した人がいるとわかっているだけに、不安がないのだった。同志というのは敵対しながらも、ときにはこんなふうに一つになれたり分かち合えたりすることがあるものなのだろう。そういう機会はめったにないのだろうけど。
  しかしその彼は、うるさかった。寒、寒い、と連呼し ひたすら化繊のジャンパーを両手でさすっている。おかしいな、この人こんなことするの初めてでないはずなのに、こういう気温なのを知らなかったのかとでもいうのか。延々とそれを繰り返すだけの愚劣さと騒がしさは、私に、苛立ちと憤怒の業火を燃やしました。そう。寝るといっても彼は撮りたい汽車までの時間待ちとして横になるだけで、私のように睡眠が目的ではなかったのであった。しかしその差くらいはお話したんだしわかったはずだから、「ほんと傍若無人だな。そうでもなけりゃってとこか?」。40分くらいもそのシャカ釈迦御仁はシャカシャカシャカシャカとあきれにあきれ果てる行為を断続的に繰り返していたが、ようやく疲れたのか、意識的に呼吸を一定にして真剣に寝ようとしはじめた。でもその方法で寝られないのを、私は寝台列車で痛いほど知っている。絶対寝られんだろうな、と思ったらやっぱり彼は少しも寝てなくて、また無言でジャンパーをさっきよりは遠慮がちではあるが、さすりはじめたりした。これはこっちも寝られんなと思い、ほとんど諦めた。もともと彼がいてもいなくても最終列車の到着が0時過ぎであるし、なんだかんだして寝るのは1時前後だったろう。起床は4時半くらいの予定だったので、もともとたいして寝れないのだった。むろんそうでなければ恨んでいた。同席になるのはいいけど、ここまでの振る舞いは予想つかなかった。そんなに我慢できない寒さだっただろうか。気温は10℃なかったが。

  2時台は割と静穏に過ごせた。しかし今回は服を脱いでいるせいか、私もうすら寒くどうもよく眠れない。これは人としゃべって興奮しているせいもあるなと感じる。
  ブレーカータイマーのチッチという打刻が深まるほど、彼はいつごろ起きるのだろうかという疑問が深まっていく。なんだか落ち着かない。ああ、眠れないな。でも横になっているだけでもだいぶ違うだろうと慰藉する。それに明日が最後、でも最後でこけたら嫌だな。目は不思議に冴え返るばかり。しかし当の彼は少しもポイントに赴く気配もないので、たぶん明け方くらいまで出ないのだろうと片付けるようになり、彼の存在をしだいに忘れはじめた。
  ところが3時くらいになって、突然起き始めた。よもやこんな真夜中に行くとは思わない。また寒い寒いと騒いでいるが、支度に忙しい感じでほどほどだった。寝支度のない彼はあっという間にジュラルミンボックスを肩に掛けて貨車から出ていく。いったん外に出て所用を済まして、貨車に戻ってそれから出かけるのかと思いきや、彼は出たきり、もう戻ってこない。行ったんだな、と思う。「あと1時間くらいしか寝られんな。」

白夜ふうの

  北国の初夏の夜明けは早く、4時にもなると淡い群青色になり、この季節の濃藍は褪色しやすく、あの濃い染めようが とても貴重なものに思えた。「やっぱ眠れんかったか」。寝袋に入りながらまんじりとする。濃密だった夜は 薄情な趣きで白々しく明けはじめたが、水平線のあたりは人を惑乱させるような鴇色に染まっていた。眠れない日々を過ごした思春期を思い出す。当時、自室に小さな受像機があった。局が放映をすべて終え、時刻と夜景を延々と映し出すだけなのを、つけっぱなしにして、それをときどき眺めては、机に向かっていたことがよくあったものだった。一日丸ごと、自分の感覚器官が溢れ返っていた。こうして貨車の中で横になっていると、今になっても、旅行中の自分はそうしているのか、と、背後からしだいに気づかされるようだった。そのころというのはむろん思い返すのも恥ずかしいこともあるものだろうけど、こうしていると、本来の自分を取り戻しつつ、それを直視できているようで、妙にほっとできた。しかし極度に内省的だった当時と今とでは、野外で隙間を見つけ、自らの感官で独占しているという点が、違っていた。しかし根本的に何が違っているだろうか。もう何もかもあの年ごろに、こういう方向を取りえることは、決まってしまっていたという気がしてならない。
  この貨車で人を制圧し、悪か成年かに変わる、そんなことを夢想するのは、そうでもすれば、たとえ回想であっても、思春期のころと同調できる自分などと、訣別できそうだからであろうか。白っぽい空が何とも冷たい視線をくれていた。その先にはかつてと違い、自分に病的な装いはない。夜明けを迎えたのも結果的なものでしかない。野外にて、健康さと単純化した細やかな綾を、もはや元気に機織りたいだけなのだと思われた。

 

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