EUC-JP to UTF-8 北陸本線・名立駅

名立駅

(北陸本線・なだち) 2009年9月

浦本の車窓から

  何もしないと、アイスクリームがとろとろとけるように時間が過ぎていく、かといってせいいっぱい何かしようとしても、すべての瞬間を意識できるわけはなく、それを悟り無為に時間を送るときもある、そういうクジラのような悠長さと鮫のようにも暴れうる苦しい二律背反の季節、でもそうした無為なら、それもまた意識のうちだろう、車内では病窓のように日の長そうなことだけは予感させられ、それが刻々と減っていく焦燥感を抱かされるも 列車は人に何をかなすすべをもたせることはなく、夏光のお昼の気だるさを淀ませ、海岸から離れて取り直した新しい線形を、日本海に山迫りつづける漁村の鄙びはかき消さず ゆっくりと推進していく。
  さすがに、あれらの岬を巡っていたというのはあまりに隔たった時代のことだった。もう後代のものとは思えない馴染んだ高架で、谷を跨ぎ、枯色の苔の隧道で、尾根を、抜ける。しかしそうすると、列車はやはり、何の苦もない感じで、これからも各駅に停車していくようだった。車掌のホイッスル、勢いよく噴射されるエア、閉まったドアの硬いゴムの音、果てにはおそらくホームを掃過しているだろう車掌の視線まで想像されるほど、北陸本線の最果ての夏の海岸部を平らかにせんとしていた。いつもじゃまをしてくる、ロシア沿海州からの寒気の懸念をつゆとも抱かせぬくらい、雲ひとつなく晴れている。車内は、がらがらだった。この人はどこまで行くのだろうか、と思っていても、ある小駅に着いたら急に支度をはじめて、ひょいと降りていく地の人などで、切符も短そうだった。
  この西頸城の海辺は、風景に憧れたところだというのに、もう何度目かにもなると平静で、さまざまなものが私に解釈し終えられ、夏の光を浴びていてもおとなしく窓の外に横たわっていた。それにしてもこのへんは降りて、海まで歩くに限るな。そんなに遠くないし、もう広がった谷筋が海に出遭う様子も、歩いていると旅らしい感慨が高かった。
  夏の日陰の広い家たらん梶屋敷、典型漁村の佇まん浦本、奇岩弁天島の祭礼的な能生、涼やかで甌穴水、海食洞的な文字通りの筒石、峻立の名のもとに灯台と風車を見せる名立、駅ひたすら海を見つめるロマンティストの有間川、海水浴といえばとかつて名を轟かせた谷浜、そういう色彩豊かなイメージが続いていたが、今となっては車掌が読み上げるそれら駅名も、たいへん職業的なものに聞こえ、列車の推進も妙にスマートで、それはそれで、新たに探し求められるものも現れそうな下地も揃ったようだった。
  今日はその中の名立にもう一度降りることとなっているだけだから、そこが近づいたら、そろそろだ、とまるでそこにしか用がない人みたいに、いそいそと準備をする。

  名立は4年前、無名の海岸を見たいとわざわざ画策して降りたところだった。それに駅名が野心的なのに爽やかなのに惹かれた。期待通りの風景を名立はそのとき私に与えてくれた。
  列車は右に傾く感じで停まり、降りにくさを感じつつもホームに足をつけ、蝉のわずかな生き残りが細々となく晴れて乾いた空気に、体を運動させる。先に一名、降りた人がいた。スーツケースを引いて、車掌に切符を渡そうとしている。一目見て帰郷者だと思った。しかし名立は有人のはず。車掌も、券面を了解したが、切符箱へと促し、受け取らなかった。私も、それはそうだろう、と思いいったん乗り場から離れたが、あとで事情を知ることに。

 

新線でありながらもすでに鄙びを漂わせ…

これがホームからの出口。

 

北陸自動車道、名立高架橋。

昔ながらの白い点線が残る。

ガーター橋がホーム?

直江津方。ほんの少し新潟っぽい山になってきている。 新線が通るまでは何でもない谷だったはずだが、 こうして開通すると、また違った風景になる。

糸魚川方にある頸城トンネル。

この中に筒石駅があり…

保線の人は歩いて行くことも可能だ。

こんなところに縦型駅名標が。 奥の柵やホームの点線を考え合わせると、 ちょうど1960年代という感じ。

 

ホームから見た駅前付近。

階段もホームとセットではなく別に取り付けられているのね。

 

 

名立谷方。本当にホームが橋そのものとなっている。

待合所。奥の室内は運転事務室。ふだんは無人だろう。

日本海からの風よけ。

ぎりぎりのところまで保線用スペースがとられている。

トンネルに挟まれているので資材置き場には便利そうだ。

  名立は中間駅としては何気にけっこうな規模を有していて4線のびのびと横たえているが、この日当たりのよさと、谷なのに構内が広々と取ってあるのは、変電や保線のためのもので、客扱いは元からかなり零細だったと考えてよさそうだ。基地としてはその筋の人に知れていそうで、尾根とその坑口に、官立風の建物が無機的に建ち、青服に黄なメットの人らが数人集っている。女の人もおり、これから弁当を食べるようだ。
  残暑に支配されている。でも今日はあまり降りていないし、北だけにさすがに秋のカラカラな陽射しにもなって来ていて、盛夏と違い 脚を出さずにはいられないことはちっともなかった。それでくだんの作業員についても、暑苦しくなかった。ただ日差しだけはやはり元気で、夏の人出のやかましさもなく、大人な落ち着いた夏だ。
  トンネルのある尾根に広々と挟まれたこの力なく広がった谷は名立谷といい、構内の下を蒼く浅い名立川が小石を浮きださせながら、じゃわじゃわ海に流れ去っている。北陸自動車道の白い橋が異様に高々とかかって、谷には風が流れ、先には海の予感がはっきりし、名立の爽やかさを、ここに駅位置することによって、定めている。この辺では尾根も痩せてアカマツらしき樹相も見られるのだが、この谷を登り詰めるととても深く、渓谷になっている。

名立トンネル。

米原から349km. 営業キロとは一致していなけど。

 

北陸自動車道側も名立トンネルという名前になっている。

 

 

再度名立トンネル坑口を。

 

 

雪国仕様の出入口。

ここも待合所。時間に駅に来ると静かに座って待っている人を見かける。

 

階段を下りてきたところ。 以前は行き先案内板が黒いものでもう一つ駅名が案内されていたが いつの間にかこれに変わった。

金沢方面ホームはあちら。大阪は本当に遠いなと思う。

 

階段を登る前に窓から見た外の風景。

 

 

 

名立川。土石流の痕跡が見られる。

 

 

 

電気機関車のための電化という感じ。

 

名立は風車の町だ。

 

トンネルの端までホームが付いている。

 

 

 

 

 

掲示物もない。

  地下道が妙にしんみりしている。方面案内に、東京、が出はじめている。
  駅舎の中に入って、どきっとした。「お客さん、時刻表はご入用ですか」と尋ねてくれた駅員は、汚い板にとって代わり、飾りものもすべて撤去され、待ち合っている人も、一人といない。電灯は消し切られ、お昼の間接光だけ、薄い陰になった床には、虫の死骸が散らばっている。このとき初めて、札苅駅で聞いた「もぜぇんえけってぇのは、さむすぅぃもんだなぁ。」 その意味が、 ようやっと、浸み渡るようにわかりはじめた。この向こうに人が入って、清潔にして、機器を置いて、事務をしながらも、客とお話した人があったんだって、と誰かに話したくて仕方ない、そんな気持ちだった、が、そんな話を私は一体どれだけ聞き、想像もしてきたことだろう。最後は、それはそれで仕方ないと思うよりほかなかった。けれどもその人には、肉のようにやわらかい豊饒なイメージが湧き出していたのだった。無人駅の寂しさは、それはそこに人のいたことによる温かさを知った人でないと、やっぱりわからないみたいだ。そういえば最近は、無人駅は寂しい、とすら言われないな。無人駅っていうのは、知識よるにせよ、経験によるせよ、根底においては、寂しい、と形容される性質の名詞なんだ、そんなことがひらめき、妙に新鮮だった。

改札口。しんとしていておかしいと気づく。

盛り土の証。

駅務室。

駅舎内にて。

なんと寂しい。

 

 

 

  あれからたった4年か。地に足着かぬ旅初めの私が共に無名である、覚めるような青の海と空を求めて降り立ったその場が、虫どもに犯され、汚い板に打ち付けられ、棄て去られている。歳を取ったな、旅というその場、に於いて。さてこっからどうするか、というところなのだろう。初めての感覚に溢れたそのままの記録なんていうのは、一回しか通用しないということなのさ。

  石段にずらりと彩っていたプランターもなくなって、外からも完全に、人の気配を殺がれていた。どこからどう見ても、時代の流れに応じた、単なる無人駅、初めての人が、見れば。
  あの しいちゃんも、もうこの町を去ってしまっているのかもしれない。しかしまたここを一人が去った、という重みを、無人化というものほど与えてくれるものはないのを思い知る。暑さで汗かいたうなじを掻きながら、虫の駅舎内に入り、きれいな椅子を探し腰掛けて、脚組み、やけくそに、あーあ、と叫ぶ人の姿が思い浮かぶ。

富山駅移転に伴う列車の遅れのお知らせ。 大阪行き「きたぐに」が2時間も遅れることになっている。 今となってはそのきたぐにも廃止されたが。

名立・有間川・谷浜三駅まとめての列車時刻表。 列車の少ない区間ではこういうタイプの時刻表がちょこちょこあり、 旅の途中に入手できるたりする。 広告は名立駅周辺の会社ばかりが出していた。

駅回廊。結構広い事務室があるのだろうか。

右手トイレ。

駅から出て。

  駅が十段くらい上にあるので、古い縦型信号が間近だった。鉄道の下を窮屈にくぐる道をどろんと濁った眼で見つめ、見所のない谷に住む地元の車が、狭いにもかかわらずしばしばすっ飛ばしているなど、あたりはなんの影響も受けず、変わっていないなど、駅ですらない何でもないところに堕する一角であったのを改めて知ったが、そういうことを補うことにもなる、かつてここから出歩いたことをふっと思い出して、嬉々としてそのとき歩いた川べりの道に入ると、川面に排水の泡がどっと流れ出し、際限なく広がりはじめた。

 

 

名立駅駅舎その1.

名立区は名立谷を中心とした地域で、 谷の奥深くまで集落がある。バスあり。 9月の名立大鍋祭りがおもしろそう。

 

駅前。

木造の駐輪所だ。

その2.

 

 

うっかりすると事故を起こしそう。 この年代の道路に掛かる鉄道の橋は、 歩道スペースを考慮しないで造ったものが多そうだ。

バス待合所。

意外にきれい。

その3.

4.

 

 

 

 

 

段差解消のためか複雑な通路に。

 

 

  橋になったプラットホームで、黄メットの人らがわらわら集っている。人の視線を避けていたときのことを思い出し、初めての一人旅のときの感覚が甦ったが、私はもはやそういう行為による自意識という湿度を、するりと処理するようになっていることに思い遣ると、かつて繊毛にとり囲まれた心で出会ったことのあるというのに、その名立の海や空さえ、作為か、架空のもののようにすら思えてくることを憂い慮った。

  自分も駅も、からっぽになってしまったが、名を立てんと去った人もあっただろうか、しかしそうとも違う私も、ここに戻ってくればいつも、いくら自然が名の立つところと名乗っても、少しも尊大さは感じられず峻然颯爽としていて、街を誇らず、賑わいを誇らず、ただ自身で信じた風景を、無名のままで展きつづける、名を立てるとは、そのようなことだと、心の裡でわかっていた青年期の下車の思い出として、あの名立の青天や玻璃の汀は抽象化し、記憶に、いまも大切に仕舞っております。

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