EUC-JP to UTF-8 大津の街・大津港

大津の街・大津港

2007年7月

  さて、大津駅のホーム名所案内板には乗船場まで900mと出してあったから、湖畔まではだいたいそんな距離と考えていいようだ。これだけの水蒸気と気温で往復となると、やや重めの歩行になると思えた。夏の街歩きはどっしりからだに来る。金融広告を見上げながら右に折れて、商店街へと入り込んだ。歩道のところだけの簡単なアーケードとなっている。どれもかなり古い店ばかりで、アーケードも、もうだいぶ前のもののようだった。車道もぎりぎり2車線だ。陽射しがきつく、店は日除けの帆布を出していた。
  道はぜんたい下り坂になっていて、このまま湖岸へと転がっていくんだと予想された。日差しを軒屋根に、足を坂に助けられるようにして、やや足早に店の連なりを過ぎ去ると、京町二丁目の交差点に出た。名前からして地方都市の中心部に差し掛かったような感じだった。もうアーケードの屋根はない。きれいな交差点で、ちょっと茫漠とした港の風景が浮かんできた。しかし、その先はまだしばらく街が続き、その後ややだらだらと浜まで歩くこととなった。

商店街へ。

昔流でちょっと歩道が狭い。

道路の風景。アーケード屋根が階段状になって坂道に対応している。

とあるお店前。

惣菜屋。すぐ奥に調理器具が積まれているのが見えた。

振り返って。とにかく暑い。

町屋風建物前にて。

大津駅前商店街の風景。

京町二丁目1番地。

アーケード屋根が左側の歩道だけになった。 新しいマンションが建っていたからそれでかもしれない。

京町二丁目交差点にて。右手の道。

横断歩道をを渡って。

交差点の風景。珍しく中央に菱形が書かれてある。

交差点西側の道。

またしばらく街が続く。

  その交差点からは少し店の勢いが衰えたようになったが、アーケードをつけたら先ほどとたいして変わらない感じになるかもしれない。2車線の狭い街路を歩いて、次の交差点に出た。すると角に本屋になっている古い洋館風の建物があり、とても珍しかった。後で調べると、けっこう有名にらしくて、多くの人に取り上げられていた。やっぱり注目してしまう建築だ。
  その後もゆるい下り坂がつづいた。ずっと下っているのである。街中には神社が紛れたりして、さっきアーケードの中にあった町屋風の建物を思い出した。別の筋にはそういう建物も多く、この辺は戦前の建築がしょっちゅう出現するところのようだった。

中央二丁目南交差点前にて。

洋館風の建物。

中は書店となっていた。

交差点角の店らしいたばこの窓口も併設。

この建物も洋館の壁と色が似ていた。

右手にはまだ小さな商店が続いていた。

途中見つけた八幡宮。

豆腐屋さん。

中央二丁目交差点にて。この暑いのに浜までまだ先がある。

左手は全蓋式、丸屋町商店街のはじまりだった。

  また信号のある小さい交差点に来て、信号で足を止められた。頭が熱くなりすぎていないか手をやった。左の道を覗くと、全蓋式の傷んだ丸屋町商店街の表示がちらっと見えて、もうこれは立派な地方都市だと勝手に思った。とにかく、こっちは帰りに寄ることにしよう。その交差点を過ぎると、店はなくなって、中小のビルが目立つようになってきた。大津のオフィス街の裏手なるという。この辺で「浜はまだなのか」と思いはじめた。はやく風を浴びて、視線を遠くに投げたい。する水色のローソンが見えて、どこか裏手風のその辻に出ると、もう水辺まですぐなのが、なぜだか感じられた。近くのバス停も浜町と名前を出していて、いかにもという感じである。よく考えると、ここに至って足元がすっかり平地になっているのだ。もう下り坂ではないのだった。
  そしてデッキへの階段が見えた。しかしそれより、陸屋根ながら聖堂風の浜大津市民ホールにどうしても注意がいった。これは1934年の建築だという。いくつか部屋があって、市民が借りられるというもののようだ。今では改装されたそうだが、どんな風に変わったのだろう。

しだいに水辺が近い雰囲気に…。

浜町交差点にて振り返って。

西へ向かう道。路面電車の通る大通りへと出る。

交差点の角にあったみずほ銀行大津支店の敷地枠の様子。 いかにも銀行という感じ。この建物の右隣に滋賀銀行本店がある。

交差点を過ぎて真っ直ぐ進むと、道が1.5車線になり、 あたりはさばさばとした雰囲気になった。

途中の道別れにて、左の道の様子。奥に浜大津駅が見えている。 おもしろそうだけど、今は琵琶湖へ。

浜大津市民ホール。大津社会教育会館。

  デッキの階段からは多くの人が下りてきている。じゃあ代わりこんどは私が行きますね…。人々とすれ違いながら、展望を楽しみにして階段を上った。上るとあたらしく白い通路が続いていて、展望はないが、もう、その向こうに琵琶湖のもうすっかり控えているのが、はっきりとわかった。高いところに上ったこともあってか、風も渡ってきていた。途中、橋から見下ろすと大県道が走っていた。そして京阪線も走っている。幹線沿いの、港であった。デッキの三叉路まできて、やっと琵琶湖が薄く見えた。やさしい水色をしている。それから独特のいびつさをもつ比叡山。

デッキへ上がって。

琵琶湖が細く見えた。

京阪電車も通っている。

膳所・石山方面を見て。

まっすぐは浜大津アーカスの脇へと出るようだ。

大津港前の風景。

浜大津方面を見て。デッキが長々と延びている。

振り返って。

  琵琶湖と比叡山というと、楽しい遊び場で、大津の夏の季語のようだ。四明岳のあたりに遊園地のあったころは、いっそうそうだった。比叡山 (840m) というと天台宗ということになるのだけど、比叡山・奥比叡ドライブウェイはよく走られるし、さきほど触れた遊園地は、正式には比叡山山頂遊園地 (京福電鉄) と呼ばれていたもので、近年は、主に京阪電鉄が、ガーデンミュージアム比叡、に造り変えて現在に至っている。自動車を手に入れて走りたくなった時代、生活も環境も激変して新しい遊び場が必要とされた時代の築造物だろうか。

  デッキから湖岸まではまだ少し距離があるみたいで、琵琶湖が見え広がる、ということはなかった。すいた駐車場と広い整地の向こうに大津港の新しい施設があり、その向こうに琵琶湖があるのだった。デッキを真っ直ぐに行くと浜大津アーカスに行き着いている。映画館や飲食店の入っている京阪電鉄の施設だ。以前そこには京阪レークセンターがあって、ボウリングやパノラマプールなどを営んでいた。1966年にできたものだというそのことだけで、おおよそどんな雰囲気だったか、察していただけると思う。
  真っ直ぐ行っても大津港より右に外れたところに出るようだったから、いったんデッキを左にとって、京阪電車の浜大津駅の前まで行くことにした。

こっちを進もう。

左に敷地には何ができるのだろう。

振り返って、膳所方の様子。

奥に控えるのは比叡山。

客船ビアンカが碇泊中。

右手の風景。

あの高い建物は最近建ったマンション。

浜大津アーカス。

デッキを振り返って。

柳ヶ崎、雄琴、それから琵琶湖大橋がうっすらと見えた。

浜大津駅前に到着。変な屋根だ。

  駅のところまで来ると、多角形を襞折りにした、妙な形の屋根に覆われたデッキの交差点ともいうべきところに来た。昔からこんな感じの形の屋根で、浜大津というと、この変な屋根が思い浮かぶ。このすぐそばは大津港前の交差点で、市街中心部にかなり近いところのようだった。デッキと浜大津駅の改札は直結していて、数台の自動改札の並びが見えている。その近くでは農作物などを売っていた。
  このデッキの交差点部の階段を下りてみると、薄暗いバス乗り場となっていて、2つの大交差点に挟まれているにもかかわらず、片隅のそこだけは守られているという別の空間のようなところだった。待ち人はまったくいなくて、屋根の外の日差しの照り返しとともに、自動車の走行音や路面電車の響きが聞こえてくる。ここはデッキを使わないと行き着きにくいようなところで、つまりこの地平から好きな方向へは出にくいのであった。少しおもしろいところだ。そういうわけでまた階段を上った。

屋根の下に入って。

浜大津駅出入口前その1

浜大津駅出入口前その2

改札口。

きっぷ売り場前には市が立っていた

名所、浜大津駅前交差点。

屋根の下から見た大津港。

階下はバス乗り場となっている。

 

交差点を地平から見て。

「歩行者は通行できません、歩道橋をご利用ください」  列車の出るところは横断できないことになっている。踏切はないのだ。

屋根下から明日都浜大津のビルを垣間見て。

明日都浜大津。家電屋のコジマが入店していた。

 

  デッキから見渡せるこのあたりは、市が再開発をしていて、明日都浜大津という大きいビルが建っており、店舗や市の機関やマンションが入っている。そっちにもデッキは伸びていて、その上から京都方面を見ると、あの大交差点。これがよく知られている、4両編成の電車が路面を走るの図であった。これになってからも何度か乗ったけれども、こうして見ていると、準急三条行きで東山を越えたことを、おもしろかったなあ、と思い出す。準急は蹴上などのほとんど電停のような、道路上の安全地帯のような駅を通過していった。そういうところに停まるのはボロの80系で、車掌が革鞄をぶらさげて、ぺらぺらの切符に穴を開けて売っていた。扇風機だけで、とくに暑い最中はたいへんそうだった。今では東西線と直通して良くなったこともたくさんあったが、経営は今後どうなるのだろう…。それはともかく、黄色に点灯する矢印のあるこの交差点が、おそらく市街最大の交差点。

左手に浜大津駅。黄色い枠あたりから列車が出てくる。

浜大津駅前交差点を俯瞰して。

列車が出て行った。

デッキは明日都浜大津に直結している。 出入口辺りはちょっとおしゃれな雰囲気をかもし出していた。

振り返って。

琵琶湖側の風景。

大津港の方を見て。

デッキは港まで続いている。

 

 

  うしろに振り返ると、琵琶湖だった。よくよく見ると、薄青色の遠くに、小さいヨットがもういっぱい。帆はどれもさわやかなヨーグルト色をしている。柳ヶ崎のあたりだ。ここからわずか○kmほどだが、水泳場にもなっていて、ヨットハーバーもある。京阪神から近いということで、人気があるそうだ。
 デッキが琵琶湖に向かって真っ直ぐ伸びている。道路を渡るとデッキは終わり、床には4つの方角が示してあった。北は斜め左に傾いている。東の方向は何があるのだろうと考えると、その傾きで横たわる北陸海岸が、ふっと切り出されて浮かんできた。階段を下りる。さら地を歩いて大津港旅客ターミナルへと向かった。以前は浜大津港が正式名称だった。

左折すると港。

膳所方面を望む。

琵琶湖側の様子。

西大津方面。大津港前交差点。

振り返って。

地平に下りた。右奥が下りてきた階段。

大津港旅客ターミナル。

  大津港はいうまでもなく、もう2点間を結ぶ実質的な交通の役目を完全に終えた港で、 今はもっぱら周遊を主とする観光船が発着するばかりなのだが、行ってみると、どうしてだか、そうとばかりは感じられなかった。ターミナルの大屋根の下にはぼけっと一人で船を待つ人や、見送っているだけの人もいて、出札口がずらりと並んでいる。本気で長浜や今津、そして塩津に、行けそうな気がしてきた。そんな長距離ではないが、実は、観光の趣は強いものの細々と片道輸送もしていて、ここ大津港からはおごと温泉港や草津烏丸 (からすま) 半島港に、上下1便ずつ出ている。降りられない周遊とちがって、片道は、繋がれていた紐がふっと切れてその先どこへ行くのか分からない感じだ。

  さて、琵琶湖クルージングといえば、ミシガンということになっているのだけど、これは姉妹提携都市に拠るものだということが、よく知られている。それは二重になっていて、琵琶湖のある滋賀県と、ミシガン湖のあるミシガン州との姉妹提携、さらに、県都大津市と州都ランシング市の提携が、結ばれている。そういうわけで、ミシガン船の上ではアメリカの人が世話してくれるのだが、以前乗ったとき、春先であったこともあったらしく、妙にうら寂しくて、早く降りたくなった。文化が違うから、交流するんだね…。
  それはさておいて、とても特色ある琵琶湖クルージングとして「うみのこ」もやや知られている。滋賀県ではその小学校の5年生になったら、うみのこという船に乗り、1泊2日かけて琵琶湖をだいたい一周するのだ。びわこフローティングスクールという、泊りがけの体験学習。すべての5年生が乗るのだから、航海予定は詰まっていて、基本的に別の少学校と合同ということになっている。事前学習もして、船上では避難訓練やプランクトンの観察、帰還後も、何かするのではないかな。このうみのこの本拠地が、大津港旅客ターミナルの左手にあった。この船は琵琶湖にあるさまざまな港、長命寺港、長浜港、今津港などから出帆するけど、もちろんこの大津港からも出る。よそから見ていると、なんだかうらやましいという意味で、ずるい。一大施策だ。

  大屋根の下や、待合室には、連れ立ってきている人たちがほとんどだった。しかし一人でぼうっと待っている人もいたから、私が闖入しても少しもおかしくなかった。待合室は冷房がとてもよく効いていて気持ちいい。家族連れに圧倒されるという予想はしだいに崩れていった。外のげっそりするような空気の中、大屋根の下の、岸に近いほうでは列が繋がっている。きょうは私もお見送りの側。船が着いたらしく、列が流れだした。ほどなくして、びっくりするぐらいの鐘の音。乗船記念だった。

出札所の建物。

出札所の様子。このときは列のできていることが多かった。

左手に浜大津アーカス、右手の山は音羽山山系。

乗船場・桟橋方向の風景。

はためく万国旗がお見送り。

左手は待合室、売店。

待合所の様子。冷房がよく効いている。

軽食も取れるようになっていた。

斜め右から見たターミナル。

観光バスとビアンカ。

  乗船口はくぐれないから、山側に屋根を抜けた。はじまったばかりの夏のどっしりとした暑さ。観光バスがずらりと停まっていて、中はほんとどんな暑くなっているのだろう。ターミナルを巻くようにして、湖岸へと出ると、やっと視界の大部分が琵琶湖になった。潮風のない、土の匂い、だが潮くさくないのに大洋なのが、妙に気高かった。淡い水色も岸壁辺りでは深そうな色で海の波止場のようにちゃぷちゃぷと音を立ている。侮れないみずうみの一端を見せていた。

船着場の風景。

ようやく湖畔に出られた。左手の高い建物が大津プリンスホテル。

 

 

琵琶湖ホテルの裏側。

暑い盛りだった。

  湖岸を南に歩いていると本日で最も暑くなった。近くの噴水では子供が真っ裸で水に入っていた。ああしないと体温調整ができないぐらいのようだった。その母は、ものすごい光の中で黒く立ちつくし、監視役を務めている。頭が始終ぐらぐらする。アーカスの裏の敷地でボール遊びをしている12,3歳ぐらいの兄弟とその家族が居た。なんとなくしていた悪い予想に事態は傾き、ボールがこっちに飛んできて地面に落ち、歩くやや先の方を、ころころと横断していった。頭がぼうっとする中、ありきたりの展開も疎ましくなって、取れなかったらなお厭だと、そのまま見送っていると、ああ、ほんとうにみずうみに向かって転がっていく、ボールはさもゴルフのホールに落ちるように、岸壁からすとんと落ちた。彼らはボールが飛んだときに、あっ、といったが、そこに立ったままで、どうなるだろうかという気持ちで転がりはじめたボールと、歩いている私の方をちょっとだけ見ていたのだった。でも、取ってもらえると確信した表情でなかったから、自分にあまり呵責を感じさせずボールは落ちていった。しかし、走ったら取れたとは、確かに思われていた。子供らは、ボールがちょうど水に落ちてからすぐ走り出し、走りながらちらっとこっちを見た。裏切ったことによる痛み。何でもない、何でもない、とむなしく努める。彼らはぴたっと岸壁で止まると同時に湖面を覗き込んだ。急いでバットで寄せようとしている。歩いているとそこに近づくことになり、自分も素通りはできなくなって、気重ながら歩みを緩めて覗き込んだら、悪かったという思いが雲のようにわいてきて、一瞬、球掬いに奔走しよう、と思った。でもお前が取っていれば良かったんだと思われながらでは背が焼けつくようだし、鮮度の落ちた行為にふさわしい礼を言われるのも目に浮かんできて、もう手遅れだと思った。やがて若い父母も近づいてきたのでそれを潮に、このことはもうまかせて、無かったこととした。父は、あれを借りてこないと無理だ、などと談義しはじめた。彼はやはりこっちを瞥見したが、母はこちらの存在を無視していた。小学校の体育は、挨拶みたいなものだったのかもしれない。それが抜けた、逸脱せる者に対する、家族の父による蔑見。そんなものも遊子は何でもなく流したり…。
  子供らは、取ってくれるかもしれない、と思っていたに違いなかったが、心と体が動かなかった。つまらないおそれ、でもそれだけでもなくて、水の色が最も爽快なこの時期、それに反していつもばかに暑くて、さっとボールを取って爽やかに返すというのは、なんだか気温の感覚のない、思い出の映像のようだ。他の時期だったらできたかもしれない…でもボールの受け投げ合いになぞらえられえる交信は、いつの季節でも行われ、求められている…。

  その事件は、通り過ぎて数メートルで、何でもなかったことになっていた。つまり、自分は居合せなかったことになっているのだった。柄付きバケツなんかを、港湾施設に借りにいったのでないかしら。そもそもここでの野球は向かない。子供らが走りながらこっちを見たあの視線と、父のあの視線が変わらないものに思えてもきて、あれでよかったんだと思えた。
  短い階段を上って、アーカスの大きい建物のたもとの影に入った。そこはテーブルと椅子のある高床のデッキになっていて、やっと休憩できると思った。しかしところどころ置かれた丸机には、家族一同どっしり席についていて、のこのこやってきた私には居場所がなかった。もう少し奥に進みたかったが、やめた。アーカスの建物の中を覗くと、そこには群れがあった。そう、夏ってこうだった。でもここは日差しを避けてゆっくり琵琶湖を眺められるところだった。近くの販売機で何か買ってここで休んでもよかったが、少し接岸している船と湖を見て、また炎天のもとへと延べた。

アーカス前のデッキにて。

 

琵琶湖が眺められた。

駐車場とマンション群。

  影から出て広い駐車場を見ると、湖畔で見ようと思ったものはもう見たし、帰ろうか、と思い、溶鉱炉を背負って帰ることにした。
  浜大津市民ホール脇の階段を下りて、デッキを下りた。帰りは暑くてしんどくて、そしておもしろくなくて、みずうみのヨットを見たあの気持ちのまま、帰れたらと思った。行くときにすれ違った、階段を下りてくる人たちの表情が解せた。丸屋町商店街の入口のところまで来て、思い出したように入った。

商店街前にて。

丸屋町商店街。

  中は申し合わせたように、その時代が終わったという風景だった。必ず商店街にある金物屋、そして新しく造られた大津祭曳山展示館。ここも昔は、年末になると人ごみで前が見えなくなるぐらい混雑したという。
  途中、大津マートという、店を出し合ったところに入ると、とんでもないことになっていた。奥のほうから入ったのだが、廃業そのままの状態で放置されている惣菜店やほかの店があったのだった。少し前までは天ぷらやらコロッケやらたくさん揚げていたのだろう。寂しい怖さがあった。

電気屋が目立っていた。

低い建物の場合アーケード屋根と建物の間を波板でふさいでいた。

右手は金物屋。

新しくできた大津祭曳山展示館。

大津マート。こちらは表側。

電話番号4桁の広告。

とある店の断面。

人通りがないわけではなかった。

不思議な隙間を見つけた。

店内だったが、これは…。

こちらは表側へ出る通路だろう。

こっちの店舗はまだやっているのだろうか。

戻って。フードショップ大津マートの奥に行き着く通路だった。

路面電車の通りへと出て。菱屋町商店街が道向こうにはじまっている。

  全蓋式の商店街はまだほかにもあるのだが、もう行くのはやめて、路面電車の通りへと出て少し歩いてみることにした。架線と、白熱灯の一灯式信号。車線は、複線の路面軌道の両脇に、1つずつ配されているだけ。電車の走っていること自体は、大正時代と変わっていないわけで、県都としての重みや歴史というのが多分にあるとろこだとよくわかった。10年ぐらい前はこの道路ももっと込み合っていたように思うけど、今は往来がそれほどでもなくて、窮屈な印象も薄くなった感じだった。道の京都方には間近に山が控えていて、それが逢坂山。この街は峠の麓と、港にできた街だった。

大通りを琵琶湖方に見て。

逢坂方の風景。

  京津線の一部が路面電車として走るこの道は国道161号線。山科の方から来て逢坂を越え終わり、大津の街の風景が眼前遠くにさっと現れるころ、この国道が分岐し、そのままこうして市街を貫通しているわけだった。この161号線は敦賀まで結ぶ国道で、西近江路と呼ばれる街道。新疋田駅に降りて駅から歩いていたときに、偶然出合った国道161号線と8号線の分岐、あそこまでは続いているようだ。また、今と同じくらい暑いときに敦賀の街を8号線に沿って歩いたが、161号線はその8号線と重複しながらも、敦賀市街とを結んでいたのだった。

信号前にて。ここを左に入った。

  そのまま山へ向かって歩くと上り坂になって逢坂へと向かい、大津駅からそれるので横道へと入った。家と店が混じる市街地の住宅路。こんな道を真夏に歩いていると、はやく駅に行き着きたくなった。路上の販売機の飲み物にも何度か誘われたが断った。そこを抜けたら本屋になっている例の洋館の交差点で、もうまもなく帰還だと思った。あとは右折して歩き続け、最初のアーケード商店街を通ればいい、でも執拗に坂が続いていて、最後の方はだれた。行くときにも通ったが、薄い坂だったから帰りのことなんか意識しなかった。この気温がいけないのだ。
  この大津市街はなんだか旧市街と呼びたくなるような雰囲気で、全体的に取り残されたところみたいだった。そして、変えようとしても、変えられずにそのままきたという感じもなくはなかった。でも派手な開発を逃れたともいえた。そういうわけで、街歩きにはなかなかおもしろいところとなっている。今度来たら街の北側、長等 (ながら) の方を歩いてみよう。あっちの方が人が少し多いかもしれない。そして、そっちのほうには寂れた夜の街があるのだった。そうでなくても、長等山にほど近いそのあたりは、なんとなく惹かれる雰囲気のあった記憶があった。

京町ガレージの看板。

洋館の交差点。

商店街のほうを望む。

 

 

駅前に帰還。

  駅前に到着。すっかり日の色も疲れていて、青白い琵琶湖の時間はもう過ぎたようだった。太陽も、街も、私もだれている。しかしそのままの足取りで、駅舎脇の、そこだけ緑の多くなっているところから始まっている地下道を通り、裏手へと出てみた。その地上への出方はスロープが四角に螺旋を巻いているのだが、地図ではそれとわからないような不思議な感じに写し取られていたから、前から行ってみたいと思っていたのだけど、やはりただの地下出口で、出ると民家が間近だった。

お堂の脇を進む。改札外トイレはここを入った左手にある。

地下道入口。入口上部には大津の風土が描かれていた。

駅舎裏の盛り土斜面の様子。植え込みが文字のようになっていたが、 何かはわからなかった。

振り返って。左手にお堂、右手にトイレ。

地下道内にはthe b otsuが国道1号線とともに案内されていた。

通路の様子。

裏手に出て。

大津駅裏の風景。

  そこは駅裏だと認知されてもいないようなところで、フェンス越しに駅のホームがぼんやり見えるだけだった。もともと土地も少ないので、こんなものかもしれない。新設の南口改札への階段下り口に、小さくJRの駅名表示が出ていて、そこだけへんに都会風だった。下りると、ひと気のない改札前で、またプエルタ大津の地階だった。吹き抜けで、石造りでひんやりしていて、椅子と販売機がある。人はまったくといっていいほど居ない。そこで水を買って座った。1人女性が休んでいた。その人が立って改札に向かうと、こっこっこっと足音が響いた。休憩にはとてもいい場所なのだが、そのため妙な人がたまっていることもある。 ホテルが入っているからきれいなのだけど、案内板を見ると事務所などもテナントとして入っていた。1人ビジネスマンが改札を通ってきて、不思議そうにあたりを見回したあと、その案内板を見てゆっくりと階段を上っていったり、掃除の人がちょっと立ち回りしていた。

南口改札への下り口。

下りてきた階段を見て。

南口改札。

案内所もかねていた。

南口から見たコンコースの様子。

右手の風景。販売機が並ぶ。

販売機を背にして。

 

大津駅南口入口。

右手中ほど奥に改札口。

  休憩後、国道1号線を見に行こう、と、また暑い外へ出た。見たかったのだ。人も自動車も通らないプエルタ大津前の黒い道から、細々とした歩行者用の道に入って、坂を上っていった。国道は駅よりさらに山手で、ここから見ると堰堤を走っているのだった。東海道本線の旧線跡を利用したものといわれている。

平和堂。

裏から見た大津駅。

振り返って。

国道への上り坂。

渡来人歴史館があるそうだ。

国道1号線、東側の風景。膳所・石山方面。

逢坂、山科方面。

音羽台の信号を望む。音羽台は住宅地。

  これがあの国道1号線。東海道本線や草津線や関西本線の駅に降りていると、よく出会う道だ。ここでは中央がしましまになっている2車線で、東の方はとても賑やかそうな感じ、いっぽう西は峠に差し掛かる手前で、緑が近くなりつつあるところだった。このあたりから東の石山駅のあたりまでの沿道には店舗が密集していて、また、たまに湖岸の街も見下ろせたりして、なかなかいい道だ。大津駅に降りたら、琵琶湖だけでなく、山手の西の方、逢坂の峠へも行ってみたくなる。そこでは京津線が国道1号と併走している。
  西日がきつくて暑くてたまらなかった。さっさと坂を下ると、トンネルがあったのでそれをくぐって駅の表通りへと出た。アルプラザ前の通りで、新しくて落ち着いた感じのビルが多い。街路樹や植え込みもたくさんあり新鮮な気分になった。あの商店街より、こういう道に気持ちが傾いた。

戻ってきて。

国道へ上る道はほかにもあった。川がそれに沿って流れていた。

駅の表へと出る、鉄道線をくぐるトンネル。

トンネル入口付近から見た国道側の風景。向こうに見えるトンネルは国道をくぐるもので、 そこには歩行者専用の標識が立っていた。 駅裏への出入りにはそれ以外の通行が可能な、新しい専用道を使う。

鉄道線をくぐるトンネルの内の様子。ちょうど上下線の分かれ目に当たる。

トンネルを抜けて振り返って。このトンネルも歩行者専用を強調していた。 ちょうど上り223系が通過中。

表通りへと出て。東側の風景。

駅のある西側へと進んだ。植え込みの背が少し高めだった。

 

駅前に到着

 

「ただいま…」

  駅舎前へ到着。「びわ湖、大津に、またおこしください」と書いてあって、遊びに来たんだという気持ちが復活すると同時に、遊び終わったような気持ちになった。
  1回行っておきたいと思っていた大津もこれで終わった。夏の前哨戦のようなものだったけど、さて今夏ははどこへ遠出しようか。しかしこのときは、9月を待たないといけなくなるとは少しも思っていなかった。それでも9月になったら、北陸本線の黄金区間へと向かった。

大津駅─大津の街・大津港へ : おわり


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