渡島沼尻駅

(函館本線・砂原支線・おしまぬまじり) 2009年5月

  がくんと降温した日没前の大沼駅をわずかな時間で後にしたが、予定ではまだしばらくは明るく下車できるということになっているので、さっき来た道を、汽車で北に戻っている。車内の情景はすっかり替わり、座りながら壁や窓に凭れかかって帰宅する人々ばかりだった。こんな路線でも朝夕はしっかり乗っているんだなと思う。
  穏やかなお昼に、こんなところ誰も降りないだろうと思って見ていた、廃屋みたいな草ぼうぼうの駅にも、必ず二三の人が降りていった。そして必ず迎えの車が一台は停まっていた。あれ、この駅は迎えがないのかなと、思っても、列車が進み、見える角度が広がると、一台ちゃんと影に停まっている、そんなことがあった。
  ついに日が落ちて、仄白くなった空に 緑葉の小さな森がひどく悄然としはじめた。何だろうこの寂しさは。いままでの気分がしょげ返ってしまうようだ。 しだいに不安になってきて、沼尻ではなくもっと手前で降りようかと考えはじめたが、行けるはずだと体を硬くした。

  渡島沼尻に着く。まったくもって森の中。ここで降りるつもりだが、車内の通路を前に進むにつれて、席に着いているジャージ姿の高校生らに見つめられる。そして改札する運転士にちょっと考えるような「はい」と言われるのも我慢して、ついに砂利敷きの乗降台に足をつけた。予想通りの寒さ、乏しい明るさ、降りたのは自分以外には一人だけだった。

  また砂原と同じことになった。踏切を挟んで上下の列車が停まるため、警報音が響いているが、共に降りたその太った中学生は意に介さず渡りはじめる。またもやどうしようか逡巡する。渡ってしまうか、ここで待っているか。このままだと二人の運転士から奇特な旅行者に見えるから、郷に従って渡ってやれ、と、急ぎ足で渡りはじめた。すると降りた列車の運転士が私を意外そうに見下ろした。どうしてほしいのかと頭を抱えたくなる。この地の流儀に倣って暗黙の了解のうちに渡ってほしいのか、待っていてほしいのか。降りた複数の人がそうする場合は特にじっと待っているのが間違っているように思えて難しかった。しかしそういう場合は待っている人物は間違いなくよそからの人ということになるな。結論としては、待つべきだという考えに今は落ち着いている。道民の真似なんかやめた。それで速足で渡ったため前の中学生に追いついたのだが、すると、なんだよう、なに? みたいなことを もごもご不満げにいう。警報機が鳴っているからさっさと渡ったまでだ。にもかかわらずそれを侵してぶらぶら渡ってられるなんて相当のんきなものなんだな。ともかく彼はその後も不安そうに首を後ろにふりふりしていた。こんな駅だからというのもあるか。しかしこの人は少ししゃべりが不自由な感じだった。迎えの車はない。人家が遠いタイプの駅だけに近所というのは珍しいな、と首をかしげた。

 

あれが駅前へ出る道。

 

  汽車は互いに行き違うと、期待通り、私がここに来る前にあっただろう閑寂を取り戻した。夕日を失った 薄明のぼんやり散光する空のもと、姿は全く見えないのに、聞き慣れないさえずりだけが響いている。どうにも奇妙だった。「いやしかし本当にこんなところがあるんだな。恥を圧して降りてきただけのことはあった。」と咽頭が締まる。ふだんはこんなさびしい音空間なんだ。それだけにか、さっきの彼は賑やかに警報鳴りエンジンを轟かす気動車のまだ停まっているうちに、左右なんかまったく確認せず大手を振って一人で歩いて踏切を渡り、帰り道につく。 急ぐということを知らないような日々の繰り返しなのに、突然速足で渡る人などが現れ、まったく理解不能だったのだろうと考え至った。

当下りホーム。

鹿部・大沼方を望む。

千鳥配置のホームがいかにも信号所。

傷んだ枕木。

 

 

構内踏切。

振り返って。こちらにも道があった。駅裏に当たる。

また後で行ってみよう。

上りホーム。

森・長万部方。

上り方。

ふつう踏切の入口といえばもっとものものしいが…。

保線小屋。これが駅舎ということになっている。 この入口からは一般の人は入れない。間口が新しくされていることからまだまだ使うつもりのようだ。

あの森の先の道が気になる。

車掌のお立ち台風の台。

 

 

 

鉄路はひたすら森林地帯を往く。

函館方に見た駅構内。

渡島沼尻駅駅舎。

これは新設されたもの。

待合室内にて。

 

その2.

駅舎前の広場はこんな感じ。

  天然というより、人為の林から山の空気がしいんと漂い、緑の匂い、夕冷え、心細い残光、そういう中、歩くたびに足元で砂利がやかましい音を立てる。「でも速足で変に思えるって、横断歩道の渡り方もそうだが、ここじゃ左折車を好きなだけ待たして渡るんだから、いや自分の地元なら一縷のぶれもなく100%人を怒らせるだろうな。これだけは よう真似できないね。」 緊張しているのか、そう不平を独りごちて平衡を取っていた。「さっきのやつもうおらんかな。やつっていうのも悪いけど。いない、みたいだな。しかしここらのどこの家に入ったっていうのだ。」

  端的にいうと、もと信号所、保線小屋の空間をごく一部をおすそ分けするように、2人も入れば窮屈な待合室が造りつけられただけのところ。
  しかし掲げられている駅名表示は新しく、旅人に配慮したのかと思えた。トイレもあり、我慢していたので、そうだ暗くなる前にしないと、と気づいて軋む戸を開けたのだが、真っ暗で落とし穴。スイッチを入れても点かない。凝然とした自分の背後では、奇妙な鳥の鳴き声(ね)が薄明に甲高く響いている。もう、トイレはなかった、ということにして、踵を返した。

その3.

4. 右手がトイレ。

壮絶な雰囲気。写真とは異なり実際はもっと暗くてウエット。 しかし地元の方などが掃除されているよう だからそんなことはいってはいけない…。

駅から出る道。

  それにしてもひどいところだな。どんどん暗くもなってきたし。腕時計を見るともう18時だ。ほんとにまともな道に出るのか、と疑心募らせつつ砂利道を歩くと 案外ころりと本道に出た、だが道はずっと向こうまで ふたうねりくらいしながら低木林を突っ切っているきりでなんもない。木々に隠れているだけで一つか二つ 人家が、あるのかな、試しにと近づいて佇み、耳を澄ましてみたが、物音はまったく聞こえない。あたりは闃としていて、心おきなく耳を澄ませられ、また耳孔が自然に開いていくほどだった。家は電灯も点いていないから居ないのだろうけど、戻ってくるとしたら、いつ、どんなふうにしてだろうと考える。鉄道ではなさそうだし。もしかしてさっきの彼は、隔離されるように こんなところで一人暮らしさせられているのだろうか、そんな暗い時代の考えも起居する。ともかくこんな開墾されきらない裾野を紅海の奇跡のように道がひたすらまっすぐ切り分けるとあらば、先がわかるだけに歩きようがない。ほかの分岐に進んでも よく似た風景ばかりで、どこを歩いているのかわからなくなりそうだった。
  駅のすぐ近くに日曜大工ふうの神社と木造の会館は、取り巻く雰囲気のせいで気味が悪いが、ここを開拓した人々の拠り所だったに相違ない。元から北海道は寺社仏閣がなかったから、ことにこちらの信仰を保持した人たちは、参詣することも、想いを馳せることもできなかっただろう。

本道からこの駅に入ってきたときの光景。 信号所としてここに汽車が停まっているのを見ていた住民の人々が 旅客の扱いをしてほしいと思うのは自然なことに思われた。

 

人工物が珍しく思える。ハエを捕る容器?

 

本道に出て。鹿部方。

砂原方。まーまた何もない…。

二ツ山朝日神社というそうだ。

開拓会館。

会館前広場にて。

同報無線の屋外スピーカー。 災害の情報を流したり、時報やその他、村の行事などを広報するもの。 こういう放送を一度も耳にせず育った人も多そう(自分もそう)。

このあたりは二ツ山町内というらしい。 ぽつぽつと「○×宅」というように実名を挙げて記されている。 また一軒一軒の敷地が広いのだろう。

鹿部方。スピードがついつい出てしまいそうだ。

駅、会館方。

子供飛び出し注意って…。しかもこの看板の打ち付け方。

 

この付近にこんな看板がたくさんあった。

砂原方。

左行って右に入ると駅、という地点にて。

20年前は未舗装だったいうことか。

海方。

こちらの方はこの先家がありそうな雰囲気だった。

駅へ戻って。

5.

 

 

 

 

  歩きようのない表側を後にし、信号所に戻り何かあるのが見えた裏手に回った。もう暗くなるから急がないといけない。
  気持ち悪いのを押して夕闇の林をくぐりぬけると牧場で、遠くにサイロやマンサードの石造りの家が見え、「なんだ、思わぬところにひと気があったじゃないか。きっと家の中では暖炉なんか少し燃やしていて暖かいんだろうな。ところでここはもう私有地のような感じがするが、どうもないかな。いきなり射殺されたりして。けれども本当に開拓という感じがする。通俗的な爽快さのない、林に囲まれた暗い感じの、こんな牧場を見ると。」 まだ公道だろうね、と気にしつつも歩いていく。「しかし家畜が見当たらない。別のところに移しているんだろうか。いやそれもありそうにないな。何かへんだね。」 ようやく家がはっきり見えるようになり、よくよく観察してみると、おかしい、もしかしてもう住んでいないかもしれない。サイロも壊れかけている。えらいことになった、とびっくりして、それはもう急いで元来た道を戻り林を抜け、停車場に戻った。

行ってみよう。

この辺りは意図的に作られた森のようだ。 鉄道林とは暴風や風雪を防ぐために造られる森のこと。

まさか駅裏にこんな風景があったとは。

牧場だろう。

 

 

駅へ急ぐ。

 

 

  ホームの水銀灯に照らされながら「もうやってないんだな。たぶん。それもそうだ。」。 どきどきいう胸を抑えて、信号が赤のままの踏切を渡り、待合室へと赴いた。開拓というのは聞こえはいいが、その実どんな悲惨だったのだろうか。あの住居案内図に家の名が今記されていることは、たいへんな名誉なのだろうか。
  もうとっぷりと日も暮れて、待合室は蛍光灯が暖かに木壁を照らし出ている。寒くて外では待っておられない。

 


 

 

  待合室に入りまず椅子に鞄を置いて、引き戸を閉めようとしたら、建てつけが悪く固くてきっちり閉まらなかった。おかしいな、と思う。外から開けるときは固くなかったはずだ。もういっぺん外に出て閉まり具合を確認し、そして内側に戻って試すと、やはり内側からのみ、閉めにくくなっていた。変なこともあるもんだ。
 
  椅子にどっかり腰掛け、
  「あーあ、とにかくこれでほぼ予定は終わったな。明日は離道か。」
  長いようで短かった。青森で寝台を降りて白鳥に乗り、木古内で普通に乗り換えて何回か目の下車で、夕方泉沢に降りたとき、いちばん疲れていた。本当にうまくいくだろうかと訝しがった。そしてあの桂岡駅。あの一夜がいちばん効いた。今旅で最も状況が悪かった。でもあのときあれを越えたら自分の旅が開けるはずだと確信したが、それは間違いなかったな。

  座ったら背中も目の前も壁という待合室にはなんか関東の初乗り切符が押しピンで貼ってあり、それ一枚でここに来たといいたいらしい。無人駅の集札箱から取り出した切符の調査で鹿児島初乗りなんかあって、駅長が昏倒する、そんな場面を想像して、退屈な待ち時間を寒むがりながら腿さすって過ごした。
  壁にあった落書きなんかを読んだりもして時間を潰す。その中に大学生のいいのが一つあり、
  「車内にトイレがないばかりに、こんな妙な駅に降りることになってしまった。函館の夜景でも見ようと思ってたのになあ…。21時まで待つつもりはないので、とりあえず森方面に行こうと思います。」
  北海道だからかこんな妙な駅でもその人に驚きはたいして与えなかったらしい。お腹をゆるくして汽車を降りるなんて予定が丸潰れだが、なんだか人間の宿命みたいだ。待ち切れず望まざる方向の列車に乗ってしまうというのも、とてもフリーきっぷらしい感じ。私も今夜は南下するつもりだが、先に来る森行きに乗るつもりをしている。自分もあんな純粋な作為のない旅をしてみたいなと思う。ほぼすべて意図なのに偶然に見せかけているのは、元から邂逅の乏しい旅をしているからなのだろう。しだいにあの落書きさえどうしても作り話に思えてくるあたり、嫉妬もしているらしい。本当の話ならば、へんな思い出話として笑いと共にこの駅はその人の口からこぼれてくるだけなのだろう。何も語らず残さず、それだけの話として。

  汽車の時刻の15分前になって、荷物を持ち上げて待合室から出た。サッシの戸を閉めるギジキシいう音を、水銀灯のさらさら舞い降りる闇に響かせ、冷気で首の肉を寄せて。待合室の中は暖かそうに灯りがともっている。それがガラス戸の向こうになった。「なんかすごい人の気配がするな。あの向こうだけ。」 自分の居た気配、だけでなく、こんなところをわざわざ訪れたいろんな人々の気配かもしれない。どの人もまたこんなふうにあそこで時間をもてあまし、去るときには荷物担いで戸を閉めて、こうしてホームまで歩くのだろう。自分は変な人だと思えたけど、列車に乗るために戸の音をキイキイ立ててのりばまで歩くのは、それもそれだけの話として純粋なものに捉えられつつあったようだった。

 

 

 

  暗くていやだが、乗り逃すわけにはいかんから砂利だけのホームにじっと立って待つ。サッポロビールの駅名表示を釘付けした木柱といっしょに並んで。椅子なんかない。寒くて身震いする。
  変な音が聞こえる。掃除機をかけているような音が断続的にするのだ。上から聞こえたが そんなわけはないので、あの廃牧場からしかない。気持ち悪いな。しかしこんな闇の中、近くで掃除機の音が聞こえるのはおかしいと思い、真剣に我慢強く幾度も聞き耳を立てたら、上空で音と共に黒い影が飛ぶのが一瞬、見えた。まさか鳥…。こんな音のする鳥なんか知らないよ。

右:駅前方

 

  しかしこれで裏手の廃牧場などに襲われる可能性はなくなった。でもこんなところで夜に一人汽車を待つなんて野性動物も出るだろうしまったく危険だよ。しきりに手首を目にかざす。この時計もどんなところでも一緒だな。こんなところでも、か。時計が遅れているのか時刻になっても、北海道らしい、あの見えないうちから森を縫う汽車の音が聞こえてこない。「あ、そういえばこれ、1分と少し遅れていたんだ。」 1分と半分ほど経って、時間の長いのを感じていたとき、突如 踏切だけが、汽車の気配はまったくないのに、この静謐に烈しく亀裂打ち入れた。さっきに見に行った、林の向こうにある真っ暗な洋館の電燈が、いっせいに灯り、光を散らす想像に襲われた。いや、そうなってほしかったのだろう。このあたり一帯に生気を、繰り返される警報がふいごのように必死に送り込んでいる様相は、これが蘇生する最後の機会なのだ、と、傍観している自分を厳しく責め立てているかのようだからだった。だが、周囲は何一つとして、変わらなかった。死せる者が死せるままであるように、闇は闇の塊のまま、カーブの向こうからの微かな光気からはじまる、その燦爛たる救いのヘッドライトを従順に受け入れるかいなかは、その人次第、そんな光景だった。
 さて運転士にどう思われるやら、と思いつつも、怪しまれぬようしっかり立って汽車を迎え打つ。目の前に窓の開いた運転席と鋼板の車体が、飛び跳ねるようなエンジンの鼓動と共に差し出された。

函館本線へ

  降りる人はなし、乗るのは私だけ、ところでこの運転士、何か変だった。私が乗った瞬間に戸を閉めたのだ。そのため自分の背のすぐ後ろが、閉じられた扉となった。たいていは最後の客が乗り終わって3秒ほど経ってから閉めるようにしているはずだが。
  車内は蛍光灯が明るく灯り、ジャージの高校生らが歓談していた。ここの子らは派手にしゃべりまくるのですっかり学生専用列車みたいになっているのだが、このときばかりはほっとした自分が意外だった。それで沼尻駅の立地と森の夜気のいかほどかを思い知らされたのだった。そして何だか会話も聞いてみたくなる心境。たわいない内容だが、並列な立場で気兼ねなくしゃべれているところに学生らしさを感じた。いや実際はそんな並列な気持ちでもないのだろうか。
  線名にもなってる砂原ではわりあいたくさんの人が降りた。といって駅前は販売機すらないが。
  前に座っている学生の一人が、掛澗で降りるという。とりあえずそれを確認した雰囲気で、夢中になって科目のことや、今この場にいないクラスメイトのことについて、数人で互いにおもしろおかしくしゃべっていた。掛澗に停車。談笑は高まるばかり。あれ、降りなくていいんか、と私はその子を見るが まるで気が付いていない。ふいに相手が、「え、お前どこで降りんの?」「掛澗、次でしょ。」「あ、次か。」と相手は思いにもよらず素直に納得したが、しばらくしてもうドアも閉まりそうなころ、おもむろに首をひねって窓を覗き、「おいここ掛澗だぞ」「え! 」 互いにおどけた笑い、それでも「じゃあ」を返し忘れず、その子はドラムバッグ持ち上げてデッキへと急いだ。もう閉まるよ。デッキの様子は窺われないが、運転士とはなにやらひと悶着あった感じ。しかしこんな本数の少ないところで降り逃したらと思うが、実際のところは次の尾白内あたりで降りて「行き過ぎていま尾白内におる、こっちまで来て」で終わりなのだろう。そして、あほやな、どんくさいな、とも言いなされず、まったくごく普段のことのように扱われる、そんな様子が思い浮かぶ。
  尾白内あたりからはもう人家も多くあり、砂原までの無人の様相は無に等しい。そして駅間も短かった。東森に着くと、強烈な橙色の街灯に家々の屋根が照らし出され、 さびしい沿岸部らしかったが、人心地はかなり高くもあった。ああもう砂原支線の旅も終わって森という名の街に着くんだなと思う。旅を惜しむ心地がした。

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