千旦駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(和歌山線・せんだ) 2007年4月

  紀伊小倉を去った列車は、あいかわらずまっすぐに走る。船戸を出てからは直線ばかりで、もうあとはひたすら和歌山市街に向かうという感じだ。しかしその距離は短くない。
  やがて布施屋駅に到着した。様子は二月ほど前に降りた時となんら変わらないのだけど、割りと格のあるその駅舎は、今105系の車窓から見ると、どういうわけかすこし軽く見える。あのときも今と同じちょうど夕暮れだった。違うことと言えば、あのときは、めっぽう寒かったということだ。冷たい湿気が、駅舎に染み込んでいるようだった。
  まもなく千旦ですとの放送が流れた。もうやめておこうかとも思った。 しかし停車の直前、なんとか前まで行って、下車。

  最後の駅に、列車は私を降ろして走り去った。降りたら降りたで気もらくになって、くつろいだ気持ちになった。夕映えの時間だ。またもやホーム一つきりで、周辺は真っ平らの灰色の畑である。一部、蜜柑の果樹園が広がっていた。桃でも柿でもないところが、海側に近づいた感じだろうか。遠くの里山も、やはりほとんど樹林帯だが、後で地形図を見ると、麓だけが果樹林となっていた。
  ホームのちょうど前にも灰色の畑が広がっていて、その向こうは家並みだった。 待合所に座れば、これを眺めながら列車を待つことになる。ここをいつも使う人なら、いかにもこの畑で季節感を得そうだった。もっとも、もはやこれまでという姿かもしれないが。

ホーム和歌山寄りから岩出方面を望む。

ホームの前の風景。

駅名標。

待合所の様子。

待合所前から見える風景。

待合所付近からは一部みかん畑も見えた。

ホームからよく見える里山。

この緑の柵がちょっと駅らしくない感じだ。

ホーム岩出寄りから和歌山方面を望む。

レールは和歌山方面にまっすぐ伸びる。

  ホームを和歌山側に歩いて駅を出た。スロープを降りると、ビニールハウスにぶつかる。ここで、えっ、と息が詰まった。道は二つ。まっすぐのは、ビニールハウスと鉄道敷地の隙間を行く道で、人一人通る幅しかない土の道。もう一つは左の道で、 未舗装の白っぽい道が伸び、しかしそこも、車で入れるかどうかわからないという道だった。つまり、この駅、自動車の通れる道が駅の近くにまったくない、 畑に囲まれた駅、ということになる…。むりやり駅を後から新設したようである。

券売機。

駅出入口の様子。

奈良行きが入ってきた。

千旦駅を後ろから見た風景。

駅出入口からまっすぐ伸びる道はこんな道。

  駅を出て左に伸びる白っぽい道の方には、自転車が倒れたりしながら駐まっていた。 やはりまっすぐ伸びる道の方が、おもしろそうだ。この線路脇を進もう。途中かなり狭くなり、細いなあと独り言しながら歩くと、千旦という踏切に出たが、その踏切の道も、自動車通行不能であった。私は、これは、なかなかすごい駅を見つけたぞ、と内心ちょっとよろこび、それにしても街に程近い駅なのに、こんなこともあるんだな、と神妙になった。踏切の道は、密集した民家を貫く径だった。しかし、道の紀ノ川方向は開けていて、 歩いていくと、その道中からは、千旦の駅のホームが畑越しに見渡せた。それより先、大きい道に出ているらしいのを見て取ると、もういいや、と帰り道を踏んだ。下兵庫駅のことをまた少し思い出す。あのときは南に紀ノ川があったが、ここでは北になっている。岩出を出て、渡河したからだ。和歌山線の駅にこうしてこまごまと降りているのに、少しも歩かずに見える西笠田の駅からしか、紀ノ川を見ていない。 何をやっているのだろう。しかし、今度、田井ノ瀬駅に降りたときは、紀ノ川を見られる時間を取れそうな気がしている。

例の道の出口の様子。

南の方向は集落の中を細々と通っていた。

踏切から千旦駅が見える。

千旦駅と高積山 (237m).

千旦駅。中央右よりの頂点が城ヶ峰 (255.4m).

畑と千旦駅。

駅を背にして。信号機が見えた。

踏切に戻って。

駅へ向かう道。

  もと来た道を戻る。小さい踏切を渡りきるちょっと前に、 線路沿いに細道がはじまっていて、そこに入り込む。 線路内とその細道の境になるフェンスに、線路内立入禁止、との看板が掛かっているのだが、ちょっと笑えた。だってこの踏切から、細道に入る少しの間は、鉄道敷地内を歩くように取り計らわれているのだから。しかしこの道、所有者は誰なのだろう。途中いくつか上を赤に塗った境界柱があったが、わからなかった。それにしてもあんな二つの道しか繋がらないところに駅を作るとは。
  やがて広がる感じのところに出てきて、さっき降りた駅へのスロープが始まる。もちろん駅への案内板などいっさいない。しかし、電話ボックスがあるのだから、なんとも頼もしいものだ。
  ホームにはすでに4人ぐらいの人が座って待っていた。ひとり60代ほどの女性が神経質な顔をしながら、椅子の端に座って、煙草を喫んでいる。畑地の只中にある駅。畑を喫んでいるようでもある。った。その人の表情が、畑地に救われていた。こんな駅もあるのか…。
  湿舌によるらしいたいへん薄い雲が、夕日をわずかに弱め、西空は帯状の橙明になっていた。まもなく、2日間にわたる駅廻りの、最後の駅から離れる。もうそろそろ列車が来るはず。さあ、あとは和歌山まで出て、それからは阪和線快速に座ったきり動かず、大阪あたりまで出ればいい、と、帰り道を楽しみにした。

阪和線に乗って

  千旦から、やや混みあった列車に乗った。やがて田井ノ瀬に着く。ゲートだけである。それからもあいかわらず直線で走りつづけ、もう不思議なくらいである。
 しかし高架下を二度ほどくぐるころになると、気もそぞろになった。市街が近い感じなのだ。そう感じながら、車庫に見入ったりしているうちに、和歌山駅到着のアナウンスが出た。左カーブに入ると、ああ和歌山駅構内に入っていくんだな、とわかる。椰子の木を見ながら、列車はゆっくりと和歌山駅のホームに入線。和歌山という駅がいやに大きく思われてくる。着いてドアが開くと、人がどっとホームに出た。
 「ご乗車ありがとうございました。和歌山です。」
 紛れるようにして地下道を歩き、紀州路快速の着くホームへ行った。列車までに十数分ある。何か買いたくなったが、疲れてKioskやラーメン屋を覗いただけだった。
  入線してきたこの駅始発の紀州路快速に乗った。しばらくたっても、がら空きのままだ。この前、布施屋の帰りのときもそうだったから、たいていこうなのだろう。この時間帯に混むのは大阪から和歌山に来る、これと逆方向の列車だろう。ぽつんと座席に就いて、ホームを眺めていると、また買い食いしたくなった。しかし何もすることなく、車掌の放送によって発車までの時間が短くなっていくのを、実感するに任せることになった。やがて、まもなく発車との静かな放送が流れると、列車はドアを閉じて出発。それから先、泉南に出たところまでは覚えているが、あとのことは覚えていない。まだ外が明るいころ、車掌が何か言いながら通路を歩いてきたとき、ふっと目を覚ますと、涎を流しながら虚けたように寝ていたことに気づいた。おそらくそんな感じで、私は天王寺まで運ばれていったのだろう。隣の人はなんでこの人こんなに寝るんだろうと思っていたかもしれない。
 天王寺に着いたころには、もう真っ暗になっていた。頭端式ホームには、多くの人が流れている。避けるように阪和跨線橋に上ると、この跨線橋を使うと便利である乗継列車の発車の直前で、人の流れのしっぽが下り階段に吸い込まれるや、その跨線橋に不思議な静寂が顕れた。天王寺にもこんなところがあるのかと思われ、思わず私は佇立した。

おわりに

  これで長かった桜の桜井線・和歌山線紀行も終わりだ。私が至らず、つまらなさ過ぎて悶えた人もいるかもしれない。もともと訓練の意味も込めて、こんな計画を打ち上げ、初めて2日続けて、朝から夕方まで駅に降りつづけるというとんだことをしたのだった。 はるばる遠出して、こんなことをしたいのなら、興味があるというだけでは、なかなかうまくいきそうにない、やはりある程度訓練が必要なのだろうな、と考えてのことだった。このときのことを振り返ってみると、まちがいなくこの先の礎にはなったと思う。
  桜井線も和歌山線も地味な存在で、注目する人もあまりいなさそうだが、 それで反って奮い立てたとも言えそうだし、いい題材だったともいえそうだ。けれど実際、いいところがあって、それを見つけられた、と自負してもいいのではないかな、と思っていたりもする。もっとも、すべての駅を知ったわけではないけれども、数々の木造舎をはじめ、駅からの奈良盆地、紀ノ川、そして山々の風景などから、これらの路線のよさの一部でも、お目に入れることができたならば、この紀行も、その意味においても了とすることができるのもしれない。

沿線民と鉄道員のバトル?

 実は私は無人の西笠田で桜を堪能したあと、券売機を何度も「おかしいなぁ」いいもって調節していた爺さんの鉄道マンと一緒に乗車することになったのだが、彼は1両目の後ろのドアあたりに陣取りはじめる。しかも客を監視しているように顔が怖く、正直、「なんでこんなところに立ってるんやろ、じゃまやなこのおっさん」と思っていた。
 そのあたりには私を含め、立ち客が五六人いた。というのも座席はほとんど埋まっていて、がらがらというわけではなかったのだった。
 名手駅に着く。いつものように後ろのドアも開くが、そこから学生が一人降りたらしく、向かいのドアにいたその制服の老士が青ざめて「もし? もし? 降りるの? 降りるの?」 といいつつ私らを押しのけて外へ出ようとする。そして当人の片腕を掴んで「切符は?」とすごんだが、そう言ったときにはもう、よじれた腕でなんとか入鋏済み乗車券が突き出されていた。つまりこんなことをしなくてもすんだわけだが、前から降りなあかんやん!と捨て台詞を吐いて体面を繕って終了。
 けれど車内はの雰囲気は最悪である。恐慌に対する腹立ちや敵意だろう。中にはわざとなんでもない風な顔を、明らかに苦労して繕っている人もいたが、そうして無理を強いられていることには、本人は目を瞑っているか、真のレジスタンスである。運転士はぼさっとこちらに顔を向けながらも、いかにも老士に同調するかのように目を細めて不満を表していて、かなりの役者であった。列車が動き出し、ロングシートの旅客を両脇に差し置いたかのようなまっすぐな通路を、その老士は歩いて運賃箱まで行き、その乗車券を運賃箱に入れる。通路を歩いているとき、まわりはまったく視界に入っていないかのようだ。
 粉河に着いて、放送はすべてドアから降りられるとあったのだが、みんな怖がって前からしか降りない。もはや異様である。もちろん例の老士も先頭に陣取っているのだが、しかし今回は車内の運賃箱の前に立ってありがとうございましたといっているだけだ。粉河は今の時間有人なのだろう。しかしその制服の人もここで降りるようで、「こいつと一緒か!」と思う。しかし彼はぞろぞろ階段を上る客らの後ろからその人も付いてきて改札口まで来ると、先に着いた客らが改札口の無人を確認して集札箱に切符を入れるのを、ただ、ありがとうございましたと言いながら見送る。

  もうなんのことだかわからなかった。たぶん以前に出し抜かれたので監視していたのに、自分の目の前で後ろから降りられ、挑発されたと思ったようだ。しかし降りた当人はまったく、この老獪駅員が陣取っていることに気づいていなかった。
 ところで、それにここは今の時間まず有人のはずなのにこうして、ほら、無人になっている。それは、この制服の人こそ、昼からここの駅員を務める人だったからだ。 つまり、彼は粉河駅の駅員…。西笠田の券売機で手間取って時間に遅れたらしい。

 なーんや、ほんま人騒がせやな、と思うが、だいたい謎が解けて得心した。あんまり変な人やったら、いっぺんいうたろか、思ったのだが。
 ちなみに、私の前の若い男性がその老獪駅員にかなりの遠方からの整理券を渡し、支払うべき運賃を訊ねた。すると「ちょっと待ってね、今窓口開けるから。」といやに優しく言って、私の方は目もくれず慌てるようにして鍵を開けて中に入り、まず出札口だけ開けて準備しはじめた。私もいちおう待っているのだが、それからもうなっかなか出てこない。男性客もすっかり手持無沙汰だった。運賃調べほかの客にさせてたみたいに運賃箱に入れさせたらええやん思うんやけど。

 和歌山線沿線には反骨心があるらしく、そのせいで敵愾心と猜疑に満ち満ちた鉄道員とささいなきっかけでバトルになることも珍しくなさそうだが、こんなのにもまあ和歌山らしいな、と思いつつ懲りずに乗ってみてほしい。

桜の桜井線・和歌山線紀行 : おわり