島ヶ原駅

(関西本線・しまがはら) 2006年8月

  夏の夕日は沈むのに時間がかかるんだ、と今さらながら固唾をのんで車窓を見ていた。
  大河原駅から再び列車に乗って、午後6時ごろ、島ヶ原駅に着いた。運転士は列車を気動車らしくきっと止めて、パネルの何かを確認する。確認し終わるととさっと振り返り、下車しようと列を作っている人たちに改札を始めた。しかし振り返る前に、透明板に定期券をどんと押しつけて出ていく人もいた。結局ここでは10人ぐらいの人が降りた。下車した人たちは、まっすぐ階段まで行き、屋根なし跨線橋を渡って、木の駅舎を門のようにくぐって、駅を離れていくように思えたが、8人ぐらいの若い男女たちは、飲み物を買って駅前の広場でしばらく声甲高く戯れていた。中国語の会話が飛び交っていた。さっき降りた大河原駅までの列車の中でも中国語の会話がよく聞こえ、すさまじい肉体の男がその国の新聞を読んでいたから、その人たちもここで降りたのかもしれないなと思った。
  駅前では、女性はきゃっきゃ戯れているのに、男性は大木が歩くがごとくで、同調しなかった。彼らが、そうやって群れるとも散るともつかない形で離れていってからも、しばらくの間は中国語の音が耳に残っていたし、彼らが駅から離れて帰ってゆく光景が強く印象に残っていたから、その光景の不思議さを感じつつ、駅の建物を眺めることになった。この国における村の駅、という趣きの木造の駅舎から帰途に就く中国語を話す人々、それは新しい村の姿に思えるものだった。

立派な瓦屋根の平屋の駅舎 降り立った「伊賀上野・亀山方面ホーム」(上りホーム)から見た駅舎。

2線の間の敷地に並べられたプランター 中線跡の花の咲いたプランター。

ホームの端付近の古いコンクリート面。ホームの左端は木々か生い茂っている。右手に線路。 伊賀上野・亀山方面を望む。 ホームの端は舗装されておらず、優しげに草が茂っている。誰かが刈ってくれたのだろうか。

濃い小豆色に塗りなおされた扉や窓のない開放式の待合所。 伊賀上野・亀山方面のホームの待合所。濃いあずき色に塗られている。

白い板に黒い字で到着前、出発合図、出発中それぞれの安全確認事項が3つ位書いてある。かなり古そうなもの。 待合所の軒を支える真中の柱にあった表示。 出発合図に通票が含まれているから、タブレットを使っていた時代のものだろう。

立派な日本の瓦屋根の駅舎を上りホームから見て。  

  列車の去った真茶色な構内では、植えられた花々がよく映えていた。とくに中線跡にプランターは、すぐに気がつくものだったし、ホームの花壇にも、保護用の黒ビニールの穴から顔を覗かせた花があった。蛇口にさした巻き取りホースが放置されている。この日照り続きを慮って、誰かが水を遣っていた。
  駅裏では、少し遠くの雑木林へゆるく登るように、田畑が続いている。気付くとその赤光の中、草刈機のエンジン音が響いていた。同時に刈り取った草を燃やしているらしくて、随分けむたい。その人は顔をタオルで巻いて、麦藁帽子をかぶっている。この時間になってもまだまだ暑かった。

つつじの植え込みと水色の巻き取りホースと膝丈ぐらいのささやかな碑。 「駅を美しく・花いっぱい運動 平成4年7月吉日」の碑。 島ヶ原村勤労者協議会・島ヶ原村商工会婦人部。
この碑の通りなされている駅だった。

左の斜めに4つの立て看板を見て。看板の足元には黒ビニールで保護された穴のある花壇。 立て並べられた宣伝板。島ヶ原温泉のものがひときわまぶしかった。

木の葉陰に隠れた大きな看板と、すぐ手前にある割とこじんまりした名所案内の看板。 名所案内と「歴史のふる里を訪ねる10ルートのスタンプラリー」の案内板。

ホームに二本足で立っているJR西日本式の駅名標 駅名標。国鉄サイズではなく。

夕日の中の草茂る田んぼ。先には低い雑木林。 ホーム裏の様子。

細い電柱に取り付けられた縦長の駅名標 縦長の駅名表示「しまがはら」と田んぼ。

真中が幅広く開いた2線が真近にカーブして消えている。左には真新しいコンクリートの土台の家が2件見えている。 ホームの端から、加茂・木津方面を望む。

水色地に太い白い字と赤い字で書かれた横に長い大きな看板 向かいのホームにあった、「複線電化でつなごう、名古屋⇔大阪」の宣伝看板。 関西本線複線電化促進連盟・島ヶ原村、とある。

  降りた人たちがどしどし昇っっていた跨線橋に一人でゆっくり昇った。そこからの風景はこの村の全貌を想像させた。重たげな甍の民家だけでなく、伊賀らしく低い丘陵地がもこもこと広がっているのがわかり、また一方では野原のように何かが広がっていた。車窓からはわからなかったが、ここにおいては少し突飛な県境の大きな山があり「こんな麓を走っていたんだ」と、降りてみて初めて知った。そして自分の乗っている列車がそこを走っていく様子が思い浮かんだ。というのも、1両ないし2両の気動車は、新しいくせに壊れそうなエンジン音を唸らせつつカーブし、丘陵地や水田のすぐそばをがちゃがちゃ走るのが主だったのだった。

真中に焦茶色のバラストの目立つ構内。旧3線式で、中線が取り払われている。左に回廊つきの駅舎と下りホーム、右には上りホームとホーム上の緑の木 跨線橋から構内を見渡して。木津・加茂方面(下り)。奥に貨物側線があった。

少し遠くで2線が1線になっている。ずっと遠くには県境の大きな山がうっすらと見えている。近くは緑が多い。 跨線橋から伊賀上野・亀山方面を望む。

小規模に広がる住宅地の向こうに低い山地。 跨線橋を駅舎に向かって降りる直前の風景。 丘陵地がが広がっている。あの向こうが旧上野市。

焦げ茶の柱に支えられた日本瓦の軒下。軒下の駅舎入口の両脇にはそれぞれ分別のための3つのステンレスのゴミ箱と木製のベンチが置いてある。 駅舎。右の白い新しい立派な建物はトイレ。

人ふたり分ぐらいの間口の両脇にはステンレスの柵のようにものが手すり代わりに設置され、間口の左にはスタンプ台ときっぷ箱がある。 駅舎入口。

JR西日本島ヶ原駅の歴史の説明 スタンプラリーのスタンプ設置場所一覧 スタンプ台の説明。スタンプラリーの起点はここ島ヶ原駅に設定されている。

  ホームに突き出ている駅舎の低い軒下に、温泉の案内やスタンプ台が、仲良く置かれている。このスタンプ台の説明によると、この駅舎は旧関西鉄道時代からのものであり、昔日の面影を残しているという。どおりで今ではもう造ってもらえなさそうな瓦屋根のいい駅舎なわけであった。なお、村内をめぐるスタンプ帳は一冊200円で駅事務所で交付してもらえるとあった。
  どうも軒下が歩きにくいと思っていると、駅舎とホームの間は全面的に急なスロープになっていて、これは紛れもなく汽車時代のホームを現在の気動車に合わせて嵩上げしたもの。雨のことを考えて、駅舎とホームの間には溝が作られてあった。
  出札口はカーテンが引いてあるのではなく、ちゃっかりシャッターなんかが下りていて、きょうの営業はすでにに終了したようだ。時間を見ると7時から15時で、こんなに早く閉まる駅の窓口のあることを、私ははじめて知った。係りの人が冷たいシャッターに変わっていて、村の入口の温かみとは出会えなかったものの、貸し傘が置いてあり、そこには「村外持ち出し禁止」とあって、自分が村に入ったと思って、村らしい温かさに、どきっとした。けれどもビニールには派手な色の太マジックで大書きされていたから、ただの対策ながらも、村の厳しい一面とも捉えられたりした。雨の日この傘を使うことを考えると、この土地に抱かれるような妄想が羽ばたいた。勤労者協議会の提供とあるのだった。

駅舎入口と木製のベンチ、その上に壁に取り付けられた島ヶ原温泉の宣伝看板と無灯式駅名標。 軒下から駅舎内を覗いて。

子どもの男女が野良で尻もちついて山を見ている絵を用いて島ヶ原温泉の宣伝がされている横長の看板。 島ヶ原温泉「やぶっちゃの湯」。駅舎に取り付けられた駅名標の下にあった。

焦茶の柱の枠のホームへの入り口とすぐ隣の窓口から見える 駅舎内から見た、向かいのホームの待合所。

駅舎内。左にホームへの出口、右にシャッターの閉まった窓口を見て。軒と窓口の台は焦茶で、壁は白色。 駅舎内その1.

直方体の白い網の傘立てに4,5本刺さったビニール傘。左には白地に黒い字で縦書きで書かれた、縦長の説明板 貸し出し用の傘。
なお島ヶ原村は2004年11月1日に周りの5市町村と合併して伊賀市になった。 特に旧島ヶ原村を指したいときは、伊賀市島ヶ原地区と呼ばれる。

駅舎内その2.
立派な引き戸があった。閉められた状態を見たい。

表の中のそれぞれのマス目に、駅名と運賃を書き分けて一覧にした横長の長方形のボード 運賃表。

駅舎内から見た駅舎入口。左に大きなシャッターの下りた窓口、右に駅舎の出口。焦茶の格子の引き戸が写っている。 駅舎の入口。

  すぐ歩き出さず、駅舎から出ての軒下に佇んだ。軒を見上げると、ここで自分が誰かを待っているような、もしくは、自分の家の軒下にいるかのようだった。蛍光灯があり、それを隠すように真新しい板が梁に渡せられていた。間接照明にするためか、そうでもないか、と、なぜかしつこくそんなつまらないものを観察しながら考えていた。その板には虫や埃がたまっているようだった。駅舎入口の両脇には掲示板が取り付けられ、何枚か掲示物が貼られてあり、人なつこい感じがしている。もし掲示板がなかったら、かなり厳格な雰囲気だった。しかし外観は白い壁でこれは近年改められたものらしいようだ。柱に貼られてあった票によると大正10年12月となっていた。

駅舎から出て、斜め右から駅舎入口を見て。黒い鉄板に白い字で「島ヶ原駅」とかかれたものが掲げられ、入口の両脇には鶯色の新しい掲示板が取り付けられている。 駅舎入口前。

駅舎から出てすぐ左を見たときのようす。軒下に接近して設置されてある電話ボックス、ポストを見る。また、少しの空間からは駅前の小さなロータリーの中心が見えている。 駅舎内から外を覗いた一景。

  交通量と無縁の、夕日差す駅前広場に立つと、どうも当時から集落のためだけの駅ではないらしくて、閉まった観光案内所や、祠と植栽を中心にした小さな転回場がしつらえてあり、よその人も来そうな雰囲気なのに厳然と村の駅であるというところだった。
  植え込み近くのバス停を見ると、掘り当てた温泉「やぶっちゃの湯・島ヶ原温泉」へ多くの無料の送迎バスを出している。スタンプラリー、観光案内所とあるように、観光事業にとても力を入れているのかなと思えた。やぶっちゃ、というのは伊賀方言で「みんな」という意味だそうだ。
  観光案内所に瓶が並んでいたので地酒と思ったけど、瓶詰めの醤油で、島ヶ原にある醤油店の逸品なのだった。割と有名らしいが、近寄るまで私は地酒だと思いこんでいた。

低いコンクリート塀に沿った駐車場。塀に沿わせるように大きな看板が幾つも並んでいる。 駐車場。

小さな祠と背の低いバス停、長い一本のポールで支えられた丸い時計のあるロータリー中心。 ロータリー。入浴施設に行くバス停があった。この施設は2005年の10月にできたばかりの日帰り入浴施設。駅から2kmのところにあり、駅からのバスで5分。時間帯によっては三重交通のバスになり160円かかる場合もあるが、送迎バスの来る時間なら無料となる。

平屋の小さな建物。屋根は薄い四角錐で、窓ガラスに向かって商品が陳列されている。 伊賀市島ヶ原観光協会駅前案内所。

斜めから見た駅舎。大きな瓦屋根の端を、回廊をつくるように柱が支えている。 駅舎。屋根瓦がどっしりとしている。

  ついさっきまでちらちら見えかけていた、例の下車客たちは、坂を下った遠くへ消えて見えなくなっていて、銀鼠な甍や、白の看板が暗い橙に染まる広い駅前に、自分だけになっていたが、駅の傍にあった、仕出しの島ヶ原フードセンターの建物の中から、時折漏れてくるおばさんの声と、その建物の前にあった二三台の自動販売機からの冷却音が、なぜか、今が夕餉の時刻であることを私に強調し、私に帰宅の歩を促した。夏の夕日は、いつまで掛かっているのだろう、と首を傾げるぐらい、西に掛かり続けて脆い光を町に氾濫させつづけている。そういう橙のあふれた町中を、日の落ちきることの恐怖と日の長いことへの喜びの両方を感じながらあそんだものであるから、今になってこうしていてさえも、日が落ちそうだと捉えられはじめると、その温かなはずの橙も、怖く寂しい色だと思えた。
  駅から歩いた。さっきいった心細さから十字路までにした。でも歩き出た旧国道には何も感じず、ある夏の空気の中、見ず知らずの地に佇立し、逆光で昔日を強調された駅に向かい合っているときだけが、心動かされた。

すべての木戸が閉じられた家の一階部分。自動販売機があり、軒下からは小さな看板が吊られ、お店らしかった。 郵便切手の販売とタバコの販売を示すの看板を提げた家。 今日は既に店じまいなのか、それとも…。

下り坂の先の、信号のついた小さな十字路。周りは住宅。 駅から坂を下ったところにある交差点。

中央線がオレンジの下り坂。 交差点の左の道。伊賀上野駅方面。旧国道163号線。夕方なのに交通量は少なかった。

下りながら延びて向こうの先で旧カーブする道。すぐ左にはJA島ヶ原立て看板と長いポールに支えられた時計と建物、右手は簡易な工場。 月ヶ瀬口駅方の様子。

坂を上った所に駅。道は割りと幅が広く、十分離合できる。 駅へ戻って。上り坂。

暗い夕日とどっしりした日本の瓦屋根の駅舎 日暮れ真近の島ヶ原駅。

  通票表示のある伊賀上野ホームに入って、上りを待った。この駅で交換するようで下り列車が入ってきて停車している間に、上り列車がやって来た。慣れないと、先に下りが来るものだから、下りの時刻と見間違えたのかと思ってしまう。まだしばらくはこの淡く橙になった空色のままだ、と思って、伊賀上野で降りる気になった。

 

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