占冠駅

(石勝線・しむかっぷ) 2010年9月

スーパーとかちにて。
ソビエト風の建築。
深山の中だった。
自動車道の建設中に不安を憶えないでもない。
 
 
 
 
トマム、帯広方。
 
北日本では珍しくない分岐器のスノーシェルター。 雪も滑りやすくなっている。
 
 
 
山はなだらか。
追分方。
 
占冠駅は確かに実在した。
 
特急しか止まらない駅。
 
 
 
 
少しSAのよう。
 
 
 
 
この辺は跨線橋の屋根も丸い。
雰囲気だけでも。
 
栄誉ある1番線。
荷物取り扱い、または臨時改札通路。
 
 
 
 
 
 
 
 
落雪防止柵。
駅舎内にて。夏の北海道の真昼は大きい駅でもたいがい電気切ってある。
 
冬は村人で囲むのだろうか。
なんとなくオコジョの顔に見える。
 
古風な出札。 普通運賃は南千歳1410円、札幌2420円、帯広1790円、釧路4200円。 十勝圏か札幌圏かどちらかやなと。釧路は別の世界。根室は最果て。
静か。
 
駅を出て。
 
 
観光館。
 
元はなぜに黄色。
バスでも待とか。
団体が来ても十分対応可能。
占冠駅駅舎その1.
これを直接見に来るのでも大変であった。
 
 
その2.
工務所併設。とにかく駅間距離も長いので。
3.
4.
ロータリー植え込み。
 
ちょっとマークが違う!
たぶんJR職員の車。
石段がボロボロ。たぶん雪のとき忘れ去られやすいのだと思う。
 
 
 
5.
 
 
 
 
 
国道237号。この道を辿ると根室本線の金山駅に出る。
ドライブのときにも助かりそうだ。
 
 
日高峠方。
どこまで行っても山。
 
 
 
 
見るだけで運転の疲れが…。
 
 
 
 

 追分から釧路方面行きの特急に乗るときといったら、どうしようもない気持ちだった。もうれこで道東旅行は確約された。それにこれまでは普通列車ばかりだったわけだ。けれど途中、占冠、そしてトマムで降りることにしている。車内へ乗り込むと、カポッとした居室性。これからは日高山脈に分け入り、見下ろすように清流に沿うのだが、いくつもの信号所を通り過ぎ、なぜこんなにあるのかと瞠目する。それにちゃんと駅名標があり、ホームは見当たらないが降りられそうな雰囲気がある。この辺は駅間距離が三十数キロに及び、何かのときに客を下ろす地点として想定されていそうだった。
 新夕張を見送ったとき、降りた客は数人はいて、まだ暑い時分ながら深山の冷気が感じられた。追分から占冠は四十分ほどなのでゆっくりしていたのだが、思いがけず時間が速く経ち不思議に思う。数本の長いトンネルのせいだけでもないことに、後で気づく。

 車両の戸口上にSIMCAPPUが案内されつつ、あくまで道東への途中駅のように特急は停車する。ユーロビアンテイストに感じなくもない。一瞬自分が和人であることに動揺する。列車から降りたときの空気! それはもうこれまでに知っている類のものと異なるものだった。硬質で冷たく、しかし陽射しが熱かった。つんと澄ました山気。けれど本土の北アのようでもない。それがそのまま低いところにあるわけなのだから。一応ここは海抜348mと謳っていて、石勝線を讃えている。

 特急が去るとほんとにしんとして、ただ萌黄の眩しさと光の空気がいっぱいに虚空に拡散していた。ときおり吹く肌寒いしっかりした風は、水色の空気を揺らす。しかし太陽はまだ夏のままだ。ひと気は…改札に詰めている地元の年長の女性である。蛍光管が灯っている。
 構内には目立ったものはない。新線の工務所と占冠村の便を兼ねた駅である。
 改札前の屋根に入ると風が冷たく感じられる。しかし機密な駅舎内に入ると、嘘のように風はなくなり、空気が緊密だった。音さえも聞こえない。これくらいしても冬は足りないくらいだろう。改札の方はこちらを気に留めようともせず、ただ窓口上に料金表が架かっているだけだった。  よく見るとストーブの給油口がロックされている。持ち去りがあるようだ。

 かつては観光開発でも念頭にあったのか、新幹線駅レベルの、私以外に誰もいない大規模なロータリーは、ただ北海道の夏の光と空気が山あいのいっぱいに充満して、からからと暑く、眩しく、けれどそよ風は爽涼として、そして、空は底抜けに青光りしていて、まったく直視できない。
 旧国鉄・新線規格の函形の駅舎の前は、長年の除雪でぼろぼろになり果てていて、雪国の宿命だった。しかしそれもまたよかった。
 テント何張りもできるような中央緑地帯、草草が眩しく人の植えし花々咲き光る。厳冬には気を失いそうなくらい降り積むその雪の捨て場となるが、夏季ならばとこうして活用する、そういう、ここにふさわしい捉え方や生き方が自然となされていることに、そこはかとなく感銘を受ける。夏なのだから。それだけだ。それで十分なのだった。そこには季節に対する叡智がある。

 占冠村自体はここから少しだけ離れてまとまっているので、あたりは観光客のためのラーメン屋があるくらいだが、何よりも占冠と書いてシムカップと読ませる村は、これだけで一度は足を踏み入れたくなってしまうセンスだと思い、私は初夏のような風に愛撫されながら再び戻って駅銘板を見つめた。それだけである。それだけだが、自分にはもう余りに十分すぎた。