高田駅

信越本線・たかだ 2009年6月

2・3番線ホーム。直江津駅よりも代表駅という感じがする。
 
 
 
緑化事業かと思った。
 
 
エレベーター設置中。
 
なんとなく駅前が想像できる。広くないが賑わいはあるも、人は少なさげという。
金谷山スキー場は日本スキー発祥の地らしい。
 
 
飲み屋の日本海庄屋がある。最近駅付近によく開業してる。
駅南は寺院が非常に多い。地図を見ながらどんなところだろうと想いを馳せていたが…。
 
ペンションを思い出す。
ホーム端に残るレンガ積み。削られて明るい色が見えている。
規格がしょぼそう。
ヤード機能は昔から直江津が担っているということだろう。
 
 
 
やっぱり海に出てからの方が本線という感じがするなあ。日本海縦貫線だし。
長野方面を望む。
城だけでなく寺っぽくも見える。
 
1番線ホームにて。
 
 
 
 
 
椅子の数がけっこうすごい。しかも誰も座ってない。
 
 
新潟支社管内にある名所案内?
古レールの紹介がされていた。
 
お昼と夕方の間のひととき。
かつては特急が停車した。
 
 
なんか単純。
 
 
片流れとマンサード型上屋。
 
 
 
 
新井方面を望む。
 
 
 
 
 
駅舎内にて。
 
妙高山の広告塔がやたら目立つ…。
どうもそっけない出札口。
 
待合室にて。
ここの待合室は内装が殺風景で落ち着かなかったけど、気づけばこういうものもあった。
 
 
 
 
駅舎前にて。
 
これが本来の駅舎。
 
 
 
パビリオンの工作っぽい。
 
 
ここにも国体の宣伝が。直江津ほどではないけど。
雪の重みも考えてあるんだろうなあ。
 
 
 
高田駅駅舎の1.
 

 

右:やってなそうなラーメン屋。

 
 
 
高田駅駅舎その2.
 
 
こんなふうにしばらくは同じ感じで続いています。
 
駅前の様子。
 
 
パレス?
高田駅駅舎その3.
 
 
 
屋根の中は何かありそうで空洞です。
 
 
 
 
 
 
 
車で走るのが面白そう。
凝ってる。
 
 
タクシー乗り場。
駅から出た人はまずこの横断歩道を渡る。
 
 
 

 上越の文化の中心地、高田の駅前は、いつものように落ち着いて点々と人々が往来していた。列車が行ったばかりの折にはほんの少し閑散とする余裕を併せ持っている。直江津とははっきり違った趣があるが、むろんそれも駅を隠す大掛かりな城郭風の櫓と煉瓦を組み合わせた装飾を持つ雁木のため、少しぼやける印象があるかもしれない。九月、お昼過ぎの曇りがちな日で、実に何でもない日だった。観光客は一人か連れの二人か、ごくたまに見かける程度だ。駅員の益田さんはこの組織に入るのは遅かったが二十代の終わりころで、いつものように高田駅に、初老の助役篠山とともに勤務している。そういう派手な雁木のため、車で通りがかったドライバーや、旅人たちがロータリー内の薄い緑藻色をした足水のリゾート風の庭園に立ち、思わずシャッターを切る。そんなことがよくある駅だった。駅員の益田氏ははじめのころはたいして考えもしなかったが、そういう光景を目にし続けたせいで、しだいに疑問が鬱積し、きょうたまたまそういう人をなんとなく駅長と二人で見つめていることに気づいた益田は、ついに、「そんなにいいもんですかねぇ。高田はもっと高田らしいものがありますよねえ。それにしてもどうしてこんなもの造っちゃったんだろ」。駅務室とコンコースを仕切る大きなガラス板越しには、買い物客や老年の紳士たちがいかにも肩の力を抜いて行き流れている。コンコースは古びて、そっけなかった。駅務室はガラス一枚とはいえ、静かな事務室の音風景がある。「ええ? 気に入らないかね。わしはいいと思うがなぁ。」 「でも、これは本当の姿じゃないですよ。まさかとは思うけど、これが高田の街だ、なんて思われやしないでしょうね?」「ははは、それは難しい問題だ…。でも、今の時代となっては、実はどちらも同じことなんだと思うよ。」「何がです? これは一種の破壊だと考えられるほどですよ。」 篠山氏は、内心穏やかでなくなった。しかし喉を軽く整えて、「わしは別に破壊を支持してなんかおらんよ。それにほれ、ホームには古レールの立派な上屋が残っているが、そのたもとに付けてある解説板は知っているだろう? そこまで見に来る人や、見る人がいるかは知らんけど、今となってはあんな雁木でも人々がおもしろがって、楽しんでくれたら、もうそれでいいと思うんだ。」「まさか。篠山さんはそんな考えだったんですか? そうだとは思わなかったな。ご自分であの解説板を取り付けられたぐらいなのに…。でも、楽しませるためなら、何をやってもいいんでしょうか。こんなマスコット化みたいな、張りぼて、許せませんよぼくは。」「益田くん、仮に破壊というにしても、この高田の雁木は十分 文化コードの範囲内に収まる良心的なものと思うけどね(もっとも、昨今の荒み方に比しての相対的なものかもしれないが…)。どうかね? 何も妙な絵や形などは描かれてないだろう? 確かに我らが地方は今まで伝統を残してきたし、それがなんとか残ってきたともいえるね。もっとも悪しき旧弊も含めてな? それはさておき、もはやそれらを品格だけでやっていけなくなっているし、そうする必要もなくなってきたんだ。そうなることは、鉄道が走りはじめたときから、予定されていたようなものなんだ。」「何の話ですか藪から棒に。」「あの雁木のモチーフの一つは東京駅へのオマージュがあるというけどね、それで東京への片思いだなんて君もまた言いたげみたいだが、東京が近代を引き受けたとき、そのときのわしらのふるまいはもう大方決まっていたということなんだ。その点について、わしらは数多くの近代なるものを残してきたところよりかは、進んで行く道はわりあい明確に見て取っていたかもしれんね。わしらはしばし、近代の波を澱まし、また辛うじてでも伝統を引き継ぐ役を担うことにしたが、それもやがては経済の事情から切り売りしなきゃならず、しだいに均されていって、別れるところまできたんだ。かといって、一律、近代をも含む伝統を均してしまったわけじゃないし、均されきるわけでもない。なぜってそうしたら、むしろ自由主義としても経済としても損失だものね。固着化されたものは城のように装飾もペイントもなしにそのまま存置され、人々を集めているし(歴史という形であれ花見弁当という形であれ)、固着化されないほうが都合のよいものは建て替えられるか、遺棄されるかし、そうでなければ装飾を受け、身を持ち崩し、格式を捨て、品位を下げてでも、切り売りし、今に生きていくものは、結局内部的解体を受けていくしかないんだ。後者のそれは長期に亘るお別れ会のようなものでね。また浸潤していく解体は、逆に、現代が、近代とつながっていること表れでもあるんだ。それぞれ同じではないけどね。もし断絶しているのなら、様々な近代物は汎く古城のような認知をされ日々の無関心に泰らかでいられるだろう。もっとも、かつての明治の初めのときのように、寺院や城郭の打ち壊しなどで、今からそれをどれだけ惜しんだとしても、想像力と探究に火をつけたのはそういう消滅であったともいえるし、なんともいえないところはあるなあ。我々は今穏やかな解体受けているんだ。これは地方どころか、裏返しとしてのレンガ駅、その大都市すら例外でない、もっと広範な規模のものだよ。それを拒絶して争うべきものかというと、現代の自由主義を提供したのは、実のところどこの国でもどんな言語によってでもよかったわけで、それとて破壊を推し進めているというより、親しみやすくして経済の営為に載せ、よりよい過去のものはむしろさらに分かち合えるようになっているとも捉えられえないわけでもないわけだ。伝統というが、今残っているのは、このんなふうにたいてい経済の循環に乗せるために元来の形よりもきれいにして水準を磨き、純化されたものの可能性が高いよ。  わしらは近代らしきはたとえ陳腐なものであっても、そこに近代の思い出をよりよく見て、それらを惜しんでしまうんだ。わしもそうで、いろんな駅で古レールの上屋が生き永らえていると嬉しくなってね。とくにこの高田のギャンブレル風切妻面を上屋はわしのお気に入りだ。」 「じゃあこの今の高田駅は何なんですか? どっちにあたるんですか。解体か保存か、ぼくには区別がつきかねますが。」 「解体がまさに進行中、というところだなぁ。なにぶん緩やかな解体でね。もっとも、物質的なものへの侵入は阻まれたとしても、もう我々は親方国鉄の息子とも別れることになるわけだし、もっと内部的に近代的品格やそれを備えた我が国たるもであったものの解体は進行しているんだ。だからといって嘆くわけでもなく争うでもない。」 「解体がすなわち近代が現代に繋がっていることだといいますが、現に近代物の文化財化はすでに広く知られているところですし、指定もたくさんあるではありませんか? これは断絶にはならないんですか? それにそうして残っていれば安心できるんじゃないですか?」 「断絶しきっているならこんな中途半端じゃなく、また、君ももっと気持ち楽にしていられるはずだよ、とりわけ地方に於いてはなおさらね。また、対近代共通認識が既に醸成され、経済のいかんというより保存についての文化や基準が明確になっているころだろうしねぇ。もっとも戦後、忙しすぎて価値認識の醸成し損なわれたかもしれない。ともかく、いまも特に明瞭な意識があるわけでなく、仕方ないという利口な台詞がもてはやされているし、幸運か知らぬが微妙なバランスの上での遷り変わりが無意識にこなされてつつあるのでね。それがときにたちがわるかったりするんだけどねぇ。なぜって、人が気づくほどの解体の進行なら、反動があるものね。  たしかに、君が安心できるといった意識的な純粋な保存は、解体はしていないように思えるよ。けれど近代築造物はそれが今に生きている場合、今よりより少なかった個人がなおも活きうるけれど、文化財として折り紙が付けられたり価値あるもののの認識が広まっていけば、過去にお見送りする別れになるんだ、なぜって、現代の観念的な幅とは違いますが、という譲歩付きで存在しているということを自分から言い出しているようなものだからね。だから実際的解体の方はわりとあきらめがついて、あとはどうやってその埋め合わせをしようかということになり、レトロだとかロマン、ローカル、ノスタルジー、懐かしのだとかいろいろ意味づけて、長い長いお別れ会の始まりなんだ。今じゃ時代村はテーマ・パークだからね。  だから保存するにしろ解体するにしろ、我々は別れることになるよ。城郭が世界遺産になんかなった暁にはそのときの文化規範なんてこれっぽっちもなくなっていて、おかげできれいさっぱりしているんだ。花見弁当がうまいし、戦国に想いも馳せ参じつこうまつりうるね。おまけに城郭なら別れてなんぼのものだったが、それが近代の精華となると、どこへ向かうのかもうわからんよ。」 「どちらも解体だとか言い出すんなら、いったい、どうすりゃいいんです。それともそんな根無しになるのを放置しておくんですか?」 「己の狷介な性格を近代の品格に投影してもろもろのつぶさな遺物に汲々とするか、それによって孤独を守るか、現代の世相に近代以降の非商機的で自然な価値認識の醸成をせっつくか、いかにして近代像とその品格を心の中に擁立して、別れていくか…  我々は近代化によって身体の自由も得たけど、その一面に道と車というのはあったろうね。鉄道はその権化みたいなものだったと思うよ。なにせ贅沢な線形を引いてもらわなきゃならんかったし、有人の乗り場があり、おまけに車が走ってくれて、運んでくれるんだからなぁ。  今君がよく乗ってる在来とやらも、当時の線形が佳く残っているが(何分そこまで大規模に改良に入れ込んでももらえないのでね。これは幸いかまだ消極的存置だ)、君が鉄道に夢中になってしまったのも、近代の身体的自由の夜明けとやらを、平等的、社会的に体感させられるのを車内で目の当たりにしながら、自然を平原にしろ峠にしろ乗り越えていく道を走ることの体感が、忘れられなくなってしまったからなんだね。殊に青年期はそうかもしれないけど、君らは知らぬうちに、過去の人々を見捨てることができないかのように、行動していたんだ。きっとありありとそういう姿は想像できたのだろうね、わしと違って若いんだからなぁ。  ともかく、その線形は図らずして自然により寄り添い、親しんでいるところもあるのだから、ぞっこん参るのものも無理はないな。必然美だよ。君が追いかけてるのは、すでに無意識のこんなところからなんだ。そんな線形のところを鉄の上を鉄輪がぬめってくんだからねえ。  むろんそうすると、峠の人道にはその風景や身体的不自由感に、近代の萌芽は孕んでいたろうなあ。そういう峠には、個人や、今の奇特な悦びのない純然たる苦しい身体の躍動があったろうねぇ。今の山への登攀というのも、征服しているのは山の方だけでなく、自分自身がそういう行為に照応できるような肉体の鍛錬で体に近代を持ち込むことによる近代に対する認識と自我の回復や、また肉体を通しての過去の人々の記憶の継承に対する供花と解消という、自分自身の問題の解決でもあって、一つの近代認識と個人の方法だと思うよ。そういう身体的開放は、汎く近代のものは、やがては明確な形で、休暇的、娯楽的なものになっていかざるを得ないものだが、その前段階に、さっき言った形で、システムやインフラとしてのとしての近代もまた、技術革新によるのだけではない「想い出」の追究による解体の構造を、その性質上、内包しているようなんだ。でもまだ延々とそうなるのか、わからないなあ。わしらは過去を追わなくなるかもしれないしねぇ。  君は下車旅が好きだと言っていたねぇ(それでこんなところに遅く勤めに来たのかね)。それは解放―日常の、つまり純然な身体的躍動であり、この場合、近現代の中でも、非近代的なる一面からのといえるものからの―解放でありながら、そういう、思いの探求と想像によって、その対象が近代システムやインフラなら、その解体ともなり(君みたいな使い方する人はいないものね)、その無意識で必然的に惹起される再構築は、近代の解釈と、それとの別れ合いみたいなものだよ。

 いかにして過去の理解を透徹して別れるか、現在の世相を折半して受容するか…社会のシステムは現代の必要性や、その繁忙さや過去の著しい娯楽化によって、それへの忘却機構を持ってくれているけど、それゆえ近代に対する表面的な理解でもそれを責められないんだね。責めるとしたら、さらに過去の純然たる人々をも見捨てることになるのだし。まあ、我々は理解もせずに残してきたものが多いのか、最近はふと気づいてしまうことが多いようだねぇ。わしもあの上屋が残っている間は、忘れえぬ人々とともに無意識に生られるが、なくなってしまうと、またまた探しに出てしまうのかもしれんなあ(何分古レールが好きで…)。  今は何かと記録に残してくれる人は多いけど、個人でありながられそ自体ひとつのツーリズムを形成しているし、忙しい理解という、時代の肉体的躍動なんだろうねぇ。君の下車旅とやらも(まだやっていたっけかね?)、その方法での解体や乗車があまりにも自分にとって当たり前になるとき、君もまた観想される、とある人になると思うが、君がまだそわそわしているところを見ると、そうなるには決断しかねるものがあるのでないかね?  近代を移入し、理解に努めて醸成された美や格調を特にそこに観てしまうと、別れづらいのはわかるなぁ。そんなふうに、我々はしてもらいたいことを国がたいてい何でもできて(実際その立場としてこなされていくべき仕事もまだまだ多かったし)、国も期待に応えがいがあり、応えることことができたころの威厳や、そのときそれにふさわしかった美と格調を見て取って讃えてしまうようなんだ。君もさして悪い面は想起させられないのは、当時とでは全く違う捉え方をしうるようになっているからなんだな。それに当節は今よりも個人も少なく、大手を振って国を称揚することもできたろうし、そうするしかなかったかもしれないしねぇ。」 「篠山さんは変遷が仕方ないというのは物分りの言い方などと批判していながら、話を聞いてると篠山さんこそ、最も物わかりのいい好々爺じゃないですか。いやその最たるもので、例の理論に至ってはまさに骨頂ですよ! 住民の保存協議会とやらで一説ぶってきたらどうなんです? 国も自治体も喜んで一包みしてくれますよ! たとい権威や威光が失墜し、またそれが失われるれべきもので(それはたしかにぼくもわかりますよ)あっても、失墜したからこそそのままに見られる形が今残ってるじゃありませんか? それにたとい解体を孕む必然性があろうとも、過去の人々が築き、そして歩んだものを壊し、玩具扱いし、ばらばらにして、人をせせら笑うようなオマージュとしての継承しかしかない、そんなのはどうかしていますね(理論はともかくね!)。我々には近代を評価し認知する時間がなかっただけです。いまもないみたいですがね。それにぼくは新規のあんな珍妙な社名なんかには反対ですね、かりに篠山さんがいくら理論をぶちまけたって、それ自体ご自身の特効薬なんだし(古レールですか、ははは)、してみれば病気は治っちゃいませんよ。ぼくらの治世になればまた我が国独自として自信を持てるような形を、決して尊大になる意味でなく、そしていたずらな追憶を誘うものでなく、とても自然な形で、娯楽化でなく気高い形で共有できるようになりますとも! それにしても、篠山さんは芸術家ではありませんねぇ。そんな風に論難してぼくをやりこめようとするなんて。ぼくはただ純然として旅をしたいだけだと考えてもらいたいですね。そういう形しか取れないんです。ぼくが篠山さんみたいなことを言い出した暁には、旅なんてやめているでしょうね。自分なんて、誰であったって構わんじゃないですか。」 「過去との出逢い、のみならず、出会いそのものは、広く知れ渡る前に、たった自分一人で見つけなきゃいけないんだ。だからたいてい、知識の沃野でも知性の風景でもまた、どんどん人のいないところへ入っていくんだな。君には研究はおろか旅に対しそこまでの決断はなさそうじゃないか? それに、実際に一人だけで見つけたわけでないのに、見つけたことにしていることに限界があるんじゃないかね。」 「ぼくが過去の遺物との邂逅は装ったものでしかない、と、仰りたいんですか。人に知れ渡っていない対象しか、価値がないなら、その営為自体に一般性がないでしょう。なぜ、おれが見つけた、と、吹聴しまわって争わにゃならんのです? しかもほとんどの人が招かれうる旅では、いつかはそんなものは尽き果てるものかもしれません。特に今は見つかったものは、どんなことでもどんどん明るみに出されていく時代ですしね。ならば、知りえようもない、また、他者に分かってもらいたくてももらえないものはあるものの、諦めたってかまわないという前提に立つ探求しかありませんよ。」 「だったら、むしろ君は、もちろん近代のもろもろとも別れて、そして自分自身からさえも別れるようになるだろうなぁ」  篠山は聞いていて、はじめは青二才だと思い、こいつもどうせ辞めるのかなぁと思いつつあったが、ついぞそんなことによるのだけでない、異様な虚しさと薄ら寒ささえにも包まれるようになった。  そのとき脇野田駅から鉄道電話が入り、M4434の列車にて車椅子客が降り立つ旨の連絡が入った。  「車椅子だ。スロープ出して。ここは二人でやらんといかんからな。脇野田からだ。すぐだ。」  篠山の鏡頭の内側では血がたぎったかのようだった。脇野田は近隣の有人駅だった。益田は早くにスロープを出し、階段降りたところで待機した。制帽をかぶって後から降りてきた駅長と二人で列車を迎え、スロープを開いたドア口に渡し、当該客を下ろすといったん列車と平行に停め、スロープを片付け、降車完了の業務連絡をすぐに車掌に送った。車掌は二人の妙なやる気に、ちらと厭悪の色を見せた。  二人は車椅子を抱えて階段を上がっていく。  ぐったりするような業務が完了すると、助役がいじわるっほく  「親方日の丸でもないし、こういうこともどんどんやらにゃなぁ。まだまだ足りてない一面はあったんだよ。」と薄笑いすると、益田はまだ喘ぎながら、如何とも解せなさげな表情で構内の情景を見つめていた。  篠山はふとそちらに向き直って、「それでいいんじゃないか。なあんだ、益田も、ちゃんと今に生きてるよ。」 ようやく信頼したかのように嬉しそうにそういうと、踵を返し、先にドアノブを引き、駅務室へと戻っていった。たそがれ時のギャンブレル風切妻に古レールを組んだフレームは雪国らしいおとなしやかな青塗炭を戴いて、長い脚の影を造っている。昔からある電燈の灯る案内板は上越がスキー文化の国であることを物語っていた。益田は不意に自分の姿が雪解けのように消失しかかる幻惑を感じた。  (おわり)