牛ノ谷駅

(北陸本線・うしのや) 2007年8月

ホームにて。

  お昼ころ松任から、もうどこにも降りる気もなく乗り続けていた。冷房がむなしいぐらい、陽射しの乏しい薄曇りだった。一駅ずつどんどん加賀を離れ、もう大聖寺を出てしまった。ここを出ると少しさびしい気持ちになる。北陸の本拠らしい加賀を出て、気が抜けてしまうのだった。しかしこのまま乗り続けていると、本当に帰ってしまうことになる。列車は山に入り込み、峠道を走りはじめる。牛ノ谷峠か。両脇に軽快に流れる山の森。ずっと間近にそんなのを見ていると、いっそう惜しくなり、急に、下車したくなった。牛ノ谷で降りよう。
  うしのや、うしのやです、との案内が聞こえるころには、もう降りる用意をし終わり、デッキにいた。少し緊張の面持ちで、開け放たれた扉の外へと向かう。緊張したのは、列車が傾き、降り口がのぼるようで、下車するのに心持ち力がいる感じだったこともあった。

  停車した列車に沿ってホームを歩きながら、さっき車内に流れた、うしのや、との響きを頭の中で繰り返していると、この地名はやっぱりおかしかった。あからさまに福井の田舎らしい感じだった。もともとは牛をつないでいた谷に由来しているらしいが、とぼけた顔でこっちを見つめる牛のいる牛舎が思い浮かんでも仕方ない。
  しかしじっさい、ここは福井のどんづまりだった。この峠さえ越えれば輝かしい加賀だ。それを今、逆に越えてきた。北陸街道、福井の東端のさびしいところである。
  あたりは里山のはざまといった地勢で、海側はとくに木々や笹群落が線路に迫っていた。それは下り列車に乗っていると車窓に間近になるもので、牛ノ谷というと駅舎は見えないのに、列車の傾く中、そんな緑ばかりが見えるということがある。
  そういう一見静かな峠型の駅だが、自動車の通過する走行音が、ここのかすかな背景音なのに気づいた。それでも少しも不自然な感じがないのは、鉄道がこんなところを走っていて峠らしいからだろう。ほかの道もここを抜けるのだった。北陸自動車道で、標識がちらりと覗いている。国道8号は少し離れているのだが、もう少し加賀よりになると鉄道と併走するようになり、高低差の関係ではっきりとは捉えられないけれども、よく車窓を見ていると確認できた。

上り線側のぐあい。かなり草が繁茂しているが、 元は違う感じだ。

待合室内にて。

壁に落書きがあったが、椅子はきれいだった。
なお、この待合室内は現在は取り壊されて存在しない。 替わりにホーム踏切付近に簡易な待合所が作られた。

上り線側は草まの壁が途切れると小規模の果樹畑が見えた。

つい注目してしまう、北陸自動車道の動物注意の標識。

駅名標。

金沢方面を望む。遠くに自動車道の高架橋が見える。

ホームを福井方面に俯瞰して。

  なんとか一つだけあつらえたと言いたげなホームを端まで行った。気づくのは、非常にいい街灯が並んでいるということ。こんな山の中でホームがカーブしていて、列車待ちや乗降が危険だからだろう。いつものように駅名標を見たが、気づく。背がとても高い。積雪ゆえのようだった。ホームの端のほうでは、手入れもされないため、のっぽに草が伸びている。こうしてかなり山のあいだだが、なんとか畑や駐車も見られたし、民家も見えて、救いがないわけではなかった。
  ここは構内踏切があることもあってか、ホームにはあると便利な待合室が造られてあった。木造風だったが、中を観察すると鉄骨が入っていた。雪の重みなのかと思った。ここの待合室は椅子がきれいで、化粧板を張ったような平らな据え付け長椅子だった。気持ちよく待てそうだ。それで座ってみたのだが、なんか棚の上に座っている感じで、ほかの平らな椅子はそうでもないのに、ここではへんにすわり心地が収まらなかった。化粧板がつるつるしているためらしかった。
  白や薄茶の内装だったから、峠の駅ながら、まずまず明るかった。どうしても対になった倶利伽羅駅と比べてしまう。またごみ箱、箒やちり取りもあり、床がけっこうきれいなことから、誰かが掃除してくれているのが確信された。ごみ箱を覗くと、空き缶などがわりと入っている。たしかにここで休んで列車に乗っていった人がいるんだな。

ホーム端にて。雪量標。奥に写っているのは工場。

電灯のともるのを見たいものだ。

ホーム福井側の様子。

民家群が垣間見える。

踏切手前にて。

踏切を渡らずに進んだところにあった妙な舗装敷地にて。

柵がしつこい。しかし特急が何本もすっ飛ばすことを考えると…。

福井方面。ここには保線車両が入ってくるのだろう。

踏切から見た福井方。山、ばかり。

踏切から見たホームの様子。向こうの方は特にカーブしているのがわかる。 点字ブロックもなく、白線のみだった。

駅舎軒下にて。

雷鳥が通過中。ちょっと怖い。

  一線分の踏切を渡り、駅の建物の中へ入ったが、広くはあるものの、一人掛けの椅子が壁際にあるだけのため、がらんどう。待ちようがない感じだった。床石がかなりきれいで、壁は白の明るい色を基調としているが、夜になるとそれらが寒々とした様相を呈することが確信された。でも今は夏の昼下がり。私たちの時間だ。

駅舎内にて。

床がきれいだった。時計がついているのは助かる。 鏡もついてあった。

中は広いが椅子はこれだけ。

新潟中越地震関係の掲示物。運休区間、運休列車など。 芦原温泉駅長、となっていて、特製なのかと思った。

迂回経路の案内。

駅前の風景。

  外の軒下に出て、いつもの赤い筐体、なんだ自動販売機があるのかと、よろこんだ。こんなところまで補充車がやってきてくれるんだ。そして駐輪所が新しくされたらしいことに驚く。いちおう目を留められているのだな。
  電話ボックスには金津町、と出てあった。はっきりとこの峠の町名がわかり、またここが賑やかな芦原温泉駅と同郷だったと知り、妙に安心感が沸いた。越前に入って森とともに初めて出合う町が金津町なわけだ。
  ふと駅前広場の端に、白い袋がいっぱいついた低木に気づく。まさかと思い近づくと、手入れされた果樹だった。こんな駅前アスファルトの横で果樹栽培とは、と、ここは駅というよりほんらいは畑なのではないかと思った。

新しい駐輪所。以前はぼろ小屋だったという。

駅前にあった、袋に包まれた果実で樹勢傾く果樹。

牛ノ谷駅舎。

山火事関係の標語がいかにも山の中といった趣。

駅舎その2. 左手にトイレ棟あり。

駅舎右手の様子。駐車場になっていて、ホームがよく見える。

  あたりにはいくつか小屋や古い家屋しかなく、駅前は集落そのものではなかった。道はすぐに蔦絡む北陸自動車道に突き当たって右手に続いていて、その左手はというと高速脇の寂しい里道になって、走行車の響きばかりで、すぐにとって引き返した。どうにもここは里のはずれで、入会地の手前かのようだ。
  駅舎を見てあれっと思う。瓦屋根がポーチまでそのまま傾斜してきていて、雪は多くないのかと思った。青い瓦屋根と改装した白い壁がここの特徴だったが、屋根の青いのが冷たい感じで、このあたりにはあまり合っていなかった。

  とりあえず駅から歩いた。当然右の道を選ぶ。住宅があるのは駅周辺だけで、突然家並みは途切れ、何もない広い道が続いてしまった。駅付近だけとりあえず家が集まったという感じか。片側は田んぼが細長く、その向こうの北陸本線に特急列車が通らないかな、と見ていたりした。しかしここを歩いているときだった。断続的に変な音が響いているのに気づいたのは。土の上に何か重たいものを、ぼっと落としたような音。はじめは工事か保線かと思ったが、どこを見つめてもそんな気配はない。あんまりにも気になるので、しばらく立ち止まって聞き耳を立てた。ぼふっ……ぼっ…。
  わからない。何の音なんだあれは…。

駅前の道を進んで。自動車道の走行音が響いてきている。

道は突如二車線になっていた。

駅方向を振り返って。

海側、北陸本線のある方は空き地が広がっていた。一本杉?

田んぼ越しに北陸本線が見えた。

福井方。

カーブの先の風景に期待した。

福井方向に特急列車が走り去るのが見えた。いい曲線が出ているから、 撮影されるのかもしれない。

  道はカーブして、突然集落の中に入り込んだ。やっと町に来たか。しかもそんなに古い集落ではなく、牛ノ谷駅がどれだけ里と主流時間のはずれにあるかがわかった。ところで、向こうのほうで一台の車が止まり、降りた50代くらいの女の人が、近所の人に尋ねごとをしはじめたのが目に入った。私はこのときなぜだか駅を探しているのではないかと勝手に決めた。歩きながら見ていたが、情報は得られなかったようで、車に戻っていく。私は駅ではないのかとばかり思っている。だってあんなところに駅があると思えないし、この辺で探し物といったら、という考えがあった。しかし言うまでなく、近所の人から情報が得られなかった時点で、駅ではありえなかったのだ。なのに私はたぶん力になれそうな面持ちで、歩いていたのだろう。かくして、その女の人は走ってきた。二人は見つめようとする。
 「あのぉ、このへんの人けぇ?」
やっぱりよそ者に見えるんだ…と思いながら、いや、違いますけど、と言うと、思いがけずその人は、もう可能性は乏しいといわんばかりの期待薄げの顔になり、私は急に狼狽した。
 「あのぉ…ハチヤって知ってるけぇ?」
 「ハチヤ?」
まさかハチヤなんてものを訊かれるとは思わない。字名だろうか? あっけにとられて引きつって微笑みながら、
 「すいません、知りません。」
と言うと、その人も一応訊いて気が済んだという風に微笑みながら、礼を言って引き返していった。けっきょく自分は人に無駄に礼を言わせただけのようだった。しかし、ハチヤってなんだろうとしばらく考えてしまった。いまだにハチヤがなんたるかわからない。でも近所の人に訊いて自分に回ってきた時点で答えられないと見破らないと。それでも訊いてほしそうだったのは、誰かととりあえず会話してみたかったのかもしれなかった。また地理を知っているという感覚がそうさせて、それを裏切らせて、完全に旅行者になりたかったのかもしれなかった。というのも、あの人が走ってきたとき、概観だけでなく旅行者か、地元の者か、その判定人かのように思えていた。

道のカーブの先にはやはり集落が現れてくれた。

集落の様子。

振り返って。よく見ると越前カントリーと出ていた。

  少し休憩したくて、道のカーブしたところにある白山神社に入っていった。北陸には白山神社が多い。ここの神社はあらたかな雰囲気ではなく、森を背景に遊具のある公園で、そこにお堂や集会場があるのだった。全天射ではないため、蝉もしずしず鳴いている。勝手によその地元の神社に入ってほっつき歩きながら、この遊具、最近も使われるのかな、と考えたりする。遊具にさっき見た集落の映像が重なり、昔遊んだ遊具が今も変わらずある、自分の地元の公園を見たかのような感覚になった。そして思い浮かんだ遠い自分の町、それがよその町の暮らしのように思えた。
  神社を出るとき、白山神社との石柱に、うつせみがいくつか引っかかっていた。自分のとき以来、あたかも子供が来ていないかのように錯覚した。どこにでも蝉の営みのあるのを思い起こさせられ、その上、それを見ている自分の姿を鳥瞰したようだった。けれども自分の町ではいつもの営みも、自分の姿も、こんなふうには見えにくい。しかし地元がよその町に思えた今、ここに来た甲斐もありそうだった。

白山神社。

境内の様子。

 

駅へはこんな道。

 

  駅に戻る。集落からかなり外れて歩く。そして思う、ここはお迎え型の駅だな、と。北陸自動車道の誰も気にとめないような漏音を聞きつつ、道なりに左折したところの奥に現れる、牛ノ谷駅。急に買いたくなって、手にした冷たい飲み物。そうして振り返ると、せまる山向こうに薄っすら、積乱雲が立ちのぼっていた。これは夕立でもくるのかな。

牛ノ谷駅。

  駅の中の涼しげな広いコンクリート床を歩き回りつつ、掲示物を見た。新潟中越地震による列車迂回や運休について書かれたものがあった。こういうのは人の多い駅だと必要なときぐらいしか読まないが、こんな駅にいるときはじっくり読んでしまう。それではっとしたが、この地震のため北陸路の夜行列車が完全に運休状態で、今夏予定していた人にとっては最悪の夏であることに思い至った。柏崎の人も海どころではないだろう。
  それから行方不明人の個人的な張り出し。このあたりで行方不明になったのであろうか。あまりに相応な立地だった。白黒写真に写る、いろいろあったがなんとか今まで生きてきたかのような50くらいの男の人、どこへいってしまったのだろう。

  なんでこんなことにとため息をはきつつもうホームに入って、あの待合室に入り、座って飲み物を飲んだ。まだ土に重いものを落とすような例の音が響いてきているが、気にしないようにした。気にしようがなかった。あ、そう、後日地図を見たのだが、駅の裏は越前カントリークラブと記されてあり、驚いた。つまりクラブで土を掘る音だったというわけ。自動車道といい、それほど静謐の駅でないことになりそうだ。空き缶をごっとん、と捨てる。それでも音はよく響いた。
  こんな駅だが列車の来るころには数人が入ってきた。かなり傾いたまま停車した列車に乗った。列車は6両だった。盛夏だからこうしているのかと思ったが、中は旧急行の朱のモケットが見通しよく並ぶ、がらがらの6両だった。少し気味悪さを運びつつも、列車は次の細呂木に停車する。各駅停車だった。

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