柳本駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(桜井線・やなぎもと) 2007年4月

  今までしてきたのと同じようにプラットホームから2両編成に乗って、 長柄から柳本へ向かった。この区間を乗車中、 桜井線にも随分深く入り込んだものだな、と感じていた。 柳本は京終から数えて6駅目で、桜井線所属の駅は12駅だから、 真中より少し手前ぐらいになるだろう。 柳本には駅舎があって、ホームからは少々くたびれた、昔に改装済みの木造駅舎が見えた。

軒下の内側にある駅舎の壁が下は薄茶色、上は緑色の駅舎。 天理・奈良方面ホームから見た駅舎。

線路内の向こうにコンクリートの信号機室と駅名標。 向かいの桜井方面ホームの奈良方の様子。 ホームのレンガ積みが途中で終わり、ホームが新たに延長されていた。

木造茶色の待合室。 開放式の待合所。ほかの駅のものより少し造りが良かった。 椅子には長い座布団が敷かれていた。

まっすぐ伸びる線路内。遠くの方に山々が霞んでいる。 跨線橋から桜井方面を望む。 遠くに山が見え始める。

跨線橋の端から見た龍王山。複雑で柔らかな斜面を形成している。 跨線橋の端から笠置山地側を望む。長柄より山が近い。 この山は龍王山(567.5m)。

  跨線橋からぐるりと見廻すと、 それまでの駅からの風景とは違ってきたことに気づいた。 天理方面や生駒側(大阪側)は特にそれまでと変わりなく平野が広がっているのだが、 桜井方面を望むと、吉野を隠す山々が遠くに連なるのが見えて、 ようやく奈良盆地の端に近づいてきたのだとわかった。 笠置側はといえば、長柄駅でも山地が近くなってきていたのだが、 ここ柳本ではもっとはっきり見えて、街は山の裾野のようにも見えた。 この迫ってくるような山は標高567.5mの龍王山で、 奈良盆地の東側の山々の中では最も高く、夜景のスポットとしても知られている。 生駒山地を越えて大阪、神戸の夜景まで見えるそうだ。

  桜井線も中間地点に近づいており、 全体的に奥まり、極まりつつあるという感じであった。 この桜井線は、 あの薄墨を刷いたように連なる吉野の山々を目前にするころ、 突然進路を90度右に変えて奈良盆地を周遊しはじめる。 かつては進路を90度左にも取って名張方面に延伸しようという予定があったが、 それは近鉄が先に成し遂げてしまい、その計画はなくなった。

盆地に家並みが広がる。遠くに低い山々。 跨線橋から生駒山地側を望む。 広々と奈良盆地が広がる。あの山々を越えると大阪府。

まっすぐ伸びる線路内。遠くに山は見えず、盆地が広がっている。 天理方面を望む。こちらもそれまでと変わらない風景。 右手の公園は鉄道用地だったらしい。

  この駅には駅舎の桜井側に貨物側線跡、 天理側にかつて構内の一部だったようなゆがんだ敷地があり、 昔は貨物の取り扱いが盛んだったのだろうかと思った。  また、こげ茶色の待合所のある天理・奈良方面ホームの裏は、 ちょうど一線分空けるようにしてフェンスで囲われており、 以前はこの駅構内も3線で、現在待合所のあるホームが島式ホームだったようだ。 駅舎側のホームにはレンガ積みも残っていて、汽車時代の賑わいがよく偲ばれた。   しかしその貨物や汽車の賑わいが軍需よるものらしいとなったら、 こんなふうな駅にあってはやはり意外に感じる。

階段の下に駅舎の端がある。 階段を降りて。

ホームに二本足で立つ駅名標。後ろにコンクリートの無機質な信号機室。 駅名標。すでにJRサイズに取って代わられている。

フェンスで囲われた公園。 桜井方面ホームを天理方面に歩いて。 ホームの脇に細長い公園があり、花壇にいっぱい花が咲いていた。

線路内と細長い公園。 天理・奈良方面を望む。

駅舎と接している上屋の端と線路内。 跨線橋階段脇から見た駅構内。

駅舎の妻面。 駅舎の横側の様子。 なまこ壁のデザインに模様替えされている。

白い木造の軒下。 駅舎軒下にて。

  駅舎が接している、桜井・高田方面のホームの柱に錆びた白いホーロー看板があり、 そこには「桜井・高田」だけでなく 「王寺」方面と案内されていて「えっ、そうなのか。」と思った。 このあたりから王寺というのは高田経由で行っても奈良経由で行っても、 時間も距離も違いがはっきり出ない位置にあるように感じたし、 また列車本数もほとんど変わらないからだった。

  調べてみると営業キロは高田経由が26.6km,奈良経由が29.7kmで やはり高田経由の方が3.1km短く、営業キロからするとその案内は適切だった。 運賃は、運賃計算キロと近郊区間の特例を適用して、どちらも480円。
  運賃が同じで3.1kmぐらいの差なら、 ここから王寺に行くのにどちらで行こうか迷うところだが、 朝夕には「奈良発 桜井線経由 王寺行き」(高田経由)がここに停車し、 これに巡り合わせれば迷う余地はないだろう。 これで乗り換えなしに王寺に着ける。
  しかし日中の桜井・高田方面の列車に王寺行きはなく、 桜井行きと高田行きの1時間に2本で、 王寺に行くにあたって桜井行きに乗ると、桜井で後発高田行きを待たされてしまう。 だからこの場合は実質1時間に1本。 奈良経由だと1時間に2本あるから、こちらを活用することもあるだろう。 列車交換を除くと、これで王寺に行くのに1時間3本列車があることになる。

  ところで王寺までの営業キロの差が最もでないのはさっき降りたお隣の長柄駅だった。 高田経由が28.3km,奈良経由が28.0kmで、差は300m. 奈良環状線において、王寺のほぼ対蹠点だ。 しかし奈良経由のほうが駅数がずっと少なく、少しだけこちらの方が早い。

妻型の屋根を持つ開放式待合所。 天理・奈良方面ホームの待合所。

草の繁茂する貨物側線跡。 桜井・高田方面ホームの桜井方にある貨物側線跡。 2線分あり、向かいには鮮やかなレンガ積みがしっかり残っていた。

縦の柵が入った窓、その下は薄茶色の壁。その奥に改札機器の並ぶ改札口。 改札口前には「ロマンの里 黒塚古墳」と表示されていた。

改札機器が立ち尽くす無人の改札口。 駅舎内から見た改札口。無人駅。

椅子、券売機、大型の飾りケースのある駅舎内。 駅舎内の風景。

一人掛けの椅子が並ぶ寒々とした待合室内。灰色の壁、深緑の掲示板。 待合室は電灯がついていなくて、少し暗く感じた。

茶色のプレートに白い時で縦書きに書かれた看板。 駅舎入口脇には 「社団法人 天理市シルバー人材センター 作業所」 と掲げられていた。駅務室を利用しているのだろうか。

アスファルトの駅前の向こうに、小路が延びる。 駅から出て少し歩き進んで。 駅前からの細道は石を敷いて整備されていた。 軽いアーチが街を演出する。ただし7.30-20の二輪以外の自動車は進入禁止。

瓦屋根の横長の平屋の駅舎。 柳本駅駅舎。

瓦屋根の横長の平屋の駅舎。 駅前広場と駅舎。

  駅舎は旧来の木造駅舎を蔵のように改装したものだった。 壁の下のほうにある、黒地に白の格子を斜めに引いた、 ぱりっとしたデザインが駅舎を気持ちよく引き締めている。 これはなまこ壁と呼ばれるが、この駅舎のものは飾りだった。 本来のなまこ壁は漆喰と平瓦で作られ、防火の意味があるのだという。 駅舎前の花壇には葉牡丹がたくさん植えられていて、まだ寒い季節だった。

黒地に白地で書かれた列車遅延を案内するための板。 列車遅延の表示板が煙突を出す穴を防ぐのに転用されていた。 CTC化前のものだろうか。

とても小さなタクシー詰所、観光案内版、石碑、祠。 駅舎から出て左手の風景。 観光案内板が立ち並ぶ。

アスファルトの広場。左側のホワイト急便が目立っている。 案内板群辺りから見た駅前広場。 すぐ後ろにあった巨木が印象に残っている。 駅敷地内にあるから駅庭の一部だろうか。

アスファルトの結構広い広場。 駅前広場を見渡して。左手に駅舎。 道は右奥の隅に二つの狭小路があるだけで、広場としては少々行き詰まっている。

  駅前は空き地と駐車場が目立ってしまっていて、 民家がぱらぱらとある感じだったが、アーチをくぐって整備された小道を歩けば、 密集した昔からの集落に入っていくようだった。 おしゃれにな道は、古墳、山の辺の道、龍王山ハイキングなど、 さまざまな目的で遠方から来た人を迎えてくれる。
  ところで、ずいぶんと曇ってきた。 長柄にいたときに降り注いでいた光が遮られ、 風景が再び冬のモノトーンに戻っていくようだった。

藍色に白い字で書いたホーロー 貨物側線脇にある無蓋駐輪所を囲うフェンスには 昔のホーローの縦型駅名標が針金で縛られていた。

輪郭のゆがんだ道。3階建ての建物、民家がぱらぱらとある。 駅前広場から少し進んで。右後方に駅舎。

  駐輪所の敷地が駅舎向かって左に接しているが、 駅前広場に張り出すように敷地が取られていて、 広場が少しゆがんだようになっていた。 そうなったのは、駐輪所が駅舎の桜井側にある 貨物側線脇を転用したものだからだった。 ホームがレンガ積みのこの貨物側線は2線分あった。
  そういえば跨線橋に上って駐輪所とは逆の天理方面を見たとき、 構内外郭の特有の線形をもつ、いびつな形の公園が今の構内に接しているのに気がつき、 昔は貨物関係の鉄道用地だったのかな、と思った。 桜井線のほかの駅もこのぐらいの規模があったかもしれないが、 この駅は比較的貨物時代の広い駅構内がよくわかる状態になっていたため、 いったいこの駅には何があったのだろうか、と私は気になりはじめた。

  戦前、ここ天理市に「天理柳本飛行場」があったのを知った。 3000mの滑走路のある海軍の大規模な飛行場だったという。 そしてその飛行場の建設のための動員に、また飛行場の活用に、 ここ柳本駅がよく利用されていたらしい。 駅の裏には、構内に接するようにして海軍施設部もあった。
  どの遺構がどのように飛行場に合わせて活用されたかは、私はわからないが、 多くの桜が散っていった時代をかすかではあるが伝えようとする、柳本駅の訴えを、 桜井線の各駅を気ままに旅してきた私は確かに受け取った、気がした。

  明かりが灯っていない小暗い駅舎内の椅子に座り、列車を待った。 春先でまだそろそろと寒いが、座布団で椅子がたしかにやわらかくぬくい。 私のほかに一人がおばさんがじっと座って待っていて、 静かに時間が流れていた。
  しかし、やがて2人、3人、そして4人とやって来ると、 会話が生まれ、騒々しくなった。 そのうちの一人の60代ぐらいの女性は、駅舎に入ってすぐ顔見知りを見つけると、 その人とおしゃべりをはじめ、会話しながら切符を買おうと券売機の前に立った。 硬貨もすでに手にしているのだが、 投入口が見つからず、本人は「あれっ?」と思っている。
  「それ故障中よ。」
傍にいたおばさんが、すかさず教えた。 投入口が故障中の張り紙で塞がれていたのだ。
 「あっほんまや、故障中て書いてあるやんこれ。 ほれここに書いてあるわ。でもなんで故障なんてしてるんやろな?」
そう不思議そうに言い終わって席に着くと、再び会話をはじめた。 その会話の中で、
 「どこやったか前にもあったでぇ。 で、あれ入れてしもたら天王寺? 王寺? 王寺か。王寺までいかなあかんやろ。 めんどくさいわぁ。不便やわぁ。」
と、おばあさんは漏らした。 桜井線と和歌山線の券売機の不調はしばしばあって、駅利用者にとっては不満だろう。
  しかしそのあたりからばあさんは、しゃべりが活発になってきて、 わざと口達者を演じているのではないかと思えるほどになった。 さっきぼけていたことのごまかしだろうか。 でもどちらかというと、話好きの人で、 会話が少し途切れるとまた新しい話題を出してきて楽しんでいた。

  会話が一段落し、話がしばらく途切れた。 静けさを感じたころ、そのばあさんは座ったまま後ろに首をひねり、 待合室の薄暗い隅でパンをゆっくりかじっている よれよれでおぼつかないおじいさんを見つけて、
 「あんたどこ行くの。」
と、わざと元気そうな声で訊いた。 おじいさんが、のっそりと、ついさっき列車が行ったばかりの方向をもごもご言うと、
 「あんたそれ、逆やで。もうそれ行ってしもたわ。長いこと待たなあかんな。あーあ。」
そう言われて、初めからそのつもりだったというようなことを、 おじいさんはまた不明瞭にもごもご言ったが、 ばあさんは「ふーん、そうかぁ。」という程度だった。 おじいさんが言われっぱなしだ。 そのおばあさんは今度は私のほうをちらちら見はじめている。 私はできるだけ顔をそむけるようにした。

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