梁瀬駅

(山陰本線・やなせ) 2012年7月

或る夜の駅。
その駅には…
豪勢な待合室があった。
 
 
 
なにか学校のよう。
黄色な蛍光灯。
島式ホーム一つ。
街の方。
実際の暗さ。
駅舎へ行こうか。
 
電化って感じ。
よくある駅のパターン。
改札口。
駅舎内にて。古いまま凝り固まったようだ。
 
かつては長椅子などが多く置かれていたと見える。
券売機。和歌山線や広島支社で見られる。
引き戸はあの重々しいものからサッシへ。
梁瀬駅その1.
2. 節電要請などで自販機の灯りか消えている。
下り方。
実際の暗さはこんなもん。
 
上り方。ほんとに昔の街道。
 
3.
 
4.
 
 

 下夜久野駅に着くと、駅前の灯りが見えた。自販機やショップはあるようなところだ。あんなふうに少しでも明るいところがいいなと思っていたが、ダイヤの都合もあり、梁瀬となった。
 やがて「ヤナセ」が案内される。列車はやけくそ気味に走り飛ばしているが、それも穏やかになった。私は車窓からホームに待合室が残っているかを凝視していた。それが残っていれば、据え付け長椅子があるのはほぼまちがいないからだった。
 待合室が見えた、しかし中までは見えない。しかしいずれにせよ…ダイヤの都合上ここで降りるしかないのだ。なんとなれば比婆山でやったみたいに犬走で…。
 いよいよ駅に着いたので、降りる。するとそこには圧倒的な、圧倒的な夏の夜が生々しい状態で私を襲って来た。なんだろうこの質量のありすぎる現実感…。暗闇の質量とも、雨上がりの質量でもあった。
 なんといおうか、必死に水彩画のあらゆる技術を駆使して本物らしく描いていたのに、とつぜんその絵の世界の中に自分が入ってしまった、そんな感じだった。
 夜の闇をいろんな濃いブルーを重ね、葉に濡れた露は筆で水を流し、外灯の照らされたところは絵の具を掬う、それがいますべてリアルの世界として、自分の体を取りまく。
 「旅行てすげえな」と独りごちつつ、待合室さっとを覗くと、いい具合に椅子があったが、そのまま跨線橋を渡る。

 駅舎はやはり開業時、戦前のもので古い木造がいっぱいの魂をふくんで悄然と立哨している。蛍光管のまわりには小さな虫が飛び交い、梁瀬駅との表示を照らし出していた。しかしそれを見るものはいるだろうか? 夜に屋に背駅と堪忍してここに来る人が! 下にはYANASESTATIONともあった。大正ロマンだろうか。
 ともかく虫が多い。やはり田圃がちかいからだろう。駅舎の中は個掛け椅子しかない。更換されたようだ。
 ぼんやり明かりのともる改札口のむこうからは蛙の大合唱が響いてくる。ただ身一つ、ただ我のみがここにあり。汽車はすべて去り、営業を無言のうちに終了した無人駅に。
 「これからこんな毎日がつづくんだな。」
 外は小街道が流れ去って、格子を玄関に出している昔からの民家がしずまっていた。もう家人はねむっているのだろう。かつてはその主人もこの駅から自分の人生をはじめたこともあったろうか? 今は駅とともにひっそりとねむっている。

 自販機もうなってるし駅舎前はまだよかったが、これからより暗いむこうのホームの待合室に行くのは気が重かった。いずれにせよ、消灯前に支度をせねば洒落にならん。しかし水場がない。一連のことは翌日の次の駅で済ますしかないな。そうそうに待合室に戻り、シートを敷いてシュラフを引っ張り出す。
 「封筒型は明朗な感じでいいな。マミー型はやはり締め付けもあるから、悪夢を見やすい気もするし、いざというとき行動を起こしにくいんだよな。それでちょっとこわい」
 夏だった。はじまったばかりだ。
 私は何の抵抗もなく、すっとシュラフに入って眠ろうとする。半ズボンは脱いだ。寝ている間に水分を吸うと着づらくなる。「これから何日もづくんだからいちいち駅寝に抵抗を感じていては話にならんぞ」と言い聞かせる。
 いつしか音もなく電気は消え、青黒いそらと遠くの脈打つ血のような赤色灯だけが目に見えた。