北陸4 - 第2回北陸海岸紀行 -
2007年9月
北陸本線、最後にして最大の輝きの区間を求めて
今度やって来る夏にも、泊りがけで長期旅行しようと決めていた。しかし結果は時期を逸し、なんと日帰りで敦賀の望海と街歩きに終わってしまった。決心していただけに愕然と、目の前が暗くなった。
もう来夏は、倒れそうなほどの旅心くすぐる予定にするしかない。路線図を見る。前から大事に取っていたところ、北陸本線の糸魚川 - 直江津間。もう少し手前、越中宮崎から含めよう。ここを私は勝手に北陸本線のもっともすばらしい区間としていた。乗っているとトンネルが多いのだが、それゆえたまに見えた海の光景は、暗い中でその想像がおしとどめられなくなり、降りたくなって仕方なくなる、そして降りるとなると、やはり最もよい区間なのだった。もう取っておく必要はどこにもない。来夏ここに、行こうではないか。2年前に訪れた親不知、名立の美しさが胸に甦ってきた。逃した今夏への悔恨と、おしとどめられぬ来夏の渇望。秋になったばかりの今となっては、本当に遠い夏、これを、これは、いったいどうしたらいいのだろうか。
だからそれから1年は気を紛らわすように、秋から冬にかけて、和歌山線や、加太越えの関西本線や、三重の津あたりの紀勢本線に出かけた。それらに冬のよさを教えてもらいつつも、永い冬を、なんとか葬り去り、薬水駅で春到来を確信したが、気力が充実する中、もえさかる願望を北陸とは別のところ、三木線や桜井線、伊勢、鳥羽などほかさまざまなところに転写した。それでようやく北陸を訪っても差し支えないと思う初夏半ばを迎え、武生や鯖江に向かう。6月になり、梅雨になり7月、8月、さあいこうと決めていた日に寝過ごし、頭の中が真っ白になった。どうにか気持ちを立て直し、福井の所用のついでに、からくも前座ふうに日帰りで高岡に行くことができ、これからが始まりだ、と、泊りがけの機会を窺った。しかし不可解な微熱が続き、果てには壊れていたらしく画像の写りがおかしくて、外が晴れ続けるのと夏の微熱に苦しみながら、煩わしいのをこらえて新しいカメラの詮衡をして、さんざん迷って決めて届けてもらったのが、もう8月も終わろうとするころ。精神が悪化した。さらに悪いことにこの年は、夏の終わるのが早く、申し合わせたかのように8月末日に秋風が吹いて、夏空はまったくなくなってしまったのだった。もう1年待たないといけないのか、と思うと、すべての意欲が消えて力が抜けて斃れた。
奇しくも機会の到来と、旅立ち
けれども、なんかおかしくないか。なにか悪いものばかりに自ら陥ろうとしているような。9月にもう一度夏が来るんじゃないか、そう疑いはじめた。そう思いたいだけなんだ、と考えたこともあったが、そういうわけでもなかった。
時節は舞い込んで来る。9月中旬、まるで教科書に載っているかのような盛夏の地上天気図が連続して現れる。予報でも、夏に逆戻りです、と不満だろうと想定されている皆に同調するように言っている。これだ。ここでいかないと、さらに1年待つことになる!
朝4時。9月中ごろとあって、かなり暗い。いつもと違い出るのに億劫になることはなかったが、相変わらず未明寝起きの軽い頭痛があった。とにかく準備し、食べ溜めして、なんども中を確認した重ったるい荷物を引き下げて、外に出る。きのう0時に空を見たときは夜の快晴だったのに、今見ると気分の悪くなるような雲が、雲が一面を這っている。台風が来ているのを思い出し、その湿った気流がここまできているのだった。どうしよう! 北陸の方はどうだろう…一瞬考えたが、どうでもいいからとにかく出駆ける、と、9月ゆえもう肌寒くなってしまった明け方前の道、を駅へと向かう。
明朝の最寄駅。静かにエスカレーターがうごめき、白い蛍光灯がさめざめと照らす。普通米原行きに乗った。これに長々と乗って、終点米原まで向かう。中はがらすきで、もう旅行者の姿はほとんどない。
米原に着いても、曇っている。直流化後の新しい車両に乗って、湖北を詰める。2年前こうしたときは、まだ旧式の車両しか走らなかった。ぱっと見て変わったものはすぐわかるだけに、自分自身はどうなのだろうかと考えはじめるとすぐ雲が湧いてきた。
新しくなった駅ばかりだが、それで反って寂れているところだとも思えた。近江塩津を出ると、いつも少し不安げになる。日本海のある街敦賀に容易に到達できるのが、いまだ信じにくかったし、あまり適切ではないかもしれないがこの先も進む北陸の天気を占う指標にしているからだった。
無言で深坂トンネルに入る。轟音が私の夢を打ち砕こうとする。いちおうまだ私にとって新鮮である敦賀で適当に遊んで帰ることになるのか。それともたとえ曇っていても強引に進むか。
闇の音世界がふっと消え失せ、トンネルを出る。北陸に入った。車窓を仰ぐ。稜線が鋭く雲を切り剥ぐっていて、切られているところは、ほつれて、もやもやになっていた。あたりは一転、きらめいてまぶしい。すべての樹木を電動で伐採せんとするかのような蝉の鳴き声が、聞こえてきていると信じていた。しかし九月だから、真実は静からしかった。恍惚とした中、胸をなでおろし、胸が下がり過ぎて前の座席の下に入り込み、降りるときに忘れてきそうだった。
敦賀は晴れて
列車は真夏の敦賀駅構内へと進んだ。男性の明るい声で、ご乗車ありがとうございました、つるが、つるがです、5番線に停車中の福井行き、乗り継ぎ時間が短くなっております、お乗換えの方はお急ぎください、まもなく、つるがです。もうこの乗り継ぎはわかっている、お手のものだ。早歩きで福井行きの旧急行に乗り換えた。車掌は乗り継ぎ客を確認するため、外に出てこちらに顔を向けているのが通例だ。
どさん、と乗り込む。敦賀からの地元の人ばかりで、晴れも曇りも、意に介しない人たちだ。福井行き列車は、無事発車。北陸トンネルに入る前、いやに車窓が夏なのに、地元の人ばかりなのが、哀しい九月らしい感じだった。
南今庄でドアが開くと蝉の声、山麓の冷たい夏の風、今庄駅でも季節ゆえ少し減ったような蝉の声の中、何人かの女子高生が乗ってくる。半袖だった。福井の喉に詰まるかのような方言で、今日は何でこんな暑いんだろう、と言い合い、嫌がっていた。嶺北南部の深刻な田舎には似合ないくらい、無気味に晴れ渡っていた。
通学生は武生、鯖江に着くとどっと降り、また乗って来る人も少なくはなかったった。そして終点福井であらかた下車とみえて、階段は太い流れになり、人々は掃けていった。
乗継列車の金沢行きはと言えば、がらがらだ。旅心地が自然と高まった。
福井を出て、森田駅付近にて。
こうして落ち着いたところで、このあたりで今回の旅程を手短に。今日は適当にいくつかの駅に降りながら、富山まで移動することになっている。そして富山で宿泊し、翌日、目的の北陸本線の輝きの区間に向かうのだ。
車内はまばらに地の人が乗っているばかりだったが、福井から乗っている、この車内には似つかわしくない変わった乗客がひと組 乗っていて、はてと自然に見つめていた。スーツを着た男女で、向かい合わせに座り、互いの写真を撮り合っていた。旅行着ではないし、はてこれは少し考えてみようとしていたところ、ふたりは細呂木駅で降りた。峠前の無人駅である。二人はいつもの日々と仕事から亡命するつもりだ、ふっとだけ人探しの張り紙などが浮かんだりしたが、列車を降りる足取りは堅調のほかなく、二人は無人の改札前を青緑色の切符を持ちながらほんの少し戸惑っていた。ただ特急から普通に乗り継いでの出張だったのだった。
それくらいこれからの時間の北陸の普通列車には、スーツ姿の人というのは乗っていないのだった。そういう路線だった。
細呂木を出るといよいよ平地は狭まった。牛ノ谷峠を目指している。車窓の狭い田圃は、すっかり刈り入れが終わり、轍が深かった。季節外れの、平日の、この世によんどころない旅らしい感じがした。
細呂木-牛ノ谷間。
列車はけれども私のような気楽そうな者だけを乗せて、無事牛ノ谷峠を越え、開けた加賀に入った。立派な地名となっている、大聖寺が声高く連呼される。心なしか列車の唸りも上がったようだ。さて、加賀に入っての初めの都市は、幾つかの温泉街の最寄駅を抜けたとこにある小松、ということになっていて、その次あたりに、私のこの旅行の、初めての駅があることになっている。
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