九州都市周遊

2008年3月

  ある3月の初旬。外では雨がしとしとと降っている中、部屋にこもって天気予報を見ている。それによると、今ここを降らせている雨雲は、明日には南方の九州を抜け去り、九州は翌日から晴れが続くという。ほかによい日取りがあるかもしれない、が、なぜだか、今だ、とひらめいて、心臓が高鳴った。高速バスの空き席はそうしている間にも減っていた。どきどきしながらなんとか空席のあるのを見つける。緊張しながら小倉・博多行きの予約を済ませた。もうなんでもいいから九州に行きたくなった。

  この予定は、もともとは3か月前の12月に行く予定で立てたものだった。真冬の九州に、とくに12月の熊本に憧れていた。しかしやはり12月は立て込んで、この予定はかなり迷いながらも見送ったのだった。しかし落ち着いた1月下旬ごろ、日の長い春の九州が思い浮かんできて、日の長いほうが得だ、出遅れたわけじゃないと思うようになり、その予定を春用に改めて、3月をじっと待ったのだった。

  今回の予定を簡単に述べると、あいだに小さな古い駅を挟みながらも、九州の都市駅ばかりを巡るというもの。投宿は、熊本、そして大分。大分へは勝手に夜行列車と称して、豊肥本線の最終を乗り継いでなんとか向かうのだ。最後は下車しつつ日豊本線を上り、小倉からまたもやバスで帰る。はじめは肥薩線を入れようと苦心したが、思い切って切り捨てた。予定というのはいろいろな切り捨てで成り立っている。

  もうだいたいいつも準備はしてあるから、決まってからは荷物に数点付け加えるだけだった。乗車票も印刷したし、バス乗り場の案内を2種類も印刷して鞄の中の取り出しやすいところに入れた。しかし出発時刻までのいやな緊張感はどうしようもない。乗ってしまえば、もうなんともないのだが。気分の悪さに苛まされ、ほぼ何も手につかず、時刻を見逃さないように時計をしきりに見ていた。
  とくにツアーバスはとにかく乗り場がわかりにくく不安だ。しかし自分で決めたこと。必ず乗ってみせる。それよりも、そんな不遇のバスに乗ってみたい気持ちが前からずっと続いていた。自分の理解でつまびらかにしたいという気持ち。わかりにくいものほど、よくいわれていないものほど、快刀してまぶしくしたかった。

  雨の夜の中、最寄の駅に向かい、京都駅に向かう。傘は持っていなかったが、道中濡れないようになっていた。20時ごろ、八条口に着いた。集合時間は20時40分。このぐらい早く来てもほんと少しも早くない。軒下から見る路面は濡れて、そこにタクシーの赤い光がいくつも映っていた。飲食街の近いこのあたりの軒下は闊歩する人も多い。

京都駅八条口前 八条口前の風景。

八条口観光バス乗り場 八条口観光バス乗り場といわれるエリア。すでにいくつかツアーではない夜行便が入ってきている。

  まだまだ動きはないだろうと気楽に待っていると、敷地の中央付近で、熊本行きのバスが長々と停まり、その前で若い係員が幾度も拡声器で案内していた。あまりに何度も案内するので、乗るべき人が見つからないように思え、それでもしかしたらあれなんじゃないかと思えてきて、一回思い切って近づいていった。しかし時刻も違うし、熊本行きなわけがなく、どう考えても違うと思い、直接訊かなかった。そうしなくてよかったのだが、普段の気持ちなら明らかに違うと言い切れるバスでも、不安だと少し方向や時刻が似ているだけで、自分のバスではないかと思えてくる。
  やがて熊本行きは去った。その後20時40分前が近づくと、次々とさまざまなバスが入り込んできて、後退しながら軒下前の駐車場に停車する。ほんとうに多くて、どれがどのバスかわかりそうにない。

  ついに集合の20時40分になった。もう逃してしまうのではないかと気が気でない。それでもそんなそぶりをかけらも見せないようにして、ゆるやかに構えたように装っていたようだった。バスのお尻の並びを背景に、スケッチするようにボードを首から掛けた人が何人も現れる。よかった。とりあえずは始まるようだ。ついさっきまではこんな気配がまったくなかった。そのボードに予約者の一覧があるのだろう。ある係りは強い声で、ある係りは弱気な声で予約者の名前を呼んでいく。ヨシカワリュウスケさん、ヨシカワリュウスケさんはいらっしゃいますか…。緊張して立ち群がっている人たちのなかに動きはない。いない、とわかると、次の名前を呼ぶ。何人もの係りが並び、ほかのバスの係りが名前を呼んでいない隙を見て、別のバスの係りが名前を呼ぶので、あっちかとおもったらこっちで名前が呼ばれる。声の大きな人は一人か二人で、ほかの人は呼ぶ気がないと思える声量だったが、まったく名前を呼ばずずっと立っている人もいた。たぶん、こんな体裁での点呼は元からそんなに意味がないのだろう。乗客自身が係り一人一人を当たって名前を確認するのがしばしば見受けられた。

  私も初めのうちはおとなしく呼ばれる名前を聞いていた。しかしこんなのんきなやり方ではどんどん出発時刻は迫っていくばかりだし、いつしかあたりには列のようなものができていて、私の列の前の女性は携帯電話の乗車票を震える手で何度も見ながら、押し黙っている。これでは駄目だと悟るようになり、意を決して複数の係りに自ら進んだが、1人目の係りも2人目も係りも、名前はないといい、3人目で絶望的なことを、辛気臭そうに言われる。「この辺で名前呼んでる人はみんな同じ会社だよ。」。私はなんともなさそうにしていたが、頭がぐらぐらした。そんなばかな…。とにかく電話だ、と駅ビルに入り遠い公衆電話まで走って、指定の電話番号を押した。周りの人が珍しそうに見ている。なんとか平然とした表情を装っていたが、電話の方は繋がってくれない。こうしている間にも名前が呼ばれているかもしれないから、また急いで乗り場に戻る。携帯電話を持っていなければ、こういう不便なことになることは、わかっていた。戻るとそこでは、名前を呼ばれた人がほっとした気持ちを発露せぬよう用心しながら前にいざり出ては、係員にバスの場所を教えられ消えていくという状況で、うらめしいやら、かなしい気持ちになった。どうして自分の名前は呼ばれないのだろう。すでに呼ばれた感触も、これから呼ばれそうな感触もまったくなかったのは、係員がさっきと同じ人ばかりだったからだった。だったらやはりこのまま名前を呼ばれるのを待っていても駄目だと思い、また電話しに向かったが、やはり繋がらなかった。騙されたのではないかと思いはじめる。
  もう電話のことは放擲し、あきらめんぞと乗り場に戻ったら、早くも係員が減っていた…が、すぐさま、それまで見かけなかった60ぐらいの係りの人が新たに立っているのを見つけた。ボードを覗き込むよう うつむきながら黙ったまま、立っている。私は意思とは無関係に、ゆっくり進んで、その人に名前を告げた。告げると同時に、よく見える位置にあるそのボードを覗き込むと、たくさんある氏名の中から、一瞬にして自分の名前を見つけ出し、思わず、これです、と指差すと、その人は黄色のラインマーカーで線を引いて、愛想良く、あちらの赤いバスです、と小さく言った。こんな見つかり方があるのかと恍惚としながら、その人の指差した方をなんとなく歩いていると、真っ赤なバスがある。これだ、やっと見つけたぞ! バスの車体には九州のバス会社名が書いてあり、どうも請け負いのようだ。バスとバスの隙間に入っていくと、車体側面の開いた近くに大学生らしい男女がいて、60くらいの好々爺たる係りの人が、荷物入れちゃろうか? と微笑みながらその2人に話しかけていたところだった。その瞬間だった、その狭いバスの隙間いっぱいに九州が広がったのは! 私はまた頭がぐらぐらして、もう九州にいるんだ、と思った。その2人は、じゃあ(どれにしようか)、と預ける荷物を2人して選び、男がそこから一眼レフカメラを取り出したりしたあと、荷物を入れてもらった。2人は車内へと入っていく。それから私は進み出ると、荷物は? とだけその人は人良さそうに訊いた。私は鞄一つだったので、いいですと言うと、前に座席が貼ってあるから確認して乗ってえ、とのことだった。あの2人は荷物を入れる前に荷物入れ係りと雑談を少ししていたような感じだったし、係りは九州の方言を心置きなく使っていたから、2人が帰省だとわかって、3人は同郷ということで話が弾んでいたのかもしれない。それにしても乗客名簿を持っていた人、愛想のわりに根はなんて気弱なのだろう。だって黙ってボード見ていても、仕方ないじゃない。でも京都・大阪にやってきて、大きな声で名前を呼ぶ別会社の係りを横にしょんぼり立っていたこの九州の人から、優しい暖かさが伝わってきていたようだった。
  ステップを上りながら座席表を見ると、あるある。ほっとしてバスの中に入っていったが、もうほとんど座席が埋まっていて、いったいみんなどこで点呼を受けたんだと思った。そして誰もが若い、が、そんなにへんな格好をしていないものの目つきがあまりよくなくて、疲れているのか、それとも遅く来た自分を恨んでいるのかと思った。時刻を見ると、出発の20時50分前だった。そんなに遅くはないから、違うだろう。私の席は窓側だが、通路側はすでに座られていたので、わざわざ立ってもらって通してもらった。座るやいなや、私は腰を深々と据えて、座席と体を接着剤で一体化させるかのようにした。もうとにかくこれでほっとした。もはや何もしなくていい。足回りは暖房が効いていてとてもぬくかった。じっさい鞄が温まってしまったぐらいだ。食べ物が入っていると拙いことがあるかもしれない。いつものようにカーテンをちょっとよけて、外を覗く。いつもの駅前の風景、なのに、いつもとは全く違う関係で私と結ばれた風景。ここを離れるという旅のはじまり、そうしてこの土地にあっては別人になったかのような自分。九州という意識とともに、バスの中から見ると、この風景もこんなに違って見えるんだ。

  さて、私の隣に座っているのは、セルロイドの眼鏡を掛けた20代はじめごろの男性だった。暗い中ずっとファイルの中身を読んでいて、店の売り上げを精査しているのかと思ったが、何かの拍子に英文だとわかり、勉強しながら帰省するようだ。学生がどんなものなのか、私は忘れていたようで、ふとさびしい感じがした。ところで車内は20代前半が断然か多く、あっちこっちで小さくぼそぼそと話し声がする。とくに女が男にしている怜悧な話し方がよく聞こえてきた。あるとき、青春18きっぷって、特急券を買ったら特急にも乗れるんだよね、それ考えるとお得だよね、と機知ありそうに女が話しているのが聞こえ、純粋なものに思われた。ああ、それでいいんだよ。そういう人には、初めての出会いばかりの青春18きっぷの旅が、きっと待ち受けているだろう、自分にはもうできそうにない。楽しんできてほしい。それより、こんなにあちこちで囁き声が聞こえたら夜行バスの意味がないと思いつき、ちょっと嫌な予感がしだしたが、これは幸いにして裏切られた。このくらいの歳になれば、もうだいたい自制できる。ふと前方でスーツを着た20ぐらいの男が立ち上がってこっちを向いた。就職関係での利用かなと思った。

  私がバスに入ってからも、ときどき新客がほっとしたようにどたどた入ってきたが、そのうちにそれもなくなった。さきほどから私はちらちらと前方の緑色のデジタル時計を見ているのだが、ついに出発の21時になったというのに、前のドアは開いたままで、係りのものもおらず、動き出す気配はまったくない。どうもいつもこんなふうに遅れるようだ。時刻もある程度はそれを見越して設定しているのだろう。だいたいあんな何人も係りが出ていたのに、自分の名前のある名簿を持った人がいなかったぐらいなのだから、なかなか人は集まらないだろう。

  さてその間にバス内部の紹介をしよう。このバス、おもしろいことに小学生時代の遠足のバスそのものだった。いうまでもなくシートピッチは今の夜行バスに比べれば狭くて、2列、通路、2列の構造。座席は古そうな赤色で、前の背凭れには懐かしいことに小型の灰皿まで付いてある。前方右端にはブラウン管の小型テレビが設置されてあるが、その半分ぐらいは荷物棚に隠れていて、いったいいつのバスなのだろう? 私はバスの内装を見れば見るほど、何か厭なことが起こるのではないかと思えはじめた。でも、このみんなで九州に行くのだ。こんな年齢層ばかりなのは、節制である。しかしこの日は金曜日のため、運賃はそんな安いわけでもなかった。ツアーバスはいろいろいわれるが、行きたいという気持ちや考えのある人が集まることには違わない。裏交通史は、その実際がすべてだ。夜の京都駅裏口で待機する真っ赤なこのおんぼろバスの中は、活力と希望めいたものが充満しているようだった。

夜行ツアーバスのバス車内 バスの車内にて。前の時計は8時53分を打刻している。

  出発予定の21時から十数分たったころ、2人の乗務員がようやく中へと入ってきた。いよいよ出発。2人ともやはり60近くに見えたが、実際は違うのだろうか。添乗員が、運転台の近くで電話を掛けた後、つながらなかったらしく、ある人の名前を読み上げ、キャンセルです、と乗客みなに確認させるかのようにいう。名前は女性のものだった。どうしたのかな。 もう一本電話をかける。すると繋がって、外で話をしだした。戻ってくると、時刻を勘違いしとったて、それで、おまけに日付まで勘違いしとった、と、突飛におどけたように大きな声で付け足すと、車内はいっせいに笑い声に包まれた。そんなあけっぴろげな九州の人の対応の明るさを溢れさせたあと、ちょっと厳粛な感じで出発放送が始まった。添乗員による自身と運転手の紹介、そしてこのバスの直接の九州の運行会社の名を告げ、この列車夜行バスとなっておりますお休みのお客様にご迷惑をおかけにならないようお願いいたします、休憩所でお手洗いなどにお立ちの際は、この赤いバスを目印にしてください、ではよろしくお願いします、とのことだった。
  バスは轟くように、ごうん、とひと唸りすると、窓ガラスが揺れて、細かくきしる音を立てた。ゆっくり回転しながら動き出し、窓がずっと同じ角度からしか見せなかった駅前の風景が、立体空間なのだとわかる。それにしてもかなりの揺れときしむ音で、「ほんとにこのぼろバスで大丈夫なのか?」 数々の燈明、濡れた路面。九州の夢想を乗せて、バスは京都の広い道を走り出す。

  車内の会話は闊達だ。やっぱりみんなわくわくした気持ちがあるのかな。でもこのときは深夜になったら静かになるか不安な気持ちだった。数々の赤いブレーキランプを見せる運転台付近では添乗員がしきりに運転手に道案内していて、大丈夫なのかとやはり思う。バスは無事高速道に乗り、大阪・中津を目指す。何もわからぬまま、バスはいつの間にか速度を落として走っていて、やがて笛とともにオーライ、オーライと掛け声のする広い場所へと入っていった。バスの扉が開き、外のけたたましさが入り込んでくる。ここで下りて乗り継ぎする人や、ここからこのバスに乗車する人とがいた。しばらくすると赤いエプロンをつけた若い男性が入ってきて、みんなにカードを配る。私も直接受け取ると、それはマクドナルドのドリンク券だった。ドリンク付き、というのをこんなスタイルにしたわけだ。この券には当地九州でお世話になることになる。
  しばらくあまり旅心地のしないところでこうして停車したのち、ようやくバスは扉を閉じ、車内には静けさが戻された。このあとまた高速に乗るが、もう乗車停車はなく、南へ南へと進むばかりだ。まだ会話がなされていた。添乗員はなんだか軽い感じのお爺さんという感じだったし、ツアーバスはこういうものという認識が一般にあったらどうしようと考え込んでいた。バスはどこかの休憩所に入ったようだ。放送によると、三木サービスエリアだという。このバスはトイレがないため、是非と薦められていた。みんなこぞってバスから出たが、私はしたくなかったのでバスの中にいた。残ったのはわずか数人だった。ここ三木市は三木鉄道のつながりで去年5月に訪れたところ。ひょんな縁で再来することになったから、ちょっとは自分もいろんなところに行ったのかなと思いながら、三木という明かり表示を見つめた。添乗員は、あ、戻ったら人数チェックしな、この前ほら、置いてって怒られたし、なんて失敗を照れて隠すような表情で運転手と話している。チェックが粗末なのは恐ろしい。が、休憩中にSAのぞはを注文し、食べているところを呼び戻したところ、そばを乗務員にぶっかけた、などという、とても勝手な客もまれいるようだ。
  ドアを開けたままでの人数チェックが終わり、ここから先の走行中は、明かりを消していよいよお休みの時間へと入る。それまでに会話はだいぶ下火になっていたが、これで完全に消えた。隣の大学生は、気分が悪くならないのかと気がかりになるほど、動くバスの中、薄暗い明かりのもとで英文を読んでいたが、もうこれでファイルを閉じ、眠ろうとするようだった。

  暗闇の中を暗闇の函が走る。私はずっと前方を見ていた。一糸乱れず、幾台もの大型車、たまに普通自動車が走っている。そんな中、我がバスは指示器を出しては驚くほど器用に次々と走行車を追い抜いていく。ほんのちょっとでも乱れたら、すべてが無茶苦茶になるような雰囲気だった。一触即発。ぞくぞくしながら見守っていた。照明がまったくなく、それも恐ろしかった。高速でも田舎の方ではこんなふうになる。前方に篠栗観光のバスが見えた。あのバスが京都にあったのを覚えている。我がバスはそれまでと同じようにして、そのバスを追い越した。子供みたいに少し嬉しかった。だがしかし、驚くことに、篠栗観光のバスが猛追、クラクションを苛立たしげに投げつけて、再び我がバスを追い抜いた! たぶん同じ路線をツアー会社から請け負っていると思うが、同じ九州の会社なだけに、こんな追い越しを受忍することはできないかのようだった。ただでさえ九州だ。それでこの後どうなるのだろうと不安に慮っていると、当然だが幸いカーチェイスのようにはならないことはもとより、それきり、我がバスは追い越しをすっぱりやめてしまった。篠栗観光が追い越して行った後、添乗員がなにか不甲斐なさそうなせりふでも言い出さないのかなと注目していたが、何にも言わず、ただ彼は前を向いていた。
  福山サービスエリアに停車。もう深夜だ。サービスエリア名の案内もなかった。もう岡山の端なので私もそろそろ眠り込みたいと思っているのだが、完全に頭が冴えていて、眠れる気配など微塵もない。周りがおとなしく眠れているようで、気持ちが穏やかでなかった。
  走行中、隣の大学生が凭れかかってきた。もう仕方ないなと思いつつ、支えをしてやった。彼はたまに気づいて元の位置に戻ったが、またもたれかかってくる。前の人は窓ガラスに頭を寄せていて、振動で頭とガラスがごりごり音を立てていた。熟睡だ。ああ、こんなふうに眠れたら! でもふ気づく。前の人は、復路なのではないかと。復路ならどんな状況でも寝られる。やっぱり往路は寝るのはいつも無理だな…と思いながらも、寝付こうとしたり、諦めて前方のフロントガラスを見やったりした。なお、窮屈さはまったく感じなかった。こういう4列の夜行バスはしんどいと言われるゆえんが、わからなかったぐらいだ。こんなバスタイプは、自分みたいなのが利用するのにちょうどいいのかもしれない。

  ぼうと前を見ていると、バスは突然、志和インターチェンジ出口前で左方向指示器を出した。いったい何があったのだろう。ああ、ほんとうに下りてしまう…。周りの客を見ると、すでにおおかた眠っているかぼんやりしていて、気づいている人はいても、たいしたことないと考えているようだった。私は、一般道なんか走るのかと、はらはらしながら前を見ていたところ、いったん完全に高速道を離れたあと、すぐのところのガソリンスタンドに入っていくではないか。なぜかここで給油。特別にここで契約でもしているのだろうかと考えたりした。それより、満タンで出発しても京都から博多まで走るには足らないバスなのだろうか。謎だった。バスが停車して前のドアが開いたとき、1人の女性がむくっと起きて、前のほうへ歩いていった。トイレ休憩だと思って起きたのだろうけど、どんな対応になるのだろうと見守ったところ、案の定、向こうでちょっと会話のあった後、そのままこっちに帰ってきた。やっぱりトイレはあらかじめ決まった休憩場所でしかできないんだ。でもこんなとこで時間を取って、ほんとに小倉に6時に着くのかなと懐疑した。
  再びバスは高速道に乗り、ほっとした。でもこれでだいぶ同時に出たバスには置いていかれたような。もう広島で、さすがに寝るのは諦めかけたが、この後、記憶がないことから眠ったようだ。気がつくと下関。慌てた。外はかすかに薄く明るい。落ち着かなくなった。
  目がはっきり覚めたまま、軽い緊張を感じつつ前方を凝視する。バスは高架道路を快走し、北九州都市高速に乗る。しかしもう到着予定の6時数十分前なのにまだ高速を走っていて、これでいいのかなと思ったが、気のつかないうちに一般道をちょっと走って、バスはぴったり6時に小倉駅北口にやって来た。小倉でお降りの方、お疲れ様でした、まもなく小倉駅北口に到着します、との放送が流れる。停まったとたん、みなどやどやと降りはじめた。博多まで同じ運賃なので、小倉で降りる人は少ないと思っていたが、意外だ。窓はまだ小暗い。狭い通路をすり抜け、ステップを下り、私は片足が地面に着くのを、ちゃんと意識した。九州、上陸。添乗員はさっそく荷物入れを開けて、手渡しししている。さあ、ここまで来たからには、何としてでも、3日間やり切ろう、と、春の未明の、冷たいが、香りがしてきそうに心地よい空気の中、たいそうにも体中に力を込めて、奮起しておいた。でもそうすると、気持ちが切り替わる気がする。空を見上げたが、まだくすんだような色で、天気ははっきりとわからなかった。でもこれはたぶん晴れだ。一歩一歩、小倉駅の階段へ近づき、上っていく。

未明小倉駅のデッキにて デッキから乗ってきたバスを眺めて。

小倉駅コンコース。
小倉駅コンコース。

  コンコースは広く、またとても都会的だった。左手にある新幹線改札口には古さもなく、6時だからたったいま始業したかのような感じだ。この日は土曜日。キャリーをもった中年女性グループなどを見かけたりして、旅を始めるのに気分がよかった。まっすぐ行くと、在来線改札。あらかじめ買っておいた青春18きっぷを有人改札に差し出すと、はっきりした口調でおはようございます、と言われ、入鋏しから、お気をつけて行ってらっしゃいませ、といわれ、私は頭がどよめきつつも、ありがとうございます、と返した。まさか小倉駅でこんなことを言われるとは思ってもみなかった。土曜日の早朝に青春18きっぷ。だからかな。さてすぐぼうっとしがちな気持ちを奮い起こして、行先案内を見ると、乗車予定の6時9分発が、6時8分発になっていた。ほんとにこれか、と思うも、やはりそれで間違いなく、ここで、自分の予定はダイヤ改正前のものをもとにしたものだと思い出す。新しいダイヤで予定を確認したかったが、いつしか間に合わないころあいになっていたのだ。なお、バスが6時に着いて、それから10分以内の列車に乗ることにするのは、バスが遅れることもあるので危ないが、念のために、後発1本目、最悪、後発2本目の列車に乗ることも考えて、予定を立ててあった。最初にこけると、半日ぐらい引きずってしまいそうだから。予定してなくても、自然と次発に乗るのだろうけど、想定しておくと、実際遅れても気持ちの負担が少ないくていい。

小倉駅、最も新幹線寄りのホーム。 ホームにて。

ホームの駅そば。 かしわうどん・そばの店。

明かり灯る小倉駅駅名標。 JR九州らしい駅名標。初めのころは違和感があったが、 今では楽しさや創意工夫を感じる。

夜明け前の小倉駅構内。 まだほとんど誰もいない。ところで水色の自動販売機コーナーがマイルドセブンの広告に見えて仕方なかった。

 ホームに降り立つ。まだそんなに明るくない。背後には新幹線の高架駅。待っているホームにはかしわうどん・そば屋が中で物音を立て、暖かい蒸気を出しながらせわしげに始業の準備をしていた。またカートを押した人がいくつものごみ箱から回収したりしていて、みんな、朝に備えていた。そういうところは、昔から変わらない旗艦駅の風景のようだった。
  列車はほどなくして入ってくる。列車を見つめながら、これ、これ、とちゃんと意識する。私はほかのことを考えると乗り逃しやすい。そうしてついに、はじめて、九州の車輌に乗車した。写真ではなんとなしに知っていたが、本物に乗ると、もう驚くばかり。シートが赤と黒の豹柄で、頭部がビニールレザーのクッション、そして車内は赤、青色…。これが九州なのかぁ、ほんとに九州に来たんだな、とつよい実感が沸騰した。しかしほとんにこんな豹柄なのが通勤通学列車なのか…。まだほとんど誰も乗ってはいなかったが。

JR九州の普通列車車内。 車内にて。

  車掌の肉声の案内とともに、日の出前の薄明るい、都市の新しい造りの駅に次々と停車していく。車窓は海側を選んだ。延々と街の風景が続く。天気は晴れ。雲がない。朝食に買っておいたおにぎりを食べた。そして日が出て、車内に差し込んできた。北九州の明るい街。物騒な事件がけっこう多いけど、何事もなく暮らしたい人がほとんどなんだと改めて思えてきて、九州を静かに信じられてきた。道中に停車した、屋根が高く影の多いとある駅のホームでは、十数人が立って待っていて、そのうちの数人が、なんとなくこっちを見ているようだった。進むにつれて、駅は大きい感じだった。
  小倉から24分、折尾の放送が流れる。座ったまま鞄の持ち手を握り、緊張する。折尾で乗り換えなんだ。そしてとうとう着いてしまう。「おりお、おりおです」。腰が据わっていて降りくい心地がしたが、ふっと力を入れて立ち上がる。乗り換え時間が5分のため、脇見もせず上の案内板を見ながら移動した。1階の乗り場に下りる。古くからの立体交差の駅で、新旧混在の駅構内だった。この移動においては、通路1本しか使わないため、構造が明快に思えた。なんだ、そんなに迷わないじゃないか。乗り場には概観が急行風の列車が入っていた。車内に入ると、すっかりワンマン改造されている。とりあえず、着席。時刻は6時半ごろ、もうすっかり日の出で、くすんだ車窓から日が差し込み、1階の地平構内は明るく照らし出されていた。

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