吾桑駅
(土讃線・あそう) 2008年1月
列車は峠を越えて西佐川に出て、峻とした里山に囲まれる里の風景や、それなりの規模の駅舎を配しながら、駅前ただの静かな広場となっている光景に驚きをもって出会ったばかりだったのに、西佐川を出ると、そんな感じの風景は長くつづかず、そのまま、小さな街の中へと入っていった。まもなく、佐川駅着。何人かがかたまって下車した。窓から見えるホームも主要な駅の感じが少ししている。特急の停車駅であった。佐川を出ると、身近な里山に囲まれた小さな川と平野を走り、このまま海沿いは現れそうにない。でも鉄道線は海岸へ向かっているのだから、なにか風景の大きな変節を前にした、移行的な風景のようだった。列車は何気なしにトンネルに入った。走っているとわりと長いトンネルで、斗賀野トンネルだという。そこを出てもたぶんまだ山だから、しばらくはこんなふうに山を走ったままなんだなと思った。長いトンネルを抜けると、いきなり山隘で、さっきまでとはまったく違うところに出てきた。どちらも山裾が近く、右手には狭い谷底平野をやや見下ろしている。「へえん…」。川沿いのその村落の風景が落ち着いてくるころ、列車は吾桑駅に着いた。
外に出てホームに降り立つ。列車はまだ先のほうにある山へと向かって走っていく。その後姿を見つめて、音も消えるころ、あたりが急に青空と冷たい風だけになった。こっちのホームは山の斜面にあり、そこの柴木が風が吹くたびにふれあっている。ヤブツバキが真紅の花をいっぱいにつけながらも、ぼとぼとその花を落としていた。四国にはヤブツバキが似合う。
駅は四方を近く遠く山に囲まれていて、ここからはほとんど山しか見えない。駅舎が向こうのホームにあって、大きめの貨物側線が併設されているのも見えた。その側線越しに、さっき見てきた谷がちらっと見えている。
ホームの柵には桑田山 (そうだやま) 雪割り桜との看板が掛かっていた。古い名所に思えた。
来た方向を振り返ると、あっと驚くような、名前のよく知れていそうな山。親しみやすくいびつに、どっしり斜面を左右に広げている。山肌がいろいろ利用されていて、中腹には集落があり、そのあたりは果樹園になっているようだった。あれだけで一つの山だと思っていたが、蟠蛇森 (ばんだがもり) (769m) の一部で、ここからなら桑田山と呼んでもいいらしいものだった。雪割桜とはツバキカンザクラのことで、まだ雪の残る2月に桜のように明るく咲くからそう呼ばれて親しまれているという。この時期はまだ少し早いようだ。
駅舎入口にはそうだやま温泉も案内されていたが、雪割桜もその温泉も、ここからはちょっと遠いようだ。
佐川方面を望む。あの山が蟠蛇森のある一面、桑田山。
須崎方面を望む。なんとなく駅が高いところにあるのがわかる。
谷側の風景。
駅名標。
踏切手前付近にて。
常緑樹と待合室。
下りホーム待合室。
中はきれいだった。
踏切前にて。何か設備が置かれていたかのような屋根がある。
踏切にて。佐川方面の風景。
須崎方面。海に向かって下っていく。
踏切を渡って。
近くに四国の形をした池があった。
上りホーム。
軒下の風景。ここにも長椅子がある。そうだやま温泉が案内されている。
高知線の歌。水美しき吾桑の里、と謳われている。
軒下の風景その2
上り特急が通過していった。
改札口から見える駅構内の風景。冬でも緑が多く見られる。
ヤブツバキと待合室。
上りホームに端付近にて須崎方を望む。
お手洗い前。かなりかさ上げしている。
雪割桜の名所にほど近いらしい。
踏切を渡って隣のホームへ行き駅舎の中に入ると、狭い待合に陽光が差し込んでいた。
すぐ右にある窓口は閉じられている。隅には生け花が置かれ、またここに来る途中には阪神往復フリーきっぷののぼりがはためいていたから、人の気配が感じらた方だった。生け花や造花は、無人駅によく見られる。生け花のような繊細なものがあると、定期的にそこが管理されているのをことさらに示しているようでもありそうだ。置いてある椅子は、やはり長椅子。降りたホームの木造待合室の中も、据え付けの長椅子だったし、ホームから駅舎に入る軒下にも伊野駅と同じ長椅子が置いてあって、無人駅ながらあまり細かいことは考えないようにしているようだった。
ところでこの駅に来たとき、駅舎にほんのちらっとだけ、ひと気ではなく、本物の人影を見た。そのときは上りを待っているのだろうと思った。しかしどうもそうではないようで、地の人が休憩しに来たのだろうと思うようになった。
駅舎内の風景。
左手の様子。この駅には一人掛けの椅子が一つもなかった。
改札口。
鉄道写真が飾られてあった。
左は「桑田山と石灰列車」(昭和58年)と題され、
石灰を山と積んだ貨車が連なっている。
「窪川と高知への乗車券は堅田商店でお求めください」とある。
ここは簡易委託駅の扱いなるようだ。
生け花と広告のある駅舎内。
駅舎を出て。
かなりいい加減な電話番号の書き方だった。
吾桑駅駅舎。
駅前は横長の広場、突き当りの植え込みの先は、斜面で、その下に山里がつつましく広がるのを感じたが、じっさいそうなっていて、この駅構内ぜんたいは、山裾を少し上がったところにできているようだ。
ここは左から、右から、道が上ってきていて、人通りや車の通過がありそうになく、安定した静けさのある広場だった。斜面の柵代わりの落葉樹が、短く影を落としている。冬のとあるお昼だった。雲はほとんどない。なのに、偶然たったひとかけの雲が、ゆっくり太陽に近づいてく。ふっと光を遮る。青くなるあたりの風景。雲はゆっくり流れて、薄くなっている雲の後ろ側になると、まぶしくなって、地面も応じて明るくなり、山里はまた陽光に包まれた。
右の道がここに至るおもたる道らしく、自動車が駐められ、道は集落の中へと下りていた。あれ、今バイクが左から出てきた。そして、右の道へと駅前を横切っていく…。左の道は植え込みと木々に囲まれる細道だ。近づいていくと、その脇には斜面の下へとくだる、人と自転車しか通れない、中央がスロープの階段道があった。そこをおりることにしよう。
ほかには竹籔に包まれた細い急坂もあり、急傾斜地特有におもしろい道があるようだった。
その駅前左端あたりからは駅裏の斜面が見え、斜面の階段の先に墓地があるのが見えた。
駅を出て右手の風景。集落へと入っていく。
貨物側線跡。2線分用意されていた。
左遠くに駅舎。手前の看板には吾桑駅長の名前で駐車禁止と書かれてあった。
斜面から下りるとある道。新設されたようだ。
駅前広場の風景。一見すると行き止まり。
横から見た吾桑駅駅舎。
吾桑駅駅舎。なぜかゆがんでいるように見える。
駅舎その2
駅舎は木造駅舎の概観を改めためたもので、薄茶色の新しいめの建材で覆われたものだった。すっかりきれいな感じとなっている。さっきの人は駅舎の脇に座っていた。よくあるように、車をここに止めて、休憩しているのかな。しかし、私は駅舎を見ていたとき、あることに気づいた。ごみ箱のそばに、日清食品の"UFO"のがわが、濃い液体だけをちょっと残して、置いてあるのを。まさか…。そして駅舎内に寝泊りについて何か書いてあったことを思い出し、ここに住んでいるのではないか、とひらめいた。それはともかく、車で来たのではないなとわかりはじめた。だって、そういう人は地面にしゃがんだりせず、たいてい車内で休んでいるから。こんなタイプの駅舎で、明らかな地元の人が列車を3本も見送って長いこと駅で一人で過ごすというのは滅多になくて、珍しく、怪しんだが、私みたいなのが、いっそう怪しいのだろう。
でもちょうどお昼だったし、食べたのはあの人だとどうしても思えて、おもしろがって、そうだったら、横のごみ箱に捨てといてね、駅の記念写真に"UFO"のがわも一緒に写ってしまった、と苦笑して、心の中で遊んだ。
吾桑駅駅舎その2。
駅を出て左からやってくる道の様子。となりのレールは須崎へと向かう。
花壇と吾桑駅構内。
駅裏手の斜面にはこんな風に階段がついている。
当然線路を跨がないと行きつけない。
いくつかある斜面を下りる道の一つには、こんなのもあった。
これがたぶん本道。
その人のことはおいておいて、さっき見つけた、横長広場の左端にあるスロープつき階段を下りはじめた。下りると、高速道路の右路肩に出たかのようだった。防音柵があり、振り返ると、なぜか四角いトンネルが口をあけている。駅構内の下にこんなトンネルが通っていたとは思わない。吾桑トンネルといい、国道56号の付け替え新線らしい。交通量も多々あり、目の前に架かっているカーブの橋を、トンネルからトラックが出ては、ざああと幾台も走っていく。一見、清里としては無味な光景だが、橋の下を右に見下ろすと、山から出てきてちょっとだけ広くなった川が静かに流れ、その奥には桑田山が鎮座している。それはこの故郷の表象となっていた。また、川は海のあるはずの南の方向に流れ、その広い谷に、田畑が広がっている。ここは、土讃線を降りて出会った、とある飾らない、親しみやすい山里だった。
トンネルの坑口の脇の階段を上り返す。ここを毎日のぼるのか。駅前広場の端に着くと、丘の上にある新鮮な駅だった。
階段道を下りて。
吾桑トンネル。
桜川大橋。
振り返って。気持ちよい風景。駅構内は雑木林に隠れて見えない。
橋から見た桑田山。
流れ行く桜川。海の方向。
源流側、桜川の様子。
駅へ。
吾桑駅駅前。
高台にあり、さっきの桜川大橋が見渡せた。
ホームに出て、列車の来るのをしばらくの間待っていた。さっき下りたところは良かったが、この駅構内のあたりはやはり、なんとなく暗い感じだった。しきりに柴や笹がざわめき、自分をその斜面に振り向かせる。そして、あの階段の先を思い出させようとする。冬を彩る、ぽとりぽとりと落ちた真紅の花。その葉は、油っぽいクチクラで冬の乾燥を教える一方、肌で葉に直接接し合えず、互いに籠もっているようだった。
列車に乗った。駅舎の方を見ると、まだ座っているその人の横顔が少し見えた。駅の独り占めは進んでよろこべるものではなく、駅で独りだけでいることの感情というのが、脆いものなのだと自分を省みた。
谷から出た列車は川に沿う平地より高いところを走る。しかし平地はそのままどんどん開けてしまい、いつしか下るのもやめてしまって、街がもうすぐという感じになった。あの吾桑駅が海に出るまでの最後の山の駅ということになりそうだ。列車は住宅地や冬の田んぼの広がる多ノ郷駅に着いたあと、いっそう住宅を寄せてきて、大間駅に着いた。ここで降りる。
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