大間駅

(土讃線・おおま) 2008年1月

  列車はいつしか、街中に入り込んでいた。停車すると明るく振り向いた運転士、列車を降りてみると、住宅に挟まれたホーム一つの駅で、せいいっぱい南中した太陽がまぶしくきらめいていた。ホームの一人掛けの椅子は茶色っぽくなり、その背後の、目隠しか風除けかの水色のベニヤ板はぼろぼろだった。駅名標も茶色くすんでいて、ぜんたいに傷んでいたが、この鉄の錆色は年月として、山を越えてきて海辺を走る力強さとして、頼れるもののような感じをこのホームだけの駅に与えていた。

上り方面に見て。手前の小屋には券売機や乗車証明発行機でもあったのだろうか。

駅名標と時刻表。

上り、高知方面を望む。店や家屋が建て込んで来てかなり賑やかになってきた。

待合所の様子。灰皿が待合所に近いのがこのあたりの特徴。

須崎方面を望む。手前の山を回ったら須崎の街。

  ホームを須崎方向に歩いて道に出ると、右からすぐに自動車の走行音が聞こえてきた。住宅地ばかりではないんだ。すぐに国道へ出てみよう、と気持ちがはやった。でも海側も気になって見てみると、少し向こうに「つなみ ストップ おおま つなみ すいもん」と書かれた大きな水門が川に立っていた。もう海がすぐそこなんだね。海面は少しも見えない、けれどももう海を見たかのようだった。

  国道への短い道までには歩道に作った駐輪所や、おそらく駅トイレとして建てられたものがあり、駅の機能がだいぶはみ出していた。近くにへんろみち、という手書き案内があったから、そういう人もこの新しいトイレを使うのかもしれないと思われた。その近くに、駐輪にまみれながらも目立つ表示が2つあり、1つは昭和南海地震0.9m,もっと高いところに、次回南海地震予想3.1m…。津波のことで、わかりやすい掲示の方法だった。近くに川もあるからなのだが、毎日見るような駐輪所のこんなところにあると、向き合っていこうという気になるようだった。

ホームからの通路はかっきり右に曲がっている。 降りた人の動線を踏切の入口に持ってくるためだろう。

駅出入口横のトイレ。

昭和南海地震のときの津波の高さ。0.9m.

これが次回南海地震予想の津波の位置だという。3.1m.

向かいの駐輪所にへんろみちと案内されている。

大間駅。ホームだけ。

大間津波水門と鉄橋。

  国道へ出た。古く狭い国道で、かなり走っている。そして上り方向を見ると、駅に着いたときには想像もできないような、たくさんの店が立ち並んでいた。うどん屋、モスバーカー、ローソン、ドラッグストア…。急に街心地が高まり、恍惚としながら歩を進める。街らしい街を見たのは、高知から3時間ぶりだったのだった。何か買ったり、食べたくなった。もうお昼過ぎだ。次の予定を省こうと考えはじめた。でもふくらむその想像を大切にいだくだけにして、ここを発った。道中、食事するためにこの駅で降りてもよさそうだ。このあたりの沿道は先のほうまでスーパーから飲食店から宿泊施設、自動車販売店まであって、須崎市内にある須崎とは別の、多ノ郷の街となっているようだ。

国道56号の交差点にて須崎方面を望む。

なぜか下に置いてあった。

交差点から振り返って。

交差点の様子。斜向かいの建物はJA須崎。

高知方の風景。とても活気があった。

ドラッグストアとモスバーガーとローソン。

須崎方の風景。右手うどん屋。先のほうにさっきの交差点がある。

  交差点へと戻った。先ほどのへんろみち、との案内と繋ぐ感じで、信号の近くに八十八箇所の寺の一つらしい岩本寺へ案内を見つけ、この駅はそういう目的で、意外によそからの人が降りるのかなと思った、が、岩本寺は後で調べると窪川の近くで、ずっと先の札所だった。やはりこのホームだけの駅はだいたいここの人ぐらいしか使わないようだ。
  にもかかわらず、ここでは非常に充実した時間を過ごしているように感じていた。

  ホームに戻って、まぶしさゆえ陽射しを避けるように影に立った。そうしてずっと立っているとやはり寒くなってくる気温だった。次は1つ戻る。海を間近にして戻るけれど、まだまだ日は真昼の明るさがありそうで、なんとも思わなかった。街の明るさに気力も得たようだった。気がつくとホームに幾人かやって来ていて、ある人がすぐ近くの円筒灰皿を使いはじめた。喫煙所はホームの端、というようにはなっていない。私は邪魔になりそうだったので、そこから少し離れて、ホームを歩いたりした。
  大間駅は、海の近い、賑やかな国道近くにある駅。そこを冬の旅の中、高知とはうって変わって太陽が照らしてくれていて、楽しい印象のあった思い出の駅として、記憶にとても強く残っている。

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