安和駅
(土讃線・あわ) 2008年1月
多ノ郷を発った列車が、その前に私が降りた大間駅を出た。また未知の区間がはじまり、いよいよ海が近くなるということを思い出して、車窓を見る。すると、ほどなくして工業的な狭い海が見えはじめた。港だ。でもそれは見えなくなって、そのまま須崎へと着いた。ここで前1両と後ろ1両に切り離し、前1両だけが窪川行きになる、という放送があった。そして、ここで10数分間停車するという。どうにもここでしばらく止まってしまうようだ。気楽な気持ちになって前1両に行くと、ロングシートには40から70ぐらいまでの女の人らがずらりと座っていた。ほどなくして後尾から乗務員がつかつかと歩いてきた。そこである60ぐらいの女の人が、この列車はどこ行きですか、と訊ねると、その乗務員は顔の表情1つ変えず、窪川行きです、とたいへん硬く言って、前の運転台へそのまま歩いていった。なんとなく昔のようだった。立ったついでに、切り離しの間、ホームへ出て、あたりの風景を見たりした。
止まっていた別の列車が上り列車として出発するようだ。中間の乗務員室の窓からは、ついこの前高校を出たかのような10代後半の乗務員が顔を出していて、ホームを出る間、ずっと満面のほほえみをたたえていた。一方その横にいた20代の先輩は無表情で淡々としていた。今度ここに来るときは、あの年少の乗務員も、先輩みたいな表情になっているだろうなとぼんやり悲しく思ったけれども、今度来たときは、頼もしい姿の彼を見つけられたらいいな、と、私はその列車を見送って、1両になった窪川行きの車内へと戻った。
列車はついに須崎を発車。本数の減じる須崎以西を破ってゆく。街の外縁を走って土佐新荘に着いたあたりだった。とたんに干潟が見え広がり、鴎がいっせいにふわふわ飛んでいった。うわ、なんというところだ。須崎で小休止があっただけに、須崎を過ぎるとこんななるのか、との驚きはいっそう高まり、立ったままドアの窓の前から離れられなくなった。とにかく車内の人はこの風景をどう思って見ているのだろうと見渡すと、ロングシートに座った多くの人たちのうち、山側に座った人たちは海を眺めながら、ここはこういうところなんだよねぇ、へぇ、とか相槌を打ったりしている。明らかに地元の人の身なりだった。ここは地元の人でも見とれるところなのかと思うと、いっそうどきどきした。
トンネルに入る。海と山のばかりのきれいなところなんだ。それからはときどき海を見晴るかすように走り、みんなもわたしも静かに見とれているようだった。列車は青く淡々と走る。
まもなく安和です、という自動放送が入ると、いっそう固唾を飲み、手袋をした手に汗を握った。ここで降りるためにいままで…。ぼうっとしてそのまま行ったらどうしよう…。そういう考えを頭の中でできるだけ狭めて、何も考えない領域を作ろうとしていると、トンネルの中から光の見えるころ、列車は減速しはじめ、外へと出てゆっくりホームへと辿り着いていった。列車は停車。また車窓から海が広がり、山側に座った人たちを、車内を、海色ですっかり照らした。こんどはみんな黙っていて、ただもう車窓を見ている。海側に座っている人の中に少し首をよじったりしている人もいた。私は1人で足早に車内を歩く。こんないいところで降りるの? というような視線を感じる。前のドアから出るときは、ゆっくりと出た。再び冬の懐かしい外気。列車はカラカラおとを立てて停車している。早く行ってほしいと思った。なぜならまた私を吸い込んで連れて行きそうだったから。列車は扉を閉じ、発車。私を1人置いて去っていく列車。確かに列車が消えるまで見送った。そうして、眼前には大海原が見晴らせるようになった。声も出ぬ蒼海。美しい断崖。鼓動はいまだに収まらず、乾燥した空気ばかりを吸う。
やっと来た。ついに安和に来た。とにかく来てよかった、と思った。
須崎方の風景。
海が正面になるところまで移動して。
窪川方の様子。浜辺が見て取れる。
削り取られた断崖が美しい。
真冬の太平洋、安和海岸。
着いてから少し時間が経つとホームの周りや駅構内を見られるようになった。しかしやはり海に気持ちがとられたままで、なかなか落ち着かない。ホームはいわずもがな1つだけ。レールが海に面しているのだが、レールの向こうは風変わりな植物が並んで、その先が斜面になっているのだった。そのため海浜から10mぐらい高く、とてもいいぐあいに見下ろせるようになっている。海風をめいいっぱい受ける待合所の壁の前には古びた長椅子が1つ、灰皿が1つ。設備や規模はほんのそれきりだが、来た方向を見ると、昔は間違いなく転轍機があったようだ。その向こうはトンネルになっていて、鉄路は岬をくぐって来ていた。その岬の上にはガラス張りの小さな良さそうな建物がある。なんだろう。
その端のあたりでは線路と海側を隔てるのには無骨に枕木がずらりと打たれてあった。この駅にかつてほかに線路があったことを物語っていた。またそんな杭の並ぶ一方で、椰子の木が明るく立ち並んでいたりしていた。
待合所の様子。
窪川方面を望む。また山が控えている。
なぜか海岸方向にレールが一部渡されていた。
駅名標と海。
駅名標その2
ホーム窪川寄りから須崎方面を見て。入り江が奥まで続いている。
ホーム須崎寄りにて。
駅の山側の様子。
海側にはこんな枕木の杭が並ぶ。
ホーム先端にて。柵より先はホームがかなり低くなっていた。
振り返って。
海が呼んでいる。
ホームから出た。何もない土や泥の敷地がしばし広がる。その中に草がしっかり根付いた未舗装の短いホームが残っているのは、そこが水捌けもよく、誰も足を踏み入れないからのようだった。その短さからしてたぶん貨物用のものだったのだろう。駅前のかなりの部分が旧駅構内となっているようだ。土を踏みながらあたりを歩いてみると、ちょくちょく水溜りが見つかり、午前は雨が降ったのかと思われた。今はもう快晴そのものとなっている。よかったものだ…。この土の広場も駅出口あたりは庭のようにされていて、デラウエアのような南国のものから、細い枝の植栽などがところどころ植えられており、ささやかな南国植物園のようになっていた。花も、地面の緑の草々も少しあって、全体に緑が多かった。
ここは美しいけれども元は荒涼としたものが支配するところなのだろう。それを穏やな印象にしようとどこかているかのようだった。でもそれも、本来の雰囲気に包まれたものとなっている。
ホームを出て振り返って。
安和駅。
駅前は未舗装の旧駅構内が広がる。
ホーム出入口付近の風景。
駅舎がないから、やはりホームの待合所の壁が駅のしるしを果たしていて、そこに安和駅という駅名表示が出されていた。殊に駅たらしめているのは、その壁と、ホームの見える部分だけだ。しかしここは坂道を上ってきて広がる土の敷地だから、その不思議さから、ホームの片鱗だけでも、この駅はこんな駅として、人を納得させそうだ。
水色屋根の下の安和駅という表示は藍紫で、それをじっと見ていると、もっとも印象に残る海の色のひとつのようだった。地名には、色というものがついているのかもしれない。
ところで、さっきから土の敷地の奥のほうに妙なマイクロバスがとまっていて、少し気味が悪かった。はじめ廃車かと思っていたが、そうではなく、どうも運転手が乗っていて何かを待っているようだった。しかしあんな目立たないところで待つものは何もなさそうだ。あまり近寄らないようにした。ホームの出口あたりにも駐車があり、たぶん列車を使っている人のものだろうと思っていると、2台とも運転席に人が乗っているのだった。そう…3台とも、時間つぶし…。そこからでは海は見えないから、ただ休みたいだけなのだとよくわかった。
ホームを右手にして旧駅構内を望む。中央にある段が貨物ホーム、
スロープになっている須崎側から少し上って。未舗装だったためか
すっかり草が根付いている。
駅前広場窪川寄りの一角の風景。植物園…。
安和地区青少年を育てる会の標語柱。
駅から出ようとするあたりにて。
断崖の道への案内。隠れた名所の感じだ。
もう海岸へ行こう。あそこへ行かないと何かがはじまらない。駅は数分で後にしてしまい、駅前の敷地から坂を下って、2車線の国道へと出た。左が土讃線の細い高架で、右手遠くは山になっていた。どうも山を縫ってきたような感じの国道だった。交通量がかなりあり、簡単に渡れないほどだった。たぶん自動車専用道がないのだろう。渡って右手の方には喫茶店があった。山側も歩いてみたいが、今は左に折れる。高架をくぐると、酒屋があった。この酒屋で常備券を売っているのだろうか。ちょこちょこ駅近辺に店はあるようだ。
坂を下りて出た国道にて。
右方向安和駅との案内板が出ている。
海方向に歩いて。コカコーラの商店の大きい看板がいい。
とにかくそのあたりから適当に海に出られそうな道を探した。ありそうでなかったらいやだなと思いながら探すと、それらしいのが1つ見つかって、どうなんだろうと前だけを見るような感じでかなり早歩きに進むと、やはり堤防前に来た。まるでトーチカのような入口がある。何かのときには鉄板の扉を閉め切るのだろう。そこをくぐると、砂浜が広がっていた。駅から見下ろした砂浜だった。砂は深く、すぐ靴に荒い砂が入りそうになった。青く棚引く汀はまだ向こう。でも、もう海はすっかり自分の手中に納まっていた。それなのにまだどこか足が早い。ざくざくざくざく。ところが不思議なことに、汀の少し前から石ころに変わり、少し歩きにくくなった。がら、がらがら…。だがもう足元の前には薄く広がる海の水があった。ずっと向こうは、ただ茫洋たる海だった。空は優しい水色、そこにわずかに灰色の雲のかけらが浮いていて、確かに冬だった。遠くでは深々とした群青色を湛える海は、こっちでは透徹する水を裾のように静かにしまったり広げたりしている。とにかく波が穏やか。でもけっして池のようではなく、静かに静かに太平洋は波を打ち寄せていた。左遠くの海岸はへつり歩けそうな岩場になっていて、そんな感じの岩場をまとった島や陸地が遠くに少し見えた。海岸の美しいところだった。
ここを潜(くぐ)ると…。
冬の太平洋、安和海岸。
汀に近寄って。
須崎方の風景。左、土手の上に駅があり、ちょっと見えた。
島や半島は垂直に削られていた。
海岸左は岬が突出している。
はからずも、はぁ、とため息をついて、屈む。とにかく来てよかった、と繰り返し思った。旅の1ページ目の、夜行バスに乗るという、なかなか決心のつきにくかったことを決断するだけで、こんなに何もかも変わってしまうとは。風景も、そして自分も。心象、充足心、それがまったく違っていた。同じように一つの決断で変わるものが、ほかにあるように思えた。
それにしても、あのとき決めなければ辿っていたはずのいつもとは違う道筋に、こんなものが開けていたとは。そうして風景ばかり見た。その目の前の海だけは、信じられるものだった。
冷たい空気の中、ただぼうっと眺めていると、ずっと遠くに小さくタンカーがあった。じっと見つめていると、じつにゆっくりと転回している。長い時間をかけて転回し終わると、もう区別というものがなさそうな大海原へと走り出していった。どこへいくのだろうか。
それにしてもここに独り、というのは想像もしていなかった。幾人かいてもまったくおかしくないのに、自分ひとりだけ。右手遠巻きには漁村が連なっているが、気配はない。近くにやはり誰かいるんじゃないの、と思い、ときどき振り返るが、なんだか荒涼とした土手があるだけだった。ふっと列車がホームに着いたような気がした。しかし次に自分が乗る列車まで、停まる列車はないのだった。そのころといえばもう夕方だ。とすると、きょうはもう誰もここに来ないんだな…。
ゆっくりゆっくりと旋回しているタンカー船。
海岸右手遠くの集落。
岬の奥はさらに入り江になっているようだった。
どこまで奥行きがあるのだろう。
白瑠璃の薄波と瀝青の風のただなかで、どれほどの時間が過ぎただろうか。時計を見るともう40分経っていた。まだまだ居たりない。なのに、もう駅に向かわないといけない。安和駅では60分の滞在の予定だったが、ここは2時間ぐらい取ってもいいところだった。3時間あったら、うち1時間は喫茶店なんかに入りたいな。駅の近くにあった標柱による、四国断崖の道を合わせるなら半日あってもいいかもしれない。
海を離れて。
堤防にて。番屋が並んでいた。
最後にもういちど海を。
国道を経て、駅への坂道に取り付いて。
この停車場線は宮崎建設という会社が補修などをする、
という旨が、わざわざ木製の立て看板にて触れられてあった。
安和駅。
割とぎりぎりまでいたため、あまり国道沿いを見たりもせず、やや急ぎ足で駅へと向かった。一台分ぐらいの幅員の坂道をつめる。つめ終わると、土ばかりの更地。ホーム待合所の壁に貼られた安和駅との文字ばかりが、駅らしさを醸していた。昔はその更地に木造駅舎があったのだった。のりばへのスロープを上り、静かにホームへと入る。さっきまで自分がいたはずの海岸がすっかり見渡せた。もうここを去るんだな…。いつまで見ていても不思議なぐらい飽きない、安和海岸。眼球が青色になっているのではないかと思われた。
着いたときより日は傾き、わずかに黄色く椰子の葉を照らす。ベンチに腰掛けてみたが、風ばかりで、けっきょく佇立したままになった。ほどなくして1人老いた女性がやって来た。その人は地元の人であるにもかかわらず、ずっと海を見ていた。もう他所や地元という区別は、この風景には関係ないようだ。そんなものをすっかり解き放っているところなのだった。いいところに来たんだな。と思う。その人はときどき、わざと視線をずらしたりする。だけど、気がつくとやはり2人して黄金色の光を浴びながら海を眺めているのだった。
待合所から見える風景。
さっき降りた海岸が広がる。
待合所にて、左手の風景。
枕木の柵は待合所の前から西にかけては付けられていなかった。
眺望のためだろうか。
列車がやってきた。とたんにその人は現実的な目つきになる。私も視線を落とし列車の近づいてくるのを待つ。列車は1両の土佐山田行きだった。たとえこの列車を乗り通しても、高知圏内からは抜け出さないわけだ。高知西部の絶海の印象を得たまま、須崎へと向かい、 高知の旅は夜までまだ続く。
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