豊後竹田駅
熊本から山越えての大休止 - 最終出る豊後竹田駅 -
止まりつつある車窓から見えたプラットホームは久しぶりに人懐こいもので、明かり落とされ真っ黒なものに脅されつつも、花の飾りや、果物の置物などは、私の気を引いた。
荷物を持って颯爽と列車を降りた。乗車疲れやこの先のことなどは忘れようと努めた。それに今までうまくいったのにここで乗り継ぎをしくじったらやり切れなかった。というのは、乗ってきた列車は折り返し豊後荻行きになる。乗ったままだと逆戻りしてしまう。しかしその列車は、豊後荻からまたここに戻ってきて、私の乗る予定の大分行きに接続するのだった。寒さをしのぐため折り返して豊後荻まで行くのは気分が乗らなかった。どちらかというと、豊後竹田で降りてみたかった。そういうわけで、この駅では48分の待ち時間だった。
やって来た方向。
駅前側の乗り場にて。
あれが駅前のともしび。
ホームに降り立つと、きゅうんと寒い。宮地よりは少しましな程度で、厳しい冷え込みは変わりはなかった。やはり観光客向けで、ああ、お昼は多くのよそからの人が談笑しながら、停車している列車に乗る込んだりするのだろうな。けれども今は自分と物音でわかる運転士以外、誰もいない。時刻は、到着の21時9分を過ぎている。
ホームからこんなのが見えた。
寒さに震えつつイラストが何か考えたが、寒いので荒城の月だとさっさと片付けた。
わざわざ隷書体にしなくても。
地下道はこのようにギャラリー化されていて、楽しめるようになっていた。
堰堤上にあるホーム。
改札口へ。なんだか旅館の風呂上がりの後、客室に帰るときみたい。
こんな山の中で夜更けだし、もう改札掛は閉まっているだろう。地下道を歩いていくと、抜けた途端に改札だった。しかし窓口は開いていて、駅員が顔を出していた。切符を見せると、はい、と簡単に言って、窓口の奥に引っ込んでしまった。私だけが降りたのを知っていたかのような雰囲気だった。
旅行者向けの待合室があった。戸を引いて、寒さが入らないようびしりと閉める。するとしーんとした。店は締め立てられ、明かりも落とされている。いろんな色の椅子だけか不透明に明るかった。是非とも、もう一度ここには来たいな。
出札口。開いているらしい。
硝子戸から覗いた待合室。なかなか良さそうな感じだ。
竹の机って、夏のものだと思うのだが…。そうでもないのかな。
とにかく涼感あってかなり寒く感じた。
たけだようちえん、の園児らの作品だそうだ。
ひなまつりのものだった。
柳本駅もこんなデザインだったが、こっちの竹田駅は本物のなまこ壁でびっくりした。
これはすごい。明るいときにもう一度ここに来たい。
駅前。がらん…。
駅前に出ると、タクシーが常駐しており、らしく見えるだけに客でないことを申し訳なく思う。真っ黒の中、城のような屋根が青白くスポットライトを浴び、豊後竹田駅と浮き上がっていた。吐息が冷たく思えるほどで、ひとしきりに寒い。とりあえず、近くの川まで歩いた。街から見ると、端まで行ってこの川を越えたところに汽車駅があるというよくある街のようだった。
墨のさめざめとした流れに、仄白くなっているところがあった。ひときわぞっとする冷気がそよいで流れて来て、首の固く縮ませて、手袋をはめなおした。しかし、もう、あの世のものだとかは、考えなかった。今から、ここを離れて、賑やかな大分の街に向かうんだ。街に向かうだけの自信が、感じられていた。白々とした漆喰の壁の駅前の冷たさの中をさまよいつつも、駅の中へ舞い戻った。
豊後竹田駅。
街への道。
再び駅舎出入口にて。
終電直前の改札。
改札前に、寒がりながらも母と成長した娘が言葉を交わしながら立っていた。最終、21時57分発、大分行きに乗るのだろう。最終まで実家に居させて、娘を見送りに来たのもかもしれなかった。その脇を過ぎて、改札をくぐった。そうすることでもしかして、二人に決心させることになるのだろうかなどと考えたら、二人の決心が背後に感じられるようだった。
列車にはぼつぼつ客が乗っていた。やっぱりここからは都市余波の影響がありそうだ。列車そのものも、もはや閑散区間らしくないもので、内装の新しいものだった。それによく考えると電車だ。駅前を歩いて冷えたらしく、発車前に車内の手洗いを借りた。これからも落ち着いて座っていたかった。
列車はさしあたり深刻さを纏わず発車した。車窓は真っ黒に動きながら、自動放送で携帯電話などの使用についての注意などが滔々と流れ、いかにも長旅という感じがするではないか。
しかし緊張感はもうなく、山間の小駅はあっさり停発車して、気が付くと窓ガラスに頭を倒して眠っていた。ほかの客も眠っていた。三重町駅で一区切りという感じで、しだいに人も意外ではあるが増えてきて、都市の気だるさが忍び込んで来はじめていた。この夜闇の山の中の旅ももう終わりに近づいている。一個の私として快活になれそうな街に近づいているのに、近づいたら近づいたで、虚しい、寂しい思いがしていた。山奥の区間でのこの世のものとは思われないものによる寂しさや、怖さと別れてきたのだった。そうすると街でも、山奥のような道を探してしまいそうで、窮屈な予想に支配された。
中判田あたりではもう人も一段と増え、大分大学前駅と聞くと、もう都市大分もまもなく。雪崩れ込むようにそのまま終点、大分、大分です、23時13分、着。駅に着くと乗っていた人たちはいっせいに降りて、上り最終にこんなに乗っていたのかと思うも、
各々だるい足取りで地下道へと向かって行く。
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