江差駅

(江差線・えさし) 2009年5月

  もう道南の深く明るい杉山を、航行少なき裏日本の江差側に越え下りている。緑のまばゆい山々は退却し川のもたらした沃野には国内でも最も遅いうちに入ろう水鏡が張っていた。さっき降りて潮風を浴びつつ食糧を買い入れた上ノ国を発車し、こんどこそ終着の江差を目指す。これでもう行ってしまうところまで行ってしまうのだと思った。とはいえ江差というのは上ノ国からほんのちょっと北に行った隣同士のところだと思っていたので、いつでも降りられる準備をしていると、汽車はえらく飛ばしているし、ついには長々と海沿いを走りはじめて、「あれ、おかしいな…」。まるでこのまま積丹くらいまで鉄道線が伸びていそうな感じではないか。海沿いだというのはなんとなしにわかっただけで、そんなには見晴らしは利かず、カヤやイネ科の群生の向こうに、国防にいい外郭道路が走っているという茫たる光景だった。「そうか、江差線はあのたいへんな山越えだけでなく最後に大走破が残っていたのか。」
  やがて海が目いっぱい広がった。国土の裏の暗い海も、今の季節は躁のように煌めいている。そしてガラス越しでもたやすくその風の心地よさを確信できた。「道内各地にあった今はなき末端線も瑣末なものではなくこんなふうに隅々まで真剣にひた走っていたのかもしれないな。」

 

  海は隠されて速度を落とし、江差に間もなく着く。が、どこにもでもありそうな郊外の風景で、あれっこんなだったけ、と、少し動揺した。でも駅がもてあましたように古かったので、「我 またもや鉄道の栄光ありしの末端に来たり」 なんて機嫌をよくする。運転士に切符を見せて降りる。降りたのは4人ほどだった。
  ともかく風が強い。しかし初夏の陽光の強さと海面を渡ってくるこの冷風がここちよく拮抗し、どんな欠点も付けられないような天上の気候を造り出していた。駅舎内への出入口とは別なところに、錆の塊のようなラッチが放置されていて、そこから潮風がためらいなく入ってくる。その延長線上の丘を下ったところに海面が横たわっているのであろう。
  あたりは丘陵地だった。点描のように草の丁寧に生えた斜面と、はっきり見えずとも必ずあるはずの海と風は、鉄路突端まで来たのを豊かに想わせたが、北側は団地や宅地で、最北領の辺鄙な街もちゃっかりしている趣きだった。そこでようやく街は駅から外れ北の方にあるのを思い起こした。「そうだそれで今回は街に行かない予定だった。ゆっくりとこの辺だけに居られるんだ。」

 

 

 

 

ここ終端駅からたくさん積み出ししたのかな。

鉄路の端まで来たことを確認。

丘の風景。

 

あんな目立たないところに自販機が。

乗って来た列車と駅舎。

昔はこの左側にもレールがたくさんあったような感じだ。

信号機扱いをした出っ張り部分。

 

引き戸がものすごく丈夫。風がとても強いのだ。

 

これが本来の改札口だったのだろうか。そんなことより向こうに海が。

ホーム上屋下の佇まい。

確かに端まで来た。

いずれも江差市街の名所のため、徒歩20分以上を要す。

 

 

早く海を見に行こう。

 

上ノ国方面を望む。

行ってみたくなるような跨線橋が見える。

エンドレール方。

  暑さを抜かれたこの燦然たる光耀からいっきに日陰に入るのが駅舎の中だった。そして風がよけられることの意味を実感させる。沈痛な静謐。ほんのりと暗いが、それは暗順応のためだとやがてわかって、実はごく標準の明るさだった。全体が待合部であり、終端駅の容量を見せつけている。古いタイルを使っているものの、ワレもカケも室内はきれいだった。もちろん有人駅で、現役の宿直室も設けられている広い駅務室は、受付窓口に似た出札口を備えて、透明板の向こうでは暖房に身を包まれつつ駅員が座したり立ったり、しずかなところでのんびり事務をしているようだった。現金授受の小さな手元口が厚紙で塞がれている。何か、とそっと近づくと、「風よけです」。ホームへの引き戸を開けると風が入り、その狭い手元口から入って強い隙間風になって、紙片を飛ばしてしまうのだろう。どうしてそっと近寄ったかというと、あからさまにすると、客だと思って駅員が急いで窓口の椅子に座ってくれるのだ。こういう駅はけっこうある。

駅舎内にて。

几帳面さが窺えるほどきちんとしている。

待合所。

出札口。

江差追分の民芸品など。現代音楽のような図形楽譜が印象に残った。

函館市の病院の広告がある。

 

 

 

 

トイレがまた国鉄風。

 

 

  風強いだろうなと思いつつ外への戸を押すと、なぜか無風。そう、いったん大きなガラスをはめたポーチに出る 北国の二重玄関だった。今でもむんとしているが、夏は熱気がたいそう籠りそうだ。それからいよいよ外へ。辺境の転回場に人模様はなく、隅の方は土のままで、大八車や古タイヤがほったらかしだった。
  さて、時間もあまりない。街は無理だから、さっそく海にしようじゃないか。
 「行く道わかってる?」
 「わからんけど、そこのほら海の見えてる方向に歩けば出られるだろう。」
 「そのやり方では ときどき出られんことがあるからなぁ…」

なぜか二段式の歩道の駅舎前。

 

江差駅駅舎その1.

 

元日通の建物? 江差運送となっているけど。

駅すぐ横にコンビニがあった。それにしてもSellersってやっぱりそのままの意味…。 ここでの滞在時間は短かったため、やはり上ノ国で買っておいてよかった。

 

その2.

3.  どことなく江差追分が聞こえ気するし、往く人々の姿も思い浮かんできそう。

海外の方の利用も考えてローマ字入り! かどうかはわからないが。

 

北に見た駅前。

北海道らしい青色とトタン波板。

4. 昔はもっと利用者が多かったような雰囲気はあるが、 少なくなったのは最近だというのでもなさそうだ。

3・5・1江差駅前通りというのがかっこよい。

木板で囲った海を望むささやかな畑。

市街方。

雪渓頂きいたすがすがしい山。もしかするとエガミ山や焼山の山塊。だいたい標高600m〜。

上ノ国方。

 

 

南方に見た駅前付近。

なんとなく旅館風の建物。

海へ。

  海の方向の道は土のままだった。私有地との判別もつきにくかった。ともかく晴れ上がった空に、風がうれしいほどに強くそして冷たい。あたりは砂丘が著しく隆起したような相貌を見せていた。道は突然カーブし、思いもかけず数十メートルの高さで海を見下ろさせた。「こんな高いところだったのかここは…。」 海岸道路でさえ細く見える。足元の土手には葉の大きな草が夏の端緒を賛歌するよう鮮やかに縁取って、遥かかなたのロシア沿海州から吹き付ける冷涼な強風は土をときおり舞い上げ、もはや陸奥の国の延長などではなかった。もしかしてと左右を見ると、下手な私でもスケッチしたくなるぐらいくっきりと海岸線が見て取れて、その自在な曲線は子供のおもちゃの棒になりそうなものだった。「昨日内浦湾を見て、今日は日本海か。なんたる雄渾の旅。」 これでさえできるだけ両海の近いところを横断したのだから、道内の心央を通りしかばいかほどにまでとおぼゆれど、却ってあの真夜中の道南密林越えが、時間と、困難さを伸ばしたのだと知られたようであった。「この辺まで来るとさすがにロシアを想わざるを得ないな。」 それはときにこの国幹から外れたところにおける危機と隣合わせあるのも感じさせられつつあった。

これは低い塀ではなく、うずもれてこうなっている。

駅方。

 

 

なんか岬みたい。

 

上ノ国町付近までよく見える。

 

なんとおもしろそうな島。

草で覆われているからわからないが土の崖になっている。

道は木壁とともになだれ落ち…。

岬の道は巡り…。

 

四輪が来れるのはここまで。

  道はそっから急に人一人分あるかないくらいになって、狭苦しい石段の急降、横からどっさり伸びてきている草を鞄でよけ、あまり使われていないのかと思うも海辺の明るさに助けられて下りてくが、途中、傾いた石段に水が湧いていて苔が育っていて、絵に描いたような転び場だ。絶対これ滑るだろう、と本気で引き返そうとしたが、足の裏に力の変化がないようにそこを踏み、下りていった。
  振り返ったら急斜面に無理やり階段を刻んだようで、どこかにスイッチバックの道路があるのだろう。それに下りぬ方が景色は良かった。海岸国道にはまだ少し降りないといけないが、海辺はただの護岸だ。それよか、さっきから見えていた、北方にある岸に近い二つの不思議に平らな島に行ってみたいものだ。結構近くて、岩場の表情などもわからなくはない。後で調べると、ちょうとあの辺が江差港で、江差の街なのだった。
  この降りた地点でもう気が済んで、腕時計を見つつ、来た道を引き返す。仕方ない。ここに来て、次に出る汽車に乗ることにしていたから。湯ノ岱の方にも行くので、足りないとわかっていてここで時間を取らなかった。今回は江差線を薄く広くの趣向、江差を堪能するには半日から一日は必要だろう。

 

 

 

 

 

ようやく広い道に出られそうだ。

降りてきた崖。

 

 

 

 

 

 

駅へ。

 

 

  土のままの道から駅を見ると、建物脇の放置された情景も合わさって、駅のこの見え方はって仮に廃線になっても変わらんのではないかと思えた。そうするとあの薄暗くてもやけにこぎれいな中の様子が、まぶしい散光のなかに思い浮かんできて、内臓はしっかりと生きている老機関のように思え、またそれを働かしている人というのは、どんな年齢でも、その老機関よりは、人として若いように思えた。

  埃や虫の巣窟になった耐寒玄関をくぐって、待合室は生きている証だなと思いつつ中を進むと、改札の戸が引かれていて、気動車のガラガラいう音ががらんの待合室に響いていた。駅員らしきが戸の脇に立っている。発車までまだ時間あるかなと思い、横の時刻表の前に立って探すともう少し後だった。すると係りが、乗車されますか? 切符はもう?
  では乗っていいですよもう、と、掌を差し伸べるので、どことなく強制的に車に送り込まれてしまった。迷っているうちに発車でもして文句を言われても取り返しがつかないからかな、と思いつつも、車窓から江差駅の駅舎の壁ばかりを見ることになりもどかしかった。さらに客入るかと待ったが、誰も来ず。少しあの駅員がかわいそうに思えた。発車前に客が駅に駆け込んできて、「早く早く!」と叫びつつ、運転士のところまで走って「今乗るからもうちょっと待って」というやまた引き返して、客のところまで行って案内し、愈々電鈴を響かす、そんなことのために、あの人いたんじゃないかなと思えて。

 

 

  客は自分のほかに一人きりだった。あとは陽光と丘の緑色を乗せていた。運転士は腕を伸ばしブザーを響かせ、折戸を閉じる。貴重な一本一本の列車は、運転士の意思によって にじるように動き出す。
  安定走行に入り、「しかし木古内から函館を行き来しているうちはあの路線がこんなところまで伸びていることを意識することは少ないね。」 逆に江差や上ノ国にいると、鉄道路線が木古内や遠回りだが函館までもかよっていることを意識しそうだった。「昨晩はあの区間の車内で高校生のどんちゃん騒ぎに巻き込まれ、通学で乗り倒しているのが痛感されて、こっちも実感してしまっただけに、今日はほんに旅人の気分だ、っていうのもまた変な話だな。」 旅人としての中に、さらに小さな旅がある構造になったことは、雄渾の旅を縮小し、遊子であることの限界の影が忍び寄る気配が漂った。

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