湯ノ岱駅
(江差線・ゆのたい) 2009年5月
江差から汽車を飛ばし晴れの冷たい海岸を抜け、となり町の上ノ国を過ぎると、再び列車は土へと帰っていく。もうこの日は海を見ることもないだろう。川沿いの平野も尽きて森の手前の無人小屋、宮越駅を出ると、雨多く杉育つ道南の奥山へと、細まった川を頼りに慎重ながらするりするりと辿っていく。進力はかなり落ちていた。古い枕木の籠る音が、とても森の音らしかった。対岸はのけぞる山裾しだいにせまって来て、秘境の河畔の、湿原のような群落、その華奢な細枝の新緑に水硝子の清流を見るに、「こんなところが汽車を走るって…」
まるで国立公園の中を走らせてもらっているみたいだった。人の少ないことや、気候の冷涼なることから、汽車の走れるぐらいのところに、このような環境がとうぜんのように横たわっているのだろう。
江差を離れて。
内陸に入って。
ごくごくありきたりな川なのだろう。
水遊びしたい。
キャンプによさそうだが、野生動物の世界といったところか。
「こんな河畔には辿りつけないんだろうな」と車窓を覗きこんでいると、背のある葦原にオフロード車が1台見え、付近で趣味人が長靴はいて釣りしていた。「なーんだ…。今日の晩ごはんかな。しかしこんなところではあながちそんなことで賄っていけたりしそうだ。」
しだいに河畔は下方になり、苦芽の梢も鬱蒼としけ込んだので、この次の予定はなんだったかな、と紙を取り出してみた。それによると木古内まで行って駅から出ずホームに十分ちょっと滞在した後、ふたたび江差行きに乗って湯ノ岱に来ることになっていた。木古内での滞在は、そこでの入浴も兼ねて今日の最後の明るいうちにきちんと取ってあるのに、なんで今からわざわざ木古内まで行くことになってるんだろうと思うや、脳に稲妻がはしる。
「違う。湯浴みを今夕の木古内と固定していたからこうなっているだけで、湯浴みを昼の湯ノ岱にすれば、今から木古内まで向かうことで時間を潰すことなんかせず、もう次の湯ノ岱で降りればいいんだ!」
本当にそれでうまくいくか、急遽予定を変えても大丈夫か、一気に集中して考えた。できる。湯ノ岱以西はもうどの駅も訪れた。とすると、湯ノ岱から乗る列車は、今から湯ノ岱に降りようが、木古内まで行ってから湯ノ岱に戻って降りようが、同じ、木古内行きにしかならない。そっからはもう慌てた。次で降りるんだ次で、と言いきかせて、固唾をのんで胴体を直立だ。
少し川幅は広がるようになって、風景も開けると、そこが湯ノ岱と呼ばれる界隈だった。
停車し、速足で前へ行き、降ろしてもらう。運転士は昨日の夜、私を桂岡に降ろしてくれた人だった。
ドアーから出ると、なんとも冷たい風、薫風にはまだなりきれていないが、人の目を歓ばせる輝かしい芽吹きが全山を覆い、かすかに若葉のにおいを運んで来ていた。
「これは内地ならもうだいぶあったかくなっているころの風景だが、ここはまだ、寒いなあ…。」
むろん寒いといってもかわいらしいものだった。これから暖かく膨らみ、成長していくのが確かな、子供の風のする、いじわるみたいなものだった。厚手の長袖を着た太い駅員が、スタフを肩に掛け、革靴でホームの砂利を踏みしめる音を立てつつ、辺りはおろか私にすら気を取られることなくゆったりと駅舎へ帰っていく。
汽車はここで数分停まることになっている。発車の時刻になったとき、運転士がわざわざ席から離れて、顔をドアーから出し、後方を窺った。私がちょっと降りただけではなく、本当に下車するのかどうか確かめたのだろうと思えた。だって、次の列車は3時間以上も後なんだから!
あれが駅舎。
駅名標。
南側の風景。
木の電柱に方面案内の矢印板が打ちつけられている。
上り線。
廃屋。
簡単な造りの小屋が多い。
木古内方面を望んで。
江差方に見たホーム。
ものすごい風。
この辺は山がなだらかだ。
「道南山塊の真っただ中にわりあい開けたところだね。」
ここには湯が湧き、湯ノ岱という地名を名乗っている。ふっと、緑より、土ぼこりの匂いを感じた。ホームから見下ろせるグラウンドでは、十数名がゴルフに興じていた。でもそれより、ホームや駅前もところどころは土が薄く掃き出され、それが風に舞いあげられて薫っていたようであった。
「半年間はできない、か。ゴルフなんて今楽しんでおかないとな。」
乾いた冬の地方でのありがたみとは段が違うだろう。
しばらく汽車の来ない、この山間区間でゆいいつの交換駅のここ湯ノ岱駅では、保線車両がポイントを越えたいとのことで、作業係が連絡を取りつつ、駅員による信号の操作が行われほんの少し忙しかった。駅舎のその信号窓の脇には風化した石積みに青トタンの燃料保管庫が佇んでいて、それは今冬も雪に埋もれていたものだろうと思った。
駅名標群。
名所案内。これから自分の行くところが載っている。
石積みのホーム。
一目で捉えられてしまう駅前。
江差方面。構内は三線だ。
危険物を保管したような小屋。
上り方に見たホーム。
構内踏切。
舞台。
駅舎を通らなくても外へ出られる。
昨夜ここを通ったときのことからしてここは宿直駅のはず、さて駅舎の中はどんな様式なのだろうと、冷たい薫風と土のにおいとに別れを告げて、重い戸をカラカラと引くと、あたらしめの木の内装に いろいろのポスターやパンフレットが敷きつめられ、狭くなるほど椅子が用意され 座布団は敷かれ、ストーブの暖気は支配しする、息くるしいほど穏やかで温かみを感じるものだった。「人がいる駅っていうのは、違う」。 こんな辺鄙なところで夜勤し、その寂しさや退屈さにこんなに飾りものをしたのだろうかと考えたりした。もっとも、ここは温泉客も来るところだし、誇りある有人駅だから精を込めたことに因るんだろう。
駅舎内にて。
雰囲気匂い立つような室内だった。
センスと几帳面さを感じる。
駅ノート、スタンプなど。
こうすることでドアの開けられる範囲が狭められ防風になるかもしれない。
友人駅のなせる技。
右手にアイヌの人物画が飾られている。
右:二重窓。
出札口。
清潔で色鮮やかだった。
出口。扉を引くカラカラという音がまたたまらない。
真っ暗な道を江差へ向け車を走らせている途中、急に速度が落ち、とろとろとしか走れなくなった。川真は驚いたあとすぐうわぁと声を上げて、いろいろ試してみたがそれが尽きると、
「こんな山の中じゃ誰も来ないよ!」と一人で怒って、危機感を煽り出した。みどりが、
「いや、消防分署や何かあるでしょう。人の家(うち)とか。」
「ないない。ないよ。そんなもの。」
「じゃあどうするのよ」 みどりもいいかげん 色をなした。
「まいったな。少しずつしか走れん。押すわけにもいかんし…。」
切迫した形相で川真はしばらくとろとろと車を動かしていると、助手席のみどりが、
「なんか駅あるよ。」
「え。」
「ほら。でもなんて書いてあるか読めない…」
「無人駅だよ。こんなところは。」
「ゆのたい、って書いてあるわ。」
川真はレバーを引いてライトを上向きにした。
「湯ノ岱。 このへん真っ暗じゃないか。いないよ誰も。ここ廃線の話が出てるんだよ。」
「あ、でもちょっと待てよ。湯ノ岱って、なんか聞いたことあるな。温泉があるって。こんな山の中だけど。この線では割と大きな駅だったような、行ってみよう。」
駅舎に近づくと、非常灯が点いており、もうこの際相手の身分なんてどうでもいいというよふうに声を掛け、誰もいないものだと思って、またみどりの手前もあって、ものおじせず戸をしたたかに叩いてみた。
駅員の下斗は五十を過ぎ、でっぷり肥った体を置き物のように煎餅布団に横たえて眠っていたが歳のせいか眠りは浅いもので、その音を聞くや不穏にすぐに首を擡げた。もしや鉄道に異常が起こったのだろうか。しかしそれだったら鉄道電話をよこすだろう。もしかそれも壊れているのか? ともかく、こんな山の中では誰かが困っておれば助けないわけにはいかない。それに鉄道がらみだとしたら責任重大だ。まあそうでなくっても幸いここは湯も沸くし、粗末ながら簡単な食糧、寝台もある。緊急の折には頼りにはされてしかるべきだろう。衣文掛けからはぎ取った紺の制服を羽織り、制帽を探したが見つからず、来客への合図も兼ねて電灯をぱっと点けたが、帽はもういいやと、草履をつっかけて土間に下り錠を外して戸を推すと冬の忘れもののような冷気に一気に熱を奪われた。制服の袖口が広いのを感じた。
「なに。 どうしたんですか。」
下斗は太いしわがれた声でわざと苛立ったような、迷惑そうな感じで言った。
「あ、どうもこんばんは、助かった、実は」
一(ひと)段落して、二人は駅務室の中で休ませてもらうことになった。下斗は寒いかと思って、ガタゴトといわせながらやかんを五徳に掛け、湯が沸くと黙って茶を入れてやった。
「電話もつながなくてもうどうしようかと。電池いつの間にか切れてまして。公衆電話もないだろうし。」
と言いつつ、運転していた川真は連れに同調を促した。
「まあ死にはしないでしょうけど。」
と、さっきのいかにも大助かりの台詞のたいそうさを収めるように付け足すと、下斗が、
「この辺は、熊が出ます。」
「車なんか簡単に転がしちゃうんだ。」とさらりと付け足した。
「いや助かりました。でもここ夜も駅員さんいるんですね。てっきり無人駅かと。」
「ここは信号やポイントの操作があるからね。」
「まだそういう扱いだったんですかここは。しかしこの辺は何もないですね。今日は私ら珍客がありましたけど、ふだんは何ごともなく、静かなんでしょうね。」
やがて救援車が来たので、礼を改めてもう先に寝てもらい、動くようになった車をまた夜もすがら走らしたが、川真は江差線の虜のようになって、連れが何か話してもあの煽るような口吻はすっかり矛先を収め、始終ぼんやりと穏やかだった。
* * *
遠く数え切れぬほどの葉末の、風に揺らされて反射するまばゆい光に 音はただ風強きにひたすら風のものばかり、縁(へり)の脆くなった石塀はその根元たる砂利道との接線をためらいなく見せ、水色屋根の剥げていることはあまねく知られるところとなり、錆切った灯油タンクと崩落しそうな煙突、すべて隠されることなく、露わにせられていた。冬の日に人を守り抜いたものが死に絶え初夏に骸となり、それらがまるで目に入らぬかのように、あらゆる葉が一つ一つ鏡のようになって空を讃えあっていた。
湯ノ岱駅もまたこうとなっては場違いに煙突を付け、こちらは小さなペンションのようにしっかりしている。靴底に薄い砂の摩擦する音がどこを歩いてもついて回って、乾燥した土埃のにおいを冷たい緑のにおいに混ぜ込まれた。
湯ノ岱駅駅舎。
絵にかいたようなホームと駅舎。
駅名標のよさがわかる。
貨物用地だろう。
その2.
本道との交差点。
さて、3時間以上あるといえども温泉に早く行かないと時間は減る一方だ。幹線に出て歩き出した。例の如く店は見当たらないが、自動販売機はあってひとまず安心した。こんな線区では、これがあるだけで都会の認定をしてもいい。とにかく飲み水の確保が難しいのだ。まったく山を歩いているわけでもないのに。郵便局があり、思わず見つめると、蛍光灯が点いている。消印や旅行貯金のため、平日の営業時間に国内のこの一点を目当てにして来るのはたいそう難しいことなんだろうなと想像できた。こんなところにあっても、ちゃんと時間通り営業しているんだから不思議なものだ。客が来たら開けるというのでも問題なさそうだが。
温泉へは、駅から幹道に右へ出て、それから初めにある踏切を渡るのだが、帰るとき近道があるのを知った。
木古内方。湯ノ岱温泉郷の看板が二つも出ている。
湯ノ岱郵便局。
駅方。
かなり立派な踏切だ。
スプリングポイントで始まる湯ノ岱駅構内。
開拓道路だったのか。
辺りは人家少なくなく、どれも二重玄関、二重窓、軽量屋根の耐寒仕様でしっかりしたものだったが、中には木壁にトタン屋根のままで、空蝉(うつせみ)のように廃墟になってしまった家屋もあった。この地に住むというのはどんな覚悟を要するものなのだろうか。一年のうちでもっともよい季節に訪れたことを、草原的な山奥の稠密な静けさが実感させてくれた。しかしそれが旅人というものだろう。愛でたくなり、人にとって過ごしやすい季節を選んで最北に来たことを、若葉の群れや風も知っているようで、僭権を捨てれば歓迎はあるらしいようだった。
しかしなんだか変に暑い。長袖の毛織を生地に気兼ねせずまくったが、何度も落ちてきて煩わしかった。
温泉の建物はあれかな…。ほっとした。
すごい薪の数。
この辺の一般的な家。
吉堀隧道から西はこの水系との旅になる。
地図に水色で無機的に描かれた川に差し掛かる。宮越で見たあの天野川だった。ずっと下方の汀で姉さんかぶりの婆さまが何か洗い物をしているのに目が入る。何かが獲れるのかな。しかしやはり何をしているのかわからず、ほかにも同じことしてる人がいないかと順々に遠くに目を凝らすと、馬がたった一頭で河原の草に首を突っ込んでいるではないか。一頭というのが妙ではあった。手綱もない。逃げないのか、それとも野生馬…。
いよいよこんな光景を見られたなと思う間もなく、馬といるのは反対の、上流、その川沿いにベトンの宿舎が見えてきた。二棟あり、両方とも日帰り入浴をやっている。ここから川沿いの道へ入るが、歩いてきた道は山へとさらに続いていて、ここからは農免道路と記してあった。なんだか「免」という字がこわい。この先進むと、何々を免れられぬ、と告げられているかのようだ。ちなみにそのはるか先は延々とダートが続き、しかも道別れが多い。迷って帰って出られなくなり、夜になってビバークしている最中に熊に食われて死ぬということもがありそうな雰囲気だ。
間違いない温泉はあの建物だ。
その名も湯ノ岱大橋。
清流天の川と集落。
右手向こうにはスキー場がある。
上ノ国町 国民温泉保養センター。
そんな怖いところへは行かず、せせらぎの宿舎へ。「湯ノ岱荘」と「湯ノ岱国民温泉保養センター」のどちらにしようかと思うも、人を選ばず入りやすい構えだった保養センターの方へ。一人旅で湯に入るのは初めてだったので、かなり緊張していたが足の惰行にまかせて玄関へ入ると、爺さまが愛想よく挨拶してくだすった。すぐ横に券売機が見えたので、これで?ときいて券を購入。それをその人に手渡して、あそこを奥へ入ったところです、ごゆっくりどうぞ、という案内を受けた。横にいた姉さまも柔和な顔つきだった。いずれもとても道産子とは思えぬ応対だ。もっとそっけない、つつけんどんなのを想像して覚悟していただけに、さすが長く営業しているだけあるなと思う。
忙しい飲食店でもないのに券売機で買ってその券をすぐ横にいる人に渡すのは無駄に思えることもありそうだけど、実はこれは防犯対策になっているという。というのも道内のKというところにある温浴施設にて人一人亡くなる凶悪があったこともあるのであった。なにぶん人通りもないところゆえ、このような方策は客にも心づよい。
古風な館内。
温泉施設というより公民館?
明らかによそ者の身なりでぎこちなく青い絨毯の通路に入ると、浴室や休憩室から談笑が聞こえてきた。意外と人が多いではないか。お昼でもっとすいていると思ったのに。ちらと休憩室を覗くと、そこには放送の「ふだん着の温泉」の世界そのまま、つまり湯上りの年配の方々がおしゃべりしながら御膳でご飯を食べているという光景。画面で見たときはだいたいは仕込みだろうと思っていたけど、実在する世界だとは。なにぶん温泉に縁がないところに住んでいるので想像もつかなかった。このような営みは日本各地の温泉地にあるという。そうかご飯も食べれるのか、食べたいが、ここには混じれそうもないし、そもそも予約だろうな、と思っていると、爺さまと婆さまが歩いてきて、
「わしや津軽の出身だからな…」
「そうじゃ津軽の出身じゃからあんたは…」
と、話しこみながら膳のある休憩室に入っていった。
故郷を忘れないところを知ると、檜山に渡って来たときの心境はどんなだったのだろうかと慮った。さまざまな激動が各人にありつつ、大方はみんな静かにどこかの青山(せいざん)に埋まることになるのだろう。そんな深刻な考えは裸の男いる着替えの間に入る緊張で消え失せる。ここに入ったらもうおしまい。戻れない。と思うも、籠を見るにコインロッカーはさっきの通路にあったのを思い出し、急いで戻って荷物を一部入れはじめるや運悪く100円玉がない。そのまま受付に小走りに向かって両替してもらい、荷物を少し入れ、更衣室へと入り直す、も、そこで浴室にはシャンプーのないことに気付き、また出直して受付まで行き、シャンプーを200円で買った。受付の爺さんは今度はなんだ?という面持ちになってもおかしくないのに、落ち着いて対応してくださった。しかも買うときに、ここでは髪を洗ってもいいですかなんて訊いてしまい、ゆっくりと「はい、もちろんいいですよ」と言わせたりした。初めての入浴は勝手を知らないことばかりだった。
棚は区画が広くて助かる。暖簾が彦星ということは女湯は…。
しかしなぜ内側に掛かっているのだろう。
脱衣場。浴室はこちらへ来てからのお楽しみということで。
更衣室の男たちもたびたび出入りしてなんだろうという表情だが、旅の者と見えてからは多少の不器用も仕方なしと見るようだった。そう、ここは地元の人ばかり。浴室をガラス越しに見るにセイウチのように腹這いになったまま動かない人までいるくらいだ。動かないので大丈夫かと思うが、周りを心配させないようにか、ときどき上体だけを起こしていらっしゃる。
荷物を必死に崩し、必要なものを出しておいて、まっ裸になって浴室へ。しかし腕時計に気付き、すぐ戻ってこんこどこそ、湯けむりの中に体を入れた。大きな窓がぐるりとついていて日の光で明るいが、ガラスが曇り過ぎて新緑は拝めず。しかしどうもここは林の中にあるらしい。カランの数は十分にあり、浴槽は熱いのと熱くないのがある。かかり湯してまずは熱くない方へって足を漬けると刃で切られたようにきりきりと熱っつい、こんなもん入れるのと周りを見渡すが、みんな何でもなさそう。これでこんだけ熱いのに奥のやつはどんなだ…と疲労を浮かべつつ漬かっていくと、あの刃傷の感覚は温泉の成分による刺激の一種らしかった。こうして漬かってみると、やはりただのお湯とは違う。とにかく足が疲れ切っていたので、足指の隅々にまで湯が効いていくのを感じた。「そうか、昔の旅人が湯に目がなかったのは単純にこういう理由も大きかっただろうな」。 なんども足をもみしだいた。
ときにあのセイウチどのは未だ腹這いになったままで、動こうともなさらない。ここは床から浴槽まで温泉の成分が赤茶色に凝り固まっている。温泉の文化がない人から見れば、こういう析出はかなりきたないとか掃除不良という認識になるのだろうけど、知っている者にとっては、これぞ本物の温泉ということになるのだろう。でも足の裏付けて歩くところだし、排水も流れるし、そういうことからすると、よほどの通だと思われた。
何度か全身浴と半身浴を繰り返したあと、いよいよカランへ。カランの数はわりと大事、少ないと空かなくて順番待ちになり、早く終わらないといけなくなったりする。ここは十分あり、ゆっくりできた。ノズルを押すと10数秒だけシャワーが出る節湯機構のため、最後の方は面倒になって洗った足で押していた。体は小さく切ってきた化繊のタオルで。
浴室に人は少なくなっていた。熱い方を試そうと足をつけると体に雷が落ちた。しかし湯に慣れたのか入ることができたものの、数10秒で引きあげ、熱くない方へ。せっかく脱いだのだからと存分につかり切った。貧乏性がたたってのぼせそうになるのを感知し、脱衣所へ。旅行中のため荷物を造り直すのがとにかく面倒、かなり時間がかかった。脱衣所を出るときは繰り返し指で差して忘れ物を確認。ロッカーから貴重品も回収し、カウンターで礼を簡単に述べて出た。荷物整理のためロビーの休憩所に座りたかったが、なんとなく5分も居続けられなさそうで。
外に出ると新緑の空気の気持ちよさは、これまでは実際の3分の1しか感じていなかったと知り、独りで感嘆しつつ目を開き切っていた。一皮剥けるってこういう感覚だったのか。すると今までだいぶ損していたようだ。行きしの馬いまだ食むを見届けて、駅へ。近道は線路沿いの土の道、しかれどもそこは通らず本道通りしは飲み物を買うため。この季節にはまだやや冷たい1本を手にとって、駅舎の中に入った。
源流方。
いざ駅へと帰りなむ。
実はこのバイクの方(かた)内地の人で、あまりに道地にほれ込んで
わずかの予算にてここに小屋を立て、夏季はここを拠点にして
ダートを乗り回しているのだそうだ。(うそ。作り話。)
木々が美しい。
近道。
厚壁や二重窓のおかげで中はむうっと温くて沈痛なほど静かだ。さっきまでの風の音が嘘に思える。駅員は窓口にちょっと寄ったが、出札客でないとみて、また奥へ入った。上りまであと1時間弱もある。しかし汽車客であるに違いないし、ここでしばらく待つことにした。なにせ風が強くてじっとして当たり続けるとやはり寒くなるし、体も疲れる。これでもし汽車に乗らないのなら、ここに居てもいたたまれなかろう。荷物の整理をし、水を飲んで、ポスターをじっくり観た。ここの電気は消してある。野外の光線から守るかの如く暗く、湯上がりとあって眠気を誘う。駅員はずっとラジオをかけていて、するすると細い鉄線のような声音が流れてきている。自分でコーヒーをいれて飲み、それから歯磨きを遠慮なくしていた。さすがにこんなところは退屈そうだったが毎日がこうなのではなく、今日はこの駅の当番なのだろう。
眠るわけにはいかないが、こうしているだけでも体がやすまっていることに気付き、それで逆にこれまでけっこう疲れていたことに気づかされた。こんな時間はあまり取れないしたっぷり休めておこうと思えるようになると、余った時間は思い通りに進んでいった。
本数が少ないほど、列車を気にしはじめる時間が早くなる。
二十分前になると落ち着かなくなり、また、最後の外での時間で周りの風景に自分を溶かすことにした。
湯浴みからの帰りと何一つ変わらない、一瞬でさえも翳らない厖大な光量、葉一点一点が延々とひらめく緑樹で、絶え間ない風に巻き上げられる乾いた土の匂いに、またことさら、しどけなく眠くなった。ずっと地面で寝ていたい感じ。そうしていてもよいし、そう感じたのをここでの旅はもう終わったとのだと考えて違うところへ行ってもいい。どちらも等価であるように思えた。
列車で移動する自分と、ここで寝ている自分が確かにそこにいる。でも、寝ているやつは、寝かせておけ。想像の自分は、あらゆるものを享けて、求めつづけることを知らぬままでいておくれ。
貨物跡地のグラウンドに低いコットなんか引っぱり出してきて、森迫は横になり長い間目を閉じていた。日に焼けるとも焼けぬ季節で、やっとよい気候になったことを享けずにはいられないのだった。
渡道してまで停車場を降り回っている川真は、寡黙で無表情の駅長が奥にいる駅舎で、だいぶ先の汽車の時間を待つことに見切りをつけ、本数の少なさゆえの不安を理由に足をホームへと向けた。が、ホームに上がってそのコットに横たわる彼を見つけると、目が離せなくなった。人をふだん見つめることなどないだけに、川真自身も驚いていた。
やがて森迫は見られているのに気づいたが、まあそれくらいはよかろうと思って、横になったまま穏やかに首を振り向けてから、
「どちらへ。」
どこから来たのかは興味がなかった。こんなところを出発地にしてこれからどこへ行くのか知りたかった。
こういうときいつも川真はなんといったらいいかわからずうろたえるのだがこの辺のいくつかの駅にちょっと降りて木古内の方に戻るのだということでどうにかごまかしおえた。
「こんなところはおもしろくないでしょう。」
森迫は頭のぼんやりしたような薄目のままでそういって、地元をけなされる前にけなした。やや慌てて川真が、相手もこの新緑や気候について感じていることに合わせるように情感を述べると、森迫はそっと顔を仰向けに戻した。へんに相手に気を使わせたと思った。それから川真とは逆の方向に体躯を向けた。
川真は言ったことが当たり前すぎて彼がばかにされたように感じふてたと捉え、やれやれだと肩を落とす。
そこへ木山が一散に駅舎をくぐって構内に入り、川真に目も呉れずホームを飛び降りて線路をまたいで、グラウンドの森迫のコットに馳せ付けると、主人を待ちわびた大型犬のように森迫の上半身に覆いかぶさるように両手を肩に載せてあおむけに転じさせ、顔を両頬に擦りつけ興奮し、それからちょっと落ち着いた口調で、「ほらこの前の雪崩で中止になってた温泉祭りの件、やることになったんだってさ、駅員はさっきもう飾り付けしてたよ。」 それはよかったという表情で森迫は、へえ、とひとこと発すると目をつむったままそれきりあおむけのまま安らかな顔でをした。木山は「なんだよ、この詩人気取りが。それに本当はうれしいくせに」と言い放つと、森迫は恥ずかしさのあまり顔を紅潮させ、泣き顔をかすかに入り混じらせつつ、不平に立ち尽くす木山の両肩に自分の両手を掛けると、そのまま森迫はコットに顔の引きつった木山を押し倒して覆いかぶさった。しかし、二人乗ってコットが壊れるのを心配してすぐ、木山を抱きかかえたままコットのそばに転がり落ちて、その勢いで森迫はなおも上になることを忘れず、木山の両肩を抑え、覆っかぶさり顔を木山の両頬に擦りつけながら木山の首を、絞めた。木山は一瞬森迫を本気で怒らしたかたと逡巡したが、森迫の恥ずかしそうな悔しそうな表情と、さっき自分の行ったふざけたスキンシップのお返しにふさわしいものだったので、木山も森迫の首を絞めるとも絞めず、互いに草の上を転がり合って、ばかなじゃれあいをし続けた。平和な土や草のにおいが、森迫はこんなにも生死の狭間の香りでもあったかと思い空しさと自棄(やけ)を感じていると、木山に不意に横を向いて、じゃれ合いを止めた。森迫がその視線の先を追うと、川真がホームに突っ立っていた。「あれ誰。」 森迫は木山と体を組んでいたのをほぐし、立ちあがって草や土を払いつつ、ため息ついて「旅の人だそうだ」というと、コットを片づけはじめた。「ばかなところを見られた。帰ろう。」と促すと木山はその行旅人をもの珍しそうに、またばかにしかかったように、ほお、とひとこと発すると立って、表情をがらりと変え、駅舎の中へ駆けていった。まるでさっきのことなど忘れたかのように木山が駅長(むろん木山がそう呼んでいただけだ) と談笑する声がここまで響いてくる。とくに駅員はさきほど待合室で待っていた川真も想像がつかなかったほど、上機嫌に応じていて、目を閉じた川真の孤独が音もなく肚の奥底に沈殿していった。
眩しい初夏の幻想に、列車は存在感もなく不意に現れた。私がここに来たときと同じように、未だ冷たい風が吹き、ただの無口で太った駅員がスタフを掛けて帰っていく。ずっと列車を待っていた私にも気を留めず、見えてもいないかのようだった。これからまたあの薄暗い、外光から守るシェルターに冬の日のようにこもるのだろう。一日数本の列車が来るたびに、同じことをし、やがて夜を迎え、ランプを吹き消し一日を終える。岩のように過ごし、熊のように季節を送り、いつしかこの地の摂理を受け─。その貴さと寂しさは、そういう固着の詩をうたえぬ孤独の旅の者にも重なり合うものがあり、共感し、静かに深まっていくのを感じた。
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