東青山駅

(近鉄大阪線・ひがしあおやま) 2007年4月

  列車はトンネルを抜けると、 ゆっくり東青山駅構内へと入っていった。 車窓からは見渡す限りいちめんの新緑そして花時計のような花壇。 盛土の上を走っていて見晴らしが良かったのだ。 窓から真午の光が注ぎ込み、 車内の床にはっきりとしすぎるぐらいの影を作っていた。 東青山駅、着。終点だった。ドアが開きホームに降り立つと、 むわっとする緑の風。あたりは緩やかな丘に囲まれたところで、 家もない、自動車の走るのこともない、 立ったところは新緑公園のただ中にある堰堤の上だった。
  そんなところにある駅だから、ホームにはもう屋根も何もなく、 長く新しいホーム二つが公園の中を突き抜けているだけだった。 気持ちいいぐらいのコンクリートの板のホーム。 隣のホームの向こうに、都市の中にある少しけちっぽいものとはまったく違う、 斜面の大きな円い花畑。駅を出たらぜひともあの斜面の階段を上ろうと思った。

階段下り口を伊勢中川方面に見て。 上屋も階段降り口のところにしかない。

隣の1・2番線ホームとともに。

3番線から見た四季のさと公園。

隣の1・2番線ホームの階段下り口の様子。

3・4番線ホーム。向こうが西青山。これは帰るときのホームの様子。

  ホームに降り立ったときからわかっていたが、 この近くで何か研修か催事があったらしく、 親を必ず同伴した十五六歳のブレザーの少年たちが数多く列車を待っていた。 不思議だった。もう5月もはじまるころで入学式のわけがない。 会社の研修施設がこの近くにあって、研修を受けたのかと思っても、 親の伴随はおかしい。いやしかしことによると…。 私は一体何があったのだろうかとかなり考えていたが、 このときは結局わからず、後で調べて少し意外なことがようやくわかるに至った。

  早めに外へ出たかった私はホームをもう後にし、 深い階段を下っていった。すると途中の踊り場で、 こんなところに入っていくのかと驚くぐらい、 そこはいっさいの塗装も化粧もされていない、暗いコンクリートの中だった。 これは、この駅には何もしないという露骨な表現のようにさえ見えたが、 ひと気を感じさせぬ、山あいにある駅であることを いっそう強く思わせもした。 それにしても涼しい。温度が違うようだ。
  地下通路は一部電気が消されていて、かなり暗くなっていた。 案内板もほとんどなく素肌の石ばかりで、 仕上げの工事をする前のようだった。 しかしコインロッカーだけは立派に置かれていて、 ハイカーや行楽にここを利用する人が多いようだ。 旅のはじまりとなるこんな暗く涼しい通路のある駅は きっと印象深く残ることだろう。

階段を下りるとこれ…。

地下通路の風景。

地下通路の中ほどにて、振り返って。突き当りの階段から下りてきた。 ずいぶん明るめに写っている。

1・2番線ホームへの階段途中にて。

  もう一つのホームへも上がってみた。 階段を上りきると再び青空が広がり、 こっちのほうが公園に近く、はっきりと斜面の花壇が見えた。 この風景だ、奈良方面から伊勢に抜けるときに、ここを通ると見える風景は。 初夏から秋の間に、ここを初めて特急で通過する人は 目が釘付けになるかもしれない。そうやって驚いていると、 遠い席にいる、よく乗っているらしい人が、ああ東青山だね、 と言うのをふとに耳にしそうだ。冬になると目立たなくなり、冠雪することもある。
  ホームを歩いていると、中央あたりで妙な建物を見つけた。 わずかな窓から人が動いているのがちらっと見え、詰所だった。 桜井方まで歩くと、ホームが終わってすぐのところに社員専用の構内踏切があり、 右脇に保線関係の建物があった。この駅の利用者は少ない感じだったが、 ホームの詰所や保線関係の建物を見て、 列車運行に必要なこの駅の役割を垣間見られたように思えた。
  桜井方の少し遠くに、長大な新青山トンネルがわずかに平たい口をあけていた。

2番線にて。

3・4番線ホームの駅名標と椅子。 椅子も屋外に出されていて、屋根などない。

伊勢中川方面を望む。

1番線からは公園がよく見える。

駅名標とともに。

1・2番線ホームの駅名標と名所案内と椅子。

2番線から階段下り口を見て。

隣のホーム、西青山側の階段下り口。

1・2番線ホーム西青山寄りから伊勢中川方を望む。

ホームの端にて。遠くに青山トンネルが口をあけている。

駅構内俯瞰。

地下道に戻ると涼しい。

改札口方向を見て。

改札口の様子。

振り返って。だいたいこのぐらいの暗さ。

  階段を下りて通路を歩いて駅舎へと向かった。 改札口はもう見えているが、地下通路と駅舎の間が広くあいて屋根が渡されているだけだから、 野外の明るさがここまでやって来ていた。 こうでなければ地下通路はもっと暗くなっていただろう。 地下通路を出てすぐ右のところには駅庭ができていて、 その向こうにトイレがあった。 しかし色褪せたフェンスが間にあり、いったん改札を出ないとだめなようだ。 それにしても近鉄も駅庭を造るのだと思った。
  改札に近づくもなんだか様子がおかしい。 ふと窓口を見ると、閉まっていた。 どうも営業していないようだ。 この時間だけかと思ったが、後日、終日こうだと知った。 それにしてもさきほどまで、例の親とブレザーの子たちが改札口に押し寄せ、 まるで漏斗から流れる液体のように、一人一人ゆっくり通っていた。 ちょうど改札を受けているかのように。
  駅舎内では再び彼らが券売機の前に列を作っていた。 有人窓口はもちろん閉じられている。 しかしふと見ると券売機の横に制服を着た30歳前ぐらいの男性が立って、 並んでいる購入者のためにボタンを押したりしていたので、 何かシステムに一大事があり、駅員が有人窓口を閉じてこうして案内しているのかなと思った。 しかももう一人、私服だが堂々とした感じで傍観している人がいて、 この人も関係者なのかと思い、関係者が二人も出てきている、どんな事態かと思った。 人が詰まっているのは、この不具合のせいかとも思った。
  しばらく案内していた券売機の横の彼も、その必要がなくなったようだと 判断したらしく、つながれている列を後にしたところ、 腰に手を当てて堂々とその光景を眺めていた私服の男性が、 制服の彼に向かって得意に鉄道語りをしはじめた。 その私服の男性はあまりに堂々と軽い口調で語るので、 一体近鉄とどんな関係のある人なのかと思った。 しかし謎はすべてのちに解き明かされる。ともかく、 しばらく会話を聞いていると、私服の彼はこう語った。
 「ここには普通と快速急行が止まって、特急は止まらないんだよね、 そうなんだよ、う〜ん、特急に乗るなら名張まで行かないとだめなんだよ、 でもね、とにかく名張まで行けばなんとかなるから、うん、 むずかしいことはない。ぜんぜんむずかしくない。 そう。名張まで出たら絶対誰でも何とかなるから、ええ!」
 「いやあ、助かります。私には、私鉄というのはどうもわからんもんでして。」
 「いやあぼくもね、初めはわからなかったんだけど、慣れちゃってね、今じゃ…」
  とにかく、これで券売機の横に立っていた制服風の人が 駅員などではないことははっきりわかった。 駅員もこんな人の話を聞かされて迷惑だろうにと思っていたのだが…。 そして私服の方は関係者でもなんでもない。まるで違っていた。 そしてまた、制服の人より私服の人の方が立場が上で、 制服の方が、券売機に並ぶ自分たちに関係の深いこの人々を案内する役目を 負わなければならなかった…。
  近鉄の制服など一目見れば見分けの付くほど特徴のあるものだが、 こんな駅は委託なんかにしているんじゃないかと思い、近鉄の制服でないから駅員ではない、 と思うことはしなかったのだった。彼のは制服らしかったといっても カッターシャツ(ワイシャツ)に少しフォーマルの濃いズボンで、 それだけでは制服風とすらいえないものだが、 この真昼の暑さから上っ張りを脱いだように思えたし、 また券売機の横で操作する様など、ほんとう、すっかり堂に入っていた。 もっとも会社の制服なら勤務中に勝手に上っ張りを脱いだりできないようだが、 こんなのんびりした駅だから勝手に…。 それに私服の鉄道関係者など出てくるはずがない。これはありえない。 しかし一体この近くで何の催し物があったのだろう。 催し物から出て来た人を、事務員と私服を許されている人が案内しているのだ。 これは近くに学校が、それも、あの十五六歳の子らからして高等学校がある。 だが、この駅を通学駅にする高校はなく、これは確かなことだった。 それに学校の催し物に親がこうして必ずやって来て、 子と同伴しているというのもわからなかった。 さて、なんと推理されるだろう。

駅舎内の様子その1

駅舎内の様子その2 出札口、有人改札口は閉じられている。

とのこと。 こういう駅が出てくると、かなりの大手私鉄だなと思わせられる。

駅を出て。

  私は独り謎を深めたまま、外に出た。 眼前は赤の広場をはさんで緑と花の豊かな斜面で、公園のはじまりだった。 子供ならわっとよろこんで駆け上りそうな段々。 昔遠くまで列車に揺られて連れられ、 迫力あるこんなふうな遊びたい放題の公園を目前にしたときは、胸が高鳴った。 今もそのときの胸のもちようが感じたけれども、もう足どりはたいていいつも一定だ。
  ここ「四季のさと」は近鉄の管理する入場無料の公園。 近鉄が新青山トンネルの掘削にあたってできた土捨て場を、公園にしたのだった。 だから私はもっと別の意味があるように思った。 それにしてもここにこうしていると、花と緑のこの斜面だけかと思える。

駅の駐車場前にて。

上の写真右手の風景。かくかくたした「四季のさと」 の表示は車窓をぼうっと見ていても引きつけられる。

東青山駅駅舎。

東青山駅駅舎と駅前。

駅舎出入口左手の風景。

駅舎向かって左にはトイレと駅庭があった。

駅舎出入口。

  駅舎は申し合わせたように周りと調和して黄緑の屋根で、平屋だった。 建物は横に長くて窓もあり、駅務室があるようだった。 自販機がちょっとあるだけで店はなく、意外だった。 ここだけにいると、公園の緑と花しかないように思える。 民家の屋根のかけらさえ見えないし、自動車の走りぬける姿も見えない。
  駐車スペースは駅のすぐ前にあったが、 駐まっているのは数台で、スペースも広いものではなかった。 公園用の駐車場は少し離れたところにあるのだった。 しかしこれらの車はどこから入ってきたのだろうと道を探ったところ、 桜井寄りのずっと遠くの隅にトンネルがあって、線路の向こうと、ここを繋いでいた。 歩行者用のトンネルはもっと手前にあって、 階段を下りると長いトンネルが伸びていたが、そこはもう真っ暗。 しかしその向こうにこそ、この駅を最寄りとする集落のはずれがあるのだった。 このトンネルに降りるための階段の前には、東海自然歩道入口まで7.8キロ、 という古い案内板が立っていて、 こういうトンネルがうらさびれたところから始まるハイキングらしいものに思えた。 ハイキングはたいてい郊外の外縁に始まり、 そこには自動車道なんかが走っていて、歩いていくと、 いちいち地名と番号で管理されたボックスカルバートがあったりする。 それはあまり歩かれない古い里道や杣道をお義理で繋ぐために作られたもののようで、 くぐられることも少なく、すこし陰気な感じ。それは里界隈の出口のようでもある。 これを見てそんなことを思い出したが、ここでは、向こう側が里だ。 以前は里を抜けてここに来ると荒涼とした土捨て場だったろうか。 そしてその脇を通って青山高原への山道が歩かれたのだろうか。 今は人心地する人の手の入った、人と山との緑溢れる緩衝地帯だった。

駅のはずれにある東海自然歩道の案内板。

歩行者用の地下道。線路の向こうにある集落側に出るのに使われる。

地下道の内部の様子。

地下道出入口から少し歩いて見て取れる四季のさとの風景。

斜面花壇への道。

  五月の連休の初めだが、駅前にはそれほど人が多くなく ちょうどいい具合だった。ハイカーもちらっと見かけた。 この日の青山高原は眼も眩むばかりだっただろう。
  駅前の駐車場でスーツを着た中年の男性が、 制服を着た少年に、明るい顔でしきりに話し込んでいた。 二人とも車止めに腰掛けている。少年の方は表情を弾けさせないように していたが、多くを語っていた。 この高校生と話をしているのは、私には先生に思えた。 将来のことを少年に明るく話しかけているからだった。

  この駅の南西遠くの、 青山高原の裾を分けて作られた美しい風景の中にそのキャンパスはあり、 設備が充実していて、クラブ活動と受験勉強に専念できるという、 日生学園第二高等学校がある。 ほかの高校と違っているのは、その立地環境と、そして全寮制というところだ。 いつでも転校を受け付けていて、ここで決意を新たにする人も多いという。 ただ転校は難しい場合もある。 この4月29日はグリースフェスティバルという学園祭があり、 生徒の出演を見に保護者がやってくるそうだ。 同時に保護者総会もあるので、出演がなくても来校した人はいるのだろう。 この学園祭が終わると、この学校では新年度はじめての大型連休が始まり、 帰省する学生が多く、ここまでやって来た親と一緒に帰途に着くのだった。 学校からはここ東青山駅が最も近いのだが、 公式には榊原温泉口駅を最寄駅としている。この駅を通過する列車が多いためだろう。 第二高校の方は全寮制だから、この駅が最も近いという唯一の高校でありながら、 この駅を通学定期で利用する人はいないのだった。 これがふだん閑散としたこの駅が突然多くの高校生と保護者で埋まった真相。 いろいろな思いを抱えてここに学び舎を採った人も、 これが家で過ごすまとまった貴重な時間になる人も多かっただろう。 近年週末の帰省も可能になったという。
  駐車場の隅で明るく話し掛けていたスーツの人は父親だった。 券売機の横で案内していた人は学校の事務員で、 彼を捕まえて軽い口調で解説していたのが先生だ。

花壇前にて。斜面を流れる水がここで池を作っている。

水が花壇脇に流れている。

階段を途中まで上って、振り返って。

  駅前から斜面前の赤い広場に行って、階段を上りはじめた。 しだいに胸に突き上げてくる楽しさ、上はどうなっているのだろうかという楽しみ。 斜面の花壇の脇に来ると、花壇の両脇に滝が流れていて、 公園に躍動感が宿っていた。 子供は水に入るのが好きだが、ここは急な流れの斜面だから、見るだけだ。 花壇も背丈ほどある緑の柔らかい網で囲われていて、侵入者に備えていた。 もっと親しみたいものだが…。 階段を上りきると、そこは広い芝生の丘、力強く芽吹いた明るすぎるぐらいの緑の木々。 その明るさとびやかさの中に、おもしろそうな遊具が佇んでいた。 遊具には子供がいっぱい纏わり付き、 遠くからの歓声の切れ切れは、温みの高まった空気に抑えつけられ、こもって聞こえてきた。 遊具だけでなく、周りの芝生にも年寄りと子供が一緒に歩いたりして、 小さな子を連れた家族連ればかりであった。単行など誰もいない。

階段を上りきって。

気持ちよさそうの丘と緑の木々。

外周路。

  この四季のさとの奥には長い軌道敷があり、 そのほぼ全体が旧垣内 (かいと) 信号所だった。 その旧線跡を辿って東に進んだ公園の外れに、旧総谷トンネルが口を開けている。 1971年の10月25日、ブレーキの利かなくなった賢島行きの列車が 猛スピードでここ垣内信号所にやって来て、 その旧総谷トンネル手前にある坂になった安全側線へのポイントを引きちぎって、 本線を脱線しながらさらに激走、トンネルの内側に激突。 全4両のうち前2両がトンネル内に捻じ込まれて止まった。 しかしそこへそのトンネルを走っていた対向列車がほどなくしてやって来て、衝突。 そんな想像を絶するような事故が起こった。 しかしこの事故、肝心のところがよくわかっていない。
  もともと当該列車は事故現場から少なくとも4キロ以上手前の 旧青山トンネル内出口付近にてATS誤動作のため緊急停止し、 非常ブレーキの解除もできないため、 運転士は列車を降り、2両目に車輪止めをして自動空気ブレーキの 空気漏れを探ったが確認できず、各車輌のブレーキのエアの供給コックを閉め、 ブレーキシリンダーのエアーをすべて抜いたのだった。
 ここで運転士はエアーの供給コックを再び開けることなく、急いで運転台に戻った。
 そして旧東青山駅からやって来ていた助役が、その間になぜか車輪止めを取ってしまった。
 車輪止めをはずした助役は運転室に乗り込み、 ハンドスコッチをはずしたとの旨を運転士に告げると、おもむろに列車は動き出す。 列車は東青山駅を通過。この駅には大阪方面行きの列車が 交換待ちのため停車していただろう。滝谷、溝口、二川のトンネルを抜け、 西垣内信号所に入り、東垣内信号所を突破、あとは先述の通り。 当該列車は向かってきたと列車と垣内信号所で交換する予定だったのであった。 25名が死亡した事故だった。

  芝生の外周はレンガの小径で、藤棚の下のベンチでは大人が休んでいた。 藤も葡萄のように咲いている。蜂が気になるところだが…。 自分が遊んでいたころ、遠くまで来たのになんであんな日陰にいるのだろうと思ったものだった。 疲れたから、日焼けしたくないから…子供ならえっと驚くそんな理由も今では驚かない。 理由は違うが、私もこうして外周から眺めているだけだ。   こうやって外周から眺めていると、 芝生の眩しい子供たちと燃え出づる落葉高木は、 ほんとうに人々の歓びだった。それはあらゆるものを忘れかけるような歓び。
  慰霊の森。これほどの光景ならあの大事故の慰めともなりえそうだと感じる。 後ほど、復讐というものはやはり違うものなのだろうか、というあたりまで考えたりした。

  それにしても、子供たちの遊ぶこの芝生を私がずんずん進んでいくことは、 どうもおかしなことだった。 花が好き好きに咲くこの季節、黄緑色の地面からのひときわ明るい反射の上を、 こぞって楽しそうに親子が過ぎていった。 しかも今ここにいるだけでもう、藤棚の保護者たちが、 私をどう認識したらいいか考えはじめているようだった。
  廃線を歩く予定もなかったから、もう元来た階段を下りはじめた。 下の駅の方まですっかり見下ろせる。 子供ならこけないよう足元の階段ばかり見るだろうか。 遊びつかれた子供は向こうのあの自販機でねだりそうなものだ。 後になって、私があの芝生に入っていかなかったことは、楽しまなかったことは、 積極的に享受することでできる慰霊さえしなかったことになるのだろうかとどきりとした。 ああしてすっかり暗黙に空間を分断するものなのか、 感じたとき、もう方法はなかったのだろうか。 しかし、その中に入っていることと、外からしか見ないことはほぼ同じだった。 やはり次の人たちのために、安全と幸せを願うしかないと思うほかなかったのだから。 しかし公園はともかく、いつか事故現場の方には赴きたい。 よく知っていても知らなくても、現在を目の当たりにすると、 慰藉は進行してしまうものだと感じるだけに。
  なお、旧東青山駅はそれこそ山のまっさなかにあり、辿りつきにくい。 しかし二つのホームが意図して残され、ぜひとも訪いたいものだ。

頂上から駅前を見下ろして。

ここまでの斜面も緑が豊かだった。

  駅の前に帰りついた。あんなに父子が二人で話せるのが不思議だった。 だからはじめ先生だと思ったのだ。 あの学校の高原のような敷地を見学して、 まずその風景に瞠目せられる人も少なくないという。 そんな学校から一緒に帰途に着くつもりで出てきたのに駅にも入らず、 ほかの人たちがもうとっくに列車に乗って帰っているのも気にせず、 話し込んでしまっている二人。 その向こうの緑の公園では、子供が無邪気に遊んでいる。 ホームに入ると、花壇を眺めるさびしきハイカーの後姿があった。 規定されたそれぞれの姿が、駅を離れて、それぞれの場所で活動する。 同じ緑の丘でも、人によってその意味は違っていた。 生活の転換、遊び場、ハイキング、慰霊の森…。 あの公園を見て、慰霊も石柱さえ立てればそれでいいのかと問われた気もしていた。 石には悲しみと誓いしか見出せないが、丘には歓びも宿りえる。 しかし緑の丘とは、私にとって、やはり何なのだろうか。 駅を描けない私という姿は、まるで光の中に打ち消されている。 自分は芝生に落とされる、自分の影をもとめている。
  ひさしぶりに列車がホームに停車した。 列車は開け放しの明るいホームから、 さまざまな思い胸にしまった人々を吸い込んで大きな街へと向かう。 気づけば探していた車内の床のコントラストは、思いのほか弱くなっていた。

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