広小路駅 - 初夏の伊勢・伊賀地方への旅 -
(近鉄伊賀線・ひろこうじ) 2007年4月
桑町から茅町へ。そこはもうすでに薄暮の上野市街だった。 茅町駅では派手な恰好をした女性たちが列車を待っていて、 それがくすんだ伊賀の街をいっそう引き立てた。 それからすぐに広小路駅に着いた。茅町より人が少なかった。 もうほとんど日が落ちているが、よし降りてみよう、と、列車からホームへ出た。 私の周りの幾人かが、自分後ろ姿を目で追うのがわかった。 地元のものでないと、わかったのだろうか。
なんだろう、降りて駅の中に入ってみれば、いったいこんな風景の駅が いまだ街中に残っているとは、到底信じられなかった、としか言えそうになかった。 狭い駅舎の中が、やや汚れた白壁と古い木の柱で、しかし天井は高く、 ぜんたい昔のまんまで、明かりはひとつかふたつ、ともっているだけなのだ。 誰もおらず、しん、としている。 鉄のブースのある改札口の上に、入口と小さな表示が出ていて、 それを明かりがしずしずと照らしていた。 白壁のあちこちには紙に文字を打っただけの掲示物が多く貼られ、 明かりが乏しいため、少々読みづらいぐらいだった。 とにかく驚くばかりで、感心しきりだった。 ここでは後でじっくり過ごそうと思い、ホームへ、それから街へと出た。
ホームの前は民家が間近だった。その民家も甍が今にも崩れ落ちそうで、 貶たれた土蔵のようでもあった。 ともかく列車はこんなふうに街中を縫っているようである。 ホームの茅町側の先にはやや狭い踏切があって、そこを自動車やら自転車が 行き来していた。 上野市側はどうなっているのだろう。 見に行くと、ホームの舗装のなくなる右側は木々や草々が茂り、 その中ににぽつんと、壊れんばかりの便所があるばかりである。 ちゃんと、お手洗い、と案内されている。この中に入るのか…。 しかしあたりに庭などがあり、地元の人の手も入っているようだった。
ホームから見た駅舎。
軒下の風景。
伊賀神戸方面を望む。
上野市方のホームの風景。木々があり、
街灯は道路に使うようなものを用いていた。
これがトイレ。
近鉄の駅名標。
駅舎から見た改札口の風景。
駅舎内の風景。誰もいない。
据え付けの木の長い椅子があった。
出入口付近の様子。右上に時刻表が掲げられている。
改札口と旧出札口。
最終連絡時刻表。大阪、奈良方面をはじめ、
津、四日市、名古屋なども案内されていた。
臨時列車の案内。お昼に3本増発されるようである。
不審物発見時のお願い。
広小路駅駅舎。
広小路駅駅舎その2。
駅舎への通路の様子。
何か見えなかった?
広告板の裏に忍者が…。
振り返って、駅近くの踏切を見て。
駅を出た。瓦の赤茶色に煤けた、柱の傷んだ建物だった。
道路に出るまでの赤く細い道が続いている。
左側にこの街の広告が長々と出ていたが、どれも新しいものだった。
道路に出ると、もう街中である。
しかしそれは息を呑むような、薄暮の昔の街だった。
ひきつけられ、恍惚とし、あたりをつらつら歩いた。
駅を出てのこの通りも、細いものだったが、辻から出る道は、さらに細かった。
全体に道が狭いのである。そして辻がいびつで、
見通しが悪く、私も一つ目の辻を過ぎようと、
こわごわ辻の横道を覗いたその瞬間、停まったばかりのミニバイクが目の前にいた。
ただでさえ視界の悪い時間だった。
駅から出てのこの通りは芭蕉街、と名づけられているそうで、
街灯にそういう表示が出してあった。
そしてその街灯の中ほどには、忍者のマネキンがくくりつけられているのである。
駅の広告板の裏にこれを見つけたときは、どきっとした。
宵の口に何やら黒い人像がありえない位置に見えたのだから。
いずれもなんだかやりすぎに思えるほどうまく溶け込んで見えた。
遊びに来た人を楽しませる仕掛けのようだ。
あたりは木造の薬局、街道を示す石碑、街の電器屋、
ゆがんだ辻の先は道も幾分広くなっていたが、その道の両脇を、
まるで祭りが終わったかのように、男たちが二人、三人群れて、歩いていた。
不思議に誘われる街だ。この日は休日であったが、
人々が家路に着くのが、こんな光景であったなら幻惑する。
辻にて。駅と反対方向を望む。
こんなところにも忍者が。
木造の井本薬局。
東海道が案内されていた。
スクーターに出会ったのを潮に、駅の向こう側へ向かった。
忍者の里の街かくやと思わせるいびつな辻には、店が寄り集まっているが、
新旧の混合が不思議な感覚で、古い店があるかと思えば、
最新のデザインの病院があり、
ふと辻の細道を覗くと石畳できれいに整備されていたりするのだった。
なんかとんでもなくいいとこだなと思いつつ、
もう宵が迫っている道を駅へととった。
踏切の脇の風景。意外にも落書きがある。
踏切から見た駅。
とある辻を過ぎて。向こうに駅がある。
上野公設市場。かなり古い建物だ。
ある通り。かなりきれいに整備されていた。
上野はまた来たいな、などと考えつつ、駅の中の椅子に腰掛けた。 据え付の、木の長い椅子だった。窓には新しい木で斜交いに打ってあり、 どうも耐震に問題があるようだ。このときは、取り壊しになるなどとは つゆほども思わなかった。壁の張り紙などを読んでいると、 不審物の対処については、英語でも全文示されてあり、 伊賀に外国人の少なくないことを思い出した。 この街とは結びつきそうにないが、そうなのだという。 また、最終連絡列車表というものがあり、 近鉄四日市や名張などに行くには、どの列車が最後の接続となるかが示されてあった。 ここからいちばん遅く出て、なんとか着く列車に乗りつないで目的地に行くのを想うと、 なんだか怖い気がした。大阪線の山深さである。 また、ここを出る列車はまだあるのに、 そんなのがいくらやってきても、目的地には向かえない、という緊張感を思い出した。
駅に二人入ってきた。70過ぎのばあさんと、仕事着の若い男だった。
じゃあもうそろそろ来るんだなと思って、三人静かに椅子に並んで、座って待った。
はたして踏切が鳴った。おっと早くホームへ行かないと、
これを逃しては困るはずなんだ、と思いつつ、腰を上げた瞬間、隣のおばあさんが、
「神戸 (かんべ) 行きは何時ですか。」
と、きょとんとして訊いてきた。
一瞬、何もわからなくなった。
このときに訊いてくるということは、
今にも来そうな列車は神戸行きなのだろうか、と思ったり、いやそんなことはない、と思うと、
伊賀上野が伊賀神戸とごっちゃになった。
「えっとこれは上野市行きですよね…。」
「はいこれは上野市行きですよね。神戸行きは何時ですか。」
結局私は自分に都合のいいことしか訊き返していないのだからおかしい。
私はもう、まもなく入ってくる、
逃してはならない帰りの列車に乗ることで頭がいっぱいになり、
薄暗い中、天井近くの時刻表を見る気もなくなって、
「…すいません、あれに乗るので…。」
と会釈してホームへ出た。
すると背後でそのばあさんは、横の男にまったく同じことを訊いたのだが、
彼はふうやれやれという感じで、腕時計だけを見て、さらりとその時刻を答えた。
生活の中で乗るつもりであることを言いたげであった。
それで私はいっそう旅行者にされたようだった。
帰りのいくつかの列車が、見知らぬ暗い山の中を走ることになっているような気がして、
これから夕餉の時刻を過ぎても峠を越えるような、そんな様子が思い浮かんだ。
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