動橋駅

(北陸本線・いぶりはし)

  脇に停まったままの、重ったるい交直電車が轟かす冷房音を聞かせられつつ、蒸し暑い空気のたまった、荘立する屋根の下の空間を連行されていった。足元を見ると、床はきっちりした正方形の石を詰めていて、怜悧で几帳面さを漂わせている。降りた人はほかにもいたはずだが、めいめいぼうっと歩かされていて、目に入らなかった。列車がまだ発車していない中、歩きながらときどき見上げて、「これはまた堂々とした屋根を造ったものだ」と、首だるそうに、知り飽きた用途を担った一公共物に関心を持った。

  屋根のない端に出ると日差しがその敷石を溶かし、セメントの小石を浮かして、表面を粗くしていた。その小石は茶色がかっている。周囲に市街がある駅ではないようだった。

 

 

 

加賀温泉方。

 

 

小松方面を望む。

駅名標のエコー。

 

駅裏にあった公園。

 

 

 

 

 

最下段には縁の丸い段が用意されていた。

裏の様子。駅裏に普通こういう塀は使わないから変だと思ったのだが、この向こうが北陸鉄道の片山津線の構内だったのだった。今はすっかり宅地になっている。

まだ通っている貨物列車。

 

 

加賀温泉、大聖寺、福井方。

第一生命の表示が目立っていた。

特急雷鳥が入線。

サロ。

小松方に見た駅構内。小さな車庫がある駅。

 

 

 

ホームに突き刺さる架線柱。非電化時代のままの駅でよく見る光景。 ここの交流電化は1963年。この柱ができたのはそれ以降ということになりそうだ。 ちなみに片山津線の全線廃止は1965年。

 

覗き見た町。

1番線の佇まいを窺って。

  構内は確かに立派なものだけど、中くらいの駅に出現した佇まいとしても変なものではなさそうだ。しかし広告が一つもない。そのため彩りに侵されていなかった。また、屋根を支えるレールが、白い鳥居連なる参道のように、山型をなして並んでいる。線路越しに改札を細目で窺うと、無人だった。やっぱりね、と、ひそひそ話す。しかし佇まいは、地位を落とされ、温泉乗り換え駅としての機能を奪われてからほぼそのまま残ってきたもののようで、ここまで端正に美しいままなのはそうそうなさそうなほどだった。というのは、たいていは廃れたり、うらびれたりする方に傾くからだった。

 「きっちりした仕事だったからかもしれないね」と自分の足が運ばれていく敷石の溝を目で少しのあいだ追いながら、自然と穏やかさを振り撒きつつ改札口へ向かった。

跨線橋にて、小松・金沢方面を望む。

大聖寺方。

駅前の様子。赤い瓦屋根が多いが、北陸でも日本海の交流で、 石州瓦が伝わったのだった。

プール場にありそうな屋根。駐輪場のもの。 路盤は少し高いところにある。

 

 

 

この辺も以前は何かに使われていたのかもしれない。

上りホームの風景。

 

 

塀がちょっと異様だ。

改札口。

 

金属じゃなくコンクリートだった。

 

 

加賀温泉方。この辺は島式ホームに変化。

貨物側線があるため。

 

 

 

改札前の風除け背後にて。

 

 

 

 

  誰もおらない。駅舎の中は静かの極みだった。しかし無人駅ではなく、この時間だけやっていないということのようで、少し安心した。何かしらこの駅特有を感じさせる掲示物を読んでいると、それを貼ってある壁一面が、かつての出札口だったとはたと気付かされた。というのも、大理石を穿った金置き場が亡くなった人々の掌のように遠慮がちにいくつか飛び出ていたからだった。

 

出札口。

 

 

縦長の窓が特徴。

元出札口。

  やっぱすごかったのかな、客の多さは、と、ここのことを見直しつつ、温泉情緒など焼き尽くすような灼熱の屋外に出たが、道は確かに角60度で4本集まってきていて重要な駅らしい感じなのに、ほぼ、これは集落の様相じゃないか。かくんとなる。動橋の街は小さいながら、ここから少し離れた旧国道沿いにあるけど、あたりには倉庫が見当って、市街の駅というより、乗り換えや、貨物輸送などの機能の駅の感じが漂っている。
  乗り換え駅という言われ方で、察することもできなくはなかったかもしれなかった。大聖寺と争ったとももう取れないほどだった。

駅前の風景。

 

 

動橋駅駅舎。

駅前広場の様子。

 

駅前からは計四本の道が出ていた。そのうちの二本。

 

水色と白の設備、石州瓦、松、というわけで、山陰の風景よく似ている。

外から見たホームの様子。

駅前の動橋郵便局。官立の趣き強し。

 

  でも駅の建物は横に長い段を配し、時計も掛けで、これは集落の駅ではなさそうだ。温泉乗り換えの人はみんなこの風格を見たというわけではなくて、片山津温泉の人は跨線橋を使って駅裏から片山津線に乗ったから、よそから来てこの駅を見たのは、山中線に乗って山中温泉に向かう人だったのだろう。そういうわけで、裏からは北陸鉄道の片山津線が、表からは別に駅舎を建てて山中線が出ていたのだが、はっきりいって戸惑ってしまうほど、遺構も雰囲気もない。なんでも、とても賑わったそうなだけに、あっという間に消えてしまったことに信じられなかった人もいるという。私もこれはただの町に捉えられる。鉄道は造りからすると、いかにも盤石そうだ。しかし枝線を担った私鉄は、小さくか弱い存在だったように思われだした。客が減り続けても、バスなら延命がそこそこ利くだけに、いつでも栄華を迎える準備のある鉄道は、その融通の利かなさも魅力であるようだった。無骨で、強そうで、不器用だが、死んでしまうときは死んでしまう、これは何かに似ているな。

あの辺に北陸鉄道山中線の駅があったのだろう。

駅舎その2.

3.

加賀温泉方。

暑くて歩く気が起きない。

倉庫。

 

とある通り。

 

 

 

 

  列車の来るころになると、昼でも人や自家用車が四方から集まって来ている。すると朝夕は、結構な人が利用することになりそうだ。
  駅名からすると、石動 (いするぎ) と一緒になって北陸本線らしさを醸しているこの駅。 大聖寺、加賀温泉、と降りてきたがここは真夏の中、落ち着いた静かさだった。今は加賀温泉駅が乗り換えを担っているのを見てきたばかりだから、温泉や駅はさびれてしまったものなのだと感じることがなかった。また、大聖寺のように市街を擁している感じでないから、ここは純粋に格式持たせられた駅かもしれないようだった。けれども現況に不似合いなほど大振りというわけでもなく、廃線の痕跡をきれいに消し去り、そういえば少しは立派な普段の駅 として見なせる道を歩んでいる姿を見せていた。
  地元の人のために大樹のように影を作って、少しもいじけることなく、爽やかに立つプラットホームの屋根が、今も思い浮かんでくる。

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