池の浦シーサイド駅 - 初夏の伊勢・伊賀地方への旅 -
(参宮線・いけのうらシーサイド (臨) ) 2007年4月
鳥羽 - 池の浦シーサイドの車窓にて。
鳥羽から海側の車窓を見守った。はじめは街や道路、近鉄線が目立っていたが、
やがて右カーブしながら、小さな岬の根元をぐんぐん遠ざけると、
鉄橋の音を立てながら、海のただなかを走った。
「あっ。」
鉄橋の音が海面を渡り、列車と海とが一体になっていた。
それからは海がよく見えた。陸を走る音がどこか心地よかった。
ふと目の前を小島が遮った。また海が見えた。すると、初夏の干潟がやたら近かった。
その季節になったのだろう、潮干狩りの客で浜辺が賑やかだった。真夏とはまた違う風景である。
ふいに列車が減速した。
着くのか、と思い、車輌の前へゆっくり歩いていくと、
前面が展望で、さわやかな海が見え広がっていた。
何か特別な思い出が生まれるような、停車の瞬間が迫っていた。
「この列車は、きょうは特別にここに停車いたします。」
時間が止まってしまう沈痛な瞬間。そして息が止まった。
「よし!」
突然、運転席の脇に立っていた年配の防護役が指差喚呼でその沈鬱を破った。
そしてくるりとこちらを向く。ひとこと言うと、記念に乗車券を取らせてくれ、
ドアの横のボタンを押してくれた。
ドアが開き、風が流れ込んだ。
降りようとすると、なぜだか駅から祝福されたようだった。
そしてそこは、風の流れる初夏の海辺のプラットホームであった。
白波は立たず、静かな入り江の海で、岸の方は干潟になっていた。
明るい色の海の向こうには、小さな半島や島の緑がいくらでも見えた。
列車が扉を閉じ、私の後ろで走り去っていった。ほかに降りる人も乗る人もなかった。
鳥羽方面を望む。
柵のすぐ向こうは静かな海。
時刻表と駅名標。
時刻表はほかの駅のものに共通する下紙だけで、
数字はいっさい書かれておらず、
この連休用の小さい時刻表が布テープで貼り付けてあった。
上下それぞれ日中に6本、計12本が停車。朝夕は普通列車が通過している。
この連休では7日間営業の予定。
駅名標。
海辺と駅名標。
ホームの端まで行き着いて。鳥羽方面を望む。
遠くに伊勢湾への湾口が見える。
ホームの端から伊勢市方面を望む。
駅前海岸の満潮時の風景。
ホームは海側に一つきりで、海と境になるフェンスは、
海の水に落とし込んだようだった。
反対側は新緑が眩しくて、その向こうに隠れるように道があるらしかった。
湾にできた干潟を遠巻きに望むと、二組のほどの家族連れがのんびり潮干狩りをしていた。
人の数にしては大きな干潟で、これなら子供ものびのびできるだろうと思った。
この湾は池の浦湾だという。両脇を緑の山地に囲まれていて、極めて穏やかだ。
右側の山地は小浜半島で、その半島の向こうがさきほど見た鳥羽湾になっている。
ここの「小浜」は静音で読まれる。それだけに抽象的な漁村が浮かぶ。
干潟はあるが、海水浴場は海側の山向こうまで行かないとない。
そこが池の浦奥の浜海水浴場で、
地図からは人の少なさそうな、さほど大きくない浜辺らしい。
キャンプ場も併設されているという。
快速みえが鳥羽方面へ離れ去って。
階段から見たホームの風景。
接近警報装置や信号に関する建物だろうか。
右手の建物の扉は古い木製だった。
見通し不良区間の標柱。木柱に手書き。
階段から伊勢市方面を望む。
海を右手に、ホームの端まで歩いて、短い階段を下りると、
赤茶けた横開きのシャッターを堅く閉じた、元出札所があった。
営業をしなくなったのも、つい最近のことではないらしい。
そばには古びて脆いような樹脂性の長椅子があって、さびしいビーチパラソルが立ててあった。
椅子の間には草草が背を伸ばしている。
おしなべて廃墟じみてはいた。
しかし不気味さは不思議とかけらもなかった。
どちらかというと、こういった臨時駅を造って盛り上げる時代が
終わった、というだけのことだった。
忘れ去られたレジャー。どこか追憶の駅。
今となっては、造ったから、
いちおう夏季の連休や祝日には停車させている、と感じもした。
しかし、列車が駅に停車するというのは、そのとき誰も利用しなくても、
駅が活きる瞬間だ。そうすると、年間でわずかな日数だけしか活きない、
池の浦シーサイド駅。だから、あの停車の瞬間、停車によって祝福された駅に
私は祝いの雰囲気を感じ、そして歓迎を感じたのであった。
ここが常設であれば、もっと別の魅力があったに違いない。
この駅が休日の駅であり、どこかとっておきの駅であるのは、この駅の宿命である。
右手の建物が出札所。歓迎の看板もあった。
池の浦シーサイド駅。
駅前付近の風景。
ホームはこんな具合。
駅全景。
駅のすぐ近くの海岸は大きく尖った石がごろごろしていた。
海岸線はホームから離れるように、海に向かってカーブしていて、
少し歩くだけで駅を捉えられた。
ホームは堤防と一体になっていて、ちょうど海岸線にできた駅だった。
ホームからこっちの方まで続く堤防のコンクリートは、
表面が粗く、熱せられていて、
濡れた体で座ると水を吸い込み、じんわり雨上がりの匂いがしてきそうだった。
例の二組の家族連れは、堤防にバックで駐めた二台のワゴン車の後ろから、
バーベキューの道具を出し、昼食の準備に取り掛かりはじめたところだった。
近くの立て札にはまさにバーベキュー禁止とあったが、
遠くに漁師が漁具の手入れをする中、堂々と潮干狩りをしているところを見ると、
漁協に申請しており、バーベキューの許可を受けたのだと思った。
ちょうど暑くなるお昼どきだった。何か食べたくなった。
ホームの階段から続いている砂利道を歩いていくと、
海岸から離れ、両脇に潅木の茂った道になった。
砂地の路面に、弧を描いた薄い轍が白く焼けように横たわっていた。
駅の近くにあった、二見浦マップ。
この駅の名前も書かれていた。
堤防の向こうには干潟が広がっていた。
海岸から離れる道に入って。
未舗装の道だった。
舗装路に出る手前にて。
道路から見た干潟。幾人の人たちが貝を掘っていた。
やがて舗装道に出た。人通りも自動車の通りもなく、 畑に混じって新しい住宅が何軒かある、海辺のさびしいところだった。 それでも山手の国道へは出なかった。 この駅に来たら、海に突き出すようにある小山の裏にある、 池の浦海水浴場を見てみようと思っていた。それでその山に向かって歩きはじめた。 山は思っていたより高く驚いたが、そんなものだろうと思い直した。 しばらく水平な道で右手に人家が続いたが、途中、不審な車輌が止まっていて、 思わず足が止まりかけた。ドアを開けて、カーラジオを流し、 その脇に大量のコンビニ弁当の殻が積み上げてあった。 その量は一人でいちどきに食べたと思えない量だった。主はおそらく寝ていた。 車輌も割合汚れていて、どこかで弁当を漁ってきたのかと思った。気持ちが悪かった。 外は暑く、弁当の殻から異臭が見えた気さえした。
そのロータリーのすぐ近くにあった、二見町漁協・池の浦釣り筏案内所。
山道に入る前に、漢詩の碑を置いた小さなロータリーがあった。
山に入る手前の右側に、漁協の釣り筏案内所の建物があった。
建物の引き戸の脇には「潮干狩り禁止」と書いてあり、
もともと許可制などないらしかった。
それにしても、この辺り一帯には漁協による注意書きの立て札がやたらしつこく、
よほど漁業権にうるさいところのようだった。
どの立て札も白い小さな木の板に書いてあって、肉筆だったから、
ほとんど因業に思えた。
そこを過ぎると、緑の中に急な上り坂が右に曲がっていて、
山道になった。山道といってもしっかりしたアスファルトの太い道で、
この先を進むことに何の不安も覚えないような道だった。
この先に何があるのだろうかと思った。
胸を突くような坂道。急なつづら折れ。
ときどき緑の葉陰から見える海に癒された。
ふと脇を自動車が登っていった。運転手がこちらを見ていた。
人が登ることはあまりない道なのかと思えてくると、急にさびしくなった。
それを振り捨ててぐんぐん登っていくと、大きな建物、何だろう?
リゾートホテルだった。「なあんだ…。」
これでいちおう頂上に着いたのだが、ここで道がわからなくなった。
本当はホテル前を横切って、山を向こうに下りていけばよかったが、道を忘れていた。
ホテルの人に聞こうかと思ったが、時間ももうなさそうで、引き返した。
ホテルのあたりは頂上で、よく海が見えた。
しかし外洋に近い池の浦海水浴場を見てみたかった。
坂を上りはじめて。
さらに急カーブが続く。
木々の間から駅付近の様子が垣間見えた。
ホテル海の蝶の前にて。
池の浦湾の風景。
少し高度を落として。漁港の上にいるらしく、突堤がよく見えた。
下りるとなると早くて、途中、漁港に立ち寄ってみる気になった。
さっきの漁協の建物の脇に入り込んでいく。道はまた砂地に戻っていた。
漁港に出ると、幾艘もの舟が繋がれていて、脇で貝を掘っている人が二人いた。
遊びに来た人ではなく、どうも関係者のようだった。
やはり私は不審だったらしく、二人は気にしていた。
左に迫る崖をトラバースして、ホテルの向こう側に行けないかと歩いていると、
途中恐ろしい細道になり、左手は崖、右手は下のほうに海面、
しかも木の枝で屈んで歩かないといけなかった。
そこを過ぎたら行き止まりだった。
もし近くの人に向こう側に行きたかったと言ったら、笑い飛ばされただろう。
だが、なにかそういうもので、吹き飛ばしてほしい気がした。
目の前には静かな海が横たわっているだけだった。
池の浦という名前がどこから由来したのかわからないが、
このあたりの海はたいへん穏やかで、小島の浮かぶ広いPondのようだった。
山から下りきって、釣り筏案内所脇の道を入り、漁港に出た。
未舗装の道は楽しい。
崖を巻けるところまで巻いて。
穏やかな海が広がる。向かいの緑は小浜 (おはま) 半島。
漁港にて。
漁港から見た駅と列車。
ざっざっと土を踏み込む音から、階段を上る音に変わり、ようやく駅に帰り着いた。
下り坂のせいで足に来た。あと数分もすれば、
ここに来てから二本目の上り列車が来るようだ。
干潟を眺めると、さっきより人が少なくなっていて、もう片付けているようでもあった。
昼を過ぎたばかりで、日もわずかに色が変わっていた。
「あっ、潮が満ちている。そうか…。」
思い出の貝堀の穴が海底に沈む。人の活動の時期は短い。
ほんとうに海に近い、海岸駅だった。
しかし海岸が海に挑んでいるわけではなく、海の方から陸を迎えに来ている土地だった。
そこに列車が通りががって、立ち止まってくれたかのようだ。しかし別離が迫ってきていた。
そして予定では、もう鳥羽を離れ、海を見ないのだった。海から送り出されそうだった。
列車の来るカーブの先ばかりを見つめた。なかなか来ない。
レールは不気味なほど静まり返っている。来ないんじゃないかと思った。
むっと盛り上がった新緑の沈黙が長かった。
ふっと一両の列車がカーブから姿を現した。もうだめだ。
しかしどんどん近づいてきて、そしてそのまま過ぎ去るのかとも思えた。
だが、白い剛性の車体は、カラカラという軽いエンジン音を鳴らしながら、
体のすぐそばに摺り寄ってきた。
さびしく停車の誉れを受けた駅が、開いたドアに私一人だけを送り出した。
孤島にある分校から送り出されるようでもあった。
車内はがらがらだった。座って、ドアの方を振り返ると、
私が開けたドアで、駅から海の醸成した透明の発酵生地が流れ込み、
車内と駅が一つの生地空間になっていた。
いつ分割されるともわからないその不安定性ゆえ、
どちらかというともうほとんど分割されていたが、実際には確かにつながってることが、
どこかこの世のものではないと思えた。
おもむろにドアが、スケッパーがパン生地をやわらかく切りはぐるように、
駅との空間をしっとりと閉じた。
後ろの離れゆく運転台には薄水色に染まった穏やかな生地の、永遠の横臥があった。
また誰かの思い出をその生地から、ドアが切り離すことだろう。
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