榊原温泉口駅
(さかきばらおんせんぐち・近鉄大阪線) 2007年4月
池の浦シーサイド駅から伊勢市行きに乗った。
参宮線の小さい駅をことごとく停車していく。
停車にも発車にも重々しいものは何もなかった。
さっと駅に停まっては、ふいに走り出す。
あっけなく伊勢市駅に近づいたが、それまでの駅とはまったく違う規模で、
広いヤードがあり、地方への長旅が終わりかけて大きな主要駅に着くような感覚を思い出した。
列車もここで終点になった。
精算したあと、海を離れた寂しさから何も考えないようにして、
近鉄線に乗り換えた。すべてロングシートだった。
ふと斜向かいを見ると、着物の女性が二人並んで談笑していた。
床には窓からの日差しで平行な四辺形がくっきり描かれていた。
伊勢神宮に行ってきたのだ。しかしこの初夏のこもるような暑さの中、
ああして着物で出歩けるのには、
着物に何か心地よく着られる仕掛けがあるのだろうと思った。
二人は伊勢神宮に行きたかったのではなくて、
着物を着てどこかへ行きたかったのだろうかと思えはじめた。
すると自分の服が茶色の紙袋に思えてきた。
静かに楽しく会話するこの二人の背景が特急列車の車内でないことが、
不思議に思えた。床の眩しい四辺形が生き物のように等積な変形をしていく。
案外近いところから来たのか、二人は伊勢中川あたりで降りていった。
乗り換えするのだろうけど、特急に乗らないからやはり近くからなのかと思った。
この二人が降りてしまうと、車内は急に地元の人だけになった気がした。
休日のお昼だから、行楽の人が乗るのはこれとは逆の下り列車だ。
そう思っている間にも、列車は平野を離れ、どんどん山間に向かって走っていた。
往路では喜びとともに渡った雲出川の鉄橋もあっという間に走り飛ばし、
いくつかのトンネルをくぐると、もう榊原温泉口駅だった。
ここに降りようと思ったのは、温泉と名の付いた山間にある駅で、
迎え入れられるような雰囲気がありそうだと思ったからであった。
もちろん温泉口とあるから、温泉場は遠いだろう。
ホームに降り立つと、右手のホームには明るい緑の山の斜面が迫る一方、
降り立ったホームからは田舎の盆地が見渡せた。盛土駅だった。
盆地側にある柵が緑色に塗られていて、風景とよく合っていた。
ささいなことだが、こんなことでも随分変わるようだ。
予算があれば生垣にするところかもしれない。
特急停車駅だけあって、ホームに待合室が拵えてあり、
自販機も置いてあった。しかし列車が行ったばかりてホームに誰もいない。
静まったホームを後にし、盛土駅だから階段を下りて地下道へ入った。
その階段が自販機の裏にあったのだけど、
そのあたりはホームの大屋根が覆いかぶさっていて暗かった。
盛土駅にほぼ必ずある地下道は、駅に落ち着いた雰囲気と、
どこか暗さをももたらすのだが、この下り口の大屋根の暗さは、
よけいに駅の落ち着きというか、黒さというものを深めていた。
1番線ホームの風景。名古屋・津・鳥羽方面。
2番線ホームの風景。京都・大阪方面。
2番線ホームから津・鳥羽方面を望む。
構内を出たらすぐに寒谷トンネルが控えている。
2番線ホームから見た盆地の風景。下に写っているのは駅舎の屋根。
2番線ホームの待合室。サッシがきっちり入っている。
1番線ホームの様子。背後に山が迫っている。
2番線ホーム、階段下り口前付近の風景。
この椅子の向こうが下り階段の空間となっている。
地下道と階段。
地下道の隅にあった歓迎の枯山水。
地下道の風景。ポスターもそれほど派手ではなかった。
地下道の隅に小さく枯山水がしつらえてあった。
日本三名泉へようこそ、とある。
鉄道会社ではなく、温泉場の宿屋が作ったのだろうか。
こういうものがあると、この先、
駅の雰囲気がどう流れてくるか、誰でも察しがつくものだ。
少しずつ温泉場の最寄駅に着いたという気持ちになってくるだろう。
地下道を抜けるとわずかな明かり区間を経て、駅舎へ続いている。
駅舎がなくて、ここが駅の出入口という駅は多い。
それだけに地下道から出るとすぐに野外へ開放された気がした。
明かり区間をいっさい持たず地下道と駅舎が直結している駅というのもあって、
それが木造駅舎だとなおいっそう連結部は魅惑的なものとなる。
その明かりの部分にラベンダーのプランターが置かれ、
その上方に幾枚ものポスターやパンフレットがあった。
決まって伊勢志摩やパルケ・エスパーニャを案内しているのが近鉄である。
どことなく狭苦しさが感じられてくる。
盛土に沿って細道を進むとトイレで、盛土の斜面の深緑がよく見えた。
改札越しに見える駅舎内に出店のようなものが見えた。
駅舎の中は少し暗く、人はまばらだった。
改札口前。
右手にトイレへの入口。
地下道を振り返って。
有人改札だけの改札口は窓口側だけが開いていて、そこに差し掛かかったのだが、
なんと駅員がチケッターを上に放り投げてくるくる回しては
手で受け止めるということを幾度となく繰り返していた。
これをJRでやったらどうなるのだろうか。いや、できるのだろうか。
近鉄の駅員や車掌は概ねのんのびしている。
振り返ると、売店から離れたところに木の棚を置いて、
保存食にした山の幸を並べていた。出店ではなかった。
そのみやげ売り場のすぐ近くの木の案内板には、
「当駅から上本町 (大阪) まで1時間15分」という具合に列挙されていて、
これから帰途に着く人たちの気持ちに重なった。
「ここにも土産が売っているね。どれ…。」
「あら、ここから上本町、名古屋、賢島はだいたい同じ時間で行けるのね。
1時間15分だって。ここに書いてあるわ。」
「へぇ、上本町まで1時間と15分間か。ちょうどいいぐらいか…。」
この出店は左の売店とつながっていて、売店の品揃えも良かった。
連休になって、売れ行きを見込んでいるかもしれないが、
もともと地の人の利用もあるのだろう。
そのすぐ近くに最新の待合室も作られていて、人も入っていたが、
駅舎としては賑わうというよりやや静かだった。
駅舎を出る直前、三角に立った明り取り窓があり、
部分的に色ガラスを使っていた。
その下には、かなり大きな木の板に榊原温泉口と書かれ、
イラストマップのように描かれたものが掛けられてあった。
駅で多用される木の案内板が、
遠くにある温泉場との雰囲気の差を埋めているようだった。
普段使う駅としても良さそうだ。
コンコースにて。改札口と出札口の様子。
コンコースの風景。
みやげ物のコーナー。
コンコースの奥には広い待合室が調えられている。
改札口前の風景。
コンコースは全体的にやや照明を落としているが、
入口付近は天窓から光が差し込んでいて明るかった。
明り取り窓。
駅前に設置された地図。
この駅から榊原温泉郷までの広い範囲が載せられている。
駅前に立つ案内地図を見ると、
この駅から数キロ離れた榊原温泉郷までの地図がしっかり載っているだけでなく、
遠く数十キロ遠く離れた美杉町の火の谷温泉まで出ていた。
火の谷温泉は名松線の伊勢八知駅から歩いて10分ほどのところにある。
最寄駅があるのにここに案内を出し、30分かかる送迎バスまで出していることは、
近鉄の強さを裏付けるようだった。
駅前はそれこそなんにもないロータリーだったが、
それが反って、ただ遠い温泉場へ向かうためのバスの発着場という気もした。
そしてここの集落の駅利用者の姿も見えてくる気がした。
駅前は全体的に右に向かって下り坂になっていた。
中央の部分も細長いが、幾台ものバスを停められるようにしてある。
しかし無骨にフェンスで囲ってあり、また歓迎塔のようなものは作られなかった。
あたりには温泉場へ向かう旅館のバスが三台ぐらい駐まっていた。
駅前はやはり温泉に来た人ばかりで、そして年配の人ばかりだった。
やはり海ではなく山の温泉になるのだろうか。
駅本屋は平屋に小さな三角の明り取り窓のついたものだった。
屋根は緑の枠で、後ろの山と調和していた。
明り取り窓の一部に色ガラスを使っているのは外からも見えたが、
決してけばけばしくなくて、洒落た駅だった。
観光地としての駅舎にするポイントが自然に配されてあった。
近鉄にしては割と良い感じの駅舎だ。
榊原温泉口駅駅舎その1
榊原温泉口駅駅舎その2
ロータリーと駅舎。
火の谷温泉(送迎バスで30分)や、わかすぎの里(白山コミュニティバスで35分)
も案内されていた。
駅前の風景。
坂を下っていくと、古い集落で、温泉場は遠いのに、
わずかに観光地の雰囲気があった。それほど広くないこの道を、
毎時、幾本ものバスが温泉場へ通じている。
榊原温泉はここから6kmほど先にあり、山を越えた別の水系の川辺にある。
海側の久居からなら川沿いに行くことができるようなところだ。
ここから三交の路線バスで行くこともできるが、
榊原温泉の各旅館は、この駅へ、主に宿泊者用に送迎バスを出していて、
それに乗ればだいたい15分で温泉場に着くことになっている。
そこに日帰り温泉施設が2つあるのだが、
この駅からもっと近いところにも、2つほど温泉の日帰り入浴のできる施設があって、
日帰りの人でも利用可能な無料送迎バスが出ている。
猪の倉温泉のしらさぎ苑は送迎バスで5分、
榊原温泉に行く道中にあるスパハウス七栗は送迎バスで7分となっていた。
近鉄での列車の旅の途中に利用するのもいいかもしれない。
なお榊原温泉まで、路線バス(三交バス)で行くこともできる。
榊原温泉というのは何もない山里なのだが、この駅の近くには、
多額の資金を注いで作られた純金大観音と模造彫刻のルーブル美術館があり、
その独特の景観から、訪れた人の多くの人々に驚きと楽しさを与えているらしい。
坂を下って。
ロータリー出口から見た風景。
この道をバスが通っている。
駅への坂を上って。
バスで来るとこんな風景が見えるだろう。
駅への坂を上ると、屋根枠の緑が明るい駅舎がもわっと現れた。
バスで来ればエンジン音を聞きながら、この駅舎が迫ってくるのを見るだろう。
そして緑なだけに、高速道路のサービスステーションのように見えかけた。
駅舎に入ると割と混雑しはじめていた。
有人出札口にも列ができている。遊びでみやげ物を手にとる人もいた。
駅員も渡される乗車券に次々と入鋏している。
少し人が引けてから、改札口を通った。
ホームに上がると、多くの人が待っていた。
構内放送によると、普通列車が来たあと、快速急行が停車するという。
やはり快速急行は人気だ。
先発の普通列車は東青山行きで、隣の駅で終点であるため、
名張・大阪方面に行く人は普通列車に乗らないようにとの注意を放送で促していた。
東青山で乗り継ぎはなく、そこで降りると1時間待ちであった。
人の多いホームに普通列車の東青山行きが滑ってきた。
列車の扉が開き、注意を促す放送がさんざん流れる中、私はこの列車に乗った。
ホームの老齢の男性は、私のことを訝しげに見ていた。
私のほかには、あと一人が乗っただけであった。
「この列車は普通東青山行きです。
名張、大阪方面ご利用のお客様は次の快速急行をご利用ださい。」
その放送が扉の向こうに静かになった。
車内は窓から、からからと光が舞い落ちてくるお昼どきのすきようだった。
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