伊勢市駅 - 初夏の伊勢・伊賀地方への旅 -
(JR参宮線,近鉄山田線・いせし) 2007年4月
近鉄の大和八木駅から快速急行のクロスシートで体を伸ばすこと1時間半、
もうそろそろ伊勢市駅に着くようだった。
京都から数えると合計3時間を越える乗車となった。乗り継ぎは2回だった。
まもなく伊勢市着との放送が流れたとき、
すでに右手には大規模な操車場が見えていた。
かつて客車が集結しただろう、JR線の構内だった。
非電化の鉄路が並びつくす風景は壮観で、威光があり、ぞっとしなくもない。
列車はフランジを軋らせながら速度を落とし入線、伊勢市着。
結構な数の人たちが下車した。構内放送が賑やかに響き渡る。
今日は絶好の行楽日和、当たり外れがなく、定評のある昔からの観光地伊勢を
歩きに来る人は今でも少なくない。
ホームに立っているとやはりまだ風が冷たく、 割と厚手の長袖ででも少し寒かった。 列車を降りた人たちも春先のジャケットなどを着ている。 しかしまだ朝8時半であるし、もう少し時間がたてば暖かくなって、 ちょうどよくなりそうだった。
5番線、鳥羽・賢島方面ホームから、4番線、津・松阪方面ホームを見て。
4番線ホームと線路内、そして5番線ホーム。
JRとは対照的に明快な造りになっている。
5番線から鳥羽方面を望む。
近鉄はホーム2つに2線で、
なんだか特急が走り飛ばしていきそうな雰囲気である。
堂々とトラス架線柱が跨いでいて、
JRと比して電化の力強さを示しているようだ。
もっとも、どこでも電化した方が有利というわけではないけれども。
ホームは2面しかないのに、ホーム番号が4,5と振られているのは、
1,2,3がJR線のホームに振られているからだろう、
ということは、初めて来た人でもあっけなく検討がつきそうだった。
だが、JR線のホームはここからまったく見えない。
また、JRと近鉄の構内は、長大な跨線橋によって結ばれているが、
ここ近鉄のホームから見える跨線橋は、
ただ単に自分の構内を跨いでいるだけのように見え、
ここにいると伊勢市駅は近鉄だけで完結しているように見えた。
ホーム待合室前付近にて。ホーム幅がゆったりしている。
待合室脇にはなんと水場が。
水場の後ろには駅裏の風景が広がる。
水場の近くからホームを松阪方面を見て。
中央奥にトラス柱、右手に新設されたスロープの入口が見える。
スロープは改札口の前につながっている。
降り立った5番線ホームには、水場や、古い鉄骨の上屋、電照式広告灯などがあり、
時代を感じさせるものがかなり多かった。4番線ホームも同じようだ。
しかし向かいにあるその4番線ホームには、
特急券売り場、コンビニ「ポケットプラット」があるのも見えて、
駅構内は古いものがあるだけではなく、全体的に結構賑やかな雰囲気でもあった。
今いるホームから、駅裏の街を覗いてみると、
観光地らしいはずの駅の表側とは、まさに対照的で、
いかにも地元の人たちの街、という風景が広がっていた。
駅舎もびっくりするほど小さく、古風で、
改札口は錆びた鉄柵のブースが中央に一つあるきりだ。
しかしそれだけに心安らぐものもがあった。
広大な構内を有する、あれだけ著名な伊勢神宮の最寄駅にもかかわらず、
そのすぐ近くに、ここで生活する人たちの風景があったのだから。
ホームから見た駅舎側面。
「伊勢神宮外宮階段を上がってJR出口へ。」
改札口前にて。
改札口。少し階段を下りるようになっている。
改札口はパンフレット棚やポスター、案内板などで賑やか。
その小さい駅舎の改札口は、もちろん近鉄所有のもので、近鉄社員が詰めている。
黄土色のブレザーを着た駅員1人が改札窓口に、
もう1人が改札口近くのホームに立っていた。
きょうの利用客が多いことを見越してだろう。
改札口のあたり一帯には「伊勢神宮外宮 (げく) 階段を上ってJR出口へ」
という内容の案内があちらこちらに貼ってある上に、
改札口の上には、それが電照式案内板になって取り付けられてあった。
よほど駅員に尋ねる人が多いようだ。それだけ案内が出ていても、
駅員に「伊勢神宮はどちらですか?」と訊く旅客はこの日もまた絶えず、
列車が着くたびに駅員が案内役になっていた。
駅舎内の様子。
改札口を出て振り返って。
伊勢市駅駅舎(近鉄)その1
近鉄の改札口を出て、駅舎を見たとき、
「こんな昔風な駅舎が大阪線の山間にあるのではなく、
まさか伊勢市駅にあったとは…。」
そう慨嘆した。
赤茶色の屋根瓦の、小さな民家のような駅舎で、
幅広の階段が短くおしゃれに足を下ろしていた。
こんな駅舎を近鉄線に探し求めていたので、
この日初めに降りた駅で巡り合えて、とても意外だった。
伊勢市駅駅舎(近鉄)その2。
伊勢市駅駅舎(近鉄)その3。さながら民家のよう。
駅舎向かって左手の風景。
路面にある下水管工事の痕が生々しい。
駅舎を右手にした、駅前の風景。
松阪駅の裏と同様、街の裏側といった感じがする。
振り返って。
長々と構内を跨ぐ跨線橋の端。
すぐ近くに街区表示板「宮後二丁目22」があった。
宮とは伊勢神宮のことだろうか。
駅舎前の風景。さきほどとは反対方向に駅から離れて。
線路を背にして。とある大通り。
駅舎脇は鉄板を敷いた駐輪所になっていた。
その先はタクシー乗り場。
タクシー乗り場から見た駅舎。
駅前にはレンタカー店、ささやかな喫茶店、古い小さなビルがぽつりぽつりとあった。
しかしあたりを見回してみると再開発前にありそうな古めかしい近代的な建物が
いくらか目に入り、足早な開発の到来しておらず、落ち着いた。
駅前の道路には中央線がないものの、
駅のあたりだけは広く取られていて、狭くない。
しかし路面には下水道工事の痕が、色を変えてくっきり残っており、
このあたりが取り残されていたかのようでもあったし、
表との取り扱いの違いがはっきりしているようだった。
人はあまり歩いていなくて、
地元の人のものと思われる自動車がときおり行き交うほか、
小さな駅舎の前にしばしば自動車が停まり、
人を降ろしたり、待ち人を乗せて行ったりした。
近鉄の案内の甲斐あってか、観光客らしい人が迷って歩いたりはしていない。
こうして歩き回ってみると松阪駅裏手と共通する風景の要素もいくつかあり、
さばさばした風景だった。
いよいよ表側を見たくなり、再び改札を通って跨線橋に上った。
駅へ戻ろうとするとき、ふと晴天の薄ら寒さを覚えた。
快晴だが、少し寒さに偏っていた。
5番線から階段を上って。
跨線橋内の風景。表口方向を向いて。
途中(近鉄)4番線への降り口。
名古屋に続いて京都、大阪への方面案内が出ているのが誇らしげだ。
5番線の階段を上りきった片隅に、
手作り風の散策マップがたくさん印刷されて置いてあった。
さすがは観光の老舗、手を緩めないといったところなのだろうか。
多くの人々が次から次へと手に取っていった。
私も地元の作ったガイドマップには自然と手が伸びてしまう。
さて伊勢市駅といえばこれ、と言えるのが、操車場を跨ぐ、この長い跨線橋だ。
途中、JRの跨線橋につながり、それを合わせるとおよそ100メートルの長さ。
全体的に少し薄暗く、遠くに光が見える。
幅も3人分ぐらいしかなく、それほど広くない。歩きはじめるとわくわくしてくる。
しかし窓は高く小さく、構内を見下ろすことは難しかった。
歩くとすぐに近鉄4番線への下り口で、
案内板には、名古屋に続き「大阪、京都」と案内されていて、どこか誇らしげだ。
三重と京都・大阪を直接結んでいる鉄道は近鉄だけで、その活躍ぶりが窺える。
なお将来的には関西の各私鉄が協力して既存の路線を活用しつつ新線を敷設し、
神戸と三重を一本につなぐ運用計画も持ち上がっている。
4番線ホームに下りたところにあったコンビニのシャッターが閉まっていた。 さっきまで開いていたのにおかしいなと思いシャッターを見ると 「現在仕入れ中」と貼られていて、 はやくも休日の活況で品切れに遭ったのだろうかと思った。 この4番線ホームは、片側が壁になっているため暗く、 その中を木製の長い作り付け椅子が伸びて、古風な景観だった。 この壁が無ければJRの広大な構内が見えるはずだが、 どういうわけか壁が作られ、見渡せない。 待合室は2つのホームにそれぞれ、昔に設置されたらしいもので、 そこでは軽食を取っている人もいた。 昔からホームに待合室のある駅は、ちょっと格上である気がする。
階段を下りて。
特急券売り場と駅名標。
4番線の風景。鳥羽方面を望む。
向かいの5番線の風景。松阪方面を向いて。
4番線の風景。向こうが松阪方面。
突き当たりに下りてきた階段が見える。
左手に待合室。
跨線橋に戻って。ちょうどJRの操車場を跨いでいるところ。
上の案内にはPiTaPa,ICOCAはJRで利用できない旨が伝えられている。
長い跨線橋は明るみに差し掛かるころ、
2面3線に使われる一般的な跨線橋に接続し、
これでJR線のホームまで来たことになる。新たに出た跨線橋内は、
電照式広告灯や明り取りの天井などで
全体的に開放的で明るい雰囲気だ。
ここに来ると、窓からJR線の大規模な構内を見渡せるようになる。
枝分かれしてべき乗で増えていく線路は壮観だ。
一般的な跨線橋につながって。
白タクに注意を促す看板がかかっていた。
白タクとは非認可の旅客輸送をする普通自動車。
渡ってきた跨線橋を振り返って。
JRホームの跨線橋内の風景。2・3番線ホーム側からみた風景。
反対側、1番線ホーム側から見た跨線橋の風景。
右の階段を下りると2・3番線ホームへ。
左折すると先ほどの長い跨線橋へ。
JR線の構内の一部。奥に近鉄の4番線ホームの壁が見える。
JR線、3・2番線ホームの風景。
2番線から見た1番線の風景。
伊勢列車区。
広い構内をらくらく架ける跨線橋。
壁の色も松阪駅のものと似ている。
3番線から松阪方面を望む。
伊勢再開発ビル"Joy City".
2番線から鳥羽方面を望む。
2番線から見える1番線ホームの風景。
振り返って。"Joy City"が見える。
3・2番線ホーム中央部の待合室・待合所あたりの風景。
JR線のホームに降り立って、あれっと思ったのは、人が多いということ。
ほとんど近鉄利用だとよく言われるが、
このときばかりは近鉄ホームよりも旅客が多かった。
特に向かいの1番線などにはかなり多くの人がホームに立って待っていた。
しかし全体的にはほどよい感じの混雑で、
駅設備に見合った健康的な風景が作り出されていた。
時代が変わってがらんとしたままの広いホームというのもあるけど、
やっぱり人がいるのがいいかな…。
島式の2・3番線ホームは、床のほんの一部がタイルで装飾されているほかは、
褪せた鋼鉄の柱、椅子の背もたれに赤福の広告ばかりが繰り返されるなどで、
過去の要素が残っていた。
3番線からはキハ40系、11系などが留置される、架線の一切ないヤードが広がり、
胸のすくような爽快の風景だった。
JRホームにはさっきの跨線橋のほかに、鳥羽側にも一つ跨線橋がしつらえてあった。
ヤードがあることと関係があるだろうか。
人だかりのできている向かいのホームに「快速みえ」が入線してきた。
その列車が去ると、案の定ホームからはかなり人が減っている。
さっきから構内放送でも、しきりに快速みえの案内をしていたことからして、
いつも多くの人が利用するのは確かなようだ。
これは近鉄に対向するためにJR東海三重支店が投入した目玉列車のようで、
津駅にもあちこちにその宣伝があった。
3番線からは実によくヤードが見渡せる。
3・2番線ホーム、付近の風景。
2・3番線ホームを松阪方向に見て。
3番線から構内を松阪方向に見て。
2番線から1番線を眺め通して。
サッシも入っていない純木造の詰所。
ただし屋根は軽い素材に葺きかえられている。
2番線から鳥羽方向を見て。写っている跨線橋は2つめのもの。
1番線は鳥羽方向に随分延長されているのがわかる。
2つめの跨線橋内の風景。
1番線ホームの風景。向こうが松阪。
1番線から鳥羽側を見て。
2番線から3両編成鳥羽行きが出発していった。
1番線ホームを松阪方向に望む。
焦げ茶の長椅子がずらりと並ぶ。背もたれの広告はもちろん赤福。
1番線の風景。
1番線ホームは駅舎と接しているほか、 駅事務所関連の建物の、安全旗を捧げた入口が接していたりして いかにも国鉄らしい感じだった。 こういったホームに魅せられるのは、 最新の橋上コンコースにおける機能の集積や旅客の交流による駅社会らしさが、 列車が直接発着するプラットホームに現れているからだろうか。 部内が部外者にとって近いところにあって、 それとすぐ認識できるようになっていることは、 鉄道を動かしている実体をはっきりさせて、安定を感じる。
1番線にて、2・3番線ホームの間から列車区を見通して。
1番線から島式2・3番線ホームを見て。
「快速みえ」の停車位置案内。
ずいぶんと経済的な作りだった。
改札口前にて。右奥に本式の跨線橋への階段が見える。
本式の跨線橋の階段上り口前にて。
電照式案内に鳥羽・二見浦方面と案内されている。
二見浦が太字だ。
二見浦駅は現在、JR東海の地方駅デザインの簡易無人駅となっている。
階段を背にして1番線ホームを見渡して。
ホーム脇にはお土産品の飾り棚があった。
左手は販売所窓口。
赤福の販売窓口らしいものもあったが、営業していないようだった。
改札口前の風景。
JR改札口。3レーンが自動改札になっていた。
近鉄の乗車券も処理できる。
駅舎内の風景。改札口前。
Kioskの規模がほかの駅と違ってかなり大きい。
改札口を右手にした駅舎内の風景。
改札口を前にした右あたりには、
わざわざ飲料コーナーのブースが設置されてあった。
改札口を左手にした駅舎内の風景。
駅舎半分はKioskと待合所になっている。
待合所前の近鉄のきっぷ売り場。
待合所の全景。
待合所の出口前には古めかしいコインロッカースペースがあった。
駅舎内はすっかり観光地向けにあつらえられていて、複数の店が入っていた。 床面積を広く取ったKioskがいろんな種類の品物をいっぱい並べるのだから それはさぞ楽しそうな雰囲気だった。 しかし今は時間が早めだからか、どの店も静かだ。 それでも赤福餅はぽつりぽつりと勝手に売れていくようだった。 しかしこうして山積みにされいてる赤福餅が 製造年月日を変えて循環しているものだとは、この当時は知るべくもなかった。 赤福が突然狙われたような格好なのはなぜだろうか、と考えてみたとき、 その直近に、浜田前会長が参宮線の廃止し駐車場を整備すると唱えたことを、 すぐに思い出さざるを得なかったのは、なんだか鉄道に肩入れしているようである。
駅舎から出て。
タクシー乗り場の案内板には「神宮(外宮)まで630円」
との案内が張り紙でなされていた。
駅舎から出て右手の風景。
タクシー乗り場沿いに立てられた、
数多くの「猿田彦神社」ののぼりが少し怖かった。
駅舎から出て左手に歩いて。
かつて貨物取り扱いをしたところのような感じの殺伐さが漂っている。
参道へ。
外へ出ると透度の高い快晴で、冷涼な風が吹き、おそろしく気持ちよかった。
駅舎を見ていると、駅舎からまったく人が出て来ないときもあれば、
人がかたまってで来ることもあった。列車の発着の間隔が広いためだろう。
しかしこうして駅舎から出てくる人たちは、
それこそみんながみんなペアか家族連れで、
不思議なぐらい、単行は私一人だった。
しかしこれは、この日の雰囲気の序章に過ぎなかったと、後で知ることになった。
駅前の風景は期待どおりで、巨大な灯篭や幟の数々が立ち、
一見して、伊勢に来た気にさせてくれる最初の風景だった。
伊勢市駅駅舎その1。
伊勢市駅駅舎その2。
駅舎は2階建てで大き目の箱っぽい駅舎だが、 横側が三角屋根になっていたり、2階の窓がミラーガラスになっていたりして、 仏頂面ではない、いろいろと外観に変化のある建物だった。 ミラーガラスはどこかアーバンデザインを誘っていて、 ふとガラス張りの駅ビルを連想させる。 この部分はリニューアルしたものだという。 しかしこのように、地平駅で、駅舎が一部ではなく完全に2階建て、 というのはあまり多くない気がしている。 3階建て以上の駅舎ならよくあるのだけど。
ロータリー中心部の風景。
修学旅行などの団体が整列できるように図られている。
道路を渡って見た駅舎。
反対側には石畳の参道が伸びる。
伊勢市駅前の信号。
左奥に駅舎のデザインに似た倉庫のような建物が見える。
信号から離れて。
芽吹いたばかりの木々、一斉に咲いた花々…。
さらに離れて。
左手の建物がトイレ、右手の敷地は鉄板で囲まれた大規模な整地だった。
さきほどの信号を背にして。
大きなバス乗り場だ。
旧三交百貨店伊勢店の建物。
駅舎から出て、大きな灯篭を見上げながら参道への横断歩道を渡ったとき、
右手に広い敷地が鉄板で囲まれれているのが見えて、
あれっ、変だな、と感じていた。何かを建てている最中でもない。
その背の高い鉄板に沿ってバス乗り場の方へ歩くと、
今度は表示がすっかり取り外された、ひと気のない大きな白い建物が目に入る。
ドーナツ化現象で、郊外に大きな店舗が展開しているのだという。
白い大きな建物は三交百貨店伊勢店のものだったのだろう、
とすぐ察しがついたが、あの整地は何だったか分からず、
あとでジャスコ伊勢店が建っていたということを知った。
三交百貨店伊勢店は2001年に閉店、ジャスコは1994年に閉店。
三交百貨店は松阪にもあって、
昨冬松阪駅行ったときにすでに閉店になったのを見たが、
ここ伊勢市でも遭遇し、地方の一百貨店の凋落を確認した気がした。
三交百貨店は松阪店と伊勢店の二つだけだった。駅の表側の変化を見たあとでは、
裏側の風景がああだったのもわかるようだった。
しかれども、表に陰鬱な雰囲気はまったくなかった。
何よりも駅のすぐ前は観光地仕様だし、旧百貨店前の道路などは、
ずっばーんと突き抜けるようで気持ちよいほど整備されていた。
百貨店を左手にして、伊勢市駅の信号を見て。
爽やかに整備された道路だった。
志摩の御座港へのバスがここから出ていた。
バスターミナル端から見た駅舎。
ここから見ると昔の面影が強い。
同じ位置から見た駅の青空駐輪所。
相当数駐まっている。
駐輪所から見た大通り。
駅から百貨店を過ぎ、松阪方向に歩いていくと、 建造物の疲弊の色は一層濃くなった。 アーケードがぼろぼろで、ビルもひどい状態になっている。歩く人もかなり少ない。 どちらかというと気味が悪くさえ感じ、足が急に重くなった。 もっと歩いて行けば、活力ある風景も見られたかもしれなかったが、ここで引き返した。
松阪方向に歩いて。
道路の中央にフェンスが建っている。
駅へ振り返って。左に裏へ回る地下道入り口が見える。
駅への歩道。
タクシー乗り場の端から見た駅前の風景。
駅舎前にて。
近鉄の5番線ホームに戻ると、
来たときとは違って、ホームで列車を待っている人が出はじめていた。
来たときは、私を含めよそから遊びに来た人たちばかりの降車だったのだ。
しかし行楽帰りにはまだ早すぎるから、
ここで待っているのは地元の人の乗車ということになる。
このホームで、単行でリュックを背負った人などを何人か見かけるのは、
それを如実に示しているようだった。
いずれにせよ、そろそろいろいろなスタイルで出かけてきた人たちを
見かける時間帯に入るらしかった。時刻は10時をとうに回っていた。
さて今度はこの日一番の楽しみの鳥羽。
案内板を見ると次にくる列車の種別は「普通」だった。
鳥羽までだから各駅に停まってもよかった、
というより、むしろその方がいいと思えた。
列車が入線し、いくつものドアがガコンと開いた。すぐに始まる構内放送…。
一見そう見えなかったが、ワンマン運転だという。
今は初夏の連休中で、それゆえ2両目が開かず戸惑う人も出てくることは、
すぐに想像がついた。休日らしい光景も楽しみだった。
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