鳥羽駅 - 初夏の伊勢・伊賀地方への旅 -
(JR参宮線,近鉄鳥羽線・とば) 2007年4月
伊勢市駅から近鉄の各駅停車に乗って、鳥羽へ。
いよいよ明るい海を見られそうだ。
列車は2両編成のワンマン列車。これで山と海をちらちら通りすがりながら、
ことこと鳥羽へ向かう。連休だが車内はすいていて、すぐに座れた。
車内はロングシートだった。鳥羽に来るのは遠来の客で、特急を使うだろう。
列車はすぐに宇治山田に停車した。伊勢市駅とこの駅はとても近い。
宇治山田駅は駅舎に優美に装飾されていること、
そしてバスと列車が対面乗換えできる構造が残っていることで知られている。
大きな駅で、ホームにも人が多かった。
鳥羽からの戻りしな、ここに降り立つ予定をしていた。
次の駅、家々の多い郊外にありそうな五十鈴ヶ丘駅を出ると、
街を抜けてしまい、浅熊─あさま駅に停車。
林の中にありながら遠くに海が感じられる駅で、なかなか雰囲気が良かった。
また今度このあたりに来たときには降りてみようか。
ここを過ぎると山の中に入った。山を切り抜けると、池の浦駅。
池の浦駅に着いたとき、子連れの女性がドアが開かないと慌てていた。
近くの人がぼそっと教えると、その二人は急いで前の車両へと駆けていった。
池の浦といえば、参宮線の臨時駅の「池の浦シーサイド駅」。
両駅は離れていて、近鉄のは山手、参宮線のは海辺にある。
鳥羽を出たら、次にこの臨時駅に行くつもりだ。
列車は連休や祝日などにしか停車せず、
この日はそこへ行くのが一つの楽しみだった。
池の浦駅を出ると、海が近くなり、
海抜が低いようで、海と車窓とが親しくなった。いよいよ鳥羽も近いようだ。
やがて、伊勢市以来見られなかった街に再び入り込むようになって、
鳥羽に到着。左手には交通量のとても多い、大きな道路が見えていた。
下車した人たちはすぐに階段を上ってホームから消えてしまった。
早く駅から立ち去って、遊びに行きたいといったところだろうか。
さて、途中から併走してきたJR参宮線はここ鳥羽で終わり。
しかし近鉄線はここからさらに賢島まで鉄路を延ばしている。
乗ってきた列車はさらに南進するため、鳥羽駅を離れていった。
ホームは長い島式のものが二つあり、 上屋を支える鉄骨の水色が印象的なホームだった。 おそらく海を象徴しているのだろう。 またホームには人がほとんどおらず、 目立つものといえば清潔感のある角ばった待合所で、 そんなホームが明るい太陽のもと、爽快に遠くまで伸びていた。 JR線のホームが隅のほうに見えた。日陰になっていた。
4番線中ほどから伊勢市方面を見て。
発車案内板はフラップ式。
賢島方面を見て。
遠くにコンコースに上がる階段が見える。
駅名標。伊勢湾フェリーや鳥羽水族館を利用する場合、隣の「中の郷駅」が最寄駅。
5・6番線ホームと4番線の風景を
伊勢市方面に望む。
4番線から賢島方向に5・6番線ホームを見て。
さらに向こうにJR線ホームが垣間見える。
ホームにはとにかく長椅子が多い。
すべて合わせると何メートルになるのだろうか?
左手に5・6番線ホーム。
そっちのホームの方にだけ売店があったのは、
帰り客のことを考えてだろうか。
5・6番線ホーム階段前付近の風景。
コンコース下から賢島方面を望む。
2つの島式ホームと周りを見るだけで、
近鉄のこの駅は橋上駅だとすぐわかるものだった。
階段を上っていくと、有人改札がずらりと並ぶ。
自動改札は入っていないが、近鉄のIC乗車カード "PiTaPa" の改札機は
ぽつんと一つだけ設置されてあった。
改札口の向こうには、土産物屋が並んでいるのが見える。やはり観光地だった。
駅はやや混雑していた。今日はとくに忙しいだろう。
自動改札のないのが不思議に思える。
改札口を出る前に、右手を見ると、JRのりばへ下りられるようになっていた。
この駅も、津や松阪、伊勢市と同様、改札内を両社で共有しているようだ。
改札口の風景。
JR線のりばへの連絡通路。
通路を通って振り返って。
通路を経て階段を下りると、JR線のりばは全体的に薄暗く、隅にあった。
このあたりの地方では、近鉄が優位だといわれるが、
そういう実態が、ここまで構造上の風景として象徴されるべきもの
なのかと思えるぐらいであった。
しかしそれは、近鉄と争うことのない終着駅らしい佇まいでもあった。
ホームは広くて長い、島式一つきりで、これっきりである。
そのホームを珍しいアーチ上の上屋がすっぽり覆い、
床のほとんどに陰を作っていた。暑い季節にはほんとうに涼しそうで、
近鉄とは違い、どこか思い出深いような、そしてまた、旅の雰囲気漂うホームだった。
あの丸みを帯びた上屋が、そう演出しているようだ。
しかしここがリゾート地であることを思い出すと、
その上屋が精一杯リゾートを演出しているようでもあった。
ホームは島式だけだが、近鉄側を切り欠いているから単調な駅構内ではなく、
のりばも0、1、2と三つある。しかし目立たなくて、
印象に残るのは1つきりのホームということだった。
改めて駅名標を見上げてみると「とば」と大きくあり、
次の駅として南の方は何もかかれず、やはりここが終着であることを確かに意味していた。
「近鉄がまだ鉄路をつないでいる、鳥羽で終わるわけではない。近鉄に乗り継いでみよう。」
という気概もどこか沈静し、
「賢島まで行かなくても、鳥羽でもいいかな。」
と思わせるような、静かで落ち着いた駅である。
しかし快速みえが入線してくると、まさか、という思いがよぎった。
列車がおもむろに停車し、ドアが開く。
すると駅の表情は一変、ホームは人ごみとなった。
さすが料金不要だけあって、利用している人は多いようだ。
もし近鉄がなかったらこの列車は急行になっていたかもしれない。
私は水槽の中の岩となりながら、多くの人を見送った。
例のごとく、ホームに残る人など一人もありはしなかった。
JR線ホーム。左手が2番線、右手が切り欠き1番線。
右後ろが0番線。
駅名標。終着駅だ。
JRのホームでは長椅子より一人掛け椅子が主流だった。
1番線から伊勢市方面を望む。
1番線から見た近鉄の5・6番線ホーム。
共同駅だがホームの番号が連続して付されていない。
切り欠き1番線の風景。
0番線には普通列車が停車中。
2番線の風景。駅舎の手前でエンドレールになっている。
近鉄のりばへの連絡通路の階段前の風景。
乗り継ぎに使われる。
ポスターと名所案内板。
名所案内板は陸の名所を多く紹介していた。
JR改札口への通路。
屋根はどこかマリン。
改札口前の0番線の風景。
奥の切り欠き1番線に快速みえが停車中。
JR改札口の風景。
人が引けて、改札口まで進むと、 そこからはホームが半ば頭端式なのがよくわかって、なお終着であった。 改札は有人改札のみで2レーンだが、今は1つしか開いていなかった。 近鉄は橋上駅だが、JRは地平駅だ。 改札外コンコースに出ると、やや手狭な正方形で、明かりがついていなかった。 そして一階だということもあって、改装されているにもかかわらず、重苦しいものがあった。 このコンコースには上り階段があって、 上っていくと近鉄コンコースへの連絡通路に行けるようだった。 振り返ると、鳥羽という一大観光地の駅にもかかわらず、 有人改札と出札口が一緒になっていて驚かされた。 混雑することは無いのだろうか。といっても、今コンコースを見ると、 四五人しか人はいないのであった。
改札外コンコースから見た出札口・改札口。
改札口付近から見たコンコースの風景。
JR東海おすすめウォーキングの案内板。
答志島を案内していた。
駅舎出入口から見た駅舎内の風景。
コンコースの椅子に三人の客が集まっていた。
二人は五十代の男性、もう一人はなぜか三十前の女性で、とげとげした感じの女性だった。
三人で旅行しているようで、みやげ物の入った大きな紙袋と旅行鞄を回りに置いていた。
ただ、もう帰るらしくて、連休が始まったばかりだったから少し稀な光景だった。
しかし、ああして近鉄が派手に旅行者で賑わう一方、
JRの、このどこか薄暗くひと気のないコンコースは、
三人のために準備された背景のようでもあった。
「で、どうする? 私、あしたから仕事だから早く帰んなきゃいけないんだけど。
近鉄にするか、JRにするか。」
女性がきつい感じでそう訊いた。
「う〜ん、ゆみちゃんにまかせる。」
二人のうち一人の男性が気楽な感じでそう言った。もう一人の男性は黙ったままだった。
「どうしようか。」
半ば苛立った感じてそうつぶやきながら少しの間、時刻表を見ていたが、
決定要因が見出せず埒が明かないといった風で、出札口に向かい、突然、
「近鉄かJRで名古屋まで行きたいんだけど。どっちが早い。」
そう駅員に厳しく訊いた。
駅員はすぐに調べに取り掛かって、今の時間ならJRですと答えた。
「じゃあどっちが安い。JRか近鉄か。JRはいくら。」
女性がそう畳み掛けた。
駅員はまたもひたむきに調べたのち、両社の金額を言って、JRの方が安いことを示した。
「じゃあ、JRで、名古屋まで。」
こうして発券となった。発券している最中、
女性は男二人に振り向いて、近鉄は高いのね、と眉を寄せた。
何か訳ありの三人にも思えた。
連休前に代休として来たとしても、帰るときも旅の気分でいらるはずだが、
女性がそうなれないところを見ると、突然仕事が入り、
機嫌が損なわれたのかとも思った。
三人は快速みえに乗ったことだろう。ここからはJR特急が出ていないし、
ビジネスでもないのに、名古屋に行くにあたって
多気で特急に乗り換える人もいないだろうから。
多気から名古屋まで、かかる時間は快速みえもワイドビュー南紀もほとんど同じだ。
道路に面した方の、駅舎の出入口付近にふと自転車が止まった。
半袖、半ズボンの男性で、給水ボトルなどを持ち、
装備などからして、長距離のサイクリングをしている途中らしかった。
これから一息入れるようで、少し荷ほどきしていた。
駅は歩行者や輪行者の休み場ともなりうる。そこもまた駅のいいところだ。
外へ出ると、赤系統のタイルでよく整備された駅裏へと出た。
海は反対側だ。少し歩くと、サザエを食べさせる店があり、
さすが海に近いのだなと思った。
ちょうど若い何人かの男女が通りがかって、
店先の水槽にサザエが入っているのを見て、大喜びし、勢いよく入り込んでいった。
日差しが強く、これから暑くなりそうな日だった。
JRの駅舎は二階建てで、その右に自由通路が続き線路を跨ぎ、
近鉄の真新しい駅舎へと続いていた。
JRの駅舎は青いラインの入った白い駅舎で、鳥羽にふさわしい、
すっきりした色使いだった。
階段が出ていて、直接2階の自由通路にいけるようになっているが、
これも近鉄利用者には便利だろう。
赤っぽいタイルに覆われた駅前にて駅を遠巻きに見ていると、
すぐ近くに、背の低いカイヅカイブキに囲まれた駐輪所があった。
カイヅカイブキの出した萌黄色の新芽は、
明るい日差しを受けて眩しいぐらいだった。
こうして駐輪所があるのも、地の人の駅の利用があるからなのだが、
観光地の駅だけに、このような人たちの不便がないか気になった。
駅舎から出て。
駅舎入口。
JR鳥羽駅駅舎。
駅前の風景。大きな鳥居は目印になる。
タイルを埋め込んだ椅子。
海辺の雰囲気だ。
さざえを食べられる店がずらりと並ぶ。
鳥羽駅駅舎。右手が近鉄の駅舎。
JR鳥羽駅駅舎。右手前が駐輪所。
再びJRのコンコースに入ると、やはり涼やかであった。
階段を上り、JR名店街というところへ行ってみたが、
ほとんどがらんどうで驚きあきれた。
空いたスペースは物置にしたり、
古くさいテレビと椅子を置いて休憩所のようにしていたが、
そこでは一人、店の者がこちら側に背を向けて、
テレビを立ちっぱなしで見続けているだけで
客が休む場所というような感じではない。これがJR名店街…。
ちゃんとした店は入り口の一軒ぐらいだった。
ふと振り返ると、高校生ぐらいの女性が、
母親らしき人に手伝ってもらいながら濡れた服を着替えているようだった。
海か噴水に落ちたのだろうか。
はじめ、母親はこちらをちらちらと気にしていたが、
そのときは、何をしているのかよくわからず、
わからないうちに、着替えが終わったといったふうだった。
母親がうまく隠したらしかった。しかしなぜこんな場所で着替えるのかとも思ったし、
子供でもないのに水に落ちるというのも変だった。
ともかくなんだか怪しい雰囲気の場所で、名店街とは口が裂けても
いえそうにないところだった。しかし名店街と名づけられた実態が
こんなものであったことは、おもしろくもあった。しかしいずれは改装するだろう。
JR名店街への階段。
階段を上り、名店街入口前にて。
名店街との表示が誇らしい。
なんだこれは…。
ちゃんとした店もあった。
名店街を抜けて近鉄コンコースへの通路に入る。
階段を上って振り返って。
名店街は「思わぬ駅前人情横丁」と銘打ってあった。
名店街からは自由通路が伸びていて、近鉄のコンコースにつながっている。 通路の途中にはコインロッカーが十分にあり、遠来の人の便宜が図られていた。 また、通路の窓から南側の風景を望むことができた。 JR線は真っ赤に錆びた一本の鉄路が少し曲がって、車止めになっている。 余裕で伸びていく隣の近鉄の二線の向こうには、海と山が眺められた。 志摩の静かな海が太陽に輝くのが、とても魅惑的だった。 列車より、船で南に向かって漕ぎ出したいようであった。
通路途中にはコインロッカーが多数置かれてあった。
通路の窓から、賢島方面を望む。海が仄見える。
来た道を振り返って。
この先はJR鳥羽駅であるとオレンジの字で明示されてあった。
近鉄コンコース。
改札口・出札口のある風景。
有人出札口が込み合っている。
改札口。
改札口辺りから見たコンコースの風景。
案内板にあるように、4つの出口が案内されていた。
奥には土産物屋が見える。
コンコースの風景。右手に出札口。
まっすぐ進むとJRの駅舎および出口4。
特急券発売状況。
出札口前の風景。奥に近畿日本ツーリストがある。近鉄グループの1つ。
JR西日本でいうと"Tis",JR東日本でいうと"びゅう"にあたるだろうか。
待合所の風景。
待合所からの風景。左手の山は坂手島。
近鉄コンコースは広い。クリーム色を基調としたコンコースで、
そこは縦横無尽に人の動きが活発だった。有人の出札口、券売機も多くあって、
太い柱には特急の空席状況を映し出すモニターがあった。
見てみると、今のところすべてあいていた。昼過ぎになると、一転するだろう。
コンコースには土産物屋のほか、いくつかのファーストフードが催されていて、
広い飲食スペースがあり、奥はガラス張りになっていて海を楽しめるようになっていた。
激しい混雑を予想して、警備員と駅員がコンコースに配置されていた。
ふと明石海峡の花火事故のことが思い出される。
特急列車が到着したらしく、またもや改札口に家族連れと二人組みが
いっぱいに押し寄せてきた。今は改札口の細い通路でこしとられる直前で、
動きがこっち側には波及しておらず、一抹の静寂であった。
しだいに大勢の人がなだれ込んできた。
あっというまに人々がコンコースに広がった。
かわいらしくよそ行きにおしゃれした、
それでいておとなしめで、自然な格好の高校生ぐらいの女性とその家族が、
多くの家族連れにまぎれてコンコースに入ってきた。
あれっと思った。あのくらいの年頃は、
友人と出かけたいと思うのではないかと思ったからだった。
家族と遠出してきたことに感心していた。
その父親がつとに立ち止まり、おどけた感じで、
「ちょっとみんな待って。お父さん、おしっこタイム。おしっこしてきます。」
「も〜。」
娘がたしなめた。父親はどこか浮かれていたかのようだった。
しかし娘は許していたのだから、やはり家族なのだと思わせられた。
彼氏だったらこうはいかなさそうだ。
父親のついでに、女性たちも手洗いに駆けた。
みんな集まると、みんなで海のほうに向かう陸橋へと歩いていった。
ふと周りを見渡すと、どこもかしこも家族連れ、残りはカップルで、
自分自身は空気になっていた。誰一人として、私に見向きする人はいなかった。
ほんとうにぞっとするほど家族連れで、こわくなりもした。
自分は存在しないかのようだった。早く伊賀線のさびしい駅に行きたくなった。
コンコースから海側に伸びた陸橋を渡る前に、階段から外へ下りた。
伊勢市側に降りると、屋根のない結構広い乗り場があり、
そこから見える駅前の建物の数々がもっとも鳥羽駅前らしかった。
基本的に水色を基調としていて、統一感もあった。
道路も6車線分あって広々とし、
分離帯のつつじの植え込みも明るい黄緑で、赤と白の甘い花々を咲かせていた。
窮屈さや街の生活感もなかった。爽快で、鳥羽にやって来た気がした。
もっとも、これは造られた鳥羽にすぎない。
陸橋をくぐって、反対側に出ると、
観光案内所や海産物を売る店があった。
船やバスについてはややこしくもあるから、
案内所で一括して訊いてもいいのかもしれない。
海産物を買って帰ると、
確かに海辺に行ってきたのだと再確認できる。
そんな私は内陸の人なのだろうか。
海側かつ伊勢市側の出口、出口3から出て。
駅前の風景と出口3の下り口。
タクシーやニッポンレンタカーを利用する人はこの出口から。
陸橋をくぐって。
陸橋の右手には鳥羽一番館が続く。
近鉄コンコース下にある観光案内所と鳥羽海産物店。
利用の際は出口1から。
出口1付近の風景。出口3のちょうど反対側。
近鉄鳥羽駅駅舎。二階のガラスになっている部分が
オーシャンビューの待合所。
横断歩道は少し離れたところにあるから、
コンコースに戻り、国道を架ける陸橋を渡った。
屋根と窓がついていて、空間になっている。
なにかのビルにつながっているようだ。
陸橋の窓を覗くと、気持ちいいほどすっきりした大道路が見渡せた。
海辺の道路である。今日この道を走って、宿にたどり着く家族連れも多いことだろう。
そして車内ではこの絶好の天気によろこんでいるに違いない。
陸橋が終わると古くさいビルへと入った。
古い観光地独特のビルで、時の流れが染み出していた。
内照式案内板やその字体が古風なのだった。
階下のバス乗り場に下りてみると、待合所とバス出札口があって、
ニ十年ぐらい前に観光地・街の機能として整備した雰囲気だった。
その横にトヨタレンタリースの事務所があるので、ご用命の際は参考に。
近鉄コンコースから伸びる陸橋内部の風景。
陸橋の窓から賢島方面を望む。
伊勢市方面を望む。
陸橋を渡り終えて。
右折すると、鳥羽一番街、三交バス・タクシー乗り場。
赤いネオンサインが矢印の形を描いていて大変印象的。
バス乗り場への下り口付近の風景。こんなちょっとしたところにも自販機が設置されている。
バス待合所。
陸橋からいったん下りて。右手の階段を下りてみたのだった。
見えている入口を進むと、バス待合所へ。
陸橋からパールビルへ。鳥羽名店街案内図前。
このあたりは古風な雰囲気が漂う。
陸橋を渡って、さらに歩きパールビルへと入った。
何か昔のままである。ここは真珠売る店や土産物屋、食事処が入店し、
遊びに来た人に便利なようになっていた。
真珠を並べたキャビネットのあたりでは、
若い男女が甘やかに肩を寄せ合って真珠を手に取っていたりして、
真珠で立った観光地そのものだった。しかし昨今の売れ行きはどうなのだろうか。
改装したてのような飲食店には割りと客が入っていた。
やはり新しくしていく必要はあるのだろう。
鳥羽名店街2階の風景。
出てきたパールビルを振り返って。
土産街は唐突に終わり、私は外へ投げ出された。
暗めの蛍光灯から、一転青空のもとへ。
出たビルを見上げると壁が濃い紅色で、特徴的だったが、
いっそう時代に凝り固まりもしていた。
ここまでの道程は、駅から簡単に海辺に出る道順で、
この先に観光船・定期船の乗り場があるのだった。
そういう途中にいろいろな店を配したのは作戦だろう。
機能的だとも思った。
鳥羽観光はどちらかというと陸より海寄りで、
見どころといえば鳥羽湾であり、そしてそのクルージングだった。
観光船だけではなく、定期船も観光客によく利用されるのは、
小説の舞台となった神島をはじめ、
風景が島の生活そのものであるような島々が連なるからだった。
鳥羽もまた島々をよく売り込んでいた。
しかし島の人がどう思っているかは知れたものではなかった。
志摩の間崎島に行ったとき、そう思った。
歩く道は岸壁から遠巻きに沿う、閑散とした気持ちのよい道路で、
途中、海産物を売る個人の店などがあった。
覗くと、干物には蝿がしきりにたかっていた。しかしもともと人通りも少ない。
道は海沿いだが、なかなか海が見えず一人で歩いていると、
とんでもない古くさい大きな建物が現れ、目を奪われた。
レジャーが流行しだしたころの造りで、
いびつな二階建てのガラス張りだった。
これは船を待つ人たちのための大掛かりな待合所で、
鳥羽港湾センターということだった。
海も忘れて吸い込まれるようにして中に入ると、
出札口から食堂まで古風のひとこと。
パールビルを見たときから鳥羽にはほかにも何かありそうだと思っていたが、
まさかこんなものがまだ活躍しているとは思いにもよらなかった。
息を呑むような生々しい時代性。こういうのが好きな人は、
訪れないわけには行かなさそうだった。
しかしこの建物も明らかに傷みだしていて、
いつものように老朽化を理由に建て替えられそうだった。
海産物を売る店の近くにて。
昔風の鳥羽港湾センター。
鉄枠の入ったガラス張り。昭和後期に入り始めた頃の造りだろうか。
中の風景。懐かしさを覚える人もいるだろう。
ゲームコーナー。こちらはやや新しい目だった。
港湾センターのゲームコーナーでは、
外人と地元の人が無表情に興じていた。
何かよくわからぬ人たちだった。
さっきのバスの待合所にも、今歩いてきた道路にも、
そういえば何か妙な人が歩いていた。
人通りも少なくて、急に不気味に思えだした。
しかし、ふと、観光地として開発されたここ鳥羽の
影に行き当たっていたのだと思い当たった。
とりあえず、船の待合所が出てきたということは
もうすぐ海も見えるということだなと思って、さらに歩いた。
すぐに船着場に出た。しかし自分以外、誰もいない。
乗り場からは、坦々と青色をした急に深そうな海と、
そのすぐ向こうにある緑の三ツ島がよく見えた。
三ツ島は、たいへん小さな島がその名の通り三つ連なった島で、
鳥羽湾を特徴付けるものだった。無人島である。
近くの案内板によると、遊覧船のアナウンスはこの三ツ島から始まると書かれ、
それだけに船上の人たちの思い出の一ページ目が察せられた。
隅の方に粗末な感じの、屋根のある桟橋があって、そこが定期船乗り場だった。
主に島民の使う乗り場だった。観光客も利用するが、こんなふうであることが、
島で生活している人を優先するという考えを自然と外来者に生み出すようでもあった。
ふいに小さな船が寄せてきて、あっという間に桟橋を人が渡ってきた。
降りてくる人はいかにも島民らしくて、一人ずつそそくさと海を離れていった。
海辺に来たが、このあたりには何か展望のようなものがあるわけではなかった。
無理して上った防波堤から下りると、足の骨がしたたかに響いた。
去るときに鳥羽海上保安部の水色の建物が目に入り、
その前に海の密航・密輸・不審船は118番との看板があった。
この敷地の建物が海を隠しているのだが、
こうして海に法を執行する機関が、海の実態を見せていた。
三ツ島の案内板。
乗船場から見た三ツ島。
船着場の風景。床がいくつかのパステルカラーで明るい。
市営定期船のりぱの桟橋。
ここからも三ツ島がよく見えた。
鳥羽海上保安部・鳥羽運輸総合庁舎。
建物の水色が海にかかわっていることと語っているようだった。
来た道路を振り返って。右奥にパールビルがよく見える。
ここは海抜2メートルだとのこと。
再びパールビルに戻って。
静かな二車線の道路を引き返した。
駅前の信号に近づくにつれて急にひと気が出てきて、不思議とほっとし出した。
ふと左を見ると、噴水があって、
そのあたりでは遠くから遊びに来た人たちが、群れたり、
集合写真を撮ったり、二人きりで椅子に座って海を見ていたりしていた。
白い防波堤に寄ると、また海が見えたが、海というより水道で、
ほんのすぐ向こうに坂手島の緑が見えた。
やっぱり鳥羽は船遊びがいいようだ。
日和山 (ひよりやま・69m) に登るのもいいだろう。
見晴らしがいいという。JR鳥羽駅の裏手から道がついている。
近くにあった、イルカの置物のある噴水。
防波堤前。
鳥羽湾。遠くまで島々が霞んで見える。
右手の緑が坂手島で、見えている建物は宿泊施設。
噴水から国道の信号に出ると、鳥羽一番館の別の入口が近かった。
ここは「なんでも揃う」を売りにしていて、
中はどんな雰囲気かな、と入ってみると、ひんやり冷房が効いていた。
もうすっかり半袖の人がいる初夏だった。
中は新しくされ、すっきりしていた。
ここは土産と真珠、そして飲食店のビルで、主に平日の木曜日が休館日。
駅から立ち寄るなら有蓋陸橋を渡ってすぐ右折するのがいい。
噴水から駅に向かって進路を取り直して。
新緑が燃え上がっていた。
鳥羽駅前の信号にて。右手に鳥羽1番館の入口。
鳥羽一番館の一階の風景。一見するとスーパーマーケットのようでもある。
鳥羽1番館から離れて。鳥羽駅近くの信号を遠巻きに見る。
横から見た近鉄鳥羽駅駅舎。
陸橋の下から伊勢市方面を望む。
鳥羽導灯。
駅に戻る前に国道に沿って少し北に歩いてみたところ、
駅の裏山、日和山の裾半ばに小さな灯台のようなものを見つけた。
これは灯台ではなく導灯と呼ばれるものの一部だった。
導灯とは、高さの違う二つの光源を使って、船を陸にまっすぐ導くための設備で、
この二つの光が鉛直に揃って見える状態で船を進めると、
船は無事に陸にたどり着くことができるのだ。
よって導灯は常に二つの建物からなり、
ここでもその小さな灯台のようなものの横に、
かなり高さのあるやぐら組みの導灯があるのだった。
海から見て手前にあるのを前灯、後ろにあるのを後灯という。
ここでは背の高い方が前灯となる。
この鳥羽導灯は菅島水道の航海の安全を保つもので、
海苔養殖の設備や水道の浅瀬を避けるために1912年に建てられた。
白いコンクリート造りの後灯は一部が当時のままで、
爾来あのひと気のない山裾で寂しく橙光をともしていたが、
2008年2月末に明かりがLEDに取り替えられたという。
この辺り一体は埋立地だから昔の灯台かと思った
鳥羽湾の展望は、導灯を見つけたことで置き換えられそうだった。
駅に戻った。もう昼頃になっていて、近鉄は多少は引けていた。
JRの駅舎に進むと、さっき来たときより少し人がいて、
なんだ、いるじゃないかと思った。
出札に行って、池の浦シーサイドまで、と言って一枚買った。
駅員はすぐにうつむくようにして発券、入鋏して手渡した。
駅員はなんとも思っていないようだった。
次はいよいよ臨時駅。
もう時間も押していたので、改札口を通って列車に向かった。
中に入ると四五人いるだけで、たいそうすいていた。
この中にもきっと臨時駅で降りてみる人がいるだろう。
間際近くに乗ったため、もう列車は出発。
シーサイドとさえ冠するその駅が、
どんなところにあるのか車窓を見守ろうと思うと、
やけに楽しみになった。
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