泉沢駅
(江差線・いずみさわ) 2009年5月
また簡素な造りの薄い石板のホームに足を付け、冷涼な風に仰がれた。北国の緑の色が何よりもありがたかった。への字のトタン屋根の四角い家や、その向こうの茫々とした海は これまで降りた駅の周りと変わらないものだったが、ついに陽が少し傾きはじめて、その陽射しに、暑ささえ感じはじめた。先に降りた人もこの駅に来るのが目的だったのだろうか、運転士に都会かららしき判子だらけの切符を見せて、風に髪を靡かせつつ乗って来た列車を一抱えもある機材で撮っていた。ちなみにその人はわずか十数分後の逆方向に乗って去っていった。ぎりぎりまで予定を入れて、どことなく今日中に離道してしまう感じがした。
知内町の海に突き出す山。
木古内方。点字ブロックで囲まれた範囲が狭い。
各駅で降りていると必ず見かける乗車口案内。これが立っているところで待っておかないとドアまで走らないといけない。
貨物はいくらでも走っている…。
函館方。
木古内方面を望む。
海が少し見える。
木も使っていた。
決まって虫が窓の近くで唸っている。
階段から橋までしっかり壁と屋根の付いた防雪仕様の跨線橋を上りつつあるとき、脚だけでなく体全体に疲れを感じ、その陽射しの色を見て、「まだ北海道に来て一日目か。とてもでないがそうは思えない。もう数日が経ったんじゃないか。」 出立してから数えれば二日は経っていた。寝台乗車の疲れなどが今ごろになって出たんだろうか。「こんなんであと三日間も動けるのか、いや、帰路を合わせると四日間になるが…」。
そこで少し意欲を抑える。こんなところまできて急に何もやる気がなくなったら途方にくれる。でも来る前から、下車旅だけなんて気持ちが続くだろうか、興味が尽きたりしないだろうか、という不安はあった。自分の精神の安定を疑っていたし、また、自分のしていることが何の言い変えなのか、掴めぬまま、機を捉えて飛び出してきた。
本州、津軽海峡側。こちらが真南。アメリカ方ではなく。
木古内・上磯間はすぐ横に山が迫る。
規格はかなりよさそう。
1番のりばにて。
2・3番のりばの島式ホームを望む。
駅舎前。
駅舎のホーム側では、爺さまが腰を屈めて花の手入れをしていたが、その花の鉢の数は夥しかった。これにすべて手を入れているのかと思うと、その人の大きさに委縮した。私の姿に気づいたその人は、皺ずくめの顔を向けて、ふふと鼻で笑って、またすぐ手入れを続けた。何もかも知っている感じ。
駅舎の中の「おじいちゃんの家」といった趣きには気押された。椅子の敷物の色使いや飾り物の趣味が渋く粗かった。出札口からは食器や冷蔵庫まで覗いている。さっきこれと全く同じタイプの駅舎に降り立ったが、こんなにも違うものかと。しかし温かみというより、やはり爺さんの家で、椅子に座るにも一声掛けなければいけない雰囲気だ、そして、お話の一つもしないといけないこともあるかもしれない。
もうこの辺で気づいていたが、あの方は元駅長とのことで、現在は民間に委託する形で、こうして常備券を売り、花を咲かして待合室を調えられているそうだ。
駅長肝いりの花壇。
この先も海を見せる車窓が続く。
心に残る良い旅をの立て札。
なぜか白いシートが敷いてあった。
駅舎内にて。
左:出札口。
右:たくさんお客さんが来るようにとの願を込めての椅子だろうか。
誰かの特等席?
私生活を垣間見て。ほんに暖かい季節になったものだ。
いろいろと飾ってある。左上になぜか翁面。
ポスターもほかの駅よりずっと多い。
それにしてもなんで北海道の小駅の駅前はいつも砂利舗装のままなのだろうと思うものだ。筆界もあいまいな感じで、そこに、北海道といえば瀟洒な建物だろうといわんばかりに、ぽーんと軽そうな駅舎が建っている。そこから歩いてまた海や漁村を見たが、さっき降りた駅とはたいして変わらなかった。
泉沢駅駅舎その1.
2.
木古内方に見た駅前。
もう夏なんだな。
ゴルフ場。北海道では駅の近くにあることが多く、珍しくない。
上りが停まってる。
国道へ。
鳩を飼っているお宅があった。伝書鳩?
厳重に一時停止の表示。危ないので。
こんなところに電話ボックスが。
泉沢駅入口。
路端までが広い。木古内方。
駅出入口。
おそらく知内町あたりの岩部岳(794.2m)を主峰とする山々。
感覚が難しいが、この方角は真南で、左手が下北半島方、右手が竜飛岬など津軽半島方になる。ほんのりと影が見えている。津軽海峡が晴れ渡っているのだろう。
この辺の汀はこんなふうに混濁していることが多い。
国道に戻って。
泉沢地区スクールバス待合室。鍵がかけられていた。
冬季のことを考え、中途半端なものではなく、頑強な造りだ。
道南杉を扱う会社。杉林は北海道でも道南にならある。
なんとコンビニを発見。しかし聞き慣れない名前だった。
しかしセラーズって意味そのまま…。
種子とか野菜も売っていた。
こんなのでも盗んで行く人がいそうな気がしてならない。
入ってるわけはないけど。
国道沿いの家並みの向こうには海。
ちゃんと塀がしてある。
泉沢小学校、泉沢生活改善センターへの案内板。
小学校があるようだ。
郵便局。
反対側から見たスクールバス待合室。
道南殖産株式会社。さきほどの道南杉の看板のあった会社。
日本的な造りにアーチ状の屋根のついた玄関。
駅への道。
早めに駅に戻って、待合室で疲れつつある体を休めた。戸も窓も開け放しにして、泉沢駅長は相変わらず外で土をいじりをしている。ふっと壁にこんなことをペンで書いた紙きれの貼られているのを見つけた。 「口は不器用でも、思いやりでね」。 花に包まれながら背を丸め黙々と植え替えをしている人の姿が壁の向こうに生々しかった。北國の人は口がうまくない、否、その真偽に関係なく、言葉がいらないというのは、それに尽きそうだ。鉄道に関わっていたいことや、訪れる人の目をよろこばせたい気持ちは、停車場全体が伝えているといわざるをえなかろうものだった。むろん敷物つきの椅子があり、茶具もあるのだから、談話もなされるのだろう。疲れた今の自分にはしかし、こんな方法な交感が沁み渡り、また旅人らしいものに思えた。
北を愛する会という名称を見つける。北海道に憧れる若き人々の姿が思い浮かぶ。しかしその人々の愛する北と、駅長の愛している北というのは、どう違うものなんだろうかな。北にいながら北を、改めて愛せる、この広漠を、このむなしさを抱(いだ)くことができる。旅人も、いつかはどこかに足を土に埋めて、いやなところも愛していかねばならぬ、そんなふうな考えにつらまえられた。
北を愛する旅人を、駅長はどのような心境で迎え入れているのだろうか。当座はきっと、純朴に歓迎してくれそうだった。
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