上ノ国駅
(江差線・かみのくに) 2009年5月
道南の森の朝の峻烈な冷たさに列をなして先鋒する黒緑の杉の群れは、そこだけは西国の無積雪冬季をもたげるも、まわりの広葉樹のこんもりとした繊細な薄い緑にひろくとりまかれ、杉には珍しくすがすがしい様相を呈していた。その森の造る、日本海と内浦湾の分水嶺の峠入口手前に宮越という、電灯のない木造小屋だけの無人駅の 石の割れた短いホームから乗車すると、車内は高校生や、中年以降の一般の人々がたあまた乗っていた。森近く、人家少なし。また、ついぞここに来たときに乗った列車も、誰も乗っていなかりしに、かの状況に少し驚きつつも、座れなきゆえ、通路付近で動揺しつつどうにか立つ。車内は静かな方だった。たまに女学生の薄い談話が耳にすうっと入っていった。ほかの一般客はおし黙って、気動車の中に枕木と鉄の音を単調に籠らしていた。
まだ山に挟まれた感じの強い、昨晩の投宿した桂岡を出ると、きのうから気になっていたその先の鉄路に釘づけになる。人家は意外に多く、石段の上に神社も見当たった。そのまま中須田まで来ると、山々は退いて、谷はかなり広くなりそれが海まで続きそうな感じだった。「もしかして向こう側の海への旅はもうこれで終わり?」 中須田でも桂岡でも、高校生が静かに狭い間口からステップを上って来ていた。その度に耐寒用の客室ドアーのラッチをがちゃつかせていた。
車窓は海の予感をすでに確かなものとしたように開放的な野原だった。昨夜最終で 山を越えて精神を疲労したことを思い起こす。すると、こうしていま反対側の海に越えたことは、あっけなかった。
簡単なビルでもたらされた街のにおいの中に入り、上ノ国に着く。女子高校生がまじめそうな声で後ろから、すみません、通してくださーい、と言う。自分もここで降りるつもりだったが降りないように見えたのだろうかと省みたが、先に通してやってその後ろ姿を見ると、その子はあののんびりした口調とは裏腹にけっこう焦っているようだった。本数がなく、この列車で着いてすぐに学校に向かわなくてはならないのだろうか。その子をやり過ごしている間見ていた窓の向こうには、みどりの土手の乗り場に、素朴な面持ちの別の女子高生が立ち、顔をうつ向けつつドアーの横に近づいていく。
そうして入ってくる人を交わしつつ、最後の降車客としてどうにか降りる。何ものにも喩えがたい清澄な空気と仄かな潮香が、ここの大気すべてで、街をすっぽり包みこんでいた。髪をすべて剃って、目を見開かせるような爽快さに、力が抜けていった。街があるといっても構内は広漠とした趣きで、土のホームや路盤を、短い草がすっかり覆って丘をなしている。北海道は何でもないところまでこんなきれいな丘にしようとする性質があるなんていいたくなった。
桂岡、宮越、木古内方。
北海道に来たなあ…。
全国にここにしか存在しないもの。
道南の歴史がここにはある。
ふつうこういうところって無人駅でも柵やフェンスをするのだが、除雪の関係もあり、
開放状態だ。
江差方。
廃止されたホーム。
こんなところに草原が。
雪渓美しき山。おそらく八幡山 (664.6m). 左手は笹山 (611m).
ちなみに上ノ国町の町境があの山となっている。
土地あまりすぎ。
ホームから直接構外に出て。はじめこれが公式の出入口かと思い感心したが、別なところに正式な入口があった。
ホームは木古内方に歩いて。こちらで出入口。
ほんと柵も何もない。人も当たり前のように横断しそうだ。
花や緑のたいへんきれいな季節だった。
湯ノ岱・木古内方面を望む。
これが出入口。
横から見た駅舎。
待合室内の様子。左手は観光案内所。
このときは閉まっていた。なかなかいい設備だ。
土日祝も閉まっているらしい。
右手がトイレだった。ということでトイレあり。
トイレ通路から見た待合部。
あれが出札口ね。
禁煙やゴミの指導が強め。道民は吸う人が多い。
道内らしい配色。
上ノ国駅駅舎その1.
駅を出て。
日本海の果てを渡ってくる冷たく心地よい風を肌で絶えず味わいながら、トタンで和風の屋根を葺いた商工会館は道南を想わせる。その内部に待合室が窮屈そうに組みこんであり、閉鎖された窓口は商工会とは反対側だったから、独立した出札をやっていたようだ。たいていは商工会館や観光協会の事務所とつなげるから珍しかった。しかしこんな作りで早く窓口営業終了の引き金になっていたりして。
住宅地然とした、ただの敷地の駅前を少し歩いて、大通りへ。上ノ国町街の一端で、廃店舗が多かったものの、現役のも多くあり、役所の建物や車の交通量、天気のいいこともあいまって、「久しぶりに街を見られたぞ」。やはり木古内からここまでの、山間区間の心理的影響が強い。ここには自動販売機もあるし、コンビニまであったのだから、別世界だろう。
その2.
あれは金物屋さん。
上ノ国町商工会館の右端が、駅の待合。
道を江差方に進んで。
丁寧にも路側帯がある。
商工会の駐車場。
あの土手がホームなんだからのどかの極みだ。
この道路は最近整備されたそうだ。
街へ。
駅舎3.
スーパーやラーメン屋がある。
その4. やはり待合室はおまけに見える。こんなもんで十分なのだろう。
道道5号、江差木古内線。江差線の江差から木古内までは、この道路と同じルートをたどる。さっきの宮越の駅前の道も、朝方の桂岡の前の道も、この5号線。全線改良工事が完了し、未舗装区間なし。
海辺の感じがする。自販機にコーラの500mlがなく、落胆。別の機体を探す。
夷王山などの観光名所や、遥か松前方面はこの道。
木古内と松前の道別れ。
夷王山 (159.2m). 右端の円錐型のところが頂上。このあたりでは有名な公園。見ての通り草原状で、この季節にもってこい。この時期にここまで来てこの天気であの山に行かなかったことはおかしいのだと思う。
助かった。
江差方。
自動車はおもにさらに北の江差へと流れていくのを見ながら、さっそくコンビニに入る。おそらく今日日中に買い物できるのは、ここだけだ。ここで買うしかない。中に入ると、二十前後の男性店員がレジで五十前くらいの男性客としゃべっていた。「久しぶりだね、ここに勤めてたの」と話している。先生と教え子かもしれない。しかしこのようなところでは都市部に出たいのではなく、出ざるを得ないこともありそうだった。ともかくそんなやりとりをよそに、おにぎりやぱんなどをかごに入れる。レジに持って行くと、その客が離れ、店員も真面目な表情になった。しかし店に出るころ、また先の客はレジに戻り、話を続けた。まだまだ話し足りないのだろう。こんな果てにも縁故というものがあったかと思いつつ、微かに潮のにおいする強い風に取り巻かれながら、駅へと戻った。
外で待っていると、最初は気持ち良かった風もこうも煽られてはかなりしんどいので、待合室に入る。相変わらず気密で、ガラス戸にもかかわらず外の音はほとんど聞こえない。一人四十後半くらいの女の人が待っている。狭いところなので圧迫も感じ、自分はときどき外へ出たりした。
だいぶ経ってその人が外に出たので、待合室に入り座ると、どことなく鉄道の音が聞こえる気がする。うんと思いガラス戸から覗くと、なんと汽車が来てるじゃない。びっくりして飛び出た。放送などないし、遮音性もいいからうかうかしているといとも簡単に乗り逃す。ところで、ここは本数が少ない。だから一本逃すだけで予定したのに訪れられないところが確実に出てくる。また自分にとって遠隔地の北海道のとりわけこんな孤島のようなところには、今度はいつ訪れられるともわからないといえば、その通りだった。例のおばさんは余裕の感じで扉に近づいて行くのが見え、そこへ向かって本気で走る。その人はやはり道民ふうに、気づかない人が愚かだとも思っていないようだし、その一方で、焦っている人がいても何ともないうという無表情をしていて、たいへんニュートラルだった。それでもこんなところでは運転士も多少待ってくれたりはするのだろうな。ともかく無事車内に収容された。上ノ国の街が来たときに窓から見たままの配置で窓枠に収まっている。旅人というより、こことは無縁の者だと感じた。列車はバスのようなエンジン音と窓枠の音を立てて、鉄の上を滑りだした。
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