木古内駅
(江差線・きこない) 2009年5月
神明駅、山気からの解放
家々も世は捨てたような山あいの乗降台は芽吹きの木々にどうにか救われていたようで、そこでは確かに道南深山の各駅の中で最も孤独を極めたものの、多少は軽やかなな気持ちで、汽笛棚引かせてきた汽車に乗ることができた。後は木古内に向かうだけだった。
その乗降場からの客は珍しかったので、私が乗り込んだとき、数人の視線が集まった。そのうちの一人は家族連れの三十過ぎの家長で、若々しさと諦めと、のこりに少し重々しさを兼ね備えはじめたような眼鏡の細身の人だったが、はじめ私を奇異に見たのに、地の人でないとわかったからだろう、ふいと視線をそらして、つまらなさそうな顔を窓に向け、風景をずっと見つづけはじめた。
いっぽう母は、学校に上がる前くらいの子らをなにくれとなくあやして退屈させないようにし、子供の顔ばかりを見て、風景はたまにその顔に重ね合わせて見るくらいだった。
この一家は私が神明で降りたときの下りに乗っていたから、江差まで行ってすぐ折り返してきたのだろう。きっとこの乗車は夫の意向だったのだろうな、と、一家の旅行計画中の様子が思い浮かべた。子供が何を訊いても色白の父は生返事ばかりで、母だけがまもとに応じている。子らがかわいそうに思えてくるくらい、父の機嫌は今一つだった。こうしている間にも独りになりたいのかもしれなかった。独身時代を想起させるものがあったかと思うと、体が縮こまった。
たいてい子としては疲労させて遠方まで連れてこさせたと畏れ多い気分もあるけど、こうして見ると、親の方にも迷いやためらいはあるし、他方では 意外と呑気さや族長の気分もあり、覚悟の犠牲ばかりではないように捉えられて、こんなところで図らずも自分の少年だったころの窮屈さが解けていく感触があった。そして身辺が固まるということについても自然なこととして片付けられはじめた。
落石覆いの閃光も、自然に還りそうな停車場も、もはや注意を引かず、ただただ、くだんの家長のごとく、私もぼんやりし、それぞれほぼ不可逆的な身分というものを省みていた。どちらも車窓は見ているようで見ていない、うつろな目だった。その風景に、いずれの立場でもなくするような作用体があるのを信じ、それを探し求めるも、見つけあぐねているかのようだった。
谷地から風景はどんどん開け、広々とさえ感じられる木古内に間もなく近づくと、湿り気のある心細い谷下りも終わることになり、車内は赤銅色に明るくなった。
木古内駅
列車からホームに降ろされると、夕映えの空に冷え冷えとした。南端たれども風の強い海辺の町。いかつそうな駅員が、「にいちゃん、どこいくの。改札はこっちだよ。」。狭い乗り場に貨物が通過するときは柱に寄ることになった。
渡道第一声となってあまねく知らるるところとなっている木古内も、こうして末端線から来ると過剰に期待することはなかったし、ホームからすでに見える小さな町もごく自然な在り方に見えた。
上磯・函館方。1番線ホームにて。
駅前側の風景。
ホームは3つ。
どのホームも屋根のある範囲がとても短い。
駅庭。
柵越しに見た駅前の様子。
至青森。
この駅に着いたとき、五十くらいのお爺さんが仕舞支度に忙しい運転士の知らないうちに江差から木古内の乗車券を運賃箱の上に置いて、そそくさと改札へ行ってしまった。それを私が手に取るとまずいので、その人の後を付いていくことにし、証人になる必要があるだろうかと考えていたが、その人が改札まで来て「渡してきました」と言うと、不思議な顔をされつつもはいと通されたので、力が抜けて、独りでの来道して丸一日後に迎えた緊張させるような日暮れの、身を締まらせるような冷たい夕風に全身で当たりながらも、体を思いのままとろかしてみたいと思うようにもなった。
そういう風をきっちり避ける、透明なパネルに囲われ、改札には自動ドアまで付けた寒冷地仕様の狭通路においては、江差や函館だけが記されている灯りはじめた案内板を見上げると、海峡線開通するものの北海道で閉じた世界に今自分がいることを揺るぎもせぬしいんとした空気を媒介として感じられ、静かなる充足心を得られた。
改札内通路にて。
これが改札口。そうは見えない…。
2・1番線。1番線に上り白鳥が入線。
改札内通路にて駅前方。2・3番線ホーム階段下り口前。
突き当たりは4・5番線ホーム。
どうも駅員のロッカーらしい。最近は個人情報などでうるさいが、
名前入りのものがこんなところに堂々と置いてあることにおおらかさを感じたり。
4・3番線の風景。
この辺りは少し山がなだらかだった。
江差行きはこのホームにだけ停まる。
5・4番線ホーム。
5番線。冬季にはこのホームのへりも凍りつくのだろうか。
知内・青森方。乗務員のための施設がある。
江差線用の駅名標。
替わって3・2番線ホーム。
夕暮れでたいへん寒かった。
北海道新幹線の早期着工をとある。学校なども見えた。何でも手に取るように配置がわかる感じの町だった。
海峡専用の駅名標。しかし隣りの知内に停まる列車は一日上下各2本しかない。
左の下り貨物は信号待ちで停車中。
何でもない橋上駅だが木古内らしさがあるように思う。
改札前にて。
駅舎内にて。改札口。
広告だけ古風な感じ。
駅に集っている道内の人は建物の新しさを感知しないかのように、のんびりした挙動と話し方で、滞った時間に食い込んでいた。寒がり屋で窓を閉めた改札室ではときおりマイクで北斗や白鳥の案内を流す。むろん待っているわずか数人の地の人はそんな放送などまるで聞こえないかのように、ただただ、少ない普通列車を待っている。とうてい高速で内地とを結んでいるその玄関口とは思えぬほど、時間は淀み、北海道らしさを、いともたやすく守り抜いていた。
券売機を久しぶりに見る。函館まで810円、江差まで900円。
旅行代理店はもう閉まっていた。
売店あり。土産物も車内食もある。
二重の壁越しに見た駅構内函館方。
待合室を出て。
重い扉を押して、裏表に階段で降りられる狭通路に出る。ちゃんと閉めておかないと寒がられてしまう。夕日の向こうから海峡線は伸びて来ているのを望めるそこにも、椅子が置かれているが、中学生の男の子が座り、いじらしいほどの小さな悩みを語り合っていて、昨晩車内での傍若無人に故郷に寄りかかる高校生のことも思い合わせて、もうなんだか付き合いきれなくも思った。
知内・松前方面のバス案内が出ていた。
佐女川・新栄町は地元の人しかわからなさそう。
こちらもバス路線案内図。松前へは片道90分、1330円、約58kmとのこと。
いつか松前も訪れてみたい。
改札外通路にて。駅前方。北海道の駅でよく見る椅子が並んでいる。
この三角の部分が外観の特徴となっていそうだ。
階段下り口。
駅裏方に見た改札外通路。
青森方面を望む。
こうして中も三角窓が重なるようになっている。
あの窓の向こうは待合室。こうして空間に挟まれていると暖かそうだ。
駅前俯瞰。セットのよう。
駅前には先ほどの一家の父が二羽のカルガモと母鳥を連れて歩いていた。この時期に子を連れて泊り旅がしやすいのも今回がほぼ最後かなとも思う。学校に上がる前だから。母鳥も同じことを考えながら、北國日長の暗赤色のとある駅前をああしてみんなで歩いているのかもしれなかった。今夜はここで宿泊やとも思うが木古内は珍しいので、食事だろうかなと考えたりするのも、すぐ近くの焼そば屋からもう気が遠くなるくらいのいい匂いが漂って来ているから。急行食堂という名前が付いている。いったいどんな調味料を使っているんだろうと真剣に考え、思いついた組み合わせを帰ってから実行しようと誓う。
函館方。
木古内町物産コーナー。おいしそうなものが売っていそう。
しかし店を閉める直前で、雑談がなされていた。
2階へあがるときの光景。
咸臨丸の眠るサラキ岬の紹介。泉沢と釜谷の間にある。今日のお昼ころ列車から見たのを覚えている。
トイレ、公衆電話、そして旅人御用達のコインロッカー。
こう見るとあまり駅らしくない…。
いざ外へ。
風が冷たい。
さきほどの通路は正式には木古内南北歩道連絡橋というらしく、「スカイロードきこない」と名付けられていた。名前はきれいだが設備は駅の一部という感じ。昭和62年竣工という。
偶然にも松前バスターミナル行きのバスが停まっていた。
松前線廃止の代替を担っていることだろう。
木古内駅駅舎その1.
急行食堂。
木古内郵便局。建て直したらしく新しい。
傘貸します、とのこと。しかし傘は差さってなかった。
雨の日だけ出すのかもしれない。
駅舎遠景。
平成の匂いがしない。
先ほどの急行食堂に再び。
駅舎その2.
広場の片隅に同じモチーフのトイレがあった。
駅前広場全景。複数のバスが転回・発着できるようにと広い。
木古内町農業資材倉庫。なぜか昭和55年度まで記してある。
海峡線開通前からのものになる。この町全体もそうだろう。
やはりバスの通るからか、舗装のひび割れは半円を描いていた。
バス待合室。寝られそう?
駅と駅周辺は自販機も豊富。こんなことはあたりまえかもしれないけど、今日一日江差線の駅に降り立っていた身にとっては、こんなことでも本当に安心できた。
函館バスのりば。多くの人が待つこともあるのかな。
こうしてここに来るまでは、駅前にバスがしきりに発着する様子や、海峡線開通で栄えているのを想像したが、実際には変貌は遂げず、肩透かしなのは旅人というより地元か。 こじんまりした真四角の店が 同じ大きさでえんえん連なっていて、純情な町の相貌だった。こうして簡単には変わらないところに暴風に撓むような勁さや、来訪者少なき道南の秘境海岸が保たれているのも想われて、惹きつけられるところがあった。
「スカイロードきこない」もとい、改札外通路にて。駅前方を望む。
木古内駅構内の風景。
レールの上にシャッターの下りているのがおもしろい。
積雪地なので階段を下りてすぐのところもきっちり居室化されている。
駅裏にて。北出口。
この辺は中の人用の敷地といった趣き。
裏から見た木古内駅。
線路内とこちら側の間に柵がない。
新栄町?方。
北口前全景。右手たぶん運転区。
駅に戻るといっそう日は傾いて、明るいとも、暗いともいえぬ光加減になり、いつしか蛍光管の光芒が存在感を増してくるようになっていった。どこかで見た顔だなと思うと、どの人もさっきの列車に乗り合わせた人ばかりで、いつの間か例の一家まで戻ってきている。「やっぱりいなかだね、どうしても駅では顔を突きをせることになってしまう。」 家族連れと単行がお互い照らし合うのも妙に気まずいが、単行同士というのはさらに、鏡を見つけてしまったかのように、思わず互いに見つめあってしまう。知性や創造の旅に没入できなかった姿が、単なる気晴らしに見せる衣を肩に掛けて、駅を手持ちぶさたにうろついている。ふうと、あの一家の父の詮方なさが、日が落ちてできた映し窓に、浮かび上がってきた。こうしてこの世に彷徨ってみる者たちを、改札というのは、機械的にチケットの真偽を裁いて、どこか別のところへ流し込んでいく。次の白鳥に乗る人ばかりだった。改札が終わると駅員は改札窓を溜め息とともに閉じた。待合は地元の人の影だけになった。
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