高知駅 四国紀行─冬編

(土讃線・こうち) 2008年1月

  朝8時40分過ぎ、列車は誰も座らない、たくさん緑のクロスシートだけを運んで伊野駅を出た。冬の常緑樹がまぶしい左手の谷地には国道が走り、自動車も軋って、谷なのにとても明るい感じだった。その道路のすぐ脇には土佐電鉄が通っているというのだから、その明るさもいっそうなのだろう。しかし、このときは線路にあまり気づいていなかった。そんな冬に見ても少しもさびしくないような谷も、しだいに右から、左からと山が迫り、あたりがすっかり日陰になった。高知道が上に架かったとき、最も暗くなった。そこをふっと切り抜ける。すると一転、下り坂、空は少しだけ曇り、架線付きの電車線が見下ろせて、驚いた。専用軌道風だった。鉄道線がしっかり並行して、伊野と高知を結んでいたのだ。
  さて、さっきの狭隘部はやはり峠で、咥内坂 (こうないざか) というのだという。こうしてころころ下っているのは、伊野町を離れて、高知市へと下っているのだった。咥内坂という昔話のあることをあとで知った。それは土佐の山深さと峠の怖さを教えているものだった。
  高知市街のはじまりのいくつかの駅を過ぎ、円行寺口駅に差し掛かるころにはもう右手に付け替えの高架が見えていた。今朝、夜行バスを降りて日下駅に向うときに通ったときとは打って変わって、あたりが明るくなっていて、高架線がいっそう白く、颯爽と街にと現れていた。円行寺口駅と入明駅ではちょうど駅出入口の工事をしている。コンクリートばかりの中、ある人が滑らかに加工された木材を持ちながら指示を受けていた。流し込みの枠でもなさそうだ、なんだろう。しばらく住宅地ばかりだったが、入明駅の近くでは高架下の向こうに市場のようなものが見え、いよいよ市街部に近づいてきているようだ。入明を出てほどなくして緊張しはじめた。いよいよ終着、高知。高架下をくぐるとポイントが近く、もう駅構内だった。街は右手だが、ビルはそれほど見えない。普通列車の車内に気軽な言い方で「終点、高知です」と放送が流れ、高知に降りるのを私にとっていつものことのようにしようとていた。古いホームがゆっくり間近に流れる。

  外へ出るとさっと顔が寒くなった。列車の中にいると日差しだけだから、暖かさを感じていたのだった。伊野よりこっちの方が少し寒く感じる。空気はしんと静まった冷たさで、遠い太陽の光の下、人々の呼気がたなびいていた。
  降りたときはあまり人がいなかったが、ほどなくして、2つのホームを合わせて30人ぐらいの人が待つようになった。これから列車の到着が重なるようだ。結局それは40人ほどにもなった。
  ホームの伊野側はほとんど何もなかったが、薄暗い階段の下に行くと、販売機が置かれ、明るさを添え、人を誘っていた。

伊野方向を見て。左手は乗ってきた列車。

上屋を出て振り返って。 この辺は何もないようだ。

伊野・須崎方面を望む。右手の高架線に付け替わる予定。

2・3番線ホーム。

左手、キハ58,右手、キハ54。 キハ58は急行型で、中は背凭れ転換クロスシートになっていた。

内照式時刻表。始発から15:33までの列車が案内されている。 奈半利行きの普通列車がすっかり溶け込んでいた。

裏面。最後に京都行きムーンライト高知が案内されていた。

上り側に階段を見て。

階段の裏側の様子。

変わった位置に販売機がある。さて後ろの列車は何でしょう。

お隣、1番線ホームのKiosk.店の人が陳列中。

Kioskより伊野側の風景。

Kioskのある1番線ホーム。

  ここに着いて少し経ったころ、気づくと3番線に車両の側面にデッキの付いた列車が停まっていた。臨時列車なのかなと思ったが、そうではなく、土佐くろしお鉄道所有の展望デッキ車両で、こんな列車が上下2本ずつ高知から奈半利または後免まで毎日運行しているという。太平洋の眺望するのに、いい季節だ。またこの時期に来て乗ってみたい。
  跨線橋の階段より先、上り側は、椅子、販売機、内照式時刻表、それに水場と、いろんな設備があり、人も主にここで待つようだ。それにしてもみんな着膨れている。高知の人は寒がりなのかと思った。こんなふうに待合部分も決まっていて、またみんな着込んでいるので、30人ほどでも駅は混雑しはじめたように見える。
  このあたりからは1番線ホームの改札口がよく見える。いくつも有人のブースがあり、内照式案内板も多く出ていて、国鉄時代のまま何もしなかったかのようだった。明るく冷たい空気の中、ごおおと重そうに気動車が出ると蒸気がいっぱいに構内に残り、改札口が霞んだ。

階段から上り方向に見た島式ホーム。

階段下り口を振り返って。徳島文理大学の広告が出ていた。

人が主に待つところ。

階段よりこっち側のほうが上屋は長く、また椅子や販売機などが置かれている。

この水場をまだ使う人はいるのだろうか。

下り方向に振り返って。

一人掛けの椅子だけでなく別のところには長椅子も設置されてあった。

駅名標。

かなり派手な広告だ。

1番線ホーム改札口。

1番線ホームの風景。

2・3番線ホームを伊野方向に見て。

1番線上屋の終わりの様子。

上屋がついえて。

  プラットホームを土佐山田側に歩き、上屋の外へと出た。こんな冬には、やはり太陽の下がいい。高架にドーム屋根を被せたような新しい駅が隣によく見えたが、それより、半ばシャッターをかぶった1階のテナントのようなものや、ビニールで覆われた駅名表示の方に気が留まった。この高架線ができているところは、操車場だったのだという。高架の反対の、街の側は、昔のデパートだったかのような建物と、とんでもなく傷んだ駅舎の裏側。だがその建物はデパートなどではなく、元から別の建物だった。しかし駅の建物はもうだいぶ がた が来ているようだ。それにしても駅構内から見える街はどれも静まっているようで、賑やかさや活気は直接窺われなかった。ホームからの風景というのは、どこもだいたいこんなものなのだろう。いつもここを使っている人との中に、あの高架駅から俯瞰してみるのが楽しみの人もいるかもしれない。上屋を抜けてしばらく歩いたが、ホームはやはり長い。ずっと先の本線近くには編成がテールランプをつけて留置されていた。ホームのこの東端も、そしてさっきの西端も、とくに何も見えず、駅はぜんたい落ち着いた感じだった。

ホームがせばまって。 跨線橋は高架工事にともない仮設されたもの。

左手の建物がコンフォートホテル高知駅前、右手が住友生命高知駅前ビル。 屋号のないような桟のある建物は、それとはまた別の建物。

振り返って。点線の白線が残る。

高知駅駅舎の端の様子。かなり傷んでいるようだ。 途切れている跨線橋はおそらく高架工事前に使われていた跨線橋。 高架に移行すれば仮設のものも、これも必要なくなるのだろう。

新しい高架駅。ホーム右側はなぜか切り欠いてスロープになっていた。

この辺からではさっぱりしたな印象を受ける。

 

隣、1番線。なぜか物置小屋が並ぶ。

上り寄りから見た1番線の風景。

1番線、2番線の風景。整列ラインが引かれている。

蒸気の残る駅構内。

跨線橋内の風景。

跨線橋にて、土佐山田方面を望む。

下り側の窓から街のほうを見て。 コンテナの積まれているのが高知オフレールステーション。

須崎方面を望む。高架駅の駅名標がちょっとだけ見えた。

  1番線ホームも主に上り側で待たれ、そこを中心にいろいろな店が顔を出しているのに、やはり落ち着いた感じだった。下り側はいっそうで、床面に特急乗車口の整列ラインが描かれるばかりのほかは荷物運搬通路があるぐらいのところだった。高知オフレールステーションの貨物の積み上げも見え、いかにも端っこの感じである。現在、高知駅での鉄道コンテナの輸送は、貨物列車ではなくJR四国グループの四鉄運輸株式会社がトレーラーによって行われているそうだ。
  ところで、この人目につかない暗い感じの荷物運搬通路、通路は網で塞がれ、自転車も数台置かれ、通路脇には街灯の点いた荷物取扱所があり、どうも現役のようだ。後で調べると、新聞輸送以外に、荷物輸送としてJR特急荷物便の事業が四鉄によって行われていた。高松を中心として、そこから高知、徳島、松山、さらに宇和島までの計4区間が設定されていて、1区間10kgまで850円、20kgまで1050円。しかしまさか明日の未明、自分がそんな時間にこの通路の外側にいて、新聞が持ち込まれるのを直接見ることになるとは思わなかった。
  下り側はそんな感じだが、階段の下の近くには充実したKioskが屋台のように明かりをともし、暗がりに人心地をもたらしていた。隣のホームの階段下に置かれていた販売機もそうだけど、こうでもしていかないと、この駅は暗い雰囲気になっていけない。なにせあまりに昔のままで、光を反射するような新しいものがなかった。といっても、実際には使いにくい空間の有効な利用法となりそうだ。

下り側の風景。

向かいのホームの風景。

荷物運搬通路。左手に荷物取扱所があった。 手荷物一時預かりもしている。

上り方向を見て。ホームのこのあたりは白線のみになる。

ホームに足を下ろすかのような階段。

Kiosk. 自動販売機の横にペットボトルをたくさん入れた開き戸の冷蔵庫も置かれている。

お土産も売っている。

人々の待つ2番線ホームの風景。

1番線ホーム改札口前。

階段脇の様子。

階段下り口。

  1番線に駅舎がある駅に多く見られるように、階段の建物側はとても細い通路となっている。こういうところをかってに、階段脇すり抜け、というような感じで捉えているが、 その部分にとても古いトイレと駅長室入口があり、両方とも、駅員がたまに出入りしていた。そのすり抜けからはKioskのアイスの売り場が見え、誘い込まれるようだった。 逆の、改札口方向には小さな案内でも内照式になって出ていて、街の性質が見えかけた。 そういう傾向は、鉄道街なのかもしれない。
  改札口前に行くと薄暗いホームが広くなった。肉声の構内放送もよく聞こえた。有人改札のブースがいくつもあるが、使われているのは窓口寄りの一つだけで、ほかには有人窓口が応対するようになっている。降車客で混雑しはじめるときにはブースをもう1つひらけ、係員が入った。こういう柔軟な対応も、見ていたら伝統的な滑らかな動きだった。
  このあたりに来てやっと気づいたのだが、この駅、駅構内の規模の割りに自動販売機の台数がとても多い。まあどうしてここまで並べるんだろう。計12台。もっと利用者の多い駅でも、こんなにはない。Kioskに入っている手売りの分も、ここはとくべつ多く、それも合わせると仕入れ数はさらに増える。でも各社の販売機が入り、飲み物があり、選ぶ楽しみはおおいにありそうだ。それにしても何か理由があるのだろうか。伊野駅も多いほうだった。

1番線にて、下り方の風景。

このあたりからは新駅がよく見える。 しかし夜になると闇に包み隠される。

お昼前の風景。

左側の改札が臨時に開けられている状況。

人の引けた改札口。

向かいのホーム。手前がJR四国キハ32回送列車、奥が、 土佐くろしお鉄道所有の展望デッキ車両9640型、奈半利行き。

  改札口を過ぎると待合エリアとなり椅子が置かれ、そこには、弁当・土産物屋、ラーメン屋、別にまた弁当販売小屋もあって、お店が集まっている。こうして見ると観光地の駅という感じ。高知市街もまた楽しそうに思えてきた。はじめに挙げた、弁当・土産物屋は割と広く改札外に跨っていて、ホームに面にしている売り場部分も広くて、そこが珍しかった。しかし弁当小屋の方は閉まっていたし、ほかの店もお客は誰も入っていなかった。たぶんまだ時間が早いからなのだろう。このときはまだ10時を回ったぐらいだった。私もここで弁当を買ったり買い物したりして、さいはての宿毛まで行きたいな。

弁当・土産物屋の「えぃてぃえいと こうち」、奥に「喜多方ラーメン麹小町」。

さきほどの2編成。

改札口前をを下り方に見て。

改札口。

コンコースに入って。ここにも白黒の内照式時刻表が大きくはめ込まれ、 活躍していた。

改札口を左手にして。

  改札口に近づくと、人の入っているブースが透明のプラスティックで囲ってあった。風除けなのだろう。この駅はコンコースが開放式、つまり外の駅前とコンコース内を仕切る扉がなく、風がホームからもコンコースからも入ってくるのだった。中の人は20歳前ぐらいの女の人で、髪の毛をお下げにしていた。素朴な感じで、コンコースの方をずっと向いていた。
  そういうわけで、コンコースには外の空気が漂っていた。柱を囲んだ長椅子には厚着した人たちが、外の光を見ながら座っている。そうして椅子に座って待っているのは決まって地の人なのだが、立ったまま動いているのは、たいてい出張の人たちだった。駅ではしょっちゅう見かけ、四国の最奥の都市の内部が、浮かび上がってくるようだった。でも、きびきびしているわけではなく、たいていゆっくりとしていてる。あとは南風に乗って帰るばかりなのかもしれない。

駅舎出入口から見た改札口。

コンコースには椅子が置かれ、ここにも大きなKioskが入っていた。

中央は新しい高架駅が紹介されているパネル。

奥がみどりの窓口。右手が改札方向。

券売機と鉄道案内所。

券売機には特急列車用のが設置されてあった。

券売機を背にして。

  駅のコンコースは大規模なものではなく、中ぐらいだった。ほら、もう外が見えている。民衆駅らしく、大きなKioskがあるほかは、駅舎横丁があり、飲食店が軒を連ねていた。特にこだわりがないなら駅から探しに行かなくていいところがらくだ。外に面した柱ではそれを囲むように露店が出ていて、冬の曇った光を浴びながら、掛け声がなされていた。お土産と、温かい甘栗や芋けんぴを売っている。けれどぜんたい、駅は人の出入りが穏やかで、動きが少なく、なんだか冷たい古い空間に、多くの人がじっとしているかのようだった。あ、コートを着た2人組みの出張人が芋けんぴをふた袋、ゆっくりと手に取り買った。「はーい、ありがとうございまーす…」。
  ところでこの駅、入ったとき気づいたのだが、有人改札に付随した、いつもはみどりの窓口になっているようなあの斜めの窓口が、鉄道案内所と精算所に特化していた。そんなに使われなさそうだ…。みどりの窓口は、外に面した駅舎の軒下をガラスで囲って営んでいた。

スーパーホテル、4980円とのこと。駅から少し歩く。

駅舎横丁入口。左手にある駅弁・かまぼこコーナーというのがしばし引っかかった。

奥にあった待合所。テレビ、公衆電話が置いてある。 この駅では椅子代わりの正方形の大きな台座をよく見かけた。

外の入口から駅舎横丁に入って。奥にラーメン屋、右手レストラン。

待合所の様子。

こんなふうにコンコースへとつながっている。 右手のお土産・駅弁の店の横にATMが入っていた。

通路から見たコンコース。

左には充実したKioskが入っている。

コンコースに出て。

外へ。

ちょっと街の刺激を感じられる。

  外へ出た。すると路面電車ののりばが立ちはだかる。これだったんだ、いつも写真でばかり見ていたのは。とうとうほんもの高知に来たんだな…。駅舎の軒下は案外人通りが多く、活気づいていた。駅舎1階にはパン屋などのいくつかの店が入っている。駅前のロータリーにもよく自動車が入ってきて、駅の軒下までやってきては、人を降ろしたり乗せたりしている。トラックやワゴン車も入ってきて、しばし積荷を下ろし、店の人たちが仕入れ品を運んでいく。高知市にやってきたことが実感されてきた。
 それにしてもこの広い駅前を抜けた先を横切っている、大きな道路では、自動車がとても速く走りぬいているのがここからでも十分に感じられて、すごみがある。まっすぐにのびていく道路も広く、それが駅前通で、そこでは路面電車が昔と変わらず、遠い桟橋まで走っているのだった。
  駅前にいると60ぐらいの2人の女の人が、「汽車で行くう? 電車で行くう?」と大きな声で会話しながら、どっちの駅に行こうか迷っていた。やっぱりこうやって区別してるんだ。どっちでもいけるところだから、市外なのだろう。往復で片方は電車、もう片方は汽車利用というような企画きっぷもあるようだ。

出入口にて。お土産をいっぱい売っていた。

駅舎出入口を下り方に見て。 右上に出ている表は宿泊施設の一覧で、そのホテル券・旅館券を 近くのワープ高知支店で売っていると宣伝していた。

反対側の風景。左手に2階、高知駅デパートの入口がある。

土佐電気鉄道の高知駅前電停がすぐそこ。

ここを自動車がたまに横切った。

電停にて。

のりばからJRの駅舎を見て。3面2線ののりばだった。 コンクリートがどちらかというと新しいのは、 近年交差点の西寄り、跨道橋の下にあった電停が、移動してきたからだという。

電停を出て。

電停を出た上り方向。コインロッカーの小屋が見える。

JR線の出札エリア。左にみどりの窓口、右に3台の券売機。 券売機はコンコースに2台あったから、計5台。

みどりの窓口のブース。

みどりの窓口の様子。

この奥がワープ高知支店という旅行センターだった。

出口方向の風景。

券売機前にて。 土佐くろしお鉄道との連絡きっぷも買えるようになっていた。

出札エリアを出て。上り側の風景。

駅舎軒下にて。下り側への風景。

駅前の風景。左が電停。右の建物は高知ホテル。

  軒下に入った店を右に見ながら下り側に歩き、けさ降り立った高速乗り場を見にいった。駅舎が尽きるころ現れたその乗り場は、思っていたより質素なつくりで、敷地内に2つほどのビニール屋根が並んでいるだけだった。夜のあの充実した雰囲気が、すっかり朝の明るさに吹き飛ばされている。また誰もおらず、近寄る人もいなかった。駅舎の終わりの壁には、バスの案内・時刻を書いた非常に大きな工事看板風の案内板が掲げられていて、その下にはいくつかの長椅子が置かれ、ありあわせのようだった。ここも新駅に移ったら、満を持して新しい乗り場に移行するのだろう。奥に小さな待合室を見つけた。見ると、中には年取った女の人2人が腰掛けようとしているところだった。昼行便に乗って、どこか別の四国の都市へ行くようだった。

下り側端から見た軒下の風景。

高速バス乗り場。

コンビニのエルスター。この右手に荷物運搬通路がある。 左奥に小さなバス待合室。コンビニはこのとき閉まっていた。

高知駅駅舎。

駅出入口にて。

左手に電停がある。

電停を右にして駅前を望む。

  駅舎を上り側に歩ききったところには観光案内所、トイレ、コインロッカーの小屋、交番、巨大な点灯式案内板とそろっている。トイレは今朝夜行バスをここで降りたとき利用したもので、ひときわ明るく灯っていたが今は平明な光の中に当たり前にたたずんでいる。それにしてもコインロッカーの小屋はだいぶ古いタイプのものだ。それでもちょくちょく人が入っていた。観光案内所では2人ほど人がいて、説明を受けている最中の人がいた。
  駅前のこのあたりはタクシー乗り場となっているが、あまり人もおらず、ただそっけない広い敷地があるだけだった。その向こうに跨道橋が見えた。あそこからなら駅前が見渡せそうだ。けれども、もうあそこはすでに一つのスポットとなっているのだろう。

タクシー転回場。中央に少しだけ跨道橋が見える。手前の小屋には駅レンタカー、自家用車整理場と書かれていた。

駅前上り側の端の様子。真っ直ぐ行くとある階段を上ると、 ホームから見えた途切れた跨線橋へと行きつく。当然このときは閉鎖中。

  駅舎の軒下を歩いているとき、服が引っかかったかのように立ち止まらされた、高知ステーションデパートと銘打つ入口に立ち寄った。大理石風のきれいな階段があり、エスカレーターが一機動いていて、人の行き来が多くありそうな明るい雰囲気だが、人はあまり出入りしていない。のぼったらそこから駅前が見渡せるかもしれないと思い、上がってみると、目の前に飲食店があり、年取った女の人が、「いらっしゃまいせー、いらっしゃませー、うちの店はほかと一味違います。」 と同じ調子で繰り返していた。それを聞いて、違わないということかな、と思えたが、人を呼ぶためにずっとここにいると思うと、気持ちが感じられた。そして気づくとすぐ横では芋けんぴを実演販売している。「いかがですかー、おいしいですよー」 さっきと同じぐらいの女の人が、静かにそう声掛けしていた。でもあたりには私以外に人がいない。ふと、ありがとうございましたの声を後ろにしてレストランから1人出てきた。一味違う料理はどうだっただろうか。その後も出てくる人を見かけ、とりあえずお客は入っているようだ。
  2階は思いのほか広く、そして土産売り場が充実していて、また人もけっこう入っている。とても意外だった。どうして出入口のエスカレーターがあんな寂しかったのだろう。ともかくお土産の調達ならここに決定となりそうだ。中はデパートというにふさわしく、かんざしなどの民芸品、銘酒、県内外の銘菓、冷蔵物、そして雑貨、子供の玩具と贈り物一式を扱っていた。奥には書籍コーナーがあり、扉の向こうは文化教室となっていた。駅舎2階は駅務以外にもさまざまに使われているようだ。駅が新しく変わっても、これだけの規模のものがテナントに入ったらいいな。
  駅前が見えるようにしてあるのはエスカレーター付近だけで、ほかではそれほど見渡せなかった。2階から下りるとき、銘酒の名前を入れた、海岸の風景の広告が大きく出ていた。もう蛍光灯で色褪せている。しかし、こんなふうな海岸をこの日じっさいに目の当たりにするとは、少しも思っていなかった。

高知駅デパート入口。7時30分から19時15分の営業。 さっそくメニューの見本が置いてあった。

階段は大理石風できれいな感じだった。

階段から見下ろしたコンコース内のKiosk.

階段を上りきって。

レストランなんざと。"Kioskレストラン"としても案内されていた。

階段下り口のほうを見て。

下り方向を見て。ショウケースがまた古い。

下り方向。民芸・雑貨コーナー。かんざしなどの土佐打刃物が置いてあった。

下り方向、左が駅前。奥に書籍コーナー。

上り方向。右手あたりではおもちゃなどを売っている。

下り方向。左手に階段。ひたすら銘菓などの箱が陳列される。

上り方向、右手に下り階段。

階段を下りて。

高知駅前

  茫漠としたタクシー転回場を横切りつつ、駅前へと出た。駅の建物の古い駅名表示が黄色のサインで、静かながら強いものがあった。夜になって光ることばかり考えた。すっきり広い駅前交差点に出ると、らくらく自動車が駆け抜けている。その広い道を跨ぐ跨道橋には南国市10km,と出ているのだが、その次に出ているのが徳島市138km. 南国市を出たらしばらく何もないのかと思え、室戸の辺境さに心引かれた。たくさん自動車が走っているが、東はだいたい後免までなのだろうか。

高知駅駅舎。

高知駅前交差点その1 横断歩道が長い。途中、路面電車の軌道を渡る。

交差点その2

駅前の見晴らしがよさそうな跨道橋。かつては途中に階段が付いていて、 下にあった路面電車の電停に足を下ろしていたという。

伊野・須崎方面を望む。

高知駅駅舎。

駅前と駅。

後免方面を見て。

伊野方面の風景。

駅前の風景。

駅前中央の様子。

駅舎その3

すぐ後ろに山地が控えている。

  跨道橋からは四国山地とともに駅がよく見えた。やはりしっかり遮るような山から、下りてきたところにできた駅と街だった。しかし高架駅のドームができる前は白い駅舎と山がもっと重なっていたのだろう。駅の建物はほぼ2階建ての白い横長。こんなコンクリートの駅があちこちの県都にできた当時、つまらないと思われていたかもしれない。でも当時と鉄道の役割がだいぶ変わってしまった今は、そのいろんな痕跡を残し、興味深いものとなっていた。今に合わせた新しくできる駅がそういう痕跡を持つようになるのは、まただいぶ先のことなのだろうな…。こんなうふうに広告灯を並べて出す駅も、もう少なくなって、すらりとした高架駅や、まぶしい駅ビルに変わっていっている。
  駅周辺は飾らない中層のビルが多い。ただ、目立つ新しいホテルがひとつ立っていた。もちろんほかにも駅前にはホテルはいくつもあるが、夜に地図も持たず宿に困ったら、あそこへ駆け込むということになりそうだ。それにしても曇ってしまった。青空なのだけど、海側ほど青白青白と、薄い横長の雲が縞々に架かっていて、その白いところに、太陽が入ってしまったのだった。なんとも人工的な空。冬の高知にはよくあるのだろうか。
  翳って青い風景、そして冷たい北風。それが高い跨道橋にこそあるものだった。南国高知と勝手にだまされてやってきた旅人のようで、ここを歩いている自分の姿が滑稽だった。階段を下りて、駅前本通りへと向った。むやみに黒い椰子の木が揺れていた。

少し向こうに高知中央郵便局が見える。その斜向かいには高知警察署がある。

路面電車がやってきた。

 

左手にあったお店の並び。

交差点越しに見た高知駅駅舎。

  するとすぐ目の前に鉄道車両が止まっていて、もう電停があるのかと思ったら、信号待ちだった。本通りは、寒そうに人がぱらぱらとあるいている一方、自動車がよく走っている。中古風なビルが立ち並び、あまり派手な色使いやデザインは見られない。ときに、その地方を象徴する広告の一つとして、日本酒の広告がある。ここでは土佐鶴だった。高知駅の2階から下りたときに見た、海岸を映した広告灯にも、宣伝してあった。地酒というのは、きっとその地の自慢なんだ。だからたいてい、こんなふうに大きく派手に広告を出す。出せる、ということなると、もっと別の理由になる…。

駅前のひとかど。

椰子の木やパンジーが迎えてくれる。

高知市街。

 

中央に駅前行きの高知橋電停。桟橋行きのりばは交差点を挟んで向こうにある。

  ほどなくして高知橋の電停に着いた。さっきの電停から300mぐらい。横断歩道の信号があり、渡ったところに、その名の通り橋があって、都会のお堀のような川が流れていた。川べりに椰子の木が、笑ったままの人形みたいに、立ち並んでいる。椰子の木か…。大通りの道先に、今夜利用することになりそうなローソンを見つけておいて、そのあたりから立ち去った。
  駅へ戻りながら今後の予定をどうしようか考えはじめた。海辺をやめて、山手にしようか。とりあえず列車に乗って、窓の外を窺がいながら決めよう。

高知橋の信号。高知橋電停、桟橋行きのりばが見える。

川沿いに並ぶ椰子の木々。

駅前方面を見て。

横断歩道から見た高知駅。

高知駅駅舎。

 

こんなところが駐輪所になっていた。

このときは少なかったが、横断を待つ人はしばしば見受けられた。

ロータリーは少し複雑で、 タクシーは小回り、一般車は大回りとなっている。

ロータリーと駅舎。

  改札を通ってホームに出ると、来たときとは違い、あたりに人がまんべんなく見られ、お昼らしい、人のいる明るさがあった。そういえば、もうここを去るんだ。暗い階段を上っていく。あと6分。跨線橋から明日帰る上り側の風景を見ると、もう二度とここへは来ないんだなと改めて思った。島式ホームに下りて、11時6分発、下り、須崎行きの列車の中に入った。2両編成で、中は暖房が入り、気軽なかっこうの人がそれなりに乗っていた。車内に入ったとき、整理券が出ていたので、記念としてもらった。車内には、「整理券をお取りください、整理券をお持ちでない場合、始発駅からの運賃をいただくことがあります」、としつこく放送が流れている。入鋏するこんな駅でも発行しているのは、定期券の客にも取らせるためだという。ところで、私が整理券を取って座ったとき、斜向かいの1人の年取りかけた男性が怪訝な顔をした。しかし、その放送にはじめて気づいて、発車前になってつかつかと出口まで赴き、券を取って席に戻った。取り損ねていると、抑止らしい感じのこの放送が人に不安を募らせ、慌てるさせる。この放送に出発後気づき、びっくりして途中から整理券を取る人が、この2日間、幾度か見受けられた。それにしても斜向かいのあの人はいかにも地元らしいのに慌てて取るなんて、ふだん乗らない人なのだろうかと考えてみたりした。でも、こんな話も昔のものになったようだ。今は高知駅に自動改札が入り、いまや改札のほとんどがスマートな方式に則っているのだろう。

1番線にて。となりの列車が須崎行き。

  列車はながらくエンジンをかけたままだった。ここに降り立ったときと違って、時刻はお昼に近づき、なんとか差しはじめた陽光でモケットは明るく、後ろの運転台では高校生がのんびりしゃべっている。しかしついにドアは閉まり、密閉され、とある空間となった。高校生たちも座ろうといって席を探してそこに着く。唸りの音がこもって少し静かになったようだった。この駅にて、この空間だけが、須崎に向かうと決まったのだ。列車が動くことはもうほとんど確実、なのに、動いていない、という時間。すぐに唸りがいっそう高まる。すると、止まっているのに、ほとんど走行に近いものによって切り出されたという感じの空間になった。大きな駅にて、いっそう充実しつつある空気を持つ小さな気動車が、もう今にも走り出すはずだ。唸りの極大がわずかにつづくと、ガラスの向こうがまだ間違いなく動いていないにもかかわらず、動いているように感じるというころ、列車はほんとうにずしりと動いた。いちばん後ろに座っている。離れていく後尾の風景がよく見えた。わずかに陽の差しはじめた予見的な明るさの中、しだいに2面3線のこじんまりした高知駅構内が、どんどん遠のいく、そのとき。「こんなに小さくて、ぼろだったのか…」、そうはじめてかのように気づいて、胸をふっと突かれた。「日中にこの駅に来ることもそういえばもうありえないんだな…。」ここはもう見ることのない、自分の故郷の駅と、しばらくの間なっていた。しかしこういうとき列車は抒情を排すごとくあっけらかんと前へと向かう。そしてほどなくして日が翳り、高知駅が消えていった。「もうそろそろこの先のことを考えよう…」。風景はやや曇りの中、明朝ここにはじめて来たときのように、また下りへと流れている。どうなっても、感じる方法を探し、旅行を続行しよう。ひとり心細く土讃線を突き当たる旅、外光だけを頼らない、前向きな見方を改めて信じなおすことができるようになったようだった。

次のページ : 西佐川駅