高野口駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(和歌山線・こうやぐち) 2007年4月

  列車が駅のホームに入るときから、この駅は違うな、と思える駅だった。 いつもの2面3線だが、島式ホームの上屋も片面ホームの駅舎も 白塗りだが木造できれいに残っていて、駅全体が生き生きとしていた。 間違いなく有人駅として管理され、利用者もやや多いと思われる駅だった。
 ドアが開いて駅舎のあるホームに降り立つと、 改札口には駅員が立って、丁寧に集札していた。 乗り降りする人も割と多く、列車が着いたホームには動きが生まれていた。 車内でも降車時の改札をしていたから、 駅改札口では前から降りた人には何もせず通してくれていた。
  駅舎のあるホームの深々とした上屋の軒下には、 桜まつりと書いた提灯が並び、ちょっとした祭りの雰囲気だった。 この駅のすぐ北側に庚申山・高野口公園があり、そこで開かれているという。 その山はホームからもよく見えて、緑の木々に桜がちらちら混じっていたが、 公園に入って上っていくと、一帯が桜ばかりだそうだ。 この年は3月25日から4月8日まで開かれていて、 毎年4月初めの日曜日には催し物の多い祭りがあるという。

1番線の風景。桜まつりの提灯が並んでいた。

2番線の風景。上屋全体が待合所のようになっている。

1番線から見た庚申山・高野口公園。

1番線ホーム端付近から粉河・和歌山方面を望む。

ホーム脇にも咲いていた桜。

 ホームの脇にも、一本に固まって見事に咲いていた。 これっきりだが、それで十分なほどの明るさだった。 そのすぐ近くに白い上屋の終わりがあって、 その中にちょっと入るような感じで、緑の鉄道院の短い柱があった。 昔の跨線橋の柱を一部残したものだ。 特に珍しいものというわけではないのだけど、 ここが後作りではなく歴史ある古くからの駅であるとこを表現する、 この駅にとっては大切なものだろう。 そのあたりに立っていると、ホームが高い石垣のうえにあり、 下の方に細道が走っているのが見えた。 どこか展望が利かないかなと思い、場所を探すと、 そこから遠くに見えたのは、見事なまで拓かれた山だった。 山の斜面一面が、果樹園だった。 ここからはおそろしく気持ちよさそうな草原のように見えた。 ああいうところに登るのはどんな気持ちだろうか。 その山は雨引山(447m)で、 山の袂にはここからは見えない紀ノ川が流れているのだった。 妙寺駅では跨線橋からこの山の反対側を見たことになる。

ホームの桜と名所案内。すぐ近くの庚申山も案内されているが、 6キロ先に案内されている玉川峡はずっと南の山奥にある。

鉄道院の文字が入った柱はわざわざ上屋に屋根をもらっていた。

ホームの背面からは一面が果樹園になった雨引山の眺望が気持ちいい。

上屋下の一角にて。脇には狭い土地にわざわざ花壇が作られてあった。

駅名標。背後にはこの町の家具屋、マツオ家具販売。

1番線ホーム端から五条方面を望む。

  橋本方面にホームを歩ききって眺めると、 向こうの方は緑の斜面の掘割になっていた。 紀伊山田駅でも、またこの駅に着く前にも掘割があり、 このあたりはゆるやかな段丘地らしかった。 ここを高野口駅を出ても、また掘割を見ることになる。

  1番線の向かいにある島式ホームは、 向こうの乗り場側を壁にして上屋の下を待合所のようにしていて、 木枠のガラス窓まで入っておしゃれだった。これはこの駅の大きな特徴だった。 壁になっている側は貨物側線だったようだった。 申し合わせたようにその向こうは日通の営業所があって、トラックが数台駐まっていた。 無論貨物の受け渡しなどもうやっていない。
  駅舎に入るため1番線の上屋の下を歩いていると、 見落としそうな小さな窓口を見つけた。中のキオスクとつながっていて、 ここから品物が買えるらしい。こんなところから品物を買うのもまた楽しいが、 これも昔賑わった駅の名残だった。

1番線ホームの粉河方から橋本・五条方面を見て。

1番線、上屋の下にて。

粉河・和歌山を案内するホーローの案内板。

ホームから買えるようになっているKioskの窓。

改札口前付近にて。

改札口。

  駅舎の中へ入ると、ほぼ昔の体裁なのに、あっというほどきれいだった。 今は荒れ果てている無人のあの木造駅舎の中も、 かつてこんな風な駅舎内だったのだろう。 ちょうどKioskの女性が掃き出しているところだった。 掃き出しがいのある、乾いたきれいな石張りだった。 椅子は広い室内の中央に一人がけのものが並んでいるだけで、 椅子の氾濫もなかった。隅のほうにある小さい本棚の本は 待ち時間に手に取るよう置かれているようだ。 本の置いてある駅は、だいたいのんびり待てる駅であることが多い。 駅舎の奥には駅務室の一部を改装してギャラリーが作られ、 写真や花がたくさん飾られてあった。昔チッキがあったあたりだろうか。

駅舎内から見た改札口。

駅舎内の風景その1。Kioskのほかに、貸し出し本もあった。

花を描いたギャラリーが作られていた。 新しく作って間もないスペースのようだ。

駅舎内の風景その2

駅舎から出て。

  駅舎から一歩外に出ると、左手にとんでもない建物があった。 純木造三階建てで、各階にガラスの縁側が施されてあった。 一瞬、これが駅舎かと思った。 駅舎を出たばかりなのに、左に駅舎が見えるわけはないのだが。 この建物は葛城館で、旅館だった。 しかし現在は閉館していて、管理されながら残されているようだ。 たぶん貴重な建築物として割と有名なのだろうと思った。
  駅舎も木造だが、すでに白色に塗りたくられていて、 木の色の出す深みや重々しさや温かさはなかった。 入口の妻屋根は水色にまで塗られていて、なんだかおかしかった。

旅館の葛城館。今は営業を取りやめている。

駅舎出入口。なぜか水色に塗られていた。

高野口駅駅舎その1

高野口駅駅舎その2

  駅を見ていると、Kioskの人が箒と塵取りを持って外へ出てきて、 いきなりタクシーの開いている窓に顔を寄せて、 明るい大きな声で運転手に話しかけはじめた。 運転手は少しも表情をほぐすことはなかったが、 同じぐらい大きな声で呼応し、外へ出て伸びをした。 ちょうど一段落する時間帯の駅だった。

駅前と駅舎。

  駅舎の前はタクシーが乗り付けているだけで、 交通量もない、道が広くL字になったところだった。 駅を背にすると、左から細い坂道が登ってきて広場をつくり、 そして道は左に折れていた。 道なりに私も左に曲がると、やはりここが起伏の多いところだとわかった。 今度はかなりの下り坂の広い道。 紀ノ川に向かって下っているのだ。 加減しながら、自転車で下ると気持ちがよさそうだ。 坂を下る眼前には草原のような山肌の雨引山、 下りきればゆうゆうと流れる紀ノ川があるはずだ。

角を折れると、長い坂道が続いていた。この先に国道24号と紀ノ川がある。

振り返って。向かいの山が庚申山。 災害時避難場所の案内板の下に、 パイルのトップメーカーとしてオーヤパイルの宣伝がなされてあった。 高野口町は織物産業が盛んだ。現在は橋本市と合併。

左手の新しい建物がトイレ。 右手には駅の跨線橋が見える。

駅前広場全景。バス駐車場があり、 駅前広場と公道が一体化していた。

高野口駅駅舎その2

  引き返して駅舎の脇の道に入ると、そこもちょっとした下り坂で、 下りて行くと駅舎はいつしか高い石垣の上に堂々と立っていた。 真っ白で、上品に格子窓が幾枚もはまっていて、洋館のようだ。 ホームで桜のあるところから見下ろしたのは、この歩いてきた道だった。
  石垣の麓が屋根なしの駐輪所になっていた。 ここに二輪を駐め、駅舎脇のややきつ目の坂を登り、駅に入るのが日課だろう。 朝この坂もときには恨まれるのだろうか。 そのあたりから駅舎を見上げると、ギャラリーになっているところだけ、 窓枠が純木造の色だった。ちょうど葛城館の木の色合いと同じだ。 駅舎が白塗りでなかったころは、 ここは引き込まれるような駅界隈だっただろう。

駅舎脇の坂道を下って。

駐輪所。

振り返って。

駐輪所付近から見た駅舎。

  駅へ戻ると列車の時刻が近づいていて、 次々と駅へやってきては中へ入っていった。 改札をくぐってみると、 向かいのホームにもこっちのホームにも旅客たちが列車を待っていた。 2面3線で木造駅舎のある、今となっては小振りともいえる駅構内、 線内は人の少ない駅が多い中、町の代表駅らしい雰囲気になっていた。 駅の設備、概観は確かにそうで、 和歌山線の木造の重要な駅を図らずも見られた気がした。 着いた列車から降りた人も少ないわけでは無く、 さっそく駅員が集札に取り掛かっていた。 昔の様式を残しながらも改装し、清楚に保たれた駅舎内の風景が、 和歌山線の駅にしては新鮮で、私の印象にはっきりと残っている。

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