中飯降駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(和歌山線・なかいぶり) 2007年4月

  わりと畑や住宅を間近に見続けるような感じで、中飯降駅に着いた。 この駅も掘割だったが、紀伊山田駅とは違って開放的だった。 駅を出る細い上り坂も、古い集落の中に自然に現れた坂道のようだ。 この駅にも桜があって、その小さな坂道の伸びる水色の中を華やかにしていた。
  構内の両端に変わった橋が架かっていた。 それぞれの橋は幾つかの並んだY字型の柱で支えられていて、 桑畑を連想するもののようだった。 色は、列車の去っていった和歌山側が赤色で、反対の高野口側は鼠色。 赤色の橋は特に目立っていたが、華やかで引き立っていた。 近づくと電力供給線が、鉄骨の橋の床ぎりぎりに架かり、 電力線と橋の裏との間にはプラスチックの板が通してあった。 また、これは上から見てわかったことだが、 橋の横には無蓋水路まで通してあった。

粉河・和歌山方面を見て。

橋の下の様子。プラスチックの板がひやひやする感じ。

駅名標。

駅名標と坂道の桜。

高野口方面に歩いて。こちらには柱が鼠色の橋が架かる。

高野口方面にあるもう一つの駅名標の前にて。

ホーム出口前。このポールはいったい何だろうか。

券売機。買えるの乗車券は650円のものまで。

坂道を上って。

  高野口から来ると、ホームは右側だった。 その唯一のホームには小屋に入った小さな券売機と、 据え付けの長椅子のある待合所があった。 待合所の両脇には用具箱もあり、 この駅もしっかり管理されていることが想像された。 円い大きな金網のくず入れの袋も、替えられたばかりの水色のものだった。

  黒っぽい焦げ茶のコンクリートを見上げることに別れを告げ、 坂を上りはじめた。覆いかぶさるこの桜は、 茶色の葉を出しながら、もう花弁を散らしていた。 桜にもいろいろな種類があって、隣のものは知らん顔でふつうに咲いている。 茶色い葉を出した方の桜の木の根元には、 綿毛を積んだたんぽぽがゆっくり風に揺らめいていた。
  坂の途中に、造りたての藤棚があった。過ぎてから振り返ると、 「いってらっしゃい」、という小さい札がかかっていて、 ここもこういう駅なのかと驚いた。 ここから列車で出るとき、またここに戻ってくるんだ、と思わせられる。 新しい藤棚といい、周りには桜やヤシ科があり、 少し離れて緑の巨木もあって、庭としての駅が感じられた。 駅舎のない駅は、こうした緑の良さもある。

振り返って。

下り坂の風景。茶色の葉を出した桜とともに。

坂の途中から赤い跨線橋を見て。

坂を上りきって。正面の橋がさきほどの赤い橋になる。 向いの山は雨引山。紀伊山地のはじまり。

  坂を上りきると三叉路になっていて、ちょっと広くなったところだった。 向かいには自動販売機の群れがきちんと小屋に収まっていて、 近くに商店があるのかと思えたが、これっきりだとわかると、 売店も駅と同じように無人化されているかのようだった。 しかし初めのうちはその小屋に店主の影がちらちら見えた。
  この三叉路は少し高台にいる感じだった。 赤い橋の下が深い掘割になっていたし、 線路に沿ったまっすぐな道も下り坂だったからだろう。 通るのは人と自転車ぐらいで、 線路の反対側にはのどかな細道が住宅を縫っている。 しかし、この場所をいっそう印象的にしているのは、 その異様に欄干の低い橋の向こうに展かれている、 和歌山の驚くほどのどかな樹園帯の山だった。 その一つ一つの細やかな起伏は、微妙に変化していく黄緑色を伴っていて、 眺めていると、目からその柔らかさが伝わってきて、 手でなぞっていくような感覚だった。見れば見るほどに、圧倒的な傾斜で、 上へ眺めつづけると、しだいに息苦しくなった。 この山は高野口駅からその東側を見た、妙寺駅では西側を見た雨引山 (477.3m) だった。 ここでは正面を見ていることになる。
  ホームからの坂を上ってきてすぐのところには電話ボックスがあり、 その隣に無蓋駐輪所があった。 これでこの駅にも自動販売機と公衆電話がひとまず揃ったことになる。 さきほどの自動販売機の小屋の屋根に付いているいくつかの看板をよく見ると 高校と大学校が案内されていて、 こうして丁寧に自動販売機が置かれている理由もわかった気がした。 また、この駅の利用者も少なくないようだ。 電話ボックスと駐輪所の間には細道があって、 そこを歩いていけばホームで見た鼠色の橋を渡れるらしかった。 後で行ってみよう。

中飯降駅入口。電話ボックスの横に細い道が続いている。

駅前自販機。ちゃんと屋根が付いている。

駅から出てきて右手を望む。住宅地がはじまっている。 遠くの山並みは和泉山脈。

橋の風景。

こんなふうに脇に水が流れている。

橋から見た中飯降駅。

橋から妙寺方面を望む。

自販機脇の道を妙寺方面に歩いて。 なんとなく気持ちのいい道だ。

再び駅前の三叉路へ。

柱の赤い橋に戻って。

  橋を渡っているときも、向いに立つ山の果樹園から目が離しにくかった。 橋に立って線路の伸び行く妙寺側を眺めると、 緑の多くなった切り通しが向こうに行くほど浅くなっていた。 和歌山線はこんなふうに何度も起伏を切り抜ける。 橋の柵も低いから、山の連なるのが良く見えて、隠れた紀ノ川を感じやすかった。
  橋を渡りきると、向こうに国道の信号が見えた。 交通量の多い国道24号だ。信号には中飯降駅への案内板が出ていた。 こういう昔ながらの国道というのは懐かしい感じがするし、 おもしろそうなものが沿道にありそうだ。

中飯降駅前の信号。

妙寺方面を見て。

渡ってきた橋の入口を見る。

それほど古い石垣でもないが、 そこにわざわざ新しくこんな短い階段を付けるのに関心が行った。

  駅前に戻るころには、ちらほら旅客が集まりはじめていた。 しかし母親と一緒の、黒の詰襟の男子ばかりだった。 一様に大きな箱を下げている。近くの学校で入学式か何かあったようだ。
  ホームに下りる前に、 電話ボックスの横の、ものずこい細道に入り込んだ。
  右手にぶつかりそうに桜の木が連なる。 左は菜園で、道は暗くはない。 枝をよけるようにしながら進むと、二本目の桜の木に行き当たった。 これはホームから気づかなかったもので、 丘陵地の集落のはずれに、ひっそりと豪勢に咲く丘の桜に 一人きりで出会ったかのようだった。

公衆電話の横の道。

途中まで進んで振り返って。

2本目の桜の木。

  2本目の桜の木を回り込むと、あの鼠色の華奢な橋だった。 いったん橋をやり過ごすと、狭さから開放されて、 雑然とした菜園が広がり、下方の線路は遠くへと去っていた。 そこでふと振り返ると、鼠色の橋の両端に、 対を成すように静かに桜が咲いていた。 こんな見えにくいところでも、はげしく駅を彩っていたものがあったとは。 戻って橋を渡りはじめると、やっぱり欄干が低い。こわごわ渡るような感じだった。 空を映す透明な水と一緒に渡り、ここが地上なのか、空中なのか、測りかねた。 切り通しで消えた里道を繋ぐために、わざわざ架けたのだろうか。 そういう橋には、惹かれて仕方がない。 隣の近い橋で我慢させないから、昔の地形や道が半透明に残される。 また半ば異空間を見下ろすこと、またそこへの突き出しが、不思議な感覚を生み出す。 下が高速道路なら、新幹線なら、その不思議さもいっそう強い。 渡りきって線路沿いに歩くと、民家の真裏を這い蹲るようだった。 ホームを見下ろすと、もう20人近くの人が集まっている。 やはり母親と一緒の制服の男子が多い。 このまま赤い橋まで歩こうかと思ったが、ホームの人も怪訝そうで、 家の裏手でるあこともあって、引き返した。

橋詰を過ぎて、振り返って。

橋詰の先の風景。

鼠色の橋。

ホームを見下ろして。

  ホームに下りると、小さな掘割の駅がやたら賑やかだった。 硬い生地の制服の二人の男子は、緊張していて、そっと漏れる笑みすら硬かった。 母親といるからではなく、そんなことは気にも掛けられないほど、 新しい学校生活への緊張感があったからだろう。
  中学校の入学式後のことを思い出した。 学校は遠くにあって、校内も多少荒れていた。 帰り道の校門前のクランクには、冷たく青白い桜がしつこく続いていた。 廊下と教室の無機質なプレハブの壁が肌になじみはじめたのは、 あと半年で3年経とうというころだった。
  また親子が下りてきたあと、今度は何人かが塊って坂を下りてきた。 珍しくし生徒同士が気楽に歩いてくる。 親は後から、見守るようについてきていた。 その二人の生徒は手をぶらぶらして、少しふてるようにしていた。 もうこのときから、学園での気質の差が現れるのだろうか。 先着の男子生徒の硬い表情がより際立った。
  着いた人たちは、券売機に並んで切符を買う。 しかし、つり銭が出たとたん、なぜか あれっ?  と、うれしそうに言ったり、そういう表情をしていた。 機械が違えて高い硬貨を出すらしい。 こんな具合に、650円までのこのタイプの券売機は故障が多い。
  ホームはたわわに実った。 ときおり親たちの眉根を寄せて話すような声が、軽いざわめきに混じって低く響いてくる。 しかし生徒たちの声はまったく聞こえない。 満開の木々にはわざと誰も注意を払わないかのようだった。 気にしている暇もないからなのだけど、後になって思い出すとき、必ずこれが出てくる。 それは花の冷涼な祝いで、どこか厳しさがある。
  列車が遅れていた。 しかし遅れのことでざわめいていたわけではなかったことが不思議だった。 もう5分が経とうとするころに、列車はやっと入線してきた。 陽光の差し込みはじめた掘割に停車した列車が、がこんと大きく口を開けると、 そこには大きな平箱を持った黒い制服の生徒たちがすでに乗り込んでいた。 列車に乗り込もうとする瞬間、 昼になってようやく温まる空気が、まだ爽やかなのを感じた。 しかし車内には、この制服が脱がれはじめる初夏の空気がわずかに流れていて、 学校に馴染んだ学生たちの表情が浮かび、不安な気持ちは消え失せた。

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