日下駅

(土讃線・くさか) 2008年1月

  次の駅だ、ぼうっとしていてはいけない、高知に早朝に着いて列車に乗り、初めて下車するとなると緊張して、頭がぐらぐらした。だが、快適な走行音とともに、日下、日下です、との放送が、有無を言わさず流れ、列車は駅に着いてしまった。立ちあがると、しばらく座っていたせてもあって、なんだか足が不安定だ。どうにかドアまで行く。背後で、この人はここのもんではないな、という感じで見られている気がしている。列車のそのどこか生ぬるい空間から這い出すように、外へ出た。すると、目を見開くほどに寒い。目玉に寒さがしみこむようなので、直ぐに眉根を寄せて目を細めた。これは高知駅前とは雲泥の差だった。放射冷却極大の時間に加えて、あたりの風景からしてもここは山手であるらしかった。枕木を見ると霜が降っていて、あたりの畑も霜柱で薄っすら白んでいる。そうとう寒いと言ってもよい。しかしここが高知に来て、初めて交感する駅だった。霜の寒さの中、その寒さによってスイッチの押された交流電流が走り出す。とにかく、びゃんびゃん鳴る構内踏切を前にして、佇んだ。駅舎のあるホームを少し見上げると、駅舎の軒下いっぱいに高校生が待っていた。

窪川行きの列車を降りて。

窪川方面を見て。駅にはここからも出入できるようだ。 自転車が幾台かとめられていた。

下りホーム待合所 降り立った下りホーム待合所。

下りホームより窪川方面を望む。

日下駅駅名標 駅名標。

日下駅駅舎 ここから見ると駅舎は古そうな感じ。

構内踏切より窪川方面を望む。

高知方面。日下駅構内全景。

駅の裏側には冷たいビニールハウスが広がっている。

  冷たい木材をつめた構内踏切をぽこぽこ渡っていると、足早ながらも、地を歩く悦び、そして足の楽さが伝わってきた。何が何でも跨線橋を、と当局がおもうあまり、屋根のない鉄鋼の塊に等しい陸橋でも構わずぼんぼん設置したという駅に、続けて降りることになったことがあったからだった。楽だ。スロープもあって、障壁は少なかった。
  1番線ホームにある駅舎の回廊に入ると、木材や木の色に囲まれて、なんだか昔からの木造駅舎のある感じだったが、あとで外へ出て見てみると、ここ数十年の間に建てた駅のようだった。ホームに軒を作るあたり、昔の様式を少しなぞっているかのようである。その軒下に、高知線の歌の歌詞が掛かっていて、このときは、ふうん、建て替えたときに歴史の要素を入れたんだ、という程度にしか思わなかったが、ほどなくして、この駅の重要性を知ることができた。

構内踏切へはスロープになっていた。

トイレもちゃとんある。

上りホームにて。

軒下の風景。まだ明かりが灯っている。

下りホームの様子。木々はすっかり枯れていて少しさびしげな雰囲気。

上りホーム高知方から、窪川方面を望む。

伊野・高知方面を見て。冷たい朝の空。

上りホームから見た貨物側線。まだレールがはがされていない。

軒下にて。かさ上げによる影響が出ている。

駅舎へ。

高知線の歌を書き記した板 高知線の歌。昭和七年七月制定。

  駅舎の中に入ると、がらんとしていて、4つの長椅子がそれぞれ内に向けて置かれてあった。たいていは顔を合わせぬよう2列にしたりするのだが、そんな必要はここではないようだ。無理に一人掛けに変えていないだけでも、どこか落ち着くのだから、なんだか心惹かれた一方、別のところに来た感じでもあった。ここにいても吐息は完全に白濁するほどだったが、何か温かい飲み物でも持ちながら、こんなところの椅子に座って、列車を待ってみたくもなるようだった。旧来の木造駅舎と違って割と広く、そこもよさそうなところだ。時計も掛けられ、列車時刻表も統一された様式でなさそうで、駅が独立しているようだった。
  しかし駅舎には窓口も何もなくて、はじめからその仕様で建てたのかなと思ったが、建物は待合室だけの大きさではないし、と考えていると、点字ブロックはわずかに枝分かれして、壁にある大きな掲示板へと向かっていたのだった。窓口は塞がれたようだ。

駅舎内へ。前の扉が出口。

待合所の風景。

窓の多いのが特徴だろうか。

旧出札口・旧改札口を見て。

  外に出た。駅前広場の先の道が、丁字で本道へと繋がっていて、いつもの形式だった。 駅舎は一見して擬古風で、白壁と屋根瓦を使い、出入口だけは屋根を高く上げて、日下駅、と掲げてある。各窓は大きく、サッシが入っていて、やはりそんな昔のものではないらしいのだけど、白壁は緑がかっていたりして、この建物も結構経つらしい。町が新しく建てたような、数多くある擬古様式の駅舎も、こんなふうに見る角度によってはずっと前からあるかのように見える駅舎になっていくのだろう。派手な色を使った看板などが駅舎に添えられてあるのも、村の人に使われている証のようで、できたばかりのときにある、白壁の威厳はもうない。そんな建築資材の懐柔されてあるのを期待していることもあったりする。
  まだ日が出ていないため、駅舎そのものはすっかり落ち着いていた。ようやく深まった木の色や、緑や灰色の沈着した白壁で構成されている。駅庭の深緑をもって、影に色がついているようだった。

駅を出て。いつものスタイル。

駅舎を左にして。駐輪所がある。

日下駅駅舎 日下駅駅舎。

日下駅駅舎 日下駅駅舎その2

日下駅駅舎 駅前広場と日下駅駅舎。

販売機、電話ボックス、ポスト、と大事なものが揃っていた。

 

駅舎を右手にして。プレハブ小屋の右手に貨物側線が見えた。

貨物側線 駅構外から見た貨物側線。奥のほうには枕木がたくさん積まれ、 その近くはガソリンスタンドの裏手になっていた。

観光案内板と販売機。

国民休暇県・高知。日高村観光案内図と題されてある。 ここがわりと山手にあるのが分かる。

「記念の樹」説明板。
「記念の樹」説明板。

  駅を出た左に駐輪所があった。その脇にある高い木は、すかすかの竹箒のようになっていて、冷たい風が通り過ぎるばかりのようだった。その木の下に何か説明書きがあるので、歩いて見に行くと、1924年に初めて鉄道がここ日下村に開通した、その記念すべき日に、大和田部落の山崎福亀 (よしき) さん親子が家から持ってきて植えたのがこのこのイチョウの木だという。皆で大切に守ってやりましょう、と締めくくられている。実はそれだけでなく、高知初の鉄道線が須崎駅からこの駅まで敷設されたそのとき、終点になったのがこの駅であったのであった。記念碑的な駅だ。
  手もかじかむばかりの朝で、ときおり駅前に人や、自転車、自動車が入ってきては、人が駅舎をくぐっていく。しかし上りが出るとそのピークも過ぎて、静かになった。それでも広場を出た先の道路はずいぶん激しく自動車が往来していて、その音が聞こえてきてた。国道のようだ。

  国道へ出ようとする途中、須崎屋鮮魚店というお店がある。須崎はまだだいぶ遠いが、苗字か、港の名前をとったのかもしれない。しかしこの冷たい風の中、シャッター脇の扉を少し開け、年とった女の人が仕込みらしく、外で水を絞り出しているのを見るや否や、手が冷え切りそうになった。たいへんな開店準備だと思っていると、ばたっと無造作に音を立てて扉を閉じ、中へ入った。見知らぬ土地の、何でもない駅の朝。
  国道では、自動車が途切れることなく狭い道を走りぬいている。歩道もなく、車道だけの道に住宅や店が迫っていて、少ない路肩を自転車の中学生らが苦労して走っていた。朝にこんな不便な道もまだあるんだと知らされるようだった。国道33号の土佐街道で、昔の体裁が残る国道だという。急ぎの時間帯も手伝って自動車はどれも結構飛ばしていて、路肩を慎重に歩いた。交通量が多いだけあって、沿道にはぼつぼつ店があるようだ。中には自動車での利用のなさそうな古いスナックもいくつかあり、いかにも昔の国道だった。しかしこのあたりは日高村の役場のあるところで、公的機関がいくつか揃っているところだった。
  それにしても昨日の晩11時にバスに乗ったというだけで、どこだかわからない名もない駅の朝の風景を見られるとは。朝いつもの布団で寝っころがってることと、紙一重なのが不思議だった。

須崎屋鮮魚店
須崎屋鮮魚店。

国道33号の風景。高知方。

佐川方。民家がかなり迫っている。

佐川方に少し歩いて。

日下駅前バス停 ちょうど左が日下駅前のバス停。

駅を望む風景。

  このあたりは仁淀川に注ぎ込む川のひとつ、日下川のつくる浅い谷地で、山に挟まれたところだった。そこに国道33号と土讃線が通っているようなところで、いかにも気温の下がりそうなところだ。国道側はもう山が迫っているが、駅の向こうはまだ畑があって、それでもその先はまだ林しかはじまらない感じだった。
 駅前に戻って、建物の前にある玉砂利敷きに入り、ちょっとざくざく遊んですこし時間を流した。駅舎に入るともうそろそろ次の下りを待つ人が出てくるようだった。高校生は減って、一般の人が主になった。ホームの軒下に出て待っている間、空の様子を眺めた。ここに来たときよりやや明るくなってきていて、青空がわりと見えるようになってきていた。でも太陽の揚がるのを、冬らしいごわごわした雲がちょうどじゃましていて、光が少し差しかかったりするだけだった。
  冷たく張った空気を踏切の音が鞭打ち、枯れ田畑の向こうから列車がやって来た。目の前に流れ着く窓はどれも曇っていて、中の暖かさが知れた。ドアが開くと車掌が降りてきた。一人か二人の集札をすると、あたりを見回してもう降車客がいないかどうかを確認したが、そのままそこにとどまっていた。どうもしばらく停車するようだ。私たちは中に入った。やはり暖かい。曇りガラスの内側にいると人々の熱気を感じた。車掌はホームをうろうろしていて、今になってホームに走って入って来た人が、切符を求めるのに応じたりしていた。やがて車掌も乗ってきて、列車は出た。列車内でも切符を買う人がまたいて、やりがいがありそうだった。

  車内には高校生も多かった。しかし、車内では誰のしゃべり声もめったにしない。ボックスシートに掛ける4人の女子高校生は、驚くほど素朴で地味な格好をしていて、目を閉じて眠っていた。男性より、女性の通勤者が目立った。どの人も随分と朝早かったようだった。こんな地元の人ばかりの朝の列車に乗っている。自分の装いは、完全な旅行者風ではなかったから、やや溶け込みながら、しかし一方でときどき見破られながらという、この地の循環 から巧みに逸脱をしている人となった。

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