明峰駅 ― 北陸・信越1

2009年9月 (北陸本線・めいほう)

夜の明峰駅

  一筋の光列たる列車が明峰に入る。荷物の肩にのしかかるのをこらえ、ドアの前で掴まり立ち、緊張の呼吸で停車を待つと、やかで大きく傾いたまま風景は止まって、全扉が勢いよく開け放たれた。冷たい空気が床を滑って、車内を浸蝕する。もたもたせず、心を決めて夜の帳に躍り出た。秋の夜の匂いが鼻を突いた。加賀の、明峰というところに来ていた。もう23時で、ホームだけの乗降場だからびっくりするほど淋しいだろうと思っていたら、ほかに降りた人もいたし、逆の列車ですでに着いて、待合室で画面を触りながら迎えの車を待っている中学生もいて。通りしな、乗り場に出て降車を確認している乗員室を覗くと、二人いらした。ベテランの方(ほう)が、よし、と指差唱呼して笛を歯に銜えた。もう最終列車の一つ前だった。

 

 

電柱は電化の賜物。

  とにかく しりしりと冷えて寒い。寒暖の差の大きい5月や9月はたいへんだ。ともかく今日のうちにここまで来ておれば、あす、9時台に親不知に着ける。ここまで来ておくのが大変で、あとはもう、楽なはずだ。
  だがとてもではないが安心していられない。しないといけないことにすぐとりかかる。荷物も降ろさずそのまま、あたりを歩き回って踏査だ。待合室、地下道、水場など。ここは裏表をつなぐ自由通路が地下になっていて、地元の子らが描いた壁画が長々と彩ってくれているが照明は暗かった。小松方面、などと書かれた表示板のぶらさがる下を、コツーン、コツーンと靴音立てて歩き、トイレのある表口に回った。大丈夫、異常はどこにもない。遠くにジャスコの灯が白かった。こんな時間こんなところを寝台列車は走り去っていくんだな。ここは後からしつらえた駅だから、あたりは田野となっている。

いざ地下道へ。何やら遠くに青いランプが照っているが、犯罪防止用だという。 こんなところで…。

壁画は原色が強かった。

上りホームにて。

 

こちら訳あってやめた上りホームの待合室。

明峰駅。

トイレ。

 

少し歩いて。

  ロータリーのカーブにエンジンの掛かったままの車が止まっていた。うっかり私は姿を見せてしまい、しまったと思って、別の方向に歩き進むが、遅かった、車の中の人はあたりを見回しはじめ、ついには外に出て、自分の待っている子ではないか、と確認していらした。違うとわかると、なーんだ、という顔で、戻り、ドアをごむっと閉める。それやこんな時間こんなとこで人影を見たら、自分の待っている人しかありえないと思うよな。悪かったなあ。そのまま集落の中に入ると、販売機があったので、記憶しておく。ふと気付くと、黒白のツートンカラーのパトカーが真っ暗にして停まっていた。これは囮かもしれないと つとに凝然となった。しかし人影がないので、ただの駐車だったのかもしれない。ともかく、もう偵察は十分だ、と、早々に引き揚げる。例の車の人はまだ待っていらした。無事待つ人が帰るといいな。

  ここは小松界隈だから列車は遅くまであった。けれどもここに着いたのは23時ごろで、最終は下りの23時21分だったから、あたりを歩いているうちに時間はちょうど過ぎてくれた。やがて例の車も最終で降り立った人を乗せて去り、無事、駅付近に人影は消えた。
  そうとなると、もう余計なことはせず、早く床を取って寝ないといけない。明日は4時50分に起きるんだ。待合室は上下のホームに同じものが一つずつあるけど、選ぶとしたら迷うことなく、消灯の恐れのある地下道を経ず、すぐ隣にあるトイレに行ける、ジャスコと田野を眺められる上りホームの待合室だ。ところが入ってみると、虫が多い。一匹、気持ち悪いのもいる。慌ててまた荷物を抱え、階段を昇降し、コツコツいわせて地下道を経、下りのを確認すると、こちらの方が断然心地よかった。ただやはり手洗いが不安だ。起きるのが4時台となるとまだ暗いだろうし。しかしもう面倒だ、それに時間も少なくなっている。私は下りに決定し、シートを敷いてシュラフを広げた。幸いにも待合室は戸閉めができて、この夜寒や虫の侵入を凌ぐことができそうだ。

おやすみ前に。

 

  上は半袖のまま、下は肌着にして、珍しく軽装でシュラフに入る。そのとたん、背中が硬くなり、そしてこわばった。やはり、水平な板張りはこたえるな。このまったく体の窪みにフィットしていない、見事に隙間ができている感覚は喩えがたい。これから数日間こんなのが続くのかと先が思いやられた。想像通りにはいかないものだ。
  待合室は白管灯のほかになぜかハロゲン球が一つ点いていて温かみがあった。プラットホームもここは狭く、しかもそれしかないような駅なので警戒しているのだろう、青色灯があったり、高演色の大電灯が定間隔で燈されていて、その間接光が窓から入って、まぶしくないくらいに、仄かに明るかった。 「そっけない駅だけど、ここまで照明があると安心できるな。」 それは当局がこの駅を意識していることの表れでもあった。壁にはチェブラーシカの、電車でのマナーを啓するポスターが貼ってある。焦茶の毛皮をまとい、クリームの顔にくりくりした目で、円い大きな耳がついているのは一目惚れするか、誰が目にしてもかわいいものだった。それがハロゲン灯に照らされており、その橙ばかしの貧しい演色性は、ナツメグ球に照らされて寝た遠い日を回想することに浸らせてくれるものだった。私はそれを、ぬいぐるみ代わりにして眠ることにした。ポスター1枚でも違うものだな。そういえば駅の掲示物というのはいいものがほとんどない。こうして明日観るはずの親不知の海やもっと東にある浜辺の無人駅を夢見ながら眠った。そうなる、はずだった。

  もう終電が行ってだいぶ経ってから、通貨列車がある。何事か、と思い、耳を澄ますと、これは…貨物列車ではないか。しまった! また北陸本線が日本海縦貫線なのを忘れていた。これは、眠られないわ。そうだったそうだった、親不知でこないだ寝たときも(そうだったじゃないか)。しかもこの駅はホームに小屋がぶら下がっている程度の造りだから、凄くけたたましい騒擾と振動だ。もう北陸本線での旅寝はどこもだめだといっていいだろう。日中見ると向いてそうに思えるところがたくさんあるんだけどなあ。もう今回は明日に差し障りない程度に体が休められればいいと思い直す。
  天井を見上げると、熱いハロゲン灯の直近を蠅や小虫がしきりに飛び回っている。そのライトにかぶさるようにして、蜘蛛の巣が張ってあり、その中央にその主が這いつくばっていた。いつひっかかるか、ひっかかったらどんな光景が見られるか、と残酷な気持ちで観察し続けていたのだが、蠅や小虫はじつに器用に飛んで、ちっともその複雑な蜘蛛の巣に引っかからない。私はそのことに思わず感嘆した。蠅は力があるとみえて、蜘蛛の糸に当たっても絡まることはなかった。しかしそのたびに蜘蛛の巣全体が揺れるので、蜘蛛は蠅の当たった方向に少し行きかけては戻り、を繰り返している。叡智の虫もこんな一面があるのかと、なにか不憫だった。あんなに秘密めいて、知あるものと捉えられている虫なのに。あんないいところに張っておれば、たやすく どの虫も引っかかると思えたのだが、自然界はさすがにそんなものではないようだ。
  虫がいたのはそのライトの周辺だけで、私には たかってこなかったし、蚊もいなかった。もう夜は寒くなっていた。あの暖かい夜の牙城もやがては崩れ去るのだろう。

  観飽きたあとも、硬い板張りの椅子の上で眼を閉じ蓑虫のようにまんじりとして息をひそめた。ときどき寝がえりを打ってみる。そのたびに胴体、腰、脚、と順に動かさざるを得ず、全身の大移動という感じだ。貨物は上下ともなかなか定間隔で通過してくれて、そのたびに、「またか」と思う。離れている上りはまだいいが、それに安心しているところに下りが入ると とてもではないが 平常心でいられない。そのくらいよく響いた。けれども目を覚まされるということもなかった。なにせ眠れていなかったので。時刻は2時前を迎える。気付くと減灯されていた。室内で点いているのはハロゲン灯だけだが、外のホームを照らすまばゆいライトは一つも消えてなかった。 3時を打ち、もうあと1時間もすれば、起きる時刻まで1時間を切る。寝付けないのは貨物のせいだけではなかった。やはり初日は興奮しているし、疲れていないようだ。明け方になってもまだ貨物は走っていて、もうほんと うんざりした。貨物運転士とて、運転にはうんざりしているだろうけどさ。
  そんなわけで4時50分に時計は鳴った。
  ああ、しんどい、と思わず漏らす。遠出もせずに過ごした暑い時分の疲れがたまっているのだろうか。シュラフに入ったままむくっと起きあがってとりあえず窓から外を眺めると、濃紺が緩んで、プラットホームのライトが煌々としていた。やはりもう朝がそこすぐまで来ている。シュラフから出たらあまり寒かったので、半袖の上に、念のため用意してきた中厚手の長袖を鞄から取り出して、のろくさと首を通した。たぶん今から1時間くらいしか世話にならないだろうけど、ないのとではだいぶ違う。そして大急ぎでシュラフをスタフバッグに押し詰める。とにかくこれが片付かないと落ち着かないんだ。この作業だけはいつもものすごい速さで終える。スタフパックが小さいと、握力と集中力がいるが、これがたいてい目を覚ましきってくれるんだ。山用のはたいてい小さく作ってあり、慣れてないと絶対入らないなんて思いこんでしまう。

  一通り荷物を纏めて、快哉を叫ぶ気持ちで待合室の戸を決然と引くと、東の果てに暁が病魔の腫れもののようにじっとり滲み出し、微動だにせず、凝り固まっている。ほとんどの空はまだ夜で、けれどもう我慢できないのか、深縹の染めは緩み、水に溶け、追い立てられようとしていて、虫たちがヒイヒイ鳴き叫んでいる。かろうじて乗り場の白輝燈だけが、まだ夜だ、夜だよと夜警に徹していて、気を緩めていない。その濃い茜が渋るように興りはじめた東の空には、見慣れない下弦の月が懸かっている。その逆転写の月は、子供のころから不吉だった。もともと深夜から未明にしか見えないので、それを観ていたとしたら、何らかの異常事態に居たとはいえそうだった。御通夜や急患で診てもらった帰りだろうか。しかし今は、すぐ見ようと思っても見られない、また、夜通し物思いにふけったり作品にかかわった夜にあるような、星菫派の象徴だった。そのほとんど座れるくらいに滑った二十三夜月のすぐ傍に、きらりんと 明けの明星が輝かしく瞬いている。平野をいちめんに掃過しつづける厳かな風と、気高い肌寒さ。全天球、雲はかすりたりともしていなかった。丸一日の惜しみない快晴を、丸一日の始まりから、迎えることになった。

下弦の弓月に明けの明星!

朝一ばん。

 

 

 

  茜さして、濃藍との境が狭く現れている天空を背景にした舞台に立ち、弓張りの逆さ月が力を失いつつあるいっぽう、まばゆく白い明けの明星がとどまるのを観ながら 冷たい風に取り巻かれていると、今日一日すべては、お前のものだ、そんなふうに宣明され、いや、無言のうちに自然がそれを確約してくれているような気がした。

  とにかく、幸福な瞬間だった。すべてがうまくいく気がする。
  手洗いしに行くため、地下道に入ると明かりは灯っていて、何ら不自由なかった。公道の扱いなのだろうか。学生らが原色のままで描いた緑の丘のピクニックの壁画のあるこの内部の天井には、金沢方面や、小松方面と、案内板がぶら下がっている。そうだ。ここから、どこにでも行けるんだ。こんな小さな駅ではあるけれど。
  洗面所はトイレの真正面に石材のシンクで据えられていて、コンクリートがちなホームのみの駅に比すれば、新しいスタイルではなかった。蛇口を捻り、水をシュワシュワ出していく。
  冷たくなった手を風にかざしつつ、白みはじめた幻想田野の遥か向こうのジャスコをまた、望んでみた。目立つ黄色のプレート付けた軽自動車が行き交いはじめ、町も起きだしそうだった。
  下りの待合室に戻ってすぐに、じいさんがやってきてびっくりする。どうもさっきからこの辺りに来ていて、掃除してくれていたようだ。待合室のゴミ箱の中身も回収していき、 しかしほんと時間帯によって誰が人知れず支えているかわからないものだな。それにしても自分の片付けが遅れていたら大いに慌てていたところだった。白山の岩屑の表したのだろうか、石板の簡素な明峰だからって、油断してはいけない。

  その後また私は独りになった。しののめはすぐに過ぎ、日の出して、風景は、私だけのものではなくなった。しかし長袖持ってきていてよかったな、旅ではまめに調節するようという謂われがよくわかる。そのまま始発の5時51分、金沢行きを待った。すっかり明るくなって、スーツの人を一人含め、四五人の客らが集まってきた。寒いというのに、私が待っている待合室には、誰も入ってこない。中を窺っているのに、そうでないよう装って通り過ぎる感じの人もあれば、覗いてから人がいるとわかると通過する人もあった。風が入らぬよう戸を閉めていたせいもあるかもしれないが、もう時刻がまもなくだから、わざわざ戸をあけて誰かの横で座ってまで待つほどでもないということなのだろう。私もそういうことは結構あるし。

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