守山駅
(東海道本線・もりやま) - 2008年12月
守山はほんのりと寂しいところだ。そのまま列車に乗ってゆき過ぎていく人は、いつもそんなことを窓辺で思って、やがて列車はすっとこの駅を発ち、さらに湖北へと運れてゆくのかもしれない。琵琶湖線を北に詰めここに達すると、どことなしにやや突き放されたような傷みが心に小さく浮かび、その陰影が温かい色で奥底に映える。外に出れば街があり、少しは元気づくのだが、構内はそれがなかったころの守山の相貌を語っているように捉えられ、畏れを抱くのかもしれなかった。その名が手堅い、しっかりとシステマティックな近郊都市を想像させるからだろうか。まばらに佇立する80年代の白い高層マンションすら、広漠の意匠だった、いやそれは、時代的な、時間的なものからくるものだろう。都会のポンプといえば、平面走破の味つけが加わるかもしれないが必ずしも、ここはそうでなさそうだった。これら彫像は、北からくれば、草臥れてきまりきった橋上駅とともに 大都市に近寄った頼もしさを肌寄せてくるもほんのりと包(くる)んでくれるというもので、この仄かな暗さは、ずっと遠くの比叡山を湖畔で真正面に見据えるゆえの陰によるものなのだろうか。街を出走するとみずうみに向けて広大な圃場が広がっている、けれど駅の辺りは近郊の資格を有しており、こんなことをいわれる謂われはない、それなのにそこはかとない寂寥を携えていてその疑いに抗いがたい思いをたせるのが、この構内であり その名を冠する守山である、と思われる時間をここは、流しつづけている。
1番線ホームにて。
妙な側線が残っていた。貨物側線ではないような。
列車に乗っていても目に留まる右手赤茶の建物は、
RiseVille(ライズヴィル)都賀山という市民交流センター。
宿泊や宴会、会議ができ、勤労福祉センターなどが入っているそうだ。
都賀山とは醴泉が出たと日本書紀に記されたこのあたりの地名で、そこからきているらしい。
街を垣間見て。
中線はもうない。
米原方2番線乗り場を眺めて。
ここで待つ人は多い。
階段脇にはエレベーターのための通路が工夫してしつらえてあった。
ご丁寧にも座布団が。
そしてここが守山駅に一ばんの自慢。
ここを入ると…
なんと
こんなことに。
入れてほしくない切符が掲示されてあった。
出たところ。
1番線草津寄りから米原方。
草津方面を望む。
2番線から見た1番線ホーム。
専用線があるためちょっとしたヤードがあり、跨線橋が長くなっている。
以前はこの辺まで屋根がなかったのだろう。
中線の広さが琵琶湖線を物語っていたり。
これはホームの野洲寄りの端のほうにあったもの。
野洲方端にて。守山駅らしい一景。
替わってホーム階段下りたところ付近にて、野洲方。
東京からのキロ数を表すキロポスト。営業キロとはまた違うものだがだいたい同じ。
こんな階段の下にも人の誘引剤が。
架線はないけど、車両の上に登る台や碍子つき電信柱のある構内の一部。
橋上駅になったばかりのときが想われた。
守山って旅客駅としては停留所みたいになってしまっていたか。
だいぶ年月が経っているようです。といっても30年くらいだけど。
駅から最もよく目立つ小島ビル。
工場が多かったので専用線があるが枯草が靡いてもうすっかり影が薄くなっていた。階段を上がる人もいるが知る人ぞ知るの、地平の外にある店とプラットホームを結んだ1つだけの改札口は帰宅客に好評みたいでいたいてい列をなしている。人が溢れないのなら、コンコースを階段運動器具に統一し整理した平衡のなさを嘲りえるという装置となっていた。むろんそういうためのものでなく。ただ純粋に水のように流れるているだけなんだ。
草津方を望む。左手専用線は最近まででは石油輸送が行われていたという。
守山は結構工場が多く、貨物利用はほかにもあったのだろう。
コンコースにて2番線ホームへの階段を。
駅前方。
ふだんはこんなところには降りないがこうして降り、型通りの橋上駅に上がって北の方を眺めると、レールがぐわーん近江盆地にできた街に伸ばされて、ここを出るとどこに連れていかれるのだろうという寂しく不安な思いにつらまえられた。しかしこのストーリーの展開を先に書くとすると、いや、やめとこう。いまは真冬で雪のない寒さ、みなコートの内に閉じこもっているのだ。そして北陸日本海から冬雲の残余が流れ着いて、冷たい青空を頂かせている。別に、天気のせいじゃない。むしろそのおかげで感官で澄んでいた。こんなありきたりな形でも、知らないところに降りるっていいものだ。むしろ同じ形の方がいいかもしれない、いや、もうこんな話はやめよう、私はどうも随分と楽しんでいるらしいのだし。
事実そうだった。見つかりにくいところにお手洗いがあったり、Kioskが改装していたり、自動販売機を気にしたり、そんなことがおもしろく、しばし襟巻から首を伸ばしていた。帰りの刻が迫っているがときおりざっと人が増えるくらいで改札はすっきりしており、発車案内をのんびり見上げる人がいたり、寒いのかいっときコンコースで立ち止まってからホームに降りたり。ありきたりのことが安らぎで、そしてそれが琵琶湖線風景だった。
こういう番線表示は県内には少ない。天王寺にはあった気がするけど。
左:橋上駅得意のビューポイント
右:コンコース1番線乗り場側にて。こんなところに隠れて多目的トイレが。
そして展望。
右:相変わらずライズヴィルが目立ってる。
Kioskはだいぶテコ入れしたな。
改札を出ても無表情な一面はまだあるも、ころっと彩(いろどり)が感じられはじめて、駅前を見下ろすところまで来ると、急に街気分が盛り上がる。これ、ホームからはどこにいても全く見えないのである。でも、「十数年前ここに降りたことがあるはすだけど、こんなだったかな」、水族館らしい透明な円筒ルーフに包まれたエスカレーターに乗って私という垂線を2つの三角定規でやるみたいに平行移動させながら…。そうこんな趣向はあったけど、ほかはもっとなかったように思う。ともかくそんなしてのめるようにぴたっと着地するとところどころで学生が待ち、ロータリーの店や向こうの市街の風のにおいがしてくる。むろん私はといえば勝手に、賑やかさが早くに潰えるのを不安がっているけど。守山銀座や平和堂のあるあたりは旧市街にあたるんだろうか。車社会で路線域の沿道はどこも漫然と栄えてはいそうだった。
改札を出て。大々的に目立つようになったみどりの窓口。
右:この駅は壁になっていない造り。
わずか数か月後に来たらヤードは駐車場に化けていた。
ずいぶんきれいに舗装してある。
草津方。
駅裏方。少し長くなる跨線橋の入り口が見えている。
駅前方。券売機コーナー。
この駅構内のと合わせたら自販機が結構多い。
駅長室。官立の面影が残る。
市の総合案内所やホールの建物と合体していた。
消え去った国鉄。
一昔前とかなり違って、華やかな感じになったなと。
守山駅駅舎その1.
交差点に出て、琵琶湖方。守山には西友や平和堂があり、
裏手離れたところにはバローが。
栗東方。
守山駅前交差点。
県内では珍しくモスバーガーがあった。
その2.
3.
4. 守山駅前総合案内書の建物も周りの彩の中で活きていた。
これも前はなかったかと。
レンタサイクリング。この辺にも側線があったのだろう。
目立ちやすくするにしてもなんだろこれは。
守山駅その5.
栗東みたいに経線の碑かと思いきや少年赤十字団発祥の碑だった。
30分まで無料駐車場。
6.
1階の駐輪場にて。
駅裏に回る地下道。
下りてきた道。
やや暗い雰囲気だな。
ちょっと有名な守山市浮気(ふけ)町を宣伝する看板。
駅周囲には結構座るところがあった。
地下道への階段脇から見た旧ヤード。
カフェレストラン。
栗東方に見た駅裏。
7. 守山駅裏口。
裏口から登って。
背を虚空にして街の風景をすっかり透かしている人にとっては構内の漠とした感じはそんなものというものだろう。ふだんはゆき過ぎる人や旅というものにおいては、肚の、反射のない薄い膜に風景を映し 濾し取っている。表向きどちらも透かし取っているように見えても、その背からほかの人が街を推想することはないだろう。そして再び駅に入ると、もうその街のトーキーフィルムは巻き切られ、幕間を見せる。背に内省的な黒ガラスも置こうとも思わず、虚空に透ける日々が仮にあったとしても、構内で街を切り離し、忘れ、風景を濾出する契機を得るにはどうすればよいのだろうか―そんなふうに住まっている地で旅人の役が務まるだなんて仮想した。
改札を出なければ暗い旅愁は已まなかった。しかしそういう極度に内向いて、知らないで済ます旅もまたしてみたくなってきた。道路と異なって、移動中は断乎移動であり、自ら心に映そうとする力がないときでも 拡がりをその地を表すものとして窓に映してもらえる。見えるものは確かにそこから見えるものでしかなく、行き残して見残したところはないだろう。その完結性の中で、評定や断定は知らないことで抑退されるも自己の内部との照応がよく働くだろう。最速の旅では、車窓はその短時間と遮蔽ゆえ急落する反比例で縮殺 搾亡され、速度感の旅が重きになるだろう、しかしながらやはりその移動は純で、鉄道から湿った抒情を取り剥ぐった、行き着いた地だけに肌を寄せ感得するそれもまたその人たちやその人だけのといえる知らない旅が、待ちえるだろう。こうして下車し、放恣な想像と内向性の亢進に対する不安を断つために自動改札を通る瞬間、ゆき過ぎることに比して得意になり、目の前の帳を引き裂く快哉の音を聞いても、駅前を軸にしつづけたら、知ろうとしていながら、その帳を破っての完結の場を紡ぎ、明白に多面体をその内側から貼り付けるようにして作って、少しの未知に対する断定練習を行い内向的になって、そうしてその場に立ち止まっているようでありながら、ゆき過ぎているのだった。旅はいつもついゆき過ぎるものだきっと。そして駅は立ち止まっていなくても明確に立ち止まった確証をしてくれる、集約の潜在性を持ちえるところだ。しかしながらその意味で形式的なものにその意味で形式的な使い方をすると、本当に立ち止まるには、そこから知らないものを残しつつ知らないところに赴き、そして戻ってこねばならない。移動が純でそれゆえ目的地がありそうでしかし目的地のない、かたや、移動が不自然なうえ目的地に降りていそうでそこが目的地でもない、後者であるなら私は、二重にとぼけ続けなければならない。無形式のランダムウォークは集約場の駅で抽象化して…。湖畔の守山免許センター、琵琶湖大橋、湖上の叡山、内湖、都賀山の醴泉、蛍の棲まう川…。知ったことのすぐ周囲に知らないことがあり―何か軸に決めて範囲全て知ろうとすると旅は死ぬ。そして旅は、死なせ終わらせたいものなのだ。そしてそれからやっと、旅をしていなかったことを知るみたいだ。それが兌換不能な人生というものらしいようだ。私が守っている山は何の山なのだろうか。つねに盛りつづけているこの山は。
ここは構内からは不可知だった相貌の街で意力を得られただろう、私よ! それでもう少し北へと、自然に足を伸したんだ。地図はそれだけでストーリーとしても、もういつもこんな感じで、理屈でも感情曲線でもそれらともに打ち下ろされるていくしかない。
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