大谷駅 - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -
(和歌山線・おおたに) 2007年4月
中飯降から出て、妙寺に停車した。妙寺駅の構内の端にあった膨大な枯れ草は
春になってどうなったのだろう、と右の車窓を見守ったが、相変わらずそのままだった。
列車は妙寺を出ても国道24号の近くを走り、沿線は街に近い雰囲気だった。
しかし、急に果樹が見え出すようになって、
あれよあれよという間にのどかな風景に切りかわった。
「どこへ行くのだろう。」
その雰囲気のまま走り続けて、駅に着き、停車した。
不思議な思いのするまま、下車。
しかしプラットホーム一つだけの駅だと知っていたし、
ここでは1時間待ちだとわかっていたから、
退屈するだろうぐらいにしかまだ考えていなかった。
それがまったく違っていた。
ここがこの日でいちばんいい駅だったのだ。いいものが見つかってよかったと思った。
プラットホームに降り立ち、
ドアの開いている列車に沿うようにして後尾へゆっくり歩いていると、
車内は多くの人で賑わっているのが見えるのに、
ホームは数人が足音を響かせているだけですっかり静かで、
この落差ももうすぐ消失するものであることが予感された。
それでも計針は触れ動かず、
やはりただのホームで、開放式の待合所があるだけだった。
ところが、列車が去って視界が広がると、
目の前が黄緑の芽を吹いた柿の果樹園だった。
降りた人もあっという間に、やわらかい農村の斜面に消えてしまって、
音はびっくりするぐらい、ただうぐいすの響き一つになった。
あっという間に一人になった。
図らずしてうぐいすの世界に入り込んでしまったようだった。
あまりにすばらしいので、じっと聞き入っていると、
まるで誰も聴いていないと思って、独り気高く奏でているかのようでもあった。
しだいに、「あの、私がここにいますよ…。」と言ってみたくもなった。
どうも後ろの方で鳴いているようだと思い、駅の裏を覗き込むと、
ましたてもそこは明るい緑に包まれた丘。
丘を良く眺めると、こっちも柿の果樹園になっていて、
独特の枝振りをした低い濃い色の木々が、明るい緑をしゃんしゃんつけて、
まぶしい緑のじゅうたんの斜面に行儀よく並んで佇んでいた。
丘の斜面には、ときおり横に長い滝のようになった枯れ枝の断層があり、
冬枯れの雪解けが遅れたかのようだった。
地面の緑は枯れ草を押しのけてみんな表に出てきているもので、
草草の根元には細い枯れ草本が綾のように織られている。
しかしさっきまで国道と走っていたのに、
何でこんなところへ来たのだろうと思った。
というか、国道はどこ? 地図を見ると、
ここから南に600m下ったところを走っていた。
国道は紀ノ川の河畔沿いに走り続ける一方、
和歌山線は妙寺から途中で分かれて、山側に進路を取っていたのだ。
600m離れるだけで、これだけ雰囲気が変わるとは。
この大谷駅は五条から来ると和歌山線も深まったあたりにあり、
静けさという点でもここはいちばんで、最奥部にいるような感覚だった。
ホームの前に広がる柿の果樹園。粉河側に見て。
駅の裏の丘。
プラットホームを出口と反対の粉河側に歩ききると、
平和な小さい踏切があって、桃の果樹園が平地のあちこちにあった。
ちょうど開花の時期で、切れ長の目をもつ女性のように咲いている。
地形図からもこのあたりは樹園帯らしい。
ホームのすぐ前の柿はもう芽が出ていたが、
こちらの桃は花をつけていて、いろいろな果樹が栽培されているのがわかった。
果樹のmatrixは明るく楽しい。実が成るというそのままの喜びがそこにあるようだ。
駅の出口に近いあたりは家が近かったから、
ホームの前にある果樹園を見渡せなかったのだが、
こうやって端まで歩いてくると、遠くの樹園帯の山並みとともに、
すぐ前の柿の果樹園が平らに広がった。
どの果樹も収穫しやすいように背は低く抑えられ、
また独特の枝振りがあり、人の手がしっかりと入っているのもまた美しかった。
ふと開墾のことや宮殿の木々のことも思い出す。
それにしてもどうして紀ノ川沿いの、遠くのあの山地はああもやわらかい山容なのだろう。
とてつもない苦労の結実が、ああいう形で現れている、しかし、
やっぱりあそこに行ってみると斜面ばかりで、これを感じることもない。
育てて実を収穫する人の歓びが伝わってくるようだった。
粉河側まで歩いて、妙寺方面を望む。
振り返って。粉河・和歌山方面を望む。
ホームの端から覗き込むと、桃の果樹園があった。
妙寺側に見たホーム前の風景。
ホームからのパノラマ。
待合所は壁に掲示物が多く貼ってあり、 その中に運転休止のお知らせが強調して2枚貼ってあった。 時計もつけられていて、置き傘もあったが、雑然とした感じだった。 とりあえず駅を出て歩こう、そして戻ったらこの長椅子に掛けてゆっくりしようと思った。 2日目の今日、こんないいところで1時間休めるのはねがってもないことだった。 駅名標を見ると、ぼこぼこにされ、プリクラをはがした跡がいっぱいだった。 ああ、これは近くに学校があるな、と思った。 しかし生徒の気配というものはみじんもない。
待合所。
時計と傘が置かれていた。
運転休止のお知らせが目立つ。
駅名標。
ホームを妙寺側に歩き、駅から出た。 出たといっても、そこは駅への表示も何もない、 ただホームへ入れるようにしただけのところだった。 しかし券売機と公衆電話が揃っている。でも自動販売機がない。 戻ったら何か飲みながら休みたいのだが…。 駅から出た道は左手の遠くの山から下りてきた農道だったが、 車も人も、何も通らなかった。道は右手の踏切で線路とクロスしている。 近くの古民家に「日本国有鉄道踏切防護協力員 煙管 赤旗常備」との プレートがかかっていて、昔この家の人はこの踏切の非常時の対応係をやっていたようだ。 そのプレートもすっかり変色して傷んでいて、 この和歌山線が誰にとっても必要だったころのことをかすかに伝えていた。
駅出入口に券売機が置かれている。
駅出入口の風景。駅名表示も何もない。
踏切防護協力員を示したプレート。
大谷駅前景。
山の方へ行く道を覗くとかなりの坂道になっていて、 ちらっと大きな建物の一部が見えた。 あれが学校かと思ったが、あまりに静かでそうと思えなかった。 紀ノ川に向かう方向は下り坂だった。下り坂を選んだ。 足が勝手に動いて気持ちよく下っていける。 振り返って山の方を見ると、駅とは別の方向に、 登ってみたくなるような丘がちらっと見えた。 自動車の音などなにも聞こえない。鳥の鳴き声と、自分の足音だけだ。 目の前の遠くにはいろんな方向に畝のように開墾された里山がそびえていた。 雨引山と違って荒々しく、またひと気もないようだった。 標高は535.9mで、雨引山 (477.3m) よりも高い。
踏切を越えて伸びる道の風景。
ほどなくしていったん道が平らになり、 角に建物のない辻のようなところに出た。 道は細いが、辻のあたりは広々としているという、なんだか不思議なところだった。 あたりの建物を見ると、大谷公民館など、公共の建物がいくつかあったが、 人の気配はまるでなく、ひっそりとしている。 遠くの高いところにある緑の丘のかけらもしんとして空を頂いている。 赤い屋根瓦の古い方の建物には二輪車がずらりと並び、 どうも駅の駐輪所代わりにしているらしかった。 ふと気づくと、前に若い恰好をした中年の男性がぶらぶら歩いていた。 これより下ると帰りがたいへんそうだったこともあって、 このあたりで引き返した。
公的な建物らしいが、これはまた恐ろしく古風だった。
屋根の間に見える緑の丘。
かつらぎ町立大谷公民館。
駅へ戻る道中にて。
大谷駅の風景。
結局、飲み物も手にすることなく、駅へ。 駅に近づくころ、黄緑の平らな果樹園の向こうにホームがよく見えた。 そのホームの向こうもまた同じ色の丘だった。 ところどころ黒い柿の木が突き出していて、鮮やかだった。 駅に到着。待合所の長椅子に腰を下ろし、休憩開始。 靴も脱いで、少し足を伸ばした。 座っているだけで眺められる、黄緑の電飾をいつまでもばちっと点す柿の果樹園は、 ちょうど睫毛の長い大きな黄緑の目をびっくりしたようにぱちっと開けた子が、 いつまでも静かにそのままで、生きたまま動かなくなったかのようだった。
暇になってきて、背後の掲示物を見たりした。 しかし特にこれといって何もない。有害図書を入れる箱もあって、 こんな駅で誰が入れるんだと思い覗いてみると、 JRの大人の旅クラブの冊子が入っていて、思いっきり噴き出した。 この冊子はここに備えられているものではない。 大きな駅からここに帰ってきたときに、誰かがここに入れたのだ。 ただごみ箱つもりで入れただけのことだろうけど、 この和歌山線、反JRとも言うべき行為がいろんな駅で見受けられ、 その中で最も笑えたのがこの先の下井阪駅でのことで、 そして次に笑えたのが、ここでのことだった。 打田駅では笑えない、どうしようもない行為もあったが…
やや休憩したころ、さっきの男性がホームにやってきた。
そして椅子に掛けていろんな音の出るゲームをし始めた。
しかしそんなことより耐えられないぐらい煙草の匂いが彼のセーターに染み付いていて、
どうにか相手に気にさせないようにして、やっとの思いで待合所を離れた。
しかしやっぱり相手は、嫌がったのかなと思ったらしく、
私が離れるとき少し目で追っていた。
とにかく、券売機のある出口まで来て深呼吸。
どうしたらあそこまで染み付くんだと呪いながら、しばしそのあたりを散歩した。
列車も近づくころになり、再び待合所に戻った。
今度は小学生ぐらいに見える男の子がやってきた。椅子にかけると電話が鳴り、
どうも母親かららしかった。突然いなくなったので電話をかけたようだったが、
その子はぶっきらぼうに返答するだけで、やっぱりこんなもんだなと思った。
さっきちらっと見た学校のような建物は、後で調べると大谷小学校とわかった。
しかしこの子はもう中学生で、これから部活動に行くようだった。
そのままどんどん到着時刻が迫った。
しかし待合所の人や周りの風景はずっと同じままで、
時計から到着時刻の迫りを感じるたびに、
周りの状況からして時計が何十分か巻き戻るかのようだった。
しかしやはり列車はちゃんとやって来て、3人で乗り込んで、出発。
まったく別々の人だが、こんな駅から一緒に列車に乗るというのはなんだか不思議だった。
列車は1時間ぶりに私を乗せている。
ときどき時計が歪みながらも、
105系のおおざっぱな調子が今日一日を決まった間隔で流れているのがよくわかった。
次に訪れた駅 : 西笠田駅