七尾駅

(七尾線・ななお) 2008年4月

  七尾線の始まりになる津幡から乗ったとしたら、なだらかな山地と農地ばかりを一時間も走る退屈さのあとで 七尾に着くことになりそうだ。でも、列車は終着前になってここぞとばかり、港町のぱあっと広がるのを見せ、客たちに開放の気分をもたらす様子が容易に想像された。そうだ、能登に来たのは凪いだ湾のほとりの旅館で、心づくしの魚介料理を味わうためだ、曖昧な印象の山里でなく、なんて ようやっと本来の目的を思い出させるかもしれない。久しぶりに海を、というより、北陸本線でも前後ではまったくといっていいほど海は見せないのだから、この七尾の街と港の俯瞰は、鉄道客の能登のすべてであった。やっぱり来てよかった、とまで一瞬くらいは思わせそうだ。
  もっとも自分は国際的な旅館に泊まるわけでもないし、きのう一日かけて隣の、旅行客ならまず降りないような徳田駅まで来て、今、そこから始発に乗ってきただけだから、やっとこさ七尾とかいうこれまであったのよりはしっかりした街に着いたかという心境。けれども俯瞰の車窓は、にわかに私に緊張をもたらした。「ようやっと都市らしい都市にお目にか掛けるというわけか。しかもここは能登きっての都市。どんな相貌をしているんだろう。それに七尾という名前は、どこか優しくはない。自信さえ窺われえる。」

  朝七時前、七尾駅のホームに降り立った。構内放送や駅弁屋とはもう縁がなくなってしまったみたいで、広いヤードにしては遠慮がちなホームだった。また早朝とあって、上り列車が数本待機している。みな金沢行きだ。車内は人を満載していて、ドアの窓ガラスからは高校生のアイロンを当てたシャツの背中が見えた。

 

 

早朝の列車たち。

列車接近装置。電車の顔が3つなのは意味があるのだろうか。

水場。

 

2番線に入って来たのは普通「小松行き」。 松任を越え、遠いところまで直通している。 北陸本線の乗り入れで、金沢駅での乗り換え混雑も多少減るのだろう。

七尾運転区検修庫。

羽咋・津幡方を望む。

 

 

ヤード。

ホームの最端にて。

 

 

右脇にはJAの建物があった。

 

  まだ肌寒く、晴れて、北陸にしては珍しく爽やかだった。短く草の生えた広大なヤードの向こうの なだらかな山地から朝ながら緊張感なく心地よい風が渡って来ていて、能登の のどかささえ差し込んで来ている。人々がよい時期の能登や七尾や和倉に惹かれるのがわかる気がした。「しかしやっぱり輪島行きや能登線を抱えていたころは、ここも忙しかったんだろうけど、今は手持ちぶさただね」。いな、いまでも活躍しきっているのだ、と言ってもらいたかったが、そういう光景はこの来訪では見つからなかった。

 

 

2番線、1番線。

 

隣のホームの向こうが駐車場になっているが、あそこもかつては鉄道関係の土地だったんだろう。

「臨時雷鳥4号車」。雷鳥はもうとおに七尾線を走っていない。

2・3番線ホームを徳田方に。 右手に停車中の列車は6時48分発の「おはようエクスプレス」金沢行き。 この後廃止された。

1番線ホームの佇まい。

跨線橋の様子。

2・3番線ホーム階段より和倉方。

改札口が見通せた。

切り欠きホームに穴水行きが停まっている。

切り欠き部の具合。

 

 

3番線より駅裏側の様子。

1番線ホーム改札寄りの佇まい。

のと鉄道の改札口の様子。

和倉方に伸びゆく七尾線。単線だ。

給水塔?

ここから歩いて乗務員たちは帰っていく。

駅裏の様子。鉄道関係の建物が集まる。

上屋終端の様子。

 

 

 

2・3番線ホーム下り口。

駅裏の風景。七尾運転区。

 

跨線橋内にて。

  跨線橋が木造だ。なのに幅が広く、間違いなくほかの駅のものとは違っている。そこを高校生らが大股でドタドタ走って、ホームへ転がり落ちてもいいかのように階段を降り、混んでいて開いたままのドア口から人の姿が見えている列車に飛び乗ったりした。しかし発車にはあと少しだけ余裕があった。毎朝こんな使われ方している跨線橋、よく持ちこたえているなと思う。

穴水方面。能登の町という趣きがある。

羽咋・津幡・金沢方。石動山地が控えている。 その向こうは氷見市で富山県。 あの深い山中にも七尾市となる集落がある。

 

 

駅裏方。

 

駅前を垣間見て。

 

JR社員関係の建物。

 

 

ホームのこちら側は乗務員エリアのような感じだ。

1番線ホーム。

  駅前側のホームは、改札が端の方にある様式だったため、人の慌ただしさや賑やかさからは切り離されていた。ここに来てはたと気付くが、この駅は旅客駅というより、鉄道員の巣ともいうべき駅で、官舎らしい建物が多く、ホームに面していながらも福利厚生的とも取れそうな庭園が幾つか見られた。かつて能登半島すべての路線をここが牛耳っていたという趣きと威厳さえ窺われるな。この駅にいると、ホーム傍の緑の小径を歩いていた鉄道員がスッと建物に吸いこまれたり、突然現れたりしそうだ。じっさいには真四角の鞄提げてヤードにある長大な構内踏切を歩いて駅裏のねぐらに帰ったりするのを目撃した。
  まだ蔦だらけの給水塔や、傷んだ運転区所が佇んでいて、今は本土側ではめっきり少なくなった正統な駅らしい感じが半島ゆえ残ったという感じもした。そういえば線内で唯一市街と駅が接している。すべては七尾のために、というようなのが七尾線なのかなんて思われた。

 けれども駅庭は、能登の拠点たる観光地の雰囲気と重なって、いささか金沢的な文化を示唆してもいて、湿雪の中に重厚な文化のある、多くの人々が思い浮かべそうな少し前のころの北陸・金沢を窺わせ、官立の実際的な面だけではなく、迎え入れられるような感触がまだかすかではあるけれども残っていた。

ここも鉄道員の施設。

日露戦争終結後、戦利品としてもらってきたロシア製の33kgレールの展示。 七尾線全線に実際に使われていたが、更換によりすべて現役を引退、と書いてある。 珍しいレールで材質も硬く、7毛程度(0.2ミリ?)しか摩耗していないという。 ちなみに30kg(1mあたり)程度のレールは今は旅客線ではほとんど使われていないのではないかな…。更換もそういうことによるものなのだろう。退役レールはホームの屋根の柱なんかになっているのかもしれない。

和倉方に見た1番線ホーム。

 

左手にもやはり線路が敷いてあったのだろう。

 

跨線橋のある風景。

 

特急の号車番号札が肩を並べる。

階段下の倉庫。

階段前ホーム兼コンコース。

 

階段がほかの駅よりもずっと広い。

 

 

 

 

 

ホームより駅舎側は改札内コンコースの延長然としていた。

駅庭の様子。

 

この庭の端に企業理念・安全宣言制定記念と書いた柱が立っていた。 そして信楽焼の狸の置物がある。

 

ホーム越しに詰所が見える。

 

改札口前へ。

 

 

改札前コンコース。

  改札前だけ大屋根に覆われたそここそ、弁当屋や売店がありそうだけどなくて、山車の車輪が転がしてあるくらいだ。やはり昔とは変わっているのだろうな、と思う。この改札内のコンコースの場所も、以北が分離される前は柵で区切られておらず、もっと広々していたのだろう。なんだか、なれの果てという感じがしたが、ささっとそれは自ら打ち消す。

 

ラッチにはカニの写真が貼ってあった。そして能登上布の暖簾が掛かっている。

のと鉄道乗換口におっさんが立っている。

 

改札口の様子。

  地の人をじゃましなさそうなときに改札に差しかかったら、いまお出になられます? と、女性駅員が遠くから声をかけるので、きっちりしてるな、と思いつつ、今出ます、と、改札を抜けた。七尾は、このとき列車別改札をしていたらしかった。普段はどうか知らないけれども。その女性駅員はちょっと高く留ったところがあったので、知らぬうちにさっそくこれで七尾の街を占おうとしていた。
  のと鉄道の改札にはラッチはなくて、ただ背の高い目の落ち窪んだおっかない駅員が無線を片手に突っ立っていた。この先乗る予定なんだけどなんだか気乗りしなくなってきた。私が駅に戻るときには消えているだろう、なんて、人を幽霊扱いする。

  駅舎の中は金沢駅みたいに賑やかなのを想像していたのに、そういうものはなく、天井はポーチライトばかりで暗い。内装も気密な一昔前のマンションのエントランスみたいで、ひと癖あった。人が全然おらず首をかしいでいると、ドアの向こうの待合室が黒山の人だかりのようになっていて、みんなそこにいたのね…。ちなみに弁当や土産はその中にある店で買えるようになっていた。それにしてもあまり都市らしくない駅で、印象の平らなところだった。

 

券売機と有人改札窓口。のと鉄道の券売機も置いてある。

 

駅舎内の様子。駅前方。

旅行代理店とみどりの窓口が同じエリアにあった。

売店と待合室。冬季は重宝しそうだ。

この駅は唐突に柱があることが多い。

 

 

 

駅舎出入口。

 

 

5月の連休中にはかなり大きな祭りが執り行われるようだ。

 

 

 

  金沢行きが出る前は、駅前で自転車の大集結が繰り広げられていたが、出てしまえば、もう午前の仕事終わり、とでも言うかのように、まどろみはじめる、旅人時間。周囲はすっかり造り直されていて、すっかり都市然としている。海臭さや、港らしさはなく、つん、と取り澄ましたところさえあって、やはり、七尾だものね。能登一ばんの都市、珠洲や輪島から出て一人暮らししている人もいるのだという。
  でも建て替えなかった駅舎は、潮焼けた色で、それだけが本性と名残をとどめているかのようだった。
  ここは元から都市だから、旅人の困ることはないところだ。ホテルもスーパーもあり、これはこの先も変わらないことだろう。

正方形の古い時計の設置されている駅舎。

 

駅舎の左側は七尾鉄道部の建物として使われている。

七尾駅駅舎その1.

 

裏手にあった七尾車掌区の建物。今も使われているんだろうか。

 

駅舎の建物の一部に飲食店が入っていた。

 

 

 

駅前から離れる方角。

駅前外周道。

七尾駅駅舎その2.

その3.

バス停の様子。立派なものがこしらえてあった。 和倉温泉行のバスがある。

右手の建物はホテル「アリビオ」。

その4.

その5.

 

椅子が置かれ、休憩できるところがとても多い。

 

その6.

 

ショッピングモール「パトリア」。1階にスーパーのユニーが入っている。 現在は名称だけが変わってピアゴとなっている。社名はユニーのまま。名古屋の会社で、つまり中京圏だ。

駅前の見せどころ。

和倉方。

短い横断歩道。

 

その7.

 

 

 

こんな階段が取り巻いていたのだろうか。

 

 

のと鉄道ご利用のお客様はお通り下さいと書いてある。

のと鉄道のコンコース。

向こうがJR側。ただコンコースを分けたという感じ。

こちらが「のとホーム」。

真っ直ぐ行ったところがJR線との乗り換え口。

のとホームから見た駅前の様子。

のと鉄道のロゴマーク。JISマークと同じ手法で作られている。

これから乗る列車。朝8時とあって、2両編成だ。

  のと鉄道の入口に向かうと、さっき駅員はまだいたが、JR線との乗り継ぎ客の改札を担当するために立っていた人だったようだ。そういうわけで、そのまま気動車に乗りこんだ。列車は新車で、いつのまに納入したんだろう、財はどこからなどと思う。中にはけっこう高校生やお年寄りが座っていた。
  駅前側に座った。ついに発車する。すると列車はゆっくりと、道路に長々と連なった高校生の列に沿いはじめた。自分もあんなふうに通(かよ)っていたんだ、と振り返った。当時は何の気なしにしていたが、こうして車窓から見れば、なかなかできないことだと思えるものだった。しかしその列は淀みはじめていた。やがて列がほぼ完全に停滞しているのが目に入りかけるころには、列車は、踏切に侵入していた。踏切が列を遮断していたのだ。彼らは列車にいくつもの気重そうな顔を見せつけた。彼らは、私の考えるところの空想的な力で、列車をひっくり返すのではないかと、思え、とっさに、無事通れますように、と固唾を呑んで祈った。しかし列車はいうまでもなく、平然と、そして、物おじせず、堂々と警報音なんか鳴らして、彼らに顔を、見させるだけ見させておいて、さっさとその場を離れ去っていった。ほっとしたと同時に何を祈っていたのだろう、と、心の中が空虚になった。そして喩えつまらなくともこの先の車窓や出会いを熱望し、そこにすべてを賭けはじめた。

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