直江津駅

(信越本線・なおえつ) 2009年9月

  人が去り、ただ灼けつく夏が乾いてばかり残っている。ガラス越しに海を眺めながら白昼はてめぐりの夢ののどやかさで、漁村佇む土や岩の海岸線を汽車で巡っていた。谷浜のひらけた熱く静かな砂浜はそこからいったん目覚めさせそうだったけれども、直江津のその現れ方というのは、いつもと違(たが)わず、唐突だ。ここからまったく違う、という感触、それはいったん旅が終わってしまったという断絶感。まず、これまでにない賑やかさだ。久しくこんな街らしい感触は得ていない。プラットホームも号車番号札や飲料販売機で色が溢れ、駅弁を黒エプロンの三十くらいの男性が声出しして売っている。到着した特急からは中年の紳士淑女が降り立って、最後になってようやくメイドの押す車販のワゴンが、しずしずと重たげに出てくる。ホームには目立たずその基地も隣設させてあって、まもなくワゴンは緑のスロープを上り、客らの視界からは消えるだろう。でも、「もっと早く出てこいよ! 行っちまうぞ。行っちまうかと思った。」おどけてそう言う声がする。「いや、お客様がまだ降りていなかったので…」「けど行っちまったら帰ってこれないぞ」 信頼されない初めのうちの理不尽さであった。その奥ゆかしさには就いてほどないものが漂っている。寝台列車も必ずここに停車し、運転士の交代するのが常となっているが、私はそれを見たことがない。

1・2番線ホーム

2番線のりば。

周遊券のあったころの名残が。

 

妙にビビッドなkiosk.

まだあの配色あったのか。

階段付近にて、糸魚川方。

商品整理中になった。

3・2番線。

 

 

 

境界駅らしい施設。

 

 

 

夜中の寝台特急停車時、これで電話したくなった。

  日本海はまだまだ続くはずで、最北を目指す者にとっては中継ぎ地点にしかならないはずだ。なのにこの不連続感はいったいなんだろう。この先ゆるやかな砂丘地帯が延々と続くなら、そういうルートのぶれそうな際限のなさや、疎らさの中を、まっすぐに歩むには、沿岸に頼り、文化を心に凝集するのがいい。
  そしてここまで来ると笹川流れや鶴岡あたりまでもが射程圏に入ってきそうに思え、この次の國、みちのくへの途が見えた感じがする。逆に富山の方にこれから向かうとなると、どちらともつかなさげな長い閑散区間が、東側との別れとも帰郷の懐かしさとも取れ、心に沁みてきそうだった。
  とりあえず直江津は、情緒は宿っているところで上屋の塗炭の青さやそれを支える白い木柱の整然と並ぶ美しさは、雪国の ある重要駅であることを問わず語り、透明の風除けは美しく旅情の意匠でもあったが、そのあまりの長さゆえ、沿岸の季節風に立ち向かうひたむきさが潜み隠れていた。

1番線はあの風除けの向こう。

 

 

ほくほく線の列車。

普通長岡行き。

 

 

 

夏らしい。

 

風除けの向こう。1番線に行くにはここを歩いた方が早い。

ひっそりと佇む車販基地。

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの切り欠きが1番線。

3番線に停車中は普通 くびき野 新井行き。

 

  この月は大人の旅行が多いだろう。けれども博覧会と国体で、今年のこの九月はいつもより多くの客が来訪していることを、私以外の誰かが確かに実感していそうだ。看板や幟はもううんざりするくらいだが、そうとない機会に賭けているというもので、そういう飾りものが、逆に長大で烈日の八月を越した、秋を迎える大人のイベントの時季になったという感じもして、そんなに悪くなく、きりりと短く纏まった自由な空気も漂っていた。
  といっても今は、好みの服を身につけた壮年の夫婦や、若き女性、駅弁売りなどが目に入ってその効果が推し量れるかなくらいの微かさで、ホームで待っているのはもっぱら出張での人ばかりだ。はくたか 絡みはありそうなものの、長い県内での移動が多いだろう。引けてみんなして紙袋提げ、女性も仲よさげにまじえL字の列を作り、売店や飲料の充実したメインホームで特急を待っている。普通列車に乗るなどありえないことのように談笑しているいっぽう、レールを挟んだ向かいで学生が気だるそうに画面に視線を注ぎながら待つのは普通列車だ。各停でも北越急行の正方のガラス窓の新車に乗ろうとする、ほかの列車に背を向けた少数の一群(ひとむれ)は、その中の女子高生を見るに、なぜか特別な人たちに思えた。ほんらい鉄道はなかったと想われるところだからだろうか。

 

 

 

業務用出入口。商品の補充など。

この旅行中、国体の広告にはうんざりした…。

 

 

 



コンコースへ。

駅前の外れがちらと見えた。

 

 

改札内コンコース。

レンタサイクリング500円(900-1800).  えちごツーデーパス利用の人は無料だと。

 

 

以前はこの左手から待合室に入れるようになっていたが 改造されて変わっていた。

日本酒がメイン。

 

糸魚川方。

 

ヤードも随分縮小されたようだ。

3・4番線ホーム

3・4番線ホーム、長岡方端にて。

全体的に雑草が多い…。

喫煙所。

少ししゃれた雰囲気。

ちょっと青森を思い出したり。

 

階段前にて。

2番線ホーム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣の5・6番線ホームが最も寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5・6番線ホーム

5・6番線ホーム。

 

 

 

 

 

賑やかな駅舎寄りのホームから遠く離れて、落ち着いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

長岡方端にて。

陸橋が長いのはヤードのせい。


6・5番線ホームを離れて。

 

 

  伝統的らしく、長野からの列車や、長野行きの列車が頻繁だ。もう特急は走っていないが、同じ車両で快速を出しているほどとなっている。直江津に長野はイメージを結ばないが、ここにこうして来てみると、浜伝うのをやめ、安定した山間に雲隠れしたくもなり、日本海縦貫線に収斂される信越線のあの曲線は意外にも、昔の転轍機みたいに磁力の強さを感じさせる。それは直接四年前にホテルの窓から見たことがあったからかもしれない。しかしそうでなくても、直江津は能生地区より、妙高地区の方が似合っている。
  新しくしたコンコースでも嫗が声掛けしながらまた駅弁が売られ、乗り換え駅らしさを繋ぎ止めていた。広大なヤードを跨ぐ丸窓の自由通路は客船というより陸野を駆けっている。下方には大都市から譲り受けた通勤列車が控えているが、都市の影響が迫りくる恐怖感はなかった。越後の魅惑的な浜や磯や、信州の山村文化が取り巻いてくれている。客船タラップのようなこの自由通路の外観は、ここからは離れたところにある港湾開発で建っていそうな大洋を望むマリンな建物を喚起したし、また裏手にふさわしい直江津の住宅地のささやかさや、道を自由にとった締まりのなさに旅の感覚を刺激された。そこではとくに車が瓔珞をつなぎ、マストを象ったメタルの夕陽の輝きを背に、爺さんが普通乗用車から はたと降りて、お帰りと、女子高生を迎えたが、彼女は顔も見ず黙ったまま車に収まる。しかし爺さんは緩頬は変えることなく、再び運転席に収まり、ギヤを入れ家へ発進。外ではいやなだけで、発車したばかりの車内や家では、話をしているのだろうか、そんな安心材料を心に思い描く。これからともかく港街を歩き、たそがれていても輝く海を見に行くつもりだ。

直江津駅改札口。

みどりの窓口はオープン構造。

地図を見せている感じで、海に面した市だなあと。 北口が表口にあたる。

自由通路。

 

 

 

 

駅前交差点。なんかもの足らん…。昔はどんな感じだったんだろう。

 

 

 

左:さっきからお気づきかとは思うが、 もう天地人博の宣伝が随所にあって。 にいがた国体と合わせて一大イベントになっていたようだ。

 

 

 

 

ホテルハイマートとホテルセンチュリーイカヤ。 価格はビジネスホテルとしては少しだけ高い設定。 それで前回は歩いてα-1で泊ったんだっけか。

港って感じがしてるね。

  ―ここは夕方になっても光が遮られないところ―そういう発見的な西日が澎湃と渦巻いていても感官は埋まっていて、ぐったりするほどの荷物とともに残暑がいやらしく纏わりついてきた。
  駅前、港見えぬと縦貫線の断絶感ゆえ、海と旅をよけい希求したくなるその舞台では、そのような捉え方はしないここに生くる人々が三々五々群れはじめ、暮れ残った暑さと、人に時間意識をべっとり押しつける融銅も相まって、なにか面倒とも険悪ともいうべき空気が漂うのを押し払いながら歩かれていた。
  こうして表口に立ってみるとこれといった慨嘆がなく不意を突かれた。そしてこの光景は、数年前初めて降り立ったとき、まともに見ていなかったことに気づいた。心を捉えないものは旅においてははじめから存在しないはずのものなのにそれを如何ともせんとしていたのだろうか。そしてその奥から始まっていた、雁木の 自動車で狭く賑わっているを見て、どっと疲れが出、急に街を歩く気をなくし、海まで出る予定を、蹴ってしまった。ああいう風景とて、どこかで出遭ったことがなかったっけ。海にしても…。何もかも、1回で―せめてもその日1日で―いいような気がした。求めようとしたものは、初めのときと同じものだ。けれどもそんな唯一の感覚を量産したいという欲望がある。駅で分けたり、街で分けたり、果てには国で分けたり。下手したら、駅なんて存在しないときもある。とくにこの、船を模したらしげな角を丸めた段々の白っぽい駅舎が、断片化されて漠然と視界に入る度には。

 

再開発が駅前整備で終わった例。

 

直江津駅駅舎その1.

コンコース下にて。地平改札ならこの辺に改札を作りそう。 旅行代理店とレンタカーが入っているが何となくもったいないスペース。

 

右側部分、デパートのように見えたり。

 

 

観光案内所は結構吹きさらしのところもあるが、 ここは力が入ってた。

仲良しなタクシー。

なぜか構外に出されたうどんそば店。

 

何か知らんが常に凝って、金がかかってる。

 

 

この辺は開発前の趣きをとどめていそう。

 

ほんとモニュメントが多い。バブリー?

 

その2.

 

直江津に来たな、と思う。

3.

4.

 

 

 

 

あすか通り。市道なんだとか。

 

 

 

駅待合室は工事中。

こんなふうに改札外からの利用に変わっていた。

 

 

6番線。

 

 

今でも大規模な直江津駅構内。黒井方。

 

 

 

 

 

休憩個所は豊富。暑いけど。

左の駐車場までレールがあったのだろう。 谷浜方。それにしても山が深い。妙高の山系。

途中で降りられる階段。駅や自由通路はそのとき国内の世界クルージーング界にして冠絶していた豪華客船飛鳥を模したもの。自由通路が177.0m飛鳥が192.8mということで比較されていた。近年は国内で豪華客船という名が敬遠されるとかで名前を変えているとかいうニュースもあったな…。駅は1997年着工。

いよいよ終わり。この辺になると少しさびしく。


 

左:吊屋根にしてる分 柱の負担は少ないんだろうか。

 

裏口のロータリーは2つに分かれていて、こちらが構内よりのもの。

直江津長野で活躍したD51の第四動輪だと。

 

自由通路を途中で降りたところ。

 

 

 

直江津駅南口バス停。

幹の太さから開発されて間もないのがわかる。

糸魚川方に見たあすかの通路。

  ここは裏も表も広く土地を取って、帆掛けのモニュメントや船舶のモチーフを大掛かりに扱い、港の雰囲気を出そうと苦心惨憺されていた。海が少し離れているからだろう。内陸の人のためにとも、内陸からの影響を払拭しようとしているとも取られた。しかしこれらの全貌を視界で把握するのは困難であるということが、失念されていた。それで異様で、軍港らしくか 傲然ともしていた。
  直江津にはまあ、また来ないといけないな。その地図を熱心に読んで想像していたころから記憶に留めているけど、港町らしくおもしろそうなところがいくつもある。まだ自分は直江津に来ていない。疲れたのは直江津という街が少し大きそうだったというのもあった。―沿岸に頼り、文化を心に凝集するのがいい―北陸道を下ってこれまでに見なかった雰囲気を漂わせる人々が姿と、初めに現れる新潟らしさに出くわして、先に課した方向性が気重になったかもしれない。今のところ、雪解けの雫の今にもしたたり落ちてきそうな夏の青い塗炭の上屋と、緑の乗り場数字がただ印象に深く残り、それは、下り寝台特急日本海に乗った折にはいつも、深夜に着く直江津までは起きていて、闇夜に静かに映えるその光景を見てから、ここからは寝ることにしていたということと共にあるのだろう。結局こういうわけで駅から離れるのを恐れている。仮に出歩いたとしても、自分の旅はまだすべて、トポロジカルな線状に頼ってその序章を形作っているにすぎない。いつまでもその向こうの無限の広がりを取っておき、手を出さないのは貯蓄家だともいえるがそこに旅の形式をまだ作れていない作用によるものでもある。もっと自由に旅していたころのことを思い出したい、既定位置からの創出ばかりを自身に迫ることなく、 人生という旅をしていたころのことを…。

  直江津は直く海を見にこし人になおも直くぞ旅を継がする

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