二本木駅

(信越本線・にほんぎ) 2009年9月

  ここはスイッチバックの動きで入る駅なのに、それほどそう思わせなかった。袋小路の方を見ても、どんづまりだ、と思わない。背高く草が茂って、別の線が伸びていそうだ。それで意識としての終点を追い忘れたほどだった。
  じっさい電車が入ってくるとき、慎重さや特別さより 勢いがあって、本線のわりあい重要な駅で待っていた気になる。運転台はそのままなので、発車もすぐ行われた。

 

妙高・長野方面乗り場。

 

 

 

 

 

 

日本曹達の貨物事務所。

この駅は日本曹達二本木工場とともにある駅だ。

替わって行き止まり方から長野方面に俯瞰した駅構内。

しっかり電化されてる。

旅客線も遠くまで延び、架線があった。

直江津方を望む。

 

何らかの機械室(信号機?). 板囲いが積雪のすごさを物語っていた。

敷石のホーム。

後年になってつけられたサッシが回廊をよけい形作っている。

 

今にもだれか出てきそうな雰囲気だった。廃止されてわずかして経っていないし。

待合室内にて。

 

乗換駅レベルもある待合室だった。

行き止まり方(直江津方向)。

 

レンガ倉庫に瓦屋根っていうのが…。これも耐火がらみかもしれない。 で、庇はトタン。

 

 

この日本曹達二本木工場はここで想像するよりもずっと大きい。 見えているのはほんの一角だけ。

妙高方を望んで。

 

 

二本木だけは周りと違って新井と同じ自治体ではなく、 直江津と同じ上越市で中郷区。(旧中郷村)。 上越市域に最短で行くならあの山を越えて名立に出ることになりそう (その当の山も妙高市)。そんな人はいなさそうだけど。

漸次だったかもしれないけど、今はトラック輸送に完全に切り替わることになった。

 

街側。新潟っぽい一景。越後湯沢あたりかな。

 

1番線。

 

 

ホームの主要部。行き止まり方。

右:手触りよさそう。

 

こうして明かりが点くと何でもないのに…。

 

 

  上屋をはじめ木の色合いがたいそう濃くて、付け替えられた案内板すら浮いていた。そして古来から残っている方のが、忘れ去られたのを怨むかごとく時を止めていて、見る者の視線を外させようとしない。そしてそれが張り付けてあるのが、例の待合室というわけさ。ええ、昨夜たっぷり悪夢を見せられたね。
  日本曹達の朝は早く、明けてしばらくするともう例の事務室に人影が見えた。こっちのことは何も気にされていないようだった。あの人もちゃんと寝てるのかなと思う。
  空はどっしり雲が寄せてまだ薄暗いが、地下道はなんとかところで入れるくらいにはなった。出たところは当時の木で大掛かりに作った穴囲いで、その高さや時代感に威圧される。深夜には怖かったほどだ。こういう難しそうな立地にはありそうな付け替えたらしい水路が迸って、そこに欄干が掛かり、かなり風流な遣水と架け橋のようになっていた。その欄干の木も罅割れて、典雅の概念に憧憬しつつも実用である良さがあった。回廊の通りしな、深い木造屋根でぽっかりした空間さえつくっている荷物通路の傍に、お手洗いが横目に流れてあっと気づき、そんなところにあるのが特異に捉えられ、ここでは貨物ではなく旅客がこの駅を使うのが珍しいくらいなのかと、お厠に自分が、珍しがられたかのようだった。そしてそういう例外感が、架け橋なんかにそれがあったことで、旅館に宿泊した朝でのことようにより思わせることになった。

純木造。

 

手荷物搬送通路?






 

 

ちなみに外にもトイレがある。

 

 

 

 

 かつて広かった駅舎内も半分は倉庫に新装され、冬道具や保線具が眠らされてるんだろうかと、不満げに見やる。そういえば散策時、盛り土の下にトンネル状の倉庫ようのものがあった。貨物線の行方のこともあり、そこそこにここは謎を秘めている。近年の排人施策に則って椅子は人を撥ねつけ、様々な真新しさが目の光るのを感じさせていた。そしてそれが狙いなのだった。駅員は…まだ来ていない。さすがにきょうび宿直なんかしないよよねえと気軽に外出した。

駅舎内にて。

お客様の声の台が妙につやつやだった。 そしてやはりこういう駅では指名手配犯のポスターがどうも目立つ。 もっともそこに載ってる大部分がもう見つかったというのは(2014時点) すごいことだけど。

チッキ台。

天井が蜘蛛の巣もなく虫もおらずきれいなのはかなり珍しい。

右:出入口が異様に細いのがいい感じ。

「ほら、こっちには来るな!」

改札から見た駅舎内。依然とだいぶ違っていると思う。

木壁は室内にマッチしているけど…。

駅舎軒下にて。昨日の二人はここで話していたんだ。

駅出ての風景。

  昨日の夜にしたように、駅舎の軒下の木組みや木の色を見つめた。そのときの魔的な感じや怖さが消えきっていなくて、意外さと苛立ちを抱いた。木というのはいいものだけど、なんでも吸い込むので、どうとも言い切れなくなった。その軒屋のすぐ上が連坦した明り取り窓で、雪国らしかった。それがそうでなくて、隠し中二階のようであればそういうふりをした監禁屋敷だ。
  しっとりした雨上がりに緑樹映える悄然とした駅前からの小坂を下りる前に、その脇の電話ボックスに目がいくのを止められなかった。今は小鳥の鳴き声とともに現実的に光を透かしているけど、ぱっと見、夜の輝く緑の媒体は何ともいえなかったな。昨晩はなんでこんなものに助けを感じたんだろう。そんなわけでちょっと浮気な名の町を散策だ。

二本木駅駅舎その1.

長野方。保線や信号機関係で出入りがよくありそう。

行き止まり方。割と余裕はある方。

昔らしい感じ。

その2.

 

 

コンクリートもメンテナンスをしないとこんなことに…。 雪のせいはあるけど。

待合室の倉庫の工事中とのことだった。

タクシーは少し歩いたところに営業所がある。

 

その3.

  坂下の旧街道は建て替わってはいるものの趣きがあって、新潟の雪国らしさと、長野の山里らしさの汽水域なのを感じつつ歩く。でも、やっぱ夜の方がよかったな。雰囲気が濃厚で。ちなみに、ここはまだまだ新潟県だ。昨夜はそのときの心理で、旅館が相当はやったところだと冷たい空気にうたれて蹌踉とし固唾をのんだが、朝見るとそればかりではなくて、もともとかなり纏った昔ながらの街だっだ。これがスイッチバックの町である、と鼻息吹いて見学する。目印みたいな二本木なんていうし、そういう折り返しになっているのでおおむね峠だろうということにしていたが、巨視的には遠く妙高山の裾野が細長く新井市街まで延びてきた途中に当たるところで、そこを鉄道が登ってきていた。その裾野の両側を川が土柔らかそうに深く抉っている。新井駅の標高が約60m,二本木駅は約185m. その間、名目上6.3km,つまり平均約20‰と割と楽で、優しい、ときとしてたぶん漫然とした裾野だった。ちなみにお隣の関山駅は340m、距離8.3kmで勾配は楽になっている。

  近くの個人食料品店は今しがた開けられるところ。パンを売っていそうだ。でもここで最も驚いたのは、背高の看板が群れていたので賑やかだろうと思って繰り出た道が、車一つ走っていなかったこと。相当な交通量だったのが窺われる風情だが、はや旧国道ということで。いかにもそんな顔してるもんなあ。こんなふうに歩きやすくなると、歩いてみたくもなる。

新井方。

 

妙高方。

 

 

この駅は倉庫が多いけど何を置いているんだろう。

頸南バスというそうだ。 電車は新井でいったん減るので考える機会はあるかも。、

 

こちら本線の踏切。 この先まっすぐが北国街道で、次は同じ旧中郷村内の松崎宿に向かう。

妙高方。二本木駅への引き込み線とまもなく合流。

こちら新井方。

何かと水路が目につくところだった。

旧国道18号。現新潟県道584号線。

 

 

 

 

 

 

その3.

  駅に戻ってから十分ぐらいで、昔日の白い箱型の車が乗りつける。ちらとフロントガラス越しに目が合う。客かなと思う間もなく、鍵をがちゃつかせて中に入ていった。すぐ駅務室の中で籠ったような鈍い物音がし、営業の準備が始まる。もう客がいるとて慌てさせただろうか。いやしかし、駅に客がいるのは、至極自然で、特にこんな朝の一ばん乗りの客がるというのは、むしろ向うにとっては好感触の安心だよ、なんにせよ鉄道員といってもここでは、もとい今は客商売だもの。それでいて私らからすると、昔、開通閉塞をした鉄道員の遺伝子を継いだ子孫なんだから、私らときたら手に負えないね。むろんそれは過分に私の淋しい二本木駅の心象も手伝っていたかもしれなかった。しかし日常では考えもしない、ひいては単なる怪訝さで済まされるようなことに、考えを伸ばし、寛容さが広がっていくのかもしれなかった。
  ここは始発朝6時半ごろと遅く、朝一の客は少なくない。欄干も羽目板も現代人に包まれ、すっかり健全に生気を取り戻し、一本気でないという冗談にへんな顔する人たちのいる中で、上下同時発車できれいに空気の入れ替わるのと、駅員のホームを覗くので一日の始まるのを想い、誰も知らない二本木駅を立ち去ることになった。しかしそうして気を許した瞬間、またあの濃い板目がじっとりとあたりを睨んで、そうしてそれから、消えていった。

 

 

 

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